第6話 旅立ち





 決闘から数日後、旅立ちの日がやって来る。

 荷物の詰まった背嚢はいのうを背負い、俺は門出の挨拶を先生と交わす。


「それでは先生、行って参ります。先生が寂しくならない内にすぐに戻ってきますから、安心してください。」

「いえいえ、暫くは戻らなくても大丈夫ですよ。どうせなら、この機に沢山寄り道をして外の世界を見てきて下さい。」

「すぐに戻ります。」


 俺は念押しするようにもう一度言ったが、先生は無言で首を横に振るだけだった。

 怜悧な光を讃える賢者の瞳は、何かを予期するかのように、遠い目をしていた。


「それとこれをどうぞ。」


 先生が手渡してきたのは、黄金の装飾が施された大弓。雷撃を模したような独特の造形をしていて、弦が張られていないのにも関わらず、しっかりとしたしなりが有る。


「これは?」

「私が昔、手に入れた魔弓ケラウノスです。生憎、私には使えませんでしたが、君なら使いこなせる筈です。」


 さぁ、手を。

 促す声に従い、俺が弓を手にすると、呼応するように魔弓は黄金の雷電を帯び、雷光を凝縮したような光の弦が現れた。


「やはり。」


 すると、先生は何処か複雑そうに笑った。

 その煩瑣はんさ極まる感情が垣間見えたのは、ほんの一瞬の事で、その刹那が過ぎ去る時には、いつもの穏やかな微笑の裏へと覆い隠されてしまった。


 それを無理に暴き立てようと考えなかった俺は文脈に沿って、先生の望み通りの行動を行う。


「ありがとうございます。大切に使わせて頂きます。」

「そうしてくれると私も嬉しいです。ただ、これだけでは剣の代わりにはならないでしょうから、レムノスの街にいるヴァルカンという魔剣鍛冶師を尋ねなさい。きっと君の力になってくれるはずです。」

「そうしてみます。」


 その言葉を最後に、俺は先生に背を向けた。

 さっきも言ったが、なるべく早く戻るつもりなので、余り名残惜しくするのも大袈裟な気がしたからだ。

 そして、少し離れた場所にいるエリナと合流する。


「もう良いんですか?」

「あぁ、問題無い。」

「それなら行きましょう。麓の村に馬車を待たせて有ります。」

「馬車より走った方が早くないか?」

「それだと道に迷う危険性が有ります。街道がある場所はそれでも良いですが、この辺りではそうも行きませんよ。」

「あ〜、田舎だもんな、ここ。」


 他愛もない話をしながら、ゆっくりと下山する。

 それからエリナに案内されて馬車に乗り、今後の予定について話す。


「先ずこちらをご覧下さい。」


 そう言って、取り出したのは一枚の地図。

 真新しい羊皮紙に黒の印矩いんくでテュロス王国の地形が描かれている。

 俺は思わず閉口した。


「どうかなさいましたか?」

「いや、普通に出すなと思って。」


 地図というのは過去から現在に至るまで軍事情報として欠かせない役割を果たしてきた。

 無論、便利な道具なので、無くした方が良いとは言わないが、それなりに扱いの難しい存在である。


 問題はそれを教会に属するエリナが平然と持っている事だった。


「安心してください。これは民間に出回っているものと同じものですよ。」


 そのことを熟知しているのか、エリナは「ほら」と宥めるような声音で、俺の視線を簡素な出来栄えの地図へと促した。


 とはいえ、俺は民間に出回っている地図をよく知らない。王都にいた頃は詳細な地図を見ていたし、追放されて以降は山を出ていない。

 運命の悪戯のように、見る機会に恵まれなかった。


 それを伝えても、きっと状況がややこしくなるだけなので、取り敢えず、「ふん」と満足気に頷き、如何にも知ったような振りをした。


 エリナはその事には言及しなかったが、しげしげとこちらを見つめ、意外そうに言う。


「それにしても、貴方もそういった事を気にするのですね。やはり、王族という生まれが理由でしょうか?」

「いや、誰でもそうだと思うが。この地は歴史的に見れば、異民族が数多く入ってきた土地だからな。」


 場所にもよるが、テュロス王国は年中、温暖で、平野が多い地形をしている。

 また余程、辺鄙へんぴな場所でない限りは街道も通っていて、交通の便も良い。


 人が住みやすく、経済発展しやすい場所だ。

 だが、裏を返せば、非常に侵略しやすい土地と言える。


 極寒の気候や地を隔てる海、聳える山々など自然の守りが少なく、街道を通れば簡単に進軍出来てしまう。

 その事を歴史が証明している。

 ともすれば、多少、警戒心が高くなるのは当然のことだ。


 しかし、エリナは首を横に振った。


「普通はそこまで考えませんよ。特に今は、どの国も安定していますから、そういった事に気を凝らしているのは、責任ある立場の方が殆どです。まぁ、少々、度が過ぎている方もいらっしゃいますけど。」

「・・・・・随分、苦労してるみたいだな。」

「いえ、教会の持つ影響力を国が警戒するのは当然の事です。ですので、貴方も気になさらないで下さい。」

「そうさせて貰う。」


 気を取り直して本題に入る。


「神託では貴方と共にリオンの地に赴くように言われています。」

「ちょっと遠いな。」


 今いる場所はクレスト地方。テュロス王国の東に位置し、大陸の中心にある暗黒地帯のすぐ傍だ。

 目的地となるリオンはそこから南下して、隣国のブラヌナ帝国の近くに位置する。


 ただ、直線距離で真っ直ぐ南下出来るわけでは無いので、幾つかの都市を経由して移動する事になる。その中には先生が勧めたレムノスの街も有った。


「何時までに行けとか、期限は決まってるのか?」

「いえ、そういった事は伺っていません。恐らく、今すぐということではないのでしょう。」

「それならレムノスで暫く滞在してもいいか?武器を買っておきたい。」

「構いませんが、『天恵者ギフテッド』の膂力に耐えられるものとなると、必然的に魔剣の類になりますよ?お金は大丈夫なんですか?」

「問題無い。」


 エリナは心配そうに眉根を寄せたが、それは杞憂だった。

 俺は事実上、追放されているが、正式に廃嫡された訳では無い。その為、王室費として毎年、纏まった金額が送られてきていた。それ等を使えば、魔剣の一本や二本なら問題無く、購入出来る。


「お前は何処か寄っておきたい場所はないのか?」

「私は大丈夫です。強いて言えば、少し遅れる旨を書簡で伝えるくらいでしょうか。」

「レムノスはそれなりに大きな街だった筈だ。そこからなら飛脚も出せるだろ。」

「はい、そうします。」


 異論は上がらない。

 なので、一先ひとまずの目的地はレムノスに決まった。

 

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