第148話 サハス
向かってくるフォレストハウンドは全部で五匹。
先導して突出して前に出ている一匹とは別に、左右に二匹ずつ分かれ、それぞれが回り込みながらもこちらに向かってきている。
俺はまずその先陣を切っていた一匹に思い切り殴りかかった拳が首元にめり込み、グシャッ!という生々しい音と共に、拳の勢いを殺すことが出来なかったフォレストハウンドの体が横にグルグルと回転しながら森の方まで飛んでいった。
「オリヴィエ!左の二匹を頼む!」
フォレストハウンドは攻撃の際に群れとして統率されたような行動をとるから力量の差があってもこういった守るべきものを背負った状態の時は厄介な相手だ。
「はい!」
手に持っていた木製の皿と布を放り投げ、オリヴィエは俺の指示を受け、護身用の短刀を腰にぶら下げた専用の鞘から取り出し、駆けていく。
俺はなおもこちらに向かって走ってくるフォレストハウンドへ相対し、狼親子とやつらの直線上に割り入る。
グルルルルル・・・
母狼が唸る。
足を怪我しているから大丈夫だとは思うが、頼むから無理しないでくれよ。
不測の事態を考えて狼達とは少し距離をとった方がいいか・・・。俺は少し前へ出て向かってくるフォレストハウンドに備え、腰を落とす。
くそ・・・まさか素手で戦うことになるとは・・・。俺は日本でも殴り合いの喧嘩なんか一回もしたことないんだ、勘弁してくれ。
並走して走ってくるフォレストハウンドが同時に飛び掛かってくる。
いや、片方のベクトルがおかしい・・・俺に向かっていない!?
「!!」
くそっ!こいつ・・・母狼を狙ってやがる!
俺は右拳を振ってこっちに飛び掛かって来たやつの横っ面を叩き、左に流れた体をすかさず捻って戻し、その反動を利用して母狼に向かったもう一匹のフォレストハウンドへ左拳を振るうが、遅れてしまった俺の攻撃は空を切ってしまう。
キャイン!
フォレストハウンドの牙が母狼の後ろ脚の大腿部に食い込む。
母狼は悲痛な声を上げたが、次の瞬間、なんとフォレストハウンドの首元に噛みつき、反撃をした。
「コイツ!!」
俺はすぐにフォレストハウンドの腹を蹴り上げ、母狼から無理矢理引き剥がすと、そいつは数秒間はヒクヒクと痙攣していたが、そのまま動かなくなった。
ちくしょう・・・危ないかと思って距離をとったのが裏目に出てしまった。今回は俺のすぐ近くに置いて守るべきだったか・・・。俺の判断ミスだ。
距離をとっていなければフォレストハウンドは俺を狙う場合も母狼を狙う場合もほぼ同じ動線で飛び掛かってきていたはずだ。
それを護衛対象と離れてしまったため、その動線が大きくずれ、結果的に俺の拳が母親を狙うフォレストハウンドを捉えることに失敗してしまった。
「ヒール!」
俺は太腿から血を流している母狼に使えるようになった魔法を使用する。
そうだ。考えてみればまず最初に母狼を回復するべきだった。
水を与える選択が間違いだとは思わないが、最善だったかと言われると、そうではなかったのかもしれない。
「ご主人様!」
オリヴィエの方も片付いたらしく、狼を心配してこちらへ駆けよって来た。
母狼の傷は俺の魔法で治った。しかし、母狼はぐったりとして横になってしまう。
どうしてだ・・・傷は治っているはずなのに・・・。
目を瞑って苦しそうに息を荒くする母狼。
「深刻な疲労と、破傷風を患っております。今傷や病気を治療しても体力が持たないでしょう」
そんな・・・。
「ご主人様・・・」
悲痛な表情を見せる俺を心配してか、オリヴィエがそっと寄り添ってくる。
「すまない、傷は魔法で回復したんだが・・・体力が持たないと、シスが・・・」
フォレストハウンドなど敵ではないというのに・・・くそっ、守りたいと思ったものを守れないのがこれほど悔しいとは・・・。
「サトル!・・・!?」
アンジュに続いてミーナとウィドーさんも騒ぎを聞きつけてか家の外に出て来た。
「これは・・・」
俺とオリヴィエが見守る倒れた母狼を見つけ、表情が曇るミーナ。
クゥン
子狼が母親の鼻頭を舐める。
すると、母狼が目を開け、体を起こそうとし始めた。
「おい、無理をするな!」
俺の言葉も聞かず、震える体から力を振り絞り、なんとか立ち上がった母狼は、心配そうに見上げる子狼を口に咥えて持ち上げ、俺の目の前に持ってくると、そっと優しく降ろした。
「お前・・・・・・分かった。こいつのことは任せろ」
母狼はそう言う俺をまっすぐな瞳で見つめ、安心したようにゆっくり瞼を降ろすと、
そのまま倒れ、動かなくなった。
俺達は家の裏手にあった木のそばに穴を掘り、そこに母狼を埋葬した。
この世界の墓がどんな様相なのか知らないが、とりあえず木の板を立て、そこに「勇敢な母狼」と書き、立て掛けた。
俺達は横一列に並び、手を合わせた。
たぶんオリヴィエ達は仏教徒ではないが、俺がそうしていたのでそれに倣い、同じ様に手を合わせ、目を瞑って冥福を祈る。
子狼も母狼がそこに居るのを分かっているのか、俺の横で静かに座って立て掛けた札を眺めていた。
「あのハイイロオオカミの親は元々瀕死の状態でした、ですので魔物の襲撃が無かったとしても、結果を変えるのは難しかったでしょう」
いいんだシス。俺に気を使わないでくれ・・・。
それに、シスが「難しかった」と言うのであれば、裏を返せばそれは難易度が高かっただけで、「可能」ではあったということなのだ。
「俺がもう少し上手く対応できていたら・・・俺が・・・」
俺は今回のことで敵に勝てるという事が護衛対象の安全には繋がらないってことを痛感した。
脅威への備えと対処を誤るといくら強くても全く意味がないのだな・・・。
今回の事だってもし剣を台所に置いていたとしても、予備の武器をストレージに入れておけば突然訪れる不測の事態にも対処できただろうしな・・・。
「ご主人様のせいではありません。あの母狼はおそらく自分の死が近いことを悟り、最後の手段としてここへやってきたのでしょう」
「母親としての強さ・・・だな」
死を覚悟した母狼は、このままでは我が子を守れないと悟ったそんな時に香って来た食料の匂いを辿るとそこには人間が居たが、もはや仲間でもない人族に頼る他ない状況となり、野生のプライドや他種族への恐れを振り切って一縷の望みに賭け、俺達の前に姿を現した。
疲労困憊な上、怪我を負い、その怪我由来の病気にまで蝕まれた体でフォレストハウンドに反撃さえして見せた母狼。
そこにはアンジュの言う通り、我が子を想う母の強さというものを感じずにはいられない。
あの時、ああしておけば、こうしておけばという後悔は尽きないが、そんなことばかりに捕らわれて、彼女の勇気ある行動を無下にするわけにはいかない。
俺は隣に座る子狼を抱き上げ、母が埋まった場所をずっと見つめ続けるその頭を撫でると、子狼は俺の頬をペロリと舐めた。
「お前の名前はサハスだ」
「サハス・・・いい名前ですね」
「昔、俺が好きだった物語に出て来た別の国の言葉でな・・・「勇気」って意味だ」
「なるほど・・・」
オリヴィエは俺の胸に抱かれた子狼に顔を近づけ、
「よろしくお願いしますね。サハス」
と、少し悲しみを孕んだ笑顔を向けつつ挨拶をすると、子狼は彼女の鼻先をペロリと舐め、
「ワン!」
と元気な声で答えた。
そして俺は、「獣使い」の職業を手に入れた。
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