第56話 ハズレ
先入観は恐ろしい
てっきり俺は映画などに登場するものとこいつらが同じものだと思ってしまっていた。
だからこいつらの攻撃は俺の中では噛みつきであるはずであって、こんな腰の入ったパンチを打ってくるなんて完全に思考の外、俺にとっては理からはずれた行動であったが、それは俺の中だけであってこの世界では特に驚くべきことではないというのは、横で華麗に回避しているオリヴィエを見ればわかる。
・・・見事に握りこぶしを左頬に頂いた俺と違ってな。
「っっっっってぇ・・・な!!」
虚をつかれたものの、攻撃自体はそこまで大したものではなかったから右足で踏ん張りゾンビから受けた衝撃を吸収しきることができた。
そのまま右手の剣を語尾を強めながら斬り上げる形で逆袈裟斬りを繰り出す。
ゾンビの脇腹から肋骨剥き出しの肩口に大きな傷口を作り、一瞬遅れてどす黒い血が噴き出し、俺の体にも一部が降り注ぐ。
しかしゾンビはまだ倒れず、またパンチの姿勢を取り始めたが、俺の凝り固まった先入観は先程の攻撃で完全に揉み解されたから、今度はちゃんと振りかぶった方向から攻撃の軌道を予測し、回避する。
格闘してくるとわかっていれば、魔物といえど人間的な動きをするこいつらの動きを読むのは動く木や巨大芋虫に比べれば容易だ。
そして今度は袈裟切りで斬りつけて胸に×印を作り、そのまま胴を目一杯の力を篭めて横一文字に斬りつけ、ゾンビを2つに割る。
するとゾンビは霧散し、俺にかかった汚い血も一緒に消えてくれて助かった。
あんなのずっと残ってたら持ってきた布がいくらあっても足りないし、帰宅願望を飛躍的に高め続けるところだったぜ。
「ファイアーボール!」
ゾンビが霧散したことで開けた奥側の視界に5m程まで迫ってこちらに向かって走ってきていたゾンビが見えたからすぐに左手で魔法を放つ。
火の玉が命中すると、いいフォームのまま霧散した。
よし、このままオリヴィエ達に加勢を・・・あれ?
自分の担当2匹を倒し、二人に任せた右側の1匹に向かおうとしたが、ゾンビはオリヴィエの舞うようなククリでの斬撃で霧散したところだった。
「おー。二人であっさり倒したな」
これまででこんなに早く倒したのははじめてなんじゃないか?
というか、職業を取得するための時を除いたら倒すこと自体がはじめてか。
「ご主人様!やりました!」
駆けつけようとした動きをキャンセルして足を止めた俺に手と尻尾を振り、笑顔でアピールしてくるオリヴィエ。
色情魔がついてたら間違いなくどっかのⅢ世みたいに飛びついていたな・・・。
「オリヴィエさんが攻撃しながらも見事に回避した上で、私の攻撃しやすい位置に居てくれるおかげで攻撃だけに専念することが出来ました」
ふーっと一息ついてオリヴィエの功績を称えるミーナも少し興奮しているようだ。いやらしくない意味でな。
「二人共やるなぁ。攻撃を食らってしまった俺が恥ずかしいくらいだ」
「いえ、ご主人様が多数を引き付けてくれているからこそです!」
お馴染みになりつつある胸前両こぶしギュのポーズが俺の大好物だってことをオリヴィエは分かって使っているのだろうか。
そうだったとしたらとんだ女狐だぜ!狐人族だけになっ!
「普通はこんな短時間で撃破など有り得ないと思いますが、これもサトル様の特別な能力故なのでしょうね・・・やはりあの・・・」
最初はちゃんと俺らと会話していたはずのミーナは途中から考察フェーズにシフトしていき、それに伴って声量も落ちていって最後の方は聞き取れなかった。
そんなミーナをしばらく微笑ましく眺めていたが、ふとゾンビのドロップが気になって倒した場所を改めて確認した。
「あれ・・・なんだこれ」
白い・・・砂?・・・あ。
「あぁ・・・それは朝に話したばかりのハズレですね・・・ですが、こちらで倒した魔物は銀貨5枚を落としましたよ!」
おおふ・・・まさかの現金。
どういう仕組み?この世界では魔物が通貨を発行してんの?
ミーナは俺が手に取ったものを見て残念そうに伝えてきて、励まそうと自分達の倒したゾンビの落とし物を拾い上げて俺に渡してきた。
が、悪いなミーナ。
俺は全然落ち込んでなんかいないぞ。
だって俺が持っているコレはハズレなんかじゃない。
俺はもう一度既に展開している鑑定結果に目をやる。
万能酵母
たしかにこれはこのままでは食べたりなんか出来やしないが、使用用途は無限大の可能性を秘めている。
なんせ「万能」だ。
俺が居た世界ではありえないこの酵母は、俺が思っている通りの効果を発揮するならば、むしろ大当たりだろう。
ほんとに万能なんだったらアレとか・・・あれもいけそう。
夢が広がるぜ。あ、魔法で倒したやつも万能酵母じゃないか。ひろっとこ。
「サトル様・・・。それも持ち帰るのですか?」
ミーナがせっせと小袋にハズレを入れている姿を見て不思議に思ったのだろう。確かにこれがほんとにただの砂だと思っているのなら頭のおかしい行動だろうな。
だけどこれは砂ではない酵母だ。しかも万能の。
俺が一時期ハマって作っていたパンで使用していたイースト菌も酵母の一種なので、この万能酵母を使えば作れるんじゃないだろうか。
顆粒状の細かさを見ると、元の世界では初心者でも使いやすい予備発酵が必要ないインスタントドライイーストと呼ばれているものに近いのもいい。
使いやすい反面、劣化がはやいという弱点もドロップアイテム特有の特徴である劣化しにくいというものが補っていそうだ。
この世界にも酵母はあるはずだ。なければパンは焼けないからパン自体が存在することがそれを証明している。
だが俺は市販品を使用していたからその作り方なんかは知らない。
イースト菌などは空気中などをはじめ、どこにでも居る菌と言われていることは知っているが、居るのと使える状態にあるのとは同義ではない。
そこに存在していても効果を発揮する状態になければ居ないと一緒なのだ。
だからこの万能酵母は俺にとって、食事事情を改善へと飛躍的に導くものになるかもしれない価値を持つ。こんなに嬉しいことはない。
「そんなに心配しなくても大丈夫だ。これはちゃんと価値のあるものだぞ」
「そうなのですか?」
オリヴィエも俺の近くに寄って膝に手をつき俺が袋に入れている万能酵母に不思議そうな視線を送っている。
「これは酵母といって・・・うーん、なんて言ったらいいか・・・まぁ、すっごく小さな生き物が集まったみたいなものだ」
「これが生き物・・・!なのですか?」
俺の言葉に素早く反応したミーナが身を乗り出して袋の中の酵母に目をかっぴらいて驚く。
生き物という定義が合っているのかどうかなど俺は知らないけど、別にそんなことはどうでもいいのでそういうことにしておこう。
「これで美味しいものが作れるようになると思うぞ」
「・・・っ!?美味しいものが!?」
ただ不思議そうにしていたオリヴィエの顔が俺の発したキーワードによって熱がこもり、一気にこの万能酵母への情熱が目覚めたようだ。
突然彼女の耳がせわしなく動き出す。
「ご主人様!向こうの方にもかすかに気配を感じます!!行きましょう!」
「と言ってもこれは一回でごく少量しか使わないから・・・あれ?」
俺がさっきまでオリヴィエが居た場所に向かって話しかけた時にはもうそこにはおらず、先へと進んでいた・・・。
ほんと、オリヴィエって食欲に素直だよね。
そこも数多くあるチャームポイントの内の一つだから否定する気は微塵もないけどね。
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