第五信:空中散歩

 それからと云う物、月の出る夜は決まって、外に出てはいろいろな事を試みるのだった。

 

 以前私は、駅のホームに佇んでいた時に、この様な場所では割と見掛ける事の多い鳩が、私のいるホームから向い側へと、事も無げに飛び移るのを見て、人が距離にして僅かな感覚をそんな風には埋められない事を考え併せて、大いに感心させられた事が在ったのだが……、もう分かっただろう? 早速自分でもやってみたのだよ。勿論周りに誰も居ない事を確認してからの事だったが。

 あれは今思い起こしても何とも不思議な光景だった。普段は人で一杯の駅に、誰一人としてその姿は無く、やけに白々しい照明が、辺りをくっきりと隅々まで照らし出していた。そんな中で、私がホームとホームの間を、まるで其処に見えない通路が有るかの様に歩いて行く。物にそんな動作は必要ではなかったのだが、何、単に気分の問題さ。

 

 また別の日の夜、家の裏手にある小さな森の中、湖かと見紛う泉の上で、スケート選手を気取った事も有る。開けた空間で、風一つ無く、鏡の様な水面の上を、片足立ちで滑って行く時の気分と来たら、何とも言えず心地良い物だった。時々はずみで足が水面を掠めて、そんな時は、水面に写っていた月が崩れて、その上を幾つもの波紋が緩やかに横切って行く……。ああ、こんな事を書いていたら、またやってみたくなって来たよ。


 ある時期、私の住む界隈で、例えば駅前の色彩豊かなタイル張りの、ちょっと小洒落た雰囲気の広場で、木の上に座った人物がハーモニカを吹いていた、なんて光景を見た者が何人も現れ、その事が随分と噂になった物だが、どうか私のこの行為を子供っぽいなどと笑わないで欲しい。殊更目くじら立てる程の事でも無いだろう? 若気の至り、と云う奴さ、私もまだ老け込んだ積りはないからね。


 他にも今日の赴くがままに、この手の事を色々とやってみたのだが、差し当たってはこの辺で止めておく。

 それと云うのも、そんな生活を続けていたある日、それら全てを呆気なく打ち砕いてしまう出来事が起きたのだから。



 

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