第58話 ふわふわ
俺は上機嫌のまま、今作った窯を明日の朝にでも使用する為、準備段階として発酵させておこうと万能酵母を入れて生地を練り、少し寝かせた時・・・異変に気が付く。
本来は2時間以上かかる一次発酵がほんの数分で終わり、分割して二次発酵させようと並べた瞬間からむくむくと生地が膨らんでいき、十分な状態になってしまった。
「うっそだろ・・・。万能酵母ってこんなところも万能なの?」
今すっごくファンタジーを実感してます、俺。
名前からある程度の不思議物体であることは想像していたけど、さすがにこれは予想出来なかったな・・・。
「でも、どうしよう・・・これ」
本来は時間のかかる工程を何個もすっとばして、しかもパン種の状態をみるとどれもかなりいい状態になっている。
だが、だからこそ俺は困っている。
なぜならまだ窯はまだ使える状態になっていないからだ。
形にはなっているが、そもそも石窯というのは火をつけた状態で1時間程待ってからじゃないと使用できないが、今は火をつけてからまだ10分程しか経っていない。
ただ火をつけて焼くのだったら窯を使う必要はない。串にでもさして焚火にでも突っ込めばいいのだ。
石窯は直火で焼くわけではなく、窯に使っているまわりの素材に熱を通し、そこから発生した熱を全方位からあてることで焼くもの・・・だったと思う。遠赤外線がなんちゃらとかいう効果もあったっけか?
だからさっき火を入れたばかりの石窯はたとえ完成した状態であったとしてもまだ窯全体に熱がいきわたっておらず、すぐに食材の焼成には使えない。
だが、発酵が終わったパン種はすぐに焼き入れしないと発酵が進みすぎたり乾燥したりで美味しくならないって昔見たレシピには書いてあった。
レシピでだめだと書いてあったことをわざわざやったことがないから、実際にその状態で焼くとどうなるのかはわからないけど、よくないっていうんだからそうなのだろう。
「うーむ・・・とりあえず発酵してしまったことはしょうがないから、味は落ちちゃうと思うけど、窯の完成を待ってから焼いてみるか」
もし全然美味しくないものが出来ちゃったら食卓に並べる前に作り直したっていいしな。
あんなに短時間に焼成までの工程に持っていけるんだから、そう時間はかからないだろう。
焼く時間なんて石窯だとあっという間だしな。
「ふっわふわでおいひぃれふぅ~」
「焼きたてのパンは柔らかくて美味しいと聞きますが、これは想像していたものより凄いです」
結果を言うと・・・言わなくてもわかると思うが・・・パンの出来は物凄くよかった。
俺は発酵のし過ぎを心配していたが、どうやら万能酵母は発酵速度が異常に早いというだけでなく、最適な発酵状態で発酵を止めてくれるようだった。
考えて見たらあんな速度で発酵し続けていたらすぐに生地が内部に溜まり続けるガスで破裂しそうだもんな・・・。
思い返してみたら一次発酵で止まり、俺が再び練って分割した直後に二次発酵が始まって終了した。
つまりこの万能酵母はその時々で最適な発酵状態を作り出せるという賢すぎる不思議酵母というわけだ・・・もう自我を持つレベルに凄いような気がするんだが、そんなことを気にしていたら疲れそうなのでそれ以上は考えるのをやめた。
「確かに美味しいけど、夕飯の分がなくなっちゃうからその位にしときなさい」
現在地、石窯前。
つまり今はまだ夕食ではなく、焼いたパンの匂いにつられてやってきたお嬢様がたに味見して頂いていたところだ。
俺に言われて素直に応じた二人だったが、共にその表情は未練が浮かびすぎて文字で書いてあるかのようにそのまま読み取れるものだった。
「すぐにおかずも作って夕食にしよう。二人共、家事がひと段落したら手伝ってくれるか?」
「掃除と洗濯はすでに終わったのですぐに手伝えます!いきましょう!」
あまりに可哀そうだったので、夕飯の時間を前倒しにしようとした提案をオリヴィエが全肯定し、俺の手を引いて炊事場へと力強く引いていく。
今日も彼女の尻尾は元気でなによりです。
「ふふふ。オリヴィエさん、可愛い」
ミーナさんもそう思いますか。ちなみに俺もそう思います。たぶん全宇宙も思ってますよ。
万能酵母を使ったパンが好評となってくれたおかげで、だいぶ夕飯のおかずは久しぶりに本来のおかずらしい量となった。まだちょっと多いけどね。
迷宮で動いているから太ることはないと思うけど、ちょっと栄養バランス的に問題かもしれないな。今日は硬いパンを出してないからスープも用意してないし、野菜を一切出してない。
サラダも好きだから出したいんだけど、ファストに売ってる野菜って割と日持ちするものがメインで、葉野菜とかはほとんどないんだよな。
あったとしてもドレッシングとかないからそのまま出すのはちょっとためらわれるし・・・。
ドレッシングとかどうやって作るんだろうなぁ。
パンは一時期マイブームになって作ってたから作り方もわかるんだけど、流石にドレッシングを自作しようなんて思ったこともないし・・・。
せめてマヨネーズがあれば・・・マヨは異世界ものの定番で作り方を説明していた作品も複数あったから知っている。
確か、卵と油と酢があれば作れるはずだ。
油はともかく、卵と酢かぁー。
卵は森で採ろうと思えば採れるらしいけど、酢って売ってるのかな。
たしか酢って酒を造る工程かなんかで出来るんだったっけ?
「ファストの市場で酢とかって手に入るかな?」
「酢なら酒蔵で売っていると思いますよ」
「むぐむぐ・・・んく。酢ですか・・・私はちょっと苦手なんですよね・・・」
オリヴィエは酸っぱいのが苦手なのかな?
酢がどんな使われ方してるのかしらないけど、俺も浅漬けとか子供の頃苦手だったけど、おっさんになって好きになったから気持ちがわからないでもない。
「売っているなら欲しいな。明日の朝にダンジョン行った後、納品ついでに買いに行こうか。あ、ダンジョンは6層にチャレンジしよう」
「むむむ・・・6層でふか」
だって5層だと、また祭りがはじまるでしょ?
現にもぐもぐしながらもちょっと当てが外れたような顔してるし。
「そうですね。サトル様とオリヴィエさんのおかげで、5層での戦闘も危なげのないものになっていますし、この人数で挑むのは常識から外れているとは思いますが、特に異論をはさめる余地のない位な戦力的余裕はあるので問題ないと思います」
ミーナの冷静な現状分析。正直助かります。
オリヴィエもミーナの方を向いてその言葉に真剣な表情でウンウン頷いているし。右手の匙に乗ったフリットと左手に持ったパンを交互に口へ運ぶのを止めていたら完璧だったんだけどな。
「6層になったらまたなんか変化があるのかな?」
「そう言われると思って、昨日思い出しておきました!」
そんな昔の戦艦を改造して宇宙に飛ぶ技術担当みたいなことまで出来るのか。
「6層からは一度に出会う魔物の数は3匹のままですが、個体のつよさがかなり手強くなるようです。「普通」のパーティーは中級から上級の冒険者でないと探索は無謀とされています」
そんなに普通を強調しないでください。最近自分の異常性には結構気が付いているんだから大丈夫ですよ。
「それじゃ、明日は6層へ向かおう。もちろん途中の魔物も狩りながらな」
「ふぁい!」
最後の部分をオリヴィエに向かって言うと、その意味をちゃんと理解したハムスター狐が満面の笑みで返事した。
ちょっとづつだけど、食事も改善していってるし、かなり順調でいい感じ。
このままなんのトラブルもなく平和に過ごしたいね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます