2


 

 ざく、ざく、ざく。

 

 機械的に振り下ろす。

 

 余計な感情も動作も挟まず。

 

 

 ざく、ざく、ざしゅ。

 

 全体重をかけて振り下ろせば、自然と肉を貫ける。

 

 骨に当たる音も、何度も振り下ろせば次第にしなくなる。

 

 滴る音。不快な感触。無視して繰り返し。

 

 

 何度も、何度も。

 

 

 仕上げに、全てが白に晒されていく。




 1

 

 

 

 心地よい朝日を浴びている扉。

 無関心に通り過ぎていた隣の部屋。

 その扉が内側からガチャ、と開いた。

「おはようございます、宮藤さん」

 きめ細やにまとまった黒髪、線が細くもスラリとした長身、緑かかった目、どこか日本人離れした美しさのある男。

 最所くんが、開いた扉の隙間から顔を出して、鍵を閉めようとする俺に挨拶をしてくれた。

 スーツの俺に対して、彼はジャージ姿。

 いっそ不健康なぬけるほど白い手には俺と同じようにゴミ袋が握られている。

「今日、燃えるゴミの日でしたよね?」

 確認する彼に、俺は鍵を閉めてうなづいた。

「おはよう、合ってるよ」

「よかった、一緒にゴミ捨て場までいきませんか?」

「うん、場所はわかるんだっけ?」

「はい、覚えました」

 駅近であるのに低家賃を実現した二階建てのアパートは古い。

 ところどころ錆びた鉄の外階段を2人でカンカンと鳴らす。

 朝の日差しは柔らかく、最所くんは上を見上げて目を細めた。

「今日は1日を通して晴れるらしいですね」

「ああ、そうみたいだね。さっき天気予報見てから慌てて布団干したよ」

「いいですね、俺もそうしようかな」

「いいと思うけど、学校に行くまで時間はあるかな」

「ふふ」

 会話の途中で前の彼が笑うので「どうしたの?」と聞くと、最所くんは声に嬉しさを乗せた。

「すみません、急に笑っちゃって。こうやって前みたいに宮藤さんと話せるのが嬉しくて。兄さんのせいでネタバラシが早くなりましたが、もっと早くても良かったかもしれませんね」

「はは…」

 彼の無邪気なセリフに、俺は渇いた笑いをするしかなかった。

 花壇に植えられた背の高い草木の横の、ゴミ捨て場に袋を入れ込む。背中に感じる日の光が暖かい。蓋を閉めて、時計を確認する俺に「じゃあまた」と最所くんは送り出した。彼は登校しないのかと疑問に思い、カレンダーが頭に浮かぶ。今日は5/3、ゴールデンウィークで学校は休みなのだと俺は気づいた。サービス業をやってると祝日の感覚が無くなるのでこういうことはままある。

「行ってらっしゃい」

「うん。行ってきます」

 何メートルか進んだあたりで何気なく振り返ると、最所くんは手を振ってくれた。

 振り返すと、彼はフイ、と空を見上げる。

 日差しを浴びて、空に透けていくような絵になる光景。

 誰もが足を止めて見惚れてしまう美しさ。

 朝日の中の最所くんも綺麗だ。

 昔少しだけ縁のあった少年がかっこよく成長してお隣さんになっている。文字に起こしてみるとなんだその下手な恋愛漫画みたいな展開はと思いつつ。昨日の彼を知っている俺には、宇宙と交信しようとしてるのか?と思わずにはいられない。

 少年はかっこよく成長するだけでなく、なんだかちょっと電波になってしまっていた訳だ。

 いわく、自分は宇宙人に攫われて超能力に目覚めたのだと言ってのけるまでに。

 これが時の残酷さなのか。

 時間が解決するものもあれば、時間が悪化させてしまうものもあるのか。

 昨日の濃い一日が終わり、混乱した脳は眠ってみればすっきりとした目覚めを迎えられた。

 冴えた頭で出来事を思い起こし、反芻し、思い至ったことがある。

 まるっきり、分からない。

 考えてみても最所くんの千里眼のタネは分からなかった。

 彼女が隠した 1000円札を最所くんが当てられる現実的な理屈というものが、思いつかない。

 本人に説明をさせるなら”超能力”ということになってしまうんだろう。それは大の大人が「なるほど、そうなんですね」と軽く認められるようなものではない。初対面ではない男の子とはいえ再会してすぐにその理由で納得できる人がいるなら、霊感商法などに気をつけた方がいい。

 後ろ髪を引かれる思いのまま駅までの道を進む。

(なんだかなぁ…否定するのも、悪い気がしてくるというか)

 俺がもう失ってしまった神秘に対する憧れを持った彼らは、俺にとっては眩しくも、居た堪れない気持ちにさせられる。

『岬、今日の運勢いいんだって』

 からりと笑った彼女も、神秘が好きな子だった。

(金運アップ、か。風水とかも好きだったっけな)

 もう会うこともない、後味の悪い最後になってしまった。

 


 

 

 

「よお」

 出勤すると、事務所で眞田さんに声をかけられた。

 机の下に収めるには窮屈そうな長い足を横に出し、机に頬杖をついている。

 昨日、大声でストーカー!と叫んでしまったことへの謝罪のシュミレーションを通勤中にしていたが、ニヤニヤ顔を見ているとその気も急速に失せた。

「…おはようございます」

 俺は普通に挨拶をして、机にカバンを置いた。

 今日の手配が書かれた壁側のスケジュールボードを見る。

 その日の受注やお客との約束をどの社員が担当するのか、をまとめられたスケジュールボードは社員が毎朝確認するもので、朝にはその日の忙しさが大体分かる。

 設計した中居支配人はホワイトボードの前に立ち「ゴールウィークってお客来ないんだよねえ」とゴニョゴニョと呟いている。

 5/3、ゴールデンウィークの祝日は平日を挟みまた始まった。

 もともと俺たちサービス業に祝日は関係ないが、実入がないならただの平日である。

 支配人はふくよかな体をゆったりとした足取りで席に戻った。仕事がないというのに細い目はどこか満足げだ。30.100とかかれた営業達成ボードを眺め、満足しちゃってるように見える。

 仕事量のムラがある部署だが、ゆるすぎないだろうか、とたまに思う。葬儀部門でも割とそういう空気はあったが、あそこは忙しすぎて上司が厳しくすると人が辞めてしまうからだろう、という俺の推測は多分当たっている。

 目線を眞田さんに戻せば「昨日は悪かったな」と全く悪びれもしていない声で、変わらずニヤニヤとしていた。

「いやあー、災難だったなぁ宮藤」

「…」

「こんなに腹筋痛めたの久しぶりだ。テレビに出てるエセ霊能力者とかはこんなに痛快な気分なのかもな。色々工作しがいがあったし、案外得られるものもあるもんだ。俺が霊能力者かどうか考えてる宮藤とか、人のことをストーカーだって叫ぶ宮藤とか」

「いつからあんなことしてたんですか」

 ひたすら面白がっている声を遮る。

 眞田さんはどうか知らないが、俺はエセ霊能力者に騙される気分を味わった。気分としては最悪だ。

「1週間前からだ、宮藤は聞いてた話と全然違うから正直どうしようかと思ってたんだがな」

「1週間前…」

 全然気づいていなかったなんて、己の察しの悪さに頭を抱えたくなる。

 やけに隣の部屋に大きめの荷物が届けられているなとは思っていた。機械が好きなんだろうな、と考えていた俺も俺である。

 あれは最所くんの引っ越しの家具とかだったんだろう。それにしても最所くんの部屋には物がなさすぎて驚いたが、それも、必要な荷物だけ小分けにしてただの宅配だと思わせるという、俺に不審に思われないための工作だったりするのか。考えすぎであってほしい。

「聞いてたって、最所くんからですか」

「ああ、あいつ、宮藤さんはキラキラした世界を教えてくれたって言ってたぞ。やたら楽しそうに」

「眞田さん、趣味が悪いですよ」

 俺は糾弾するように言った。

 眞田さんは最初から知っていたのだ。

 俺が最所くんにオカルト話を聴かせていたこと。高校時代の俺の黒歴史を。

 散々と、なんだか小難しい話をまくし述べ立てていたが、単にこう言いたかったのだ。

『お前、前までオカルト好きだったらしいのになんでそんなんなっちゃってるんだ?』

 それらしい用語や話法で人を追い詰めるのがタチが悪い。

 そうとも知らず逃げ回っていた俺が馬鹿みたいじゃないか。

「宮藤くーん、お客きたから表出てくれないー?」

 フロントから森さんがひょこりと顔を出して俺を呼んだ。

「っあ、はい!」

 慌てて鞄を片付ける。

 仕事が少ないと言っても、突然来店する客の対応も仕事のうちだ。

 中居支配人が決めた手配では、本日の受注は全て眞田さんが担当することになっているため(もう1人の営業社員、田中丸さんは休みだ)俺は今日も雑用や来客の対応をこなす1日になる。

 足早にフロントに向かいざま、中居支配人に声をかけられた。

「急に見積もり頼まれても宮藤くんがやっていいから、頼むよ」

「はい、分かりました」

 表のテーブルには初老の男性が座っていた。

 手入れがしっかりとはされていない白髪が多い髪の毛に濃い眉毛は黒が残っている。見たところ、まだ現役で働いていそうな風体だ。

 要件が分からない来館は礼品注文の場合だといいのだが、仏壇購入の場合、今まで俺では対応ができなかった。今日からは打ち合わせ担当者としてお客に関わることが増える。今月から単価ノルマも営業社員として課せられる。仕事の責任が増える。

 年月が経てば、人間は変わるものだ。

 誰であれ、人間は、目前にあるやるべきことをやらないといけない。俺にとってそれは仕事で。確実に、オカルトに再び浸かることではない。

 気持ちを切り替え、営業スマイルを貼り付けて挨拶した。

「いらっしゃいませ、本日はどうなさいましたか?」

「…」

 返ってくる返事はなかった。

 じっと、意志の強い目を俺のネクタイの辺りに向けてられている。

「あのー…」

「どうなっとるんだ、お宅は」

 低いのに張りのある声が朝のシンとした店内を震わせる。

 危険信号。

 経験上、こう言う切り出しはクレームと相場が決まっている。






「一気に老けたな、なんかあったのか?」

 出先から帰ってきた眞田さんが「お供え物みたいになってるぞ」と机に置かれた数々のお菓子を見て言った。

「…おかえりなさい」

 俺はさきほど他の雑用を全て終え机に座ったところで、クレーム対応の報告書を見直していた。

「ご愁傷様だったねえ、宮藤くん」

 中居支配人が上座の席から、葬儀会社に勤める人間が言うとギリギリ不謹慎なセリフを言ってくる。

「あー、クレームか。災難続きだな」

 そう言い、眞田さんは横の机に座る。

「ヤバいやつ?」

「…お怒りの内容自体は真っ当でした、本当かどうかはわかりませんが。とにかく、パワーがすごかったですね」

 ガンガンとおじさんの声がまだ耳に響くようだ。

 2年前の葬儀の49日に合わせてここで仏壇を購入した客らしい。その時の契約の際に個人情報が他社に流れていた、とお叱りを受けた。話を聞いていると提携会社から連絡が来たと言うだけだったのだが、前の担当者はお客に連絡が行くことの確認をしっかりしていなかったのか。その提携会社からの連絡が来たのが仏壇購入後すぐの話だったということで、時間差がありすぎて、詳しく聞いても火に油だったため報告書には想像で状況を補完した。

 2年たったなら3回忌に向けて準備する中での思い出し怒りなのだろう。

 時間があると人は色々と考えてしまう。有り余ったエネルギーを発散するついでとばかりに、葬儀の時の態度が、打ち合わせの時の言葉遣いが、担当者の身だしなみが。よくあれだけ不満点が出てくるものだ。

 平謝りに徹し最後に名刺を交換したが名刺入れに入れることを躊躇い、机の上に書類と一緒に置いてある。

 事務所にまでお客のお怒りの声は聞こえていたらしく、戻るやいなや森さんや事務員さん達からわんさかともらった労りのお菓子を一つ手に取る。派手な甘さはない和菓子の優しさが脳に優しい。

「前の担当者が良くなかったと言っていたんですが、知ってますか?」

 お客から何度も言われた名前は現在部署には在籍していない名前だった。支配人に聞いたところ辞めた社員だと言う。眞田さんは「ああ」と言った。

「あの人クレーム率100パーだったからな、クレームの内容、全部本当なんだと思うぜ」

 嘘だろ。

「…営業に向いてなかったんですかね」

「営業つーか、お客にセクハラして訴えられたから、いま裁判中」

「ええ…」

「宮藤が来たのもその穴埋めだろ、尻拭いも面倒だったから俺としては辞めてくれて良かったわ」

 とんでもない人もいたものだ。おかげで割を食ってしまった。

 自分のミスよりも他人のミスで怒られる方がいくらかマシだけど、久々に社会の苦しさを味わった。

 眞田さんは発注をテキパキとこなし、俺もなんとか書類整理を終え、あとの業務は平穏そのものだった。

 定時になり支配人の鶴の一声で事務員さん達がゾロゾロと帰宅を始めた頃。

「じゃあ行くか」

 残った仕事もないし帰ろうとドアに向かおうとする体を、眞田さんに逆方向に引っ張られた。

「え」

 駐車場に連れていかれ、車の助手席に乗っけられる。

「あの」

 扉を閉められ、車は出発した。

 ほとんど拉致である。

 状況が飲み込めてない俺に、運転席の眞田さんから「家まで送ってやるよ」と言われる。

「最近物騒だからな。気にすんなよ。俺にとってはちょっと遠回りなだけだ」

「はぁ、ありがとうございます…急ですね」

 と、思ったが眞田さんが急に何かしてくることには慣れてきた。ジェットコースターみたいな人だ。ひょっとして贖罪のつもりだったり、ないな。この人は悪いとも思ってないんだろう。

(まぁ、電車で帰るより車で送ってくれる方が何倍も楽だ)

 謝罪として受け取ろう。

 クレーム対応で疲弊した体を、高級感のあるシートに預ける。

 葬儀部門にいたときも何度かクレームを受けたことがある。サービス業にクレームはつきものだ。俺自身のミスでなくてもチーム仕事な以上、誰かのミスが担当者である自分のミスとして謝らされる。

 クレームも仕事のうちだと割り切っているが、心にかかる負担も事実だ。

 外の景色はアパートまでの道を直進している。車高の低い艶のある黒の車のエンジン音は、社用車よりも格段に静かで心地いい。ほのかに染みているタバコの匂いも俺には苦痛ではない。女性の好みは分からないが、モテそうな車である。

 開いた窓からの風に吹かれている眞田さんは指をタンタンとハンドルにつけている。森さんなら悶絶物の映像なんだろうか。気に入らない、と粗探しをしようとする俺の目が、異物に止まる。

 運転手側のドリンクホルダーにハマった黒いトランシーバーには見覚えがあった。側面にうちの会社のシールが貼っている。

「それ、うちの会社のですよね。なんで車にあるんですか」

 葬儀部門の会館は広いため、通夜や葬儀で担当者が接待スタッフに指示を出す際に使うものだ。仏壇などを売るうちの部門には必要ないため置かれていないはずなのに、なぜ眞田さんの車の中に。

「いっぱいあるんだから一つくらいいいだろ。ヘルプに行った時にちょろっとな」

「そういえば、一つなくなったって騒ぎになってましたけど…」

 他部門の備品盗んだのかこの人。

「こうすればラジオも聞ける」

 聞いてもないのに眞田さんはそれを片手で扱った。カチカチと音がなり、手が離れるとガガ、と小さなノイズを拾い始める。

 うちのトランシーバーにそんな機能があったとは知らなかったが、感心する気にもならない。

「普通のラジオで良くないです」

『…件で、昨夜、3人目の遺体が発見されました』

 車内にガサついた電子音が響く。俺は口を閉じた。

『雑居ビルの中で発見された遺体の状態は連続する同様の事件と酷似しており、警察は第3の被害者として見識を発表しました。遺体の状態から、現時点で身元の確認は出来ていないとのことです。死亡推定時刻は昨夜の21時頃とされています』

 連続殺人事件の続報だ。車内の空気が、1、2度下がったように感じた。

「よくやるよなぁ」と眞田さんが呟く。

「無差別殺人なんかよっぽどムシャクシャしてても2人で辞めそうなもんだけど、スパンの短さと言い猟奇性と言い、ワイドショーが騒ぐわけだ」

「新しい犠牲者、また出たんですか」

 クレームの対応でまともに昼休憩が取れていなかった。

 休憩室のテレビでは3人目の被害者の報道がされていたのかもしれない。

『他の事件同様、遺体につけられた数百箇所刺し傷は鋭利なナイフ傷つけられたものと推定されています。中には背中まで達しているほどの深いものもあるということです』

 ローカルのラジオだからなのか、地上波よりも細かな描写が付け加えられた説明をしている。

 数百箇所刺されている、となれば、ほとんど穴あき状態の遺体を思い起こしてしまう。

 もし俺が遺族だったら正気を保っていられるだろうか。

 職業病なのか、こう言った事件を聞くと残された遺族の側に立って考えるようになった。

「まだ、犯人って捕まってないんですね」 

「宮藤も気をつけろよ。うちの部署で車持ってないのお前だけだぞ。会社から駅まで割と歩くだろ」

「歩いて、10分くらいですよ?」

「絶対安全とは言えないだろ。ここも、残業がないわけではないし、深夜に歩けば次は我が身だぞ」

「車通勤だって駐車場から家に帰る道のりが絶対安全とは言えないんでしょうけどね、はやく捕まればいいんですけど」

 このまま捕まらなければ第四、第五と被害者は増え続けるのだろう。第3の被害者が出たということは、ここで終わる気はない、と犯人が言っているようだった。

「…普通じゃないですよね、3人目ってなると」

「殺人犯に普通とかあるか?」

 眞田さんが聞いてくる。特に考えずに発した言葉の、曖昧なニュアンスを伝えるために俺は少し考えた。

「恨みとかで殺した、なら、俺はしませんけど理解はできるじゃないですか。無差別に、他人を3人も殺すのは理解ができないって思いませんか」

 あまり話していて気分のいいものでもないが、車が家に着くまで、他の話題もない。俺は会話を続けた。

「よく、無差別殺人は事故みたいなもの、みたいに言いますよね。恨みならまだ納得もできるでしょうけど、理由のない殺人は、遺族も苦しいでしょう」

「言うのか?まー、本当に無差別だったらそうとも考えられるのか。交通事故に遭う確率よりも低いんだろうが、隕石が落ちてくる確率よりは高そうだ」

「無差別なんでしょう?年齢も性別も、今のところは、共通点はないようですし」

 ラジオから流れる情報を聞きながら言うと、眞田さんは「どうだろうな」と言った。

 聞いておいてなんだが、俺が眞田さんの立場でも同じことを言うだろうと、俺は思った。一般市民である俺たちが、発生している殺人事件に対して持ち得る意見というのは多くはない。できることといえば、警察が優秀であることを祈ることくらいのものだ。

『警察は被害者の身元を含め、事件に関する近隣住民からの情報提供を募っていま…』

 世間がこんな調子じゃ電車通勤ではなく車に切り替えようかと言う気は湧いてくる。被害者は男も女も関係なく狙われているのだ、気にしすぎと言うことはないだろう。

 連続殺人事件に関する読み上げが終わったところで眞田さんはラジオを消した。

(消さなくてもよかったのに)

 音が消えて、車内に沈黙が訪れる。

 信号を抜けると、ビルの隙間から夕日が刺した。

 沈みかけた太陽の位置は低く、鋭く目に入り込んでくる。

「白い魂の噂は,今、どうなってるんですか?さすがに下火になってきてるんですかね」

 俺は1人でいる時には気にならないが、2人以上がいる空間での静寂があまり得意ではない。

 自分では気になっていない話題を眞田さんに問いかけると、眞田さんは案の定食いついてきた。

「いいや、それが右肩上がりに盛り上がってきてるみたいだぞ。表で起こってる事件がとんでもないから不謹慎だって騒ぐ連中まで出てきて、それが余計噂を加速させてる」

「結構、長引くもんなんですね」

 ほどなく、車はアパートの前で停止した。

「実際には逆なんだけどな」

 パーキングブレーキをした眞田さんは、車の鍵をさしたまま左手の腕時計を確認している。

「この町では昔から白い球を見たっていう話はあるんだ。でもここまでは広まらなかった。殺人事件ってパンチと付属したことで再熱してるだけだ。昔から、はじめも言ってたんだぜ。はじめはそれを、えー、なんだっけ、なんて呼んでたんだったか」

「□%×*○」

 後ろのドアが聞き慣れない言葉と共に開き、俺は振り向いた。

「こんばんわ宮藤さん。また会えて嬉しいです」

「あ、ああ。こんばんわ」

 初めて見る、ブレザータイプの制服に身を包んだ最所くんが、なぜか、車の後部座席に乗り込んできた。品のいい制服に赤いネクタイがよく似合う彼に、眞田さんも後ろを向いて話しかける。

「はやいな、待ってたのか?」

「時間だけはあるからね。□%×*○だね、兄さん」

「な、なに?」

 音に直せない音、ロシア語のような、英語のような、どうやって発音しているのかわからない。最所くんはキョトンと大きな目を丸くした。いや、そんな顔をされても。

(というか、扉を開ける前の話の内容を知ってるのはなんでだ。それも、超能力なのか?)

「こいつ電波なところあるからな。たまに何言ってんのかわかんねえんだよ」

 眞田さんに言われたくはないだろ。

「俺を攫った宇宙人が話していたんです。白い球、□%×*○ と宇宙人は呼んでました」

 何度聞いても、俺の知らない言語だと言うことはわかる。無理やり音にすれば、あーとぅん?と聞こえる。

「だとよ」

「はぁ…」

「発音しづらいから、俺はそれを”白い魂”って呼ぶけどよ」

 車はゆっくりと発進し始める。

 俺は外しかけていたシートベルトを握ったままだ。

「え?」

「俺としてはどっちだっていい、白い魂が宇宙人だろうが、ほんとの魂だろうが、オカルトには変わりない。ぶっちゃけ俺はオカルトならなんだっていい」

「はぁ、あの」

「蛍光灯でも花火でもない、なんかよく分かんねえ物質の光る玉だぞ?ワクワクするだろ?宮藤も」

 口角がひくついた。

 何を言ってるんだこの2人は。

 常識人の俺が脳内で呆れかえっている。しかし、驚くことにこの車の中に限っては俺が少数派。俺は明らかに浮いている。

 そんな俺を乗せて、車がどこに行こうとしているのか、果てしなく嫌な予感がする。

「すみません、なんで出発してるんですか?」

「宇宙人探しのために情報を共有したいって言ってただろ、昨日の話よく聞いてなかったのか?」

「……」

 俺はドアレバーを握った。

「あぶねぇな、こんな中途半端なところで止まったら後続車に迷惑だろうが」

「端に寄せればいいでしょう、止めてくれればすぐに降ります」

 小声で、精一杯の棘を入れた言葉を返す。

「都合よく運転手やらされてるのも癪なんだけどよぉ、宮藤はまだ車を買う気ないのかよ」

「今のところはありません家も職場も駅近いですから。俺がいる意味あるんですか、それ」

 車は俺を無視して小道を直進する。最所くんに聞こえないように小声で返事をしても、眞田さんは構わず普通の声量で答える。ぶっちゃけ小声で話したところで車内なら聞こえているだろうが、俺は彼を、彼の嗜好を面と向かって拒絶したいわけではない。

 心境としては、サンタクロースの存在を信じている子供の前で「プレゼントはなに買えばいいかな」と親が堂々と聞くことは、子供への不誠実だと感じるのと似ている。なぜなら、親が子供に夢を見させたのなら夢を見させた責任が大人にはあるからだ。

 ささやかな抵抗は眞田さんの声でかき消される。

「あー?何だだこねてんだよ。宇宙人の話、好きなんだろ?いい話じゃねぇか」

 まじか、この人。

 当たり前のように言う28歳にドン引きする。

 車が進み、景色が切り替わっていくスピードに、気分が降下していく。

 昨日は疲れていて、やたらとにかくうなづいた気がする。混乱している頭に2人は容赦がなく次の予定を注ぎ込んでくるのだから、俺の脳も大変である。一晩寝てスッキリした脳には1000円札の千里眼の件のみが残り、そんな約束の覚えが一切ないのだから、ちゃんと話されていないんじゃないかと言う疑念はかなりある。

「超能力のお披露目も終わって、お前もようやく神秘を信じる改心をしたんだ。タイミングとしてはここらで次の段階だろ」

 段階を踏んだ後にどこに向かうんだ、何があるんだその先には。

「心配すんな、聞き流してりゃすぐに終わる」

「そんなの、俺がいる必要ないでしょう」

「反論したいなら反論すればいい。お前がはじめの超能力がイカサマだって”証明”できるんならな」

 眞田さんは意地悪をやり返す小学生のように、にや、と笑った。

「………」

 眞田さんはどうも、俺が否定をしないために、俺が最所くんの超能力を完全に信じたと思い込んでいる。

 そんなわけはない。信じてなどいない。千里眼なんて、何かしらの仕組みによって行われたものだと俺は考えている。しかし、否定できる何かも持ちえない、というのが情けなくも現状であり、最所くんの前で下手にツッコむことも躊躇われる結果、俺には沈黙しか残されていないというわけで。

「どうかしました?」

 最所くんが後部座席から、俺たちに問いかける。

 俺は、…意を決した。

 車という牢獄はまだアパートから百メートルも進んでいない。ここで降りればすぐにでも家に帰ることができる。

 後悔先に立たず。はっきり言うべきだ。俺はもう、オカルトは卒業したのだと。そう言うのはもう、恥ずかしいんだと。彼に。

「……超能力のことは、置いておいても。最所くん。冷静に考えても。2人のその、宇宙人探し??に俺が役に立つとはまったく思えないんだよ。だから帰」

「そんなことありません」

 背後から封殺された。

 バックミラー越しの、色素の薄い瞳と目が合ってしまう。

「宮藤さんは俺に不思議な話を沢山してくれてたじゃないですか。空から落ちてくる白い光を見たって。心配なんてされなくても、きっと宮藤さんにはそういう素質があるんですよ」

 うっ。

「…そうかな」

 そんな、澄んだ目で見られたら何も言えない。

 俺は大人しくシートベルトを付け直した。代わりに、心の中で絶叫する。

(帰りてえーーー!)




 昨日の深夜、俺は千里眼のタネを考えるよりも、ずっと反省をしていた。

 なぜ、この子にいろんなことを喋ってしまったのか、と。

 俺も子供だったとはいえ高校生、少しは自制心があったはずなんだ。

 1日経って記憶は少しづつ整理されてきている。

 寒い冬だった。

 チャイムが鳴り、扉を開けると入り込んでくる冷気に身をすくめた。住んでいたマンションは大した管理もされておらず、薄く汚れた狭い廊下に立つダッフルコートを着た女の人は場にそぐわないほど綺麗だった。

 赤の服に隠れた小さな子供の手。女の人は子供の俺に頭を下げた。

 『ごめんなさい、今日も見ていてもらえる?』

 彼が来る日は決まって土日で家に親がいることが多かった。俺は親に会釈する幼い彼を、リビングを通って奥の自分の部屋に招いていた。ベランダがついた部屋は暴走族が車道を走ればうるさく、窓を閉じても壁も薄かった。

 『変に関わると巻き込まれるかもしれんぞ』

 『そんな言い方ないでしょ、助け合わないとだめよ』

 『お前はいつもそうやって、許容を超えた範囲にまで手をかければ、誰かに皺寄せが行くこともわからんのか』

 2人で遊んでいると、責任感が強く断れない母親とそれを非難する無関心な父親の声が聞こえてくることがあった。

 『今日は一緒にボードゲームでもしようか?昔に遊んでいたやつ、押し入れから見つけたんだ』

 隅に小さく座る彼も会話の内容を理解してしまってるようで、ただでさえ小さいというのに縮こまった体は不憫に感じるほどで。世の中の仕組みがまだ分かっていない時分ではあったが、俺は彼が不幸な子供であることはなんとなく理解できていた。

 『ごめんなさい』

 あの歳で、謝ることに慣れてしまっているように見えた。




(寂しそうにしてたから楽しませようと思って、色々と話をしてた気がする。有る事無い事言ってたから内容はよく思い出せない)

 バックミラーに映る彼は制服を着ている。ゴールデンウィークなので学校はないと思っていたが、別れた後に学校に行ったのだろうか。

 窓の外の景色は人が行き来する大通りに出た。

 ここで降ろされても徒歩で帰るのはきつい。

 俺は観念した。

「すみません。これ、どこに向かってるんですか?」

 後ろから凛とした声が響く。

「俺の通ってる学校です」






 到着したのはかなり大きな学校だった。

『樺山青海学園』

 このあたりでは有名な私立の高等学校の、厳つい門の前には2人の警備員が立っていた。

 車を停められると最所くんは俺たちを身内だと言い、学校に忘れ物を取りに来たと説明した。(そうなのか)と考えている間にすんなりと通された車は広い敷地中を進み、必要以上に可能台数が多い駐車場で降りて、玄関から入る。

 宇宙人の情報の共有というのは、ここを経由してからの話なんだろうか。

 広い校庭からは運動部の声と校舎からは吹奏楽部だろう楽器の音が聞こえてくるだけで、夕暮れの日に染まった校内には人はいなかった。

「最所くんはここに通ってるの?」

 俺は校舎内を先導する最所くんに尋ねた。

 この学園は学費はそれなりにする。以前、事務員さんが「通わせたかったけど、修学旅行が海外とかでねー。制服も十万円くらいするのよ」とぼやいていた。俺が高校生の時も、この学園に通っている学生は一目を置かれている雰囲気はあった。

 中の内装を見て確信する。手入れの行き届いた学内、こだわりを感じるお洒落な構造。設備費、維持費は相当なものだろう。

 児童養護施設の話を聞いていたため、ここに通っているとは予想外だった。

「特待生待遇でなんとか通えてます」

「特待生って。最所くん、勉強出来るんだね」

「大したことはありませんよ。バリバリの進学高というわけではないですし、自分の学力の範囲で受かるところを受けたってだけです」

 最所くんは謙遜をするが、ここは偏差値もそれなりだったはずだ。

 しかも最所くんは施設を出て一人暮らしをしているのだ、その自活能力は驚くべきことだった。

 俺は「はー、すごいなあ」と息を吐き、校内を極力小さな動作で見渡した。

 どこもかしこも母校の公立とは似ても似つかない。圧倒されている。これまた手すりに触れるのも憚られるような洗練された螺旋階段を登りながら、後ろにいる眞田さんにこそりと耳打ちする。

「いまさらですけど、俺たちが入っても大丈夫なんですか?学校に来るならスーツは着替えた方が良かったんじゃないですかね。授業参観でもないのに、明らかに目立つでしょう」

「あー」

 眞田さんの動作はいつもより緩慢で、なんだか眠そうだ。

「大丈夫だろ」

 返事の適当さもここに極まれりである。挙げ句の果てに「気になるなら、さっき家に行ったんだから着替えれば良かっただろ」とあしらわれた。あんまりだ。俺は開いた口を文句に変える。

「無理ですよ。学校に行くなんて俺は聞いてなかったんですから」

「そうだったか?昨日、行くって言ったろ」

「絶対聞いてないんですけど」

「へー」

「へー、って眞田さんこそ俺の話聞いてます?」

 言い争いにもなりきれない言葉を交わしていると、階段から廊下に出た最所くんがくるりと振り返った。

「俺もたまに私服で入ってますがバレないものですよ。今日だって、ゴールデンウィーク期間は部活の生徒のために解放しているようですから適当な服でもなんとでも誤魔化せたんですが、2人を連れるので身元の保証のために制服を着てきました」

 最所くんは横を向いた。

 ”第一音楽室”と書かれた扉がある。

 どうやら、目的地はここのようだ。

「ここに何かあるの?さっき、忘れ物って言ってたよね、教科書とかかな」

「あれは警備員のための嘘です」

「え?」

「お前って案外純粋だよな」

 眞田さんから呆れたような目を向けられた。

「え?」

「宮藤さんも気に入ると思いますよ」

 白い手がガラ、と第一音楽室の扉を開けていく。

 観音開きの扉から現れた中は、俺の高校時代に見た音楽室よりも3倍くらい広いというほどの、一般的な作りをした音楽室だった。グランドピアノ、小さな穴が無数に空いた防音の壁、広い黒板、整列された木製の机、低い椅子。十列ほど一番奥の席に3人の男女が座っている。

「おそい!」

 認識したとほぼ同時に甲高い声があがった。続いて、男の低い声。

「帰ってしまうところだった」

「久しぶりー」

 女の子1人と男の子2人。そのうちの巻き髪の女の子が席から立ち上がって、こちらにずんずんと歩いて来た。ずいぶん小さいが、きちんと最所くんと同じ制服を着ている。

「はじめ!約束の時間、90分もすぎてるわよ!もう、トランプで遊ぶのも限界なんだから!」

「すみません、2人を連れてくるのに約束通りの時間は厳しくて、連絡もできなかったので」

「2人?」

 女の子は訝しげに最所くんを見て、今初めて気づいたとばかりに俺たちを見た。

「………このひと誰?」

 下から見上げられる幼い顔には不審さが全開だ。見た目に似合ったしたったらずな声でそう言われる。こっちのセリフでもあるんだが…。制服姿から、彼女たちは樺山青海学園の生徒であることは分かる。

「宮藤さんです。さ、奥にどうぞ」

「宮藤?この人が?」

 促されるままに移動中、女の子からジロジロと見られた。

(なんだ?俺のことを知ってるのか?)

「ここにどうぞ」

 男の子2人、メガネをかけた頭の良さそうな男の子とタレ目のおっとりした雰囲気の男の子が座る前の列に座らされる。巻き髪の女の子は彼らの横に戻り、眞田さんと最所くんは俺の両隣に座った。こわ、完全に包囲された。オセロなら裏返っている。

「彼らが俺の宇宙人探しの協力者です」

 最所くんは普通に俺に向けての説明を始めた。

「…協力者、ああ」

 宇宙人の情報の共有場所は学校で間違いなかったようだ。

「この音楽室は報告会に使用していて、放課後に使わせてもらってます」

「あ、さっき楽器の音が聞こえてたけど、音楽室からじゃなかったんだ」

「うちの学校は音楽室が二つあるんです。ここは古い方で、もう一つの新しい方を吹奏楽部が使ってます。全国優勝したこともある吹奏楽部みたいで、学校側が見合った音楽室を作ったみたいです」

「そうなんだ。やっぱりここはすごい学校なんだね。ところでー…」

 3人に俺、ものすごい見られてるんだけど。

 席に座る際、男の子たちは眞田さんには軽く会釈をした。俺はジロジロと見られるだけで会釈もされていない、この差はなんだろうか。人間としてのオーラだったら傷つく。

「便宜上、ここは”オカルト研究部”と呼称しています。メンバーの紹介をします」

 最所くんは施設の案内のように伸ばした手で人物を指した。

「夜部くんです。彼はオカルトマニアで、オカルトにとっても詳しいです。ネットでオカルト専門のまとめサイトを立ち上げているんですが、最近ヒット数が上がってきてるそうです」

「え、そんなことまで教えんの」

 夜部くんと紹介された黒縁のメガネをかけた男の子は面食らったような顔をして「…どうも」と言い、メガネを人差し指であげる。真面目そうな青年だ。

 最所くんは次におっとりとした男の子に手を向けた。

「原くんです。原くんもオカルトが大好きです、それとお菓子を作るのが得意で、今日のようにお菓子を持ってきてくれます。すごく美味しいんですよ」

 高校生3人の座る机の上にはクッキーの入ったお皿が乗っている。市販のものかと見間違えるこれを彼は作ったのか。「すごいね、お店で売ってるものみたいだ」と言うと原くん「えへへー」を微笑みを返した。癒し系だ、柔らかな風貌は親しみやすい。

 最所くんは最後に仏頂面の女の子を指した。

「京子さんは理事長のお孫さんで、実家がお金持ちです」

 少し待った。が、続く言葉はなかった。

 え、終わり。

「へ、へえー」

(急に生々しい…)

 すごいねー、と言うのもどうなんだ。言葉に詰まっていると、眞田さんは「なるほどな」とうなづいた。

「このサークルの資金源か」

「ちょっ」

(そんなことを言ったら傷つくだろ!)

 失礼な発言をどう誤魔化したものか咄嗟に頭を動かす間に、彼女は艶やかな巻き髪をふわり、と後ろに流した。

「持つものの宿命ね。”持つものは皆に分け与えなければいけない””隣人を愛せよ”。我が家の家訓よ」

 資金源を否定せず、受け入れてみせた。

「京子ちゃんは理事長の孫ってことを引いても、財閥のお嬢様ってことは有名なんだよ。理事長の孫ってこともみんな知ってるけどねー」

 原くんが囲んだ中心の机にクッキーが入った紙を移動して補足をしてくれる。

「私のことはもういいわよ」

 京子ちゃんはうざったそうな顔で話を切り上げた。

 本人が気にしていないなら、いいか…。俺は椅子に腰を落ち着ける。

 最所くんによる3人の説明はすぐに終わった。なんとも簡素な説明だった。俺の横に座る彼に、反応を伺うように整った顔を向けられている。俺は何を言うべきか迷ったが、とりあえず、彼の紹介と同じ文言を復唱して確認した。

「ええと、そうか。最所くんには宇宙人を探す仲間がいたんだね」

 3人の顔を見る。

 いたって普通の、高校生だ。

「おおうめーなこれ」

「眞田さんこれも食べなよーこないだ好きっていってたやつー。宮藤さんもどうぞー」

「あ、うん。ありがとう。いただくね」

 緩やかな動作で原くんから綺麗な四角と丸のクッキーを分け与えてもらう。俺もクッキーを手に取り、齧った、ほろりと優しく口内で崩れる。

「わ、美味しいね」

「わー、よかったー」

「原、わたしももらっていい?」

「もちろん、どうぞー」

 京子ちゃんも囲んだ机の中心にあるクッキーに手を伸ばした。夜部くんは甘いものは好きではないのか、肘をついてみんなが食べている姿を見ている。眞田さんはクッキーを美味そうに食べて、すっかり溶け込んでる。精神年齢が近いのだろうか、なんて俺も失礼なことを考える余裕が出てきた。

 彼らの会話を聞いて、眞田さんは彼らと以前に顔合わせが済んでおり、俺だけ初対面なわけだ、と反応の違いにひとまずの説明がついた。

 身なりのいい制服に身を包んだ彼らはどこにでもいる普通の子達だ。

 カサついた机の木の感触、開いた窓から聞こえてくる運動部の掛け声。この空間に、よくある、高校生の昼休みのような光景に懐かしさを感じている。

 誰がどう見ても平和な空間だろう。

 最所くんが宇宙人探しの協力者と言うので身構えたが、話を聞くだけなら構える必要もなかったと思える。

 28歳の眞田さんが言うよりも、高校生の青い彼らが言うならまだ微笑ましいだろう。

(話を聞くだけなら)

 甘味も準備されているし疲れることもなさそうだ。

 部屋に置かれた置物のように聴衆に徹しようと覚悟を決めたあたりで「さて」と言い、最所くんがおもむろに立ちがった。

「紹介も終わったところで、報告会を始めさせていただきますね」

 最所くんは俺たちが入ってきた扉まで歩いていき、音楽室の入り口近くにあるドアの中に入った。ホワイトボードを持って出てくると、ガラガラとキャスターの音を立てて俺たちの元へ戻ってきて、真っ白なボードをぐるりと裏返した。

 顕になった裏には、印刷された街の地図がデカデカと一面に貼られていた。

 地図には赤い丸が書かれ、数人の顔写真、付箋がびっしりと貼られている。

 連続殺人事件に関するものだ、と俺は理解した。

 地図がこの街の馴染みのありすぎる衛生写真であるし、貼られた顔写真はニュースで目にしたことがある人物だったからだ。まるで…。

「警察の特別捜査本部みたいでしょう。事件の情報はテレビとネットで仕入れたものばかりですが、情報はきちんとしたものです」

 最所くんはそう言ってボードの横に立った。

 立体的な人差し指を立てた手が先端についた、冗談みたいな矢印棒を持っている。

「今までの事件のまとめを披露させていただければと思います。この町で繰り返されている連続殺人の犯人は、被害者を刃物で百箇所以上滅多刺ししていることから、猟奇殺人事件として世間を騒がせています。今のところDNA鑑定で第一、第二の被害者の身元は判明しましたが、第三はまだ判明していません」

 矢印棒で地図上の三つの丸印を指す。

「第一の殺人。4/26。第二の殺人。4/29。そして昨日5/2、第三の殺人。今のところ三日おきの犯行です」

 突然の殺人事件の説明についていけてないのは俺だけか。

(俺だけなんだろうなぁ……)

 周りを見る。高校生3人組は真面目な顔でボードを見ている。眞田さんはクッキーをパリポリしながら、真面目には見えないがなぜ殺人事件の説明を最所くんが始めたのか、疑問に思っている様子はない。

 彼らはオカルトだけじゃなく現在進行形の血生臭い事件にも興味があるのか?

 ついていけない。というか、話の流れがよく分からない。

 オカルトとこの事件の繋がりって。

(ああ、この子達も白い魂、だっけ。の噂を間に受けてるのか?)

 オカルトとこの事件が絡まるとすれば、それだ、と脳内で繋がる。

 連続殺人事件の被害者からは白い球が出てくる。

 第一発見者の発言から発生したという噂は、ネットを潜れば簡単に出てくるだろう。あまり考えたくはないが、眞田さんが彼らに吹き込んだ可能性もある。

 最所くんは話を続けている。

「被害者の年齢、性別はバラバラ。どの被害者も夜、帰宅途中を狙われています。この町の監視カメラが少ないことも手伝っていると思うんですが、監視カメラの死角を縫うように犯行は行われており犯人と思われる人物の映像も出てきていません。警察が犯人を見つけられないのもこの無差別さとそれに反した慎重さからだと思われます」

「………」

 町の中での連続殺人といっても町の面積は200㎢ほどある。地図上のまばらな三つの丸印。自分の家を探し、どの現場とも離れている。遠いということは分かっていたが、ここまで正確な位置関係の把握はできていなかった。

 ニュースでは殺害現場は大体の地区までしか報道していなかったと記憶している。

 丸印はピンポイントに殺害現場を示している。この町で起きている事件なので調べれば出てくるのだろうが、それでも。

「すごいね。よくまとめてあるね」

 口から出るのは素直な感嘆だった。

 びっしりと文字が書かれている付箋を見るに言葉にしていないこと以外にも情報がたくさん書かれていそうだ。情報をまとめるのもどれだけの時間がかかったか。

 最所くんは矢印棒を下げて、薄く笑う。

「我が物顔で発表していますが、このボードは全て夜部くんがまとめてくれたんです、情報の精度は折り紙付きですよ」

「っまあ…、サイトで出す記事と同じでネットに転がってる情報を鵜呑みにするのは危険ですからファクトチェックには力を入れました」

 名前を出された夜部くんは、目線が集まると巻き気味にそう言った。

「ファクトチェックって、かっこいー」と、原くん。

「俺はネットに疎いので、夜部くんにはかなり助けられてます」と、最所くん。

「そんな、たいしたことはしてないけどな…すごいのははじめだ」

 夜部くんの耳がほんのりと赤い。その姿は、褒められ慣れていない思春期の男の子の持つ気恥ずかしさそのもので微笑ましい。

(いや、微笑ましい、のか?)

「で、今の考えられる犯人像はどうなんだ?」

 手についたクッキーを払って質問する眞田さんの、弾む声に俺はうんざりする。

 この人には俺と違うものが見えてるのか。

 ホワイトボードの資料は嫌でもリアリティを感じさせる。地図はまだいいが、被害者の写真というのはやりすぎだ。微笑ましいと見ていられるほど、高校生らしい健康的な活動だとは思えない。

「警察の発表では、土地勘がある人物。体の刺し傷から体力のある10〜40代、犯行は必ず夜に行われていることから学生の線も捨てられないとのことですが」

 眞田さんは求めていた答えではなかったと手を振った。

「俺が聞いてるのはお前らの考える犯人像だよ。色々こねくり回してるんだろ?進捗は?前回はただお茶会しただけだったろ」

 最所くんはこほん、とわざとらしく咳払いをした。

 ボードの地図上で2点の丸を順に指す。

「分かってるよ。犯行現場がこれだけ離れていますから車かバイクを運転できる人であることは間違いないでしょう。免許は持っていると思います。自転車の可能性もないことはないんですが、さすがに不自然ですよね。返り血を浴びたらすぐにばれます。確実性を持つ逃走を用意して犯行は行われているはずです」

 どうだろう、盲点を突いている可能性だってあるが、なんとも言えない。

 特別捜査本部みたいではあっても、あくまでそれらしい真似事。

 言わずもがな、俺たちも、彼らも警察ではない。

 何かを言えるような立場ではない。

「ヤクザ絡み、儀式殺人、精神異常、異常性癖、見せしめ殺人、いろんな可能性がネットには溢れていますが」

「おう」

「俺たちの今のところの犯人像は宇宙人です」

 

 宇宙繋がりではないが、宇宙猫、という有名なミームがある。

 そんな感じになった。

 

「………宇宙人」

「はい」

 それは、犯人像と呼ぶのだろうか?

 犯人像って年齢とか、体格とか、性格とかなんじゃないだろうか。

「犯人が、宇宙人だってこと?」

「正確に言うと、被害者も加害者も宇宙人です」

「どっちも」

「はい」

「そっ、かぁ…、ここ、オカルトサークル、だもんねぇ」

 白い魂の噂など挟まずに、ちゃんとオカルトに着地してしまった。

 俺は周囲を見た。返される視線はなかった。俺は軽く絶望した。

「なんで、そう思うの?」

「事件のおかしさから、ですかね」

 最所くんは、簡単な質問に対する答えのように気軽に返した。

「俺はこの事件には猟奇さよりも、作業感を感じるんです。作業というより、義務でしょうか。事件概要を少し見れば、なぜ遺体をそんなに刺すのか?という当然の疑問がまず浮かぶと思います。自分が包丁で肉を百箇所もさせるのかを想像すれば、どれだけ手と精神に負担がかかるのかわかると思います。手間でしかない。性癖でも30くらいでやめるんじゃないでしょうか。こういう異常な刺し傷って怨恨が多いらしいですが、一件だけならまだしも3件も行うとなると、何かそうしなければいけない理由があるのではないかと思うんです。当たり前ですが、白い魂が出てくる人間は存在しません。殺されているのが宇宙人であることを前提として考えると、滅多刺しにする理由と白い魂の関係が考えられます。宮藤さんは星間エーテルはご存知ですか?」

「…それは何?」

 星間エーテルという単語は、俺の陳腐なオカルト知識の中にはない。

 知らないことを知ったかぶる場面でもない。

 俺は質問した。

 彼のフィールドに踏み込んだ自覚がありながらほとんど反射的に、ほんの少しの好奇心から質問してしまった。

「星間エーテルというのは宇宙を満たしていると考えられていた物質です。昔、魂がどんな物質なのか考え、魂はエーテルであり、宇宙に帰っていくという考えを持った科学者がいたんです」

「そんなものがあるの?」

「いえ、相対性理論の登場によって星間エーテルの存在は否定されました。現在の科学的見解では宇宙を満たす物質は暗黒物質とされています」

「へ、へえ…」

「ですが相対性理論は今のところは都合が噛み合っているから使われている仮説です。それが奇跡的に付合しているだけだとしたら?だとしたら星間エーテルが存在しているかもしれません。まあこれは戯言ですが、魂が星間エーテルでなく別の物質であれ、俺がいま星間エーテルを持ち出したのは、この魂がエーテルであり空に帰っていくのではないか、という考えがこの殺人事件に繋がるのではないかと思ったからです。魂というのは大体の記述では体から浮いて空に登っていきますよね。空というのは宇宙に帰ると同義でいいと思います。宇宙人には魂がある。魂は浮いて宇宙に帰る。連続殺人犯の行動に意味を持たせようとするなら、魂という情報を宇宙に返すために体から取り出し、取り出したことを隠すために傷つけているというのはどうでしょうか。勿論そんなことをしても人間に利益はありませんから、つまり宇宙人が犯人というわけです」

 一連のセリフは台本であらかじめ決められていたかのように澱みなかった。

 俺は圧倒されながら、高校生組を見た。3人とも特に不思議に感じてないようである。特に驚きもないようで、京子ちゃんなんかは神妙にうなづいている。

 俺は眞田さんを見た。

「なるほどなあ」

 淡々とそう言った。

「……」

(いや、…いやいやいや!!)

 何がなるほどだ、なんだこの子達は、親と学校は何をしてるんだ。なぜこんなになるまで放っておいたんだ。

 後半はゴリ押し気味だし、宇宙人犯人説に着地しようと捻じ曲げた推理である気しかしない。雰囲気で信じているのではないガチガチに固まった独自の理屈。過去の俺もここまでではなかった。

 重症だ…。

 この音楽室には『宇宙人は存在する』『宇宙人には白い魂が入っている』という共同幻想が蔓延している。だから誰もつっ込まないのだ。

 今後が心配になる子たちだ。ある意味では将来有望かもしれない。

 もしくはこの子たちは全員なにか、最所くんのようにその、オカルト的な、超常的な力を持ってるってことだろうか?だから最所くんの話を感覚的に理解できるのか?

 大学で知り合った先輩に誘われて来てみたら、なにかしらの宗教の講演会に迷い込んでしまったような、目眩がした。 

「このサークルは宇宙人を探し出し、宇宙人が存在することを証明するために存在します。2人にも協力をしていただいて、その証明を成し遂げたいと思っています」

 ダメ押しのように、最所くんはそう締めた。

「おー、いいぜ」

 退屈な演劇が終幕したかのように、眞田さんはあくびをする。

(いいぜって)

 何も考えずに返事してるだろこの人。

 彼らが言ってることに引っかからないのか。

 大人なら大人なりの反論ってものがあるだろう。

 俺は逆に、冷静になってきた。 

「それでは」

「ちょ、ちょっと待って!」

「はい、なんでしょう?」

 何事もなかったように話を進めようとする最所くんをたまらず止める。

 連続殺人事件の犯人と被害者がどちらも宇宙人だという暴論には俺が反論しなければ誰も反論しない。

 俺は置物をやめ、できる限り物腰柔らかに発言をした。

「まず、疑問なんだけど、宇宙人を探すっていうのはさ、どうやって探すのかな」

「状況を利用します。世間を騒がせている目立った宇宙人がいるので、それを捕まえるんです」

「犯人を?警察が捕まえてくれるのを待つってことじゃなくて?」

「被害者でもいいです。警察に先を越されると宇宙人の存在を隠されてしまう恐れがあるので、警察より先に見つけないといけません」

(手強いな)

 信念のようなものすら感じるほどに彼の言葉には揺るぎがない。たじろぎそうになる気持ちを押しやって、俺は続ける。

「被害者も…っていうのが俺にはいまいちよく分からないんだけど、犯人を捕まえるっていうのは例えば殺人の証拠があれば可能なのかもしれないけど、被害者も宇宙人だったとして、どうやって見つけ出すの?宇宙人と人間って見分けがつくのかな。第一、被害者って殺されてから被害者になるわけで…見つけ出すって言い方がよく分からな」

「ちょっと、この人、何も分かってないじゃない」

 苛立ちの混じった高い声がその場に上がった。

 俺は声のした方を見た。

 京子ちゃんだ。

 涙目になりそうなほど悔しそうに睨みつける顔が、目が合うと弾かれるように逸らされる。

「さっきの話も理解できてなかったんじゃないの?まじめにはじめの話を聞けば理解できるはずなのに。…はなから宇宙人の存在を信じる気がないなら、こんなとこ、来なければよかったじゃないっ」

 横を向いた幼い頬は膨れるほどにむくれている。

 やってしまったか。

「すみません、京子さん。宮藤さんが知らないのは当然なんです」

 最所くんが、京子ちゃんの前まで歩いてくる。

「説明が足りないまま連れてきた俺のせいです。再会して日の浅いうちに全て話すという気はありませんでした。宮藤さんを信用していないという話ではなくて、自分で言うのもなんですが、俺が用心深いためですね」

 京子ちゃんは最所くんから目を背けるように、ぐぎぎ、とぎこちなく顔を戻す。

「あ、あっそ、わたしは、この人が信じてても信じてなくてもどっちだっていいけどね。ここに呼ぶんなら教えておきなさいよって、ちょっと思っただけよ。でもそうね、正しい判断だと思うわ。どこかにリークされたら抜け駆けを許してしまうもの」

 一転、誇らし気に巻き髪を後ろに流す彼女から、怒りの表情はなくなっていた。

「またおいおい、時間のある時に詳しく説明させてください」

(…これ以上なにかあるのか)

 俺は最所くんの微笑にただ頷くしかなかった。

 薄く細められた虹彩の薄い瞳。彼の美しさは心の隙間に入り込んでくる。

 あまり不用意に笑えばたくさんの女の人をときめかせてしまうんだろう。

「それでは、そろそろ解散しましょうか」

「えっ!」

 ガラガラとホワイトボードを戻し始めた最所くんに、京子ちゃんが驚いた。夜部くんは聞き分けよく「次に来るのは定例会の日か?」と声をかける。

「成果が出るまで頑張るよ、なかなか見つからないんだ。これでも時間かけてやってるんだけどね」

「ちょ、ちょっと。本気でもう帰っちゃうの?はじめに聞きたいこといっぱいあるんだけど!夜部もあるでしょ?!」

「はじめが言うならいいんじゃないか。今日は部外者が2人いるし、もういい時間だ。そろそろ先生が見回りに来る」

 夜部くんは眼鏡のブリッジをあげて音楽室の時計を見る。シンプルながら上品な丸時計の針はきっかり19時を指している。

 原くんは残ったクッキーを眞田さんと共にぱくぱく食べ、空にした紙皿をゴミ箱に捨てに行く。

 京子ちゃん以外の高校生組はお開きムードに納得している。

 京子ちゃんはぐぬぬ、と顔を歪め、これでもかというほど渋々とうなづいた。

 俺は、助かったという気持ちだ。

 先ほどから京子ちゃんと目が合うたびに眉を釣り上げられている。これ以上ここにいると良くなさそうだ。

 そこからは早かった。京子ちゃん、原くん、夜部くんは電車で帰るということで校舎の入り口でお別れとなった。俺は去り際に原くんに声をかけた。

「クッキー、ほんとに美味しかったよ。ありがとね」

「うんー、宮藤さんもお疲れー」

 原くんは朗らかに手を振ってくれた。



 


 車が夕暮れというには薄暗くなった道路を走行する。

 駆動音の少ない車内、乗る前に最所くんが扉を開いてくれたので、2人で後部座席に座っている。

「宮藤さんをみんなに紹介できてよかったです。面白い子たちだったでしょう?」

「…お友達は皆、仲がよさそうだったね」

 静かな空間に響く自分の声にハリがないなと思う。

 運転席であくびをしている眞田さんも言葉少なだが、俺としてもどっと疲れた。

 明日も変わらず仕事であるということが疲労度に影響している気がしなくもない。

「たまに音楽室でトランプもしますよ。原くんが強すぎてスピードは禁止って京子さんが言い出したので、大富豪とか、神経衰弱とかが多いです。夜部くんは記憶力がいいのでそのうち神経衰弱も禁止になるかもしれません」

「いいね、なんか。俺も、あの子たちと話せてよかったよ」

 俺の気の利かない返事にも最所くんは微笑む。俺も微笑みを返した。

 彼は堂々と“宇宙人を探し出す“と言ってのけたが、あの場では何か具体的な策を講じるわけではなかった。

 オカルト推理、捜査本部を連想させるホワイトボードには面食らったものの、それだけだ。

 もう高校生、宇宙人探しは少し刺激的な探偵ごっこ…なのかもしれない。

 自分の町で起きた事件に知的好奇心が芽生えるなんてありがちだし、正直、気持ちは分かる。

 俺には縁がなかっただけでああいう青春の形もあるんだろう、と、学校から遠ざかってくにつれてそういう考えが浮かぶようになってきた。この感情は諦めよりも反省に近い。

(…気をつけないとな…)

 さっきは京子ちゃんに悪いことをしてしまった。

 高校生同士で和気あいあいとやっていた場所にああも大人から疑い深く介入されれば、あのくらいの年代の子は反発する。

 他でもない、俺が母親にされて嫌だったことを彼らにもしてしまっていた。

 彼女と同じように、また、繰り返している。

(もう、あの子達は俺と話したくないだろうな、…それでいいのかもしれない。俺と話したところで何にもならない)

 オカルト好きな彼らと俺を会わせた、最所くんの思惑はよく分からない。

 俺はただあの場にいて話を聞くしかしていない。友達を紹介し、宇宙人探しの熱意を見せつけられるというのは、外堀を埋められてるような気がしなくも、いやまさか。

(疲れた、今日は、昨日よりはよく眠れそうだ)

 運転の上手い眞田さんのおかげで、眠気はピークに達している。

 微睡の中、ぽつりぽつりと最所くんとたわいもない会話を交わしていると、車はアパートの前で停車した。

「着いたぞー、寝てねーよな、俺が眠いのに寝てたらキレるぞ」

「…寝てませんよ、送っていただいてありがとうございます」

 最所くんとの会話があったからギリギリで寝ていない。

 車から降りて伸びをした。思考が鈍い。ベットに倒れればすぐにでも寝れそうだ。

「ここ、猫でも飼ってんのか?」

 眞田さんが窓から身を乗り出してそんなことを言う。

「猫ですか?俺は見たことないですけど」

 賃貸契約の際にペット不可と書いてあったと思うが。伝えると眞田さんは自分が言ったことなのに興味がなさそうな声で「ふーん」と言った。

「ライトで階段の辺りで目光ってたぞ、どっか行ったみたいだな」

「誰か餌をあげてるんでしょうか、俺も朝に見ました」

 最所くんは心当たりがあるようだ。

「最近居ついたのかな」

 野良猫なんてめずらしくもない。

 居てもいなくても気にする必要はない。

「保健所に連絡したほうがいいですかね」

 空気に溶ける、抑揚のない澄んだ声。

 ふああ、とあくびの音がする。

「俺帰るわ、おやすみー」

 車は遠ざかっていく。2人で階段を登り、玄関の前に着く。空はすっかり真っ暗になっている。

「おやすみなさい」

 こんな挨拶も久しぶりだ。

「おやすみ」

 



 

 2





 朝、空のペットボトルが入ったゴミ袋の口を縛る。

 ペットボトルゴミの曜日は、一人暮らしだと一般可燃ゴミほど溜まらないため、何週か分溜める。パンパンになったゴミを持ち玄関を出ると、ジャージ姿の最所くんとまたも、廊下でちょうど居合わせた。

「おはようございます、一緒に捨てに行きませんか?」

「おはよう、うん。行こうか」

 最所くんの手に握られた県指定のゴミ袋にはペットボトルは数本しか入っていなかった。

「最所くん、こまめなんだね」

「え?こんなものなんじゃないんですか?」

「俺は3週間分は溜めるよ、あ、ペットボトルとか缶だけだけどね、生ゴミは一週間でも溜まるからさ」

「そうか、頻繁に出さなくても生ゴミ以外は汚くないですね」

「毎週出すのって、案外大変だからね。水でゆすげば夏場でもいけると思うよ」

「勉強になります」

 特筆すべき何かはない世間話を2、3回やりとりすれば一階分の階段は降り切る。

 朝は話す時間が短いからか、彼からオカルトの話題を持ちかけられたことはない。俺からわざわざ持ちかけることもない。

 オカルト話を聞いたところで「ああそう」「へえ」「そうなんだぁ」としか言えないし、大人が子供の前で情けなくたじろぐ場面は避けたい、という矜持はある。

 ゴミ捨て場の蓋を開けて、ゴミを入れ込む俺の横で、最所くんは辺りを見回した。

「猫がここにいたの上から見えたんですけど、いませんね。逃げ足が素早いみたいです」

「ああ」

 昨日はそんな話もしていたか、と思い出す。

 アパートの手入れは大家さんがしている。完全にアスファルトになりきれていない土地の手入れのためには、何度か息子さんが雑草刈りの手伝いに遠くから来ている、と本人から雑談がてら聞いた。

 アパートの敷地はちょっとした庭園のようになっており、流動体と比喩される猫が乱立する花壇の隙間に隠れおおせるのは簡単そうである。

「猫って、小さかった?」

「いえ、成猫だと思います」

「そっか。子猫なら保護してあげないと生きていけないかもしれないけど、大人なら、猫くらいいてもいいよ」

「そうでしょうか。猫を嫌がる人もいるんじゃないですかね」

「大家さんは優しいから大丈夫だと思うよ。名前つけて可愛がるんじゃないかな」

 最所くんのゴミも受け取り、入れ込んで蓋を閉じる。

 顔を上げると慈しむような微笑みがあった。

「宮藤さんは優しいですね」

「…いや、」

「あらぁおはよう」

 しわがれた声が俺たちの間に入ってきた。

 歳のほどは60ほど、首には柄物のタオルが巻かれ家庭菜園の似合うルック。無害という言葉がピッタリな田舎のおばあちゃんである大家さんが、歩いてくる。

「おはようございます」

「今日もいい天気だねぇ。あ、そう、猫を見かけなかった?最近報告があったんだ」

「猫ですか?」

 首を傾げる大家さんに、俺は、最所くんが見たという話をしようとした。

「猫。見つけたら追っ払ってくれない?紫陽花がせっかくきれいに咲こうとしてるのに、猫が荒らしちゃったんだよぉー」

 大家さんが指差す、ゴミ捨て場を見る。

 ゴミ捨て場の横の花壇には青い草木が植えられている。よく見れば、葉の隙間に青、紫の小さな蕾。ただの草木かと思っていれば紫陽花だったのか。

 大家さんのいう通り、根の土部分を見ると表面がぼこぼこと浮き上がっているように見える。

「餌も、あげてる人もいたら教えてくれない?お願いねぇ。ほんと、信じられないけれど勝手に餌をあげる人っているんだから、最後まで責任取る気もないのにねぇ。あ、宮藤さんお仕事行くのに引き留めちゃって、ごめんなさいね」

「あ、いえ。大丈夫ですよ」

「最所くんも、ちゃんと学校行かないとだめよぉ」

「はい」

 それだけ言い、大家さんはアパートに戻って行った。

 アパートの端にあるホースを手に取って、蛇口を捻る音が聞こえてくる。

 パラパラと水の撒かれる音を背に、俺は気まずさを感じながら、最所くんに話しかけた。

「ゴールデンウィークだから今は学校はお休みなんだよね。大家さん、勘違いだ」

「そうみたいですね。大家さんには引きこもってることはバレてるみたいです。花の手入れも毎日やって、周りをよく見てらっしゃいますよね」

 最所くんは笑顔で手を振った。

「宮藤さん、いってらっしゃい」

「じゃあ、…行ってきます」

 

 

 

 

 

 電車から見える空は雲ひとつない晴天だ。

 日頃は満員の電車もゴールデンウィークは空いている。

 湿気もなく静かな気持ちのいい朝。

 であるはずなのに、心の内のモヤモヤとした感覚は晴れない。

 最近、俺の周りではオカルト関係の話題が絶えない。

 意識的にしろ無意識的にしろ長年忌避していたオカルトがまとわりついてくる事に対するモヤモヤはある。

 どこかのタイミングで彼らにはビシッと拒絶をしたほうが精神衛生上いいという判断はすでにしている。

 それよりももっと現実的なこと。

 彼と再会して以来、地味に継続していた謎というべきか。懸念というべきか。

(…なんで学校に行かないんだろう)

 昨日、最所くんは学校にお友達がいると確認できた。

 つまり、人間関係の悩みから来る不登校ではない。

 他に考えられるとすれば、学校の授業が合わない、とか?

 彼の家庭の事情は聞きかじりしている限りとても複雑だ。偏差値の高い学園の特待生だなんて、不遇な環境の中でも頑張って勉強してあの学校に入ったことは推測できる。燃え尽き症候群、というやつだったり?

 慣れない一人暮らしに疲れてしまっている、とか。 

 施設の大人は彼に何かしらの支援をしてくれているんだろうか。施設を出れば支援も何もないのか。

 俺は児童養護施設の仕組みや支援内容についてよく知らない。想像には限界がある。

 つらつらと考えて、ふと、思う。 

(勝手に親みたいな気持ちになってるの、キモいか?)

 最所くんには好感を持たれている実感がある。

 なにか彼に対して特別なことをした記憶がないのだが、久しぶりに会った子供に宮藤さん宮藤さんと言われ、愛着の湧かないわけがない。

 心配くらいしてもいいだろうと思いたい。

「リーパー、やばいよね。激こわ」

 電車の吊り革に捕まった私服姿の女の子たちが、3人ほどくっついて1人のスマホを覗き込んでいる。続く会話の内容は電車の振動音に紛れた。

 小声ではしゃぐ女子高生も、祝日なのにスーツを着た大人達も、ほとんどは手の中のスマホに目を向けている。





 ゴールデンウィークは普段より仕事が少なめというのは本当だった。

 少ない来客の相手をして事務所での何にもない時間に手持ち無沙汰になっていた俺は、中居支配人から「昨日は昼休み遅かったでしょ」と早めの昼休みを提案された。

 休憩所で、ずず、とカップ麺の蕎麦を口に運ぶ。

 口の中に広がるそばの風味。間違いない味だ。美味すぎる。カップラーメンは年々進化している。今年の年越しは激務の葬儀に駆り出され帰省などできず(彼女を呼ぶのも憚られるほど深夜に仕事が終わったために)家で1人インスタントそばを食べたのだが普通の蕎麦より美味しいんじゃないかと思ったっけ。

 休憩室で流れるニュースがどれだけ食事時に合わない内容でも、そばの美味しさは変わらない。

 テレビでは、第3の被害者の身元が判明したと報道している。

 男性従業員、27歳。

 俺と2つ違いの彼が、なぜこんな無惨な死を迎えたのか、俺には分からない。

「連続殺人犯に名前がついたらしいな」

 同じく支配人に休憩を言い渡された向かいの眞田さんも、カップラーメンの麺を箸で持ち上げ、テレビから目線を外さず言う。

 男2人、カップラーメンを啜る。

 愛妻弁当などという浮ついたもののない食事風景は侘しい。

 俺は咀嚼をした後に電車で聞いた名前を出した。

「なんでリーパーなんですか?」

 リーパーと聞くと、タイムリーパーが真っ先に浮かぶ。

 なんの関係もないし由来はそれではないんだろう。

「最近、ソーシャルゲームが流行ってるだろ」

 ゲームの名前を教えてもらうが、あいにくとSNSはやっていないのでピンとこない。

「その役職の一つがリーパーらしいぜ。死神のグリムリーパーからとってる。被害者から白い球が抜け出たって噂から、殺人犯は死神なんじゃないかってなってるんだろ」

「死神ですか」

「もうすでにこの町の噂の話じゃねえよ、全国区だぜ。こんな激ヤバ連続殺人、世間が放っておかねえよ」

 蕎麦を啜る顔の前にスマホが伸びてくる。

 画面に表示されているのはソーシャルネットサービスだ。

 魂を、鎌を持ったイラストが鎌で狩っている画像が事件のハッシュタグとともに投稿されている。

 まごうことなき不謹慎だ。電車に乗っていた女子高生たちはこういうものを見て盛り上がっていたんだろうか。

「外野から面白がってますね」

「これからこのあたりもマスコミでさかえるかもな」

 ニュースで、モニターを通して見ている分には一連の事件はドラマや映画と同じ、テレビの中での出来事のようだ。

 前に眞田さんから、なんでそんなに事件に関心がないんだ?なんて言われたが、電車に乗っていた人達だって、表面上は面白がるか無関心かの2種類に見えた。

 画面というフィルターを1枚挟むだけで確実に現実感は薄まっている。

 日本ではあまりないが海外では連続殺人鬼に報道社が二つ名をつけることは多い。

 人種関係なく人間には無神経な部分があるんだろう。殺人犯に軽率にリーパーなんて呼称をつけSNSで消費できるのも、他人事だからだ。ネット発祥のその通り名は実際に他人事の他県の人間がつけたのかもしれないが、この街とはなんの関係もない人間であれ、犠牲者がいる事件を面白がれるのは想像力の浅さと見るのか、どうか。

「街でインタビューされた時になんて答えるかでも考えようぜ、犯人は宇宙人です!っていったらドン引きカットされると思うか?」

 この人も、なんでこんなに楽しそうなのか。

「ヤバいやつに声かけちゃったって思われたいなら言ったらいいじゃないですか。あんまり、職場で殺人犯のこととか話さない方がいいと思いますよ。不謹慎ですし」

 テレビのニュースはとっくに連続殺人からにゴールデンウィークの帰省ラッシュがどれだけ混雑しているか、という見るだけで窮屈な報道に変わっている。

 この会社に入った頃は土日祝日休みのカレンダー通りの会社にいいなぁ、なんて思ったこともあったが、今はあまり思わない。シフト制のいいところは、平日にも休日が割り当てられるために、こういった混雑を回避できる点だろう。

 そばを食べ終えて、プラスチック容器に箸を置く。

「例の、白い魂も。俺もオカルト好きだって白い目で見られたくありません」

「お前もオカルト好きだろ」

「違います」

「変なとこ強情なやつだな。その割には、昨日は進んで宇宙人のことをあいつらに聞いてたじゃねえか」

 俺はため息をつきたくなった。

「遠回りに否定したつもりなんですよ。俺は、最所くんを不用意に傷つけたくないんです」

 あれは、完全な失策だった。

 直接的に否定するのではなく、話の中で彼らの考えの穴を見つけて、曝け出して、自分の言っていることの無茶苦茶さ加減に自覚してくれれば、という大人のずるい思惑は、京子ちゃんの反感を買うという失敗に終わった。

「ふーん」と言い、眞田さんは残りのラーメンを啜る。

 こちらが遠慮のない言い方をしても眞田さんの態度はフラットだ。その代わりに帰ってくる、ちゃんと聞いているか分からない返事にも俺は慣れてきた。

「眞田さん、俺は、リーパーよりも他に考えないといけないことがあると思うんです」

「ん?」

「眞田さんは、最所くんが不登校なの知ってますか?」

「ああ、やっぱそうなのか?」

 他人事にも思える反応。

 この人、ほんとに昔から彼を見てるのか。

 思考の優先順位がバグってるんじゃないか。

 俺は多少イラッとした。

「せっかく特待生なのに、不登校のせいで免除なんてことになったら最所くんはどうなるんでしょう。眞田さんは、そこまで考えてますか?」

 眞田さんは食べ終わったカップラーメンの蓋に箸を置いて、お茶を煽った。

「俺らみたいなちょっと年いったやつにはわからんが、あいつがいうには学校は出席率はそもそも見てないらしいぞ。定期的にテストがあるから、それさえクリアしてればいいらしい。オンライン授業もあるって言ってたな」

「え、最近の学校ってそうなんですか」

「今は外に出るのは物騒だし、オンラインの方が安全なんじゃねえか?あいつならうまくやるんだろ」

 そう言われて仕舞えば言い返すことができなくなった。

 休憩を終えて事務室に戻ると「二人ともーいっぱいやることあるよーこっちきて!」と支配人に呼ばれた。「仕事がないなら足で稼がないとね!」と、何をさせられるかと思ったら会社のチラシをどさりと渡される。

「ポスティングですか」

「こういうのが効くんだよ。地域密着型の企業に勤めてる俺らにはうってつけだ…割と多いな」

 チラシをペラペラとめくる眞田さんに車で移動してどこかで撒くかと提案されたが、店舗の立地は駅に近い街の大通りで100mも歩けば住宅街になる。忙しくもないのに車を出すこともないだろうと却下した。

 どこに行こうかな、と2人で店舗を出て、後ろにピタリとついてくる眞田さんに気づく。

「1人でやってもつまんねーだろ」

 子供か。

「効率が悪くないですか?」

「なんだ、受注デビューしたら1人でなんでもできますって顔しやがって、さみしーこと言うなよなぁ」

「そんな顔してませんけど、まぁ、いいですけど」

 拒否しても着いてきそうだったので早々に折れた。

 なんやかんやあって、眞田さんが隣にいることが増えた気がする。

 大した違和感はない 。4月に異動してきて半月は教育係ということでどこに行くにもつきっきりだった。

 最初の頃は何も分からず不安だったが、今になれば不安になる必要もなかったと思える。

「適当に終わらせるかー」

 最初の頃はかっこよかった眞田さんが今はこんななのだ。

「…はぁ」

(最所くんには、俺が言ってやった方がいいんだろうか)

 言葉裏に気にすんなと言ってきた、横を歩く眞田さんは頼りにならないし。

 ゴールデンウィークの街中を行き交う人々は慌ただしい。

 行き先もなく歩みを進める俺たちの前。

 突然、人影が立ちはだかった。

「ねえ!」

 

 でーん!

 

 という効果音が聞こえそうだった。

 俺たちは立ち止まらざるをえなくなった。

 3人の子供達が道の行く手を塞いだのだ。

 私服姿で印象が変わっていても、彼らのことは知っている。

「夜部くん、原くん、京子ちゃん、どうしてここに?」

 名前を呼ぶと、先頭の京子ちゃんに頭二つ分下からギン!と睨まれた。

 ちゃん付はまずかったか。

 デフォルトが小さな京子ちゃんは私服だとより幼い印象が際立つ。つい、そう呼んでしまった。

 今日もくるりと巻かれた髪に無地のグレーのワンピースという可愛らしさはお人形に抱く可愛さに近い。中学生と言われても疑いそうである。

「おーお前らまた来たのか」

 眞田さんは彼らとの邂逅に驚かない。

「また?前も来たことあるんですか?」

「ここで働いてるっていったら前に来たんだよ。なんだ、せっかくゴールデンウィークだってのにこんなとこ来て、線香のおつかいか?今日はなんか買ってけよ」

「線香なんかいらないーお菓子とかないの?」

 ラフなパーカー姿の原くんがのほほんと返事する。夜部くんは全体的にシックな服装で、会釈をされた。

 京子ちゃんの私服姿は幼く見えるが、男子2人は大人びて見えるのは不思議だ。

「おうあるぞ、らくがん好きか?」

「らくがんが好きな高校生なんかいないでしょ、何言ってんですか…一応、仏壇に飾れる饅頭とか和菓子は置いてるけど、口に合うかな。ひとまず、通行の邪魔になるから端に」

「ちょっと、あなたたちと世間話をしに来たんじゃないわ!」

 京子ちゃんが強い言葉で場を制す。

 道の真ん中を仁王立ちする彼女はすれ違う人の視線を意にも返さず、綺麗に整えられた巻き髪を後ろに流した。

「はじめの住所、教えて」

 堂々と、人の個人情報を聞きに来たものだ。

 同級生の住所を聞くために大人の勤め先に訪れ、遠慮なしに開幕「ねえ!」という挨拶で不遜に立ちはだかる京子ちゃんがかなりのお嬢様であるという話は、俺の中でうまく噛み合わない。

 樺山青海学園の理事長の孫というのは、原くんの分かりづらい冗談だったりしないだろうか。

 令和の時代に「ですわ」口調のお嬢様がいるとまことしやかに囁かれていた学園への清廉なイメージが崩れていく。

「…とりあえず、いったん端に寄ろうか。邪魔になってるから」

 つっけんどんな態度の京子ちゃんにも最低限の常識はあるようで言うことには従ってくれる。あからさまな嫌悪の視線を向けられながらも、俺は彼らを大通りの真ん中から小道の角に寄せた。

「住所は、本人から直接聞いた方がいいんじゃないかな?」

 カビが生えたくらい当たり前のことを言うと、京子ちゃんは黙ってしまった。代わりに、建物の壁に背中をつけた夜部くんが大人びた仕草で首を振る。

「はじめ、学校に顔を出さないんですよ」

 一瞬、言葉に詰まる。

「…そうなの?もう入学して一月は経ってるよね?その間は全然?」

「はじめは数えるほどしか来てないよー」と、原くん。

「昨日は1週間ぶりだったよな」と、夜部くんが答えてくれる。

「そう…やっぱり」

「俺たちのサークルは定例会って名目で集まる日にちは決まってるんですが、定例会は月に4回しかなくて、学校自体に来ないから京子ちゃんが痺れを切らしてしまったんです。今日だって、急に呼び出されたかと思えば事件の調査じゃなくて住所を聞きにいくって、無茶苦茶ですよ」

 夜部くんは渋々付いてきた、という風で脱力気味に説明した。名前を出された京子ちゃんは夜部くんを睨む。

「わたしははじめが家で何をしているのか気になるの!あなたたちだって気になってるくせに。それに、体調が悪い可能性だってあるし、はじめは一人暮らしなんだから何かあったら大変じゃない」

「おいおい、つまりなんも買うつもりはないってことか?仕事中の大人捕まえて、舐めたガキ共だなあ」

 眞田さんの悪態に京子ちゃんはぐ、と顔を顰めた。

「仕事中に来たことは非常識だって分かってるわよ。でも、仕事中じゃなきゃ会えないかもしれないし。教えるだけなんだから時間かからないでしょ?」

「何にもならねえのになんで教えてやらねえといけねえんだ。こっちは無銭のガキに構ってるほど暇じゃねーんだよ」

 暇ではあると思うが、仕事中に構うことはできないと言うのは俺も同意だ。

 しっしと手で払う眞田さんに、子供達からの反応は悪い。男の子たちは困ったように眉を下げ、京子ちゃんの顔にはムカつく、とありありと書いている。

 そんな対応をしなくても、京子ちゃんの言うように住所を教えるだけなら時間は取られない。俺は見ていられずに前に出た。

「眞田さん、変に突っかからないでくださいよ。最所くんを心配してわざわざここまで来てくれたってことだよね?住所なら俺は知ってるけど、友達なら教えてもいい、のかな」

「住所なんかスマホで聞きゃいいだけだろうが、友達なんだろ?」

「だってはじめは…」

 京子ちゃんは言い籠った。

「あー、あいつ持ってねえのか」

 眞田さんは切れ長の目を空に向けたかと思えば、ふむ、と口に手を当てる。

「宮藤ちょっと貸せ」

「え」

 決して気を抜いていたわけではなかった俺の、手の中にあったチラシを奪われた。眞田さんは自分の持っていたチラシと合わせてできた束を、京子ちゃんの前に提示する。

「これ、ノルマな」

「なんのー?」

 チラシを訝しげに見る京子ちゃんの代わりに原くんが聞く。眞田さんは不敵に微笑んだ。

「配りおわったら教えてやる」

「っっはあ?!」

「営業妨害されてんだこっちは、それくらいしてもらわねえと教えられないな」

 俺は店舗の方を振り向いた。

 角度的に店内は見えない、あちらからもこちらは見えないだろうが、もし見られたら問題だ。

「眞田さん、さすがに」

「…やるわよ」

 俺が止めるより先に、京子ちゃんはチラシの束をぶんどるように受け取ってしまった。

「やるわ!だから教えなさいよ!」

「へー、意外と素直じゃねえか。なにー、京子ちゃんははじめくんのこと狙ってんの」

「なっ」

「お、当たりか?ちいせえ女の子は揶揄うと反応がいいなぁ」

「なにこ、こいつさっきからずっと失礼なんだけど!?私高校生なんだけど!しかも高二、なんだけど!この中で一番年長なんだけど!」

(あ、高二なんだ)

 表情に出さない様に驚く。

 長身の眞田さんの頭三つは下にある彼女はチラシを小さな手で胸元に抱く。ムキー!とハンカチでも噛みそうな勢いから幼稚園児の癇癪に似たものを見た目も合わさり、どうしても感じてしまう。

 ある程度の歳をとると年齢はデバフになるが、小さい頃はアドバンテージを持つものだったっけ。

 京子ちゃんは片方の小さな拳をぐ、と握った。

「なんで大人ってそうやってなんでも色恋に繋げたがるのよ、だから大人の男って嫌なの!不潔、汚らわしいのよ!」

「でぁっ!」

 眞田さんの鳩尾に、京子ちゃんのしょうていが華麗に決まった。

 身長差が生んだ奇跡のようなクリティカルだった。

「っ」

「ふん」

 地面に沈んだ眞田さんに吐き捨てるように鼻息を鳴らすと、巻き髪はくるりと翻る。

「マンションでばら撒くわ、こんな雑事さっさと終わらせるわよ!」

「そだね、一軒一軒回るよりそっちのがいいよねー」

「え、まじですんの?はぁ…、あっちに大きいマンションあったけど…」

 大人を置き去りに元気に走り去っていく3人。

 俺は小難しい問題に行き詰まった研究者のような顔つきでヤンキー座りをする眞田さんに問いかけた。

「大丈夫ですか?」

「お前笑っただろ」

 じろ、と下から見上げられる。

「すみません、勢いに弱くて」

 あんまり普段笑うことはないのだが、不意をつかれた。

 今日び「汚らわしい!」と言い張り手とは。あれは純粋培養の箱入りお嬢様だ。見解を改めた。そして眞田さんは自業自得だ。

「京子ちゃんが非力で助かった」

 腹を抑えて立ち上がった眞田さんに見下ろされる。

 俺は彼らの進んだ方向に目を向けた。ゴールデンウィークの混雑した人混みに飲まれて、すっかり姿は見えなくなっている。

「休みの日にみんなで来るなんて仲のいい子達ですよね。あんなにいい仲間がいるなら、最所くんも行ってあげればいいのに」

「面倒だからケムに巻いてんだろ。あいつのやりそうなことだ」

「…そうですかね」

 いまいち同意できない意見に言葉を濁す。

 人を煙にまくところ、なんて、彼にあっただろうか。

 10年前の記憶は朧げではあるけど、彼に冷たさや、軽薄なイメージを俺は持っていない。 

 脳裏に、昨夜の最所くんの声が思い出される。

 

『保健所に連絡したほうがいいですかね』

 

 冷たい、抑揚のない声だった。

(あんなこと、言う子じゃなかったと思うんだけど)

 保健所に連絡して仕舞えば、猫がどうなるかを知らない歳でもないだろうに。

 

 

 

 

 

 一度店舗に戻って、店内からちょうど見えない入り口に立ち10分ほど経った頃、3人は走って戻ってきた。

 どんな顔をして帰ってくるかと思ったら健康的に上気した顔は楽しげだった。体力が有り余ってるようで羨ましい。夜部くんだけはぜーぜーと肩で息をしており、親近感が湧く。

 眞田さんは彼らに事務所からかき集めてきたお菓子を広げた。俺が引き出しに保管していた事務員さんからもらったお菓子も入っている。色とりどりの銘柄の和菓子、バラバラのパッケージのそれらを労りとして配っても現役高校生の反応は芳しくなかった。

「いらないです」

「おばあちゃんが食べるやつじゃんー、これ」

「かっわいくねーガキどもだな。いいか、どんだけいらないものでも笑顔でこれ大好きなんですー!って言えるくらいじゃないと世の中渡れないからな」

 そんな社会に揉まれた大人の悲しいセリフを吐いた。

 ぐりぐりと額を押さえられる原くんは「わー」と単調な悲鳴をあげている。眞田さんは、子供との接し方が手慣れている、と思う。

「いいからはやく、住所!」

「はい、どうぞ」

 京子ちゃんに催促されるままに住所を書いたメモを手渡す。

 豪快なガッツポーズを決める京子ちゃんは面白かったが、このままここに長居されるのは心臓に悪い。俺は会社の人間に見られていないか気が気でなかった。

「手伝ってくれて本当にありがとう。みんな気をつけて帰ってね」

 再び、店内から死角になっていることを確認して、向き直ると眞田さんと遊んでいる原くん以外、夜部くんと京子ちゃんが俺を見ていた。目が合っても意志の強い視線は外れない。京子ちゃんと出会って初めてまともに目があっている。

「なに?」

 問いかけは無視された。

 俺を見ながら、コソコソと2人だけで話し始める。

 き、傷つくな…。

 自分で蒔いた種とはいえ、子供に嫌われるのは心にくるものがある。

「…痕はないわね」

「そうだね。…前髪…隠れてもないよ、きっと」

 かろうじて拾えた音を脳内で言葉に直す。

(痕?)

 意味が分からないと表情に出ていたのか、京子ちゃんは勝ち誇った顔で腰に手を当てた。

「ふん、あなたたちは本当に何も知らないのね。宇宙人には痕があるのよ」

「なんだそれ。あいつからそんな話聞いてないけどな」

 原くんから手を離した眞田さんが反応する。原くんはくしゃくしゃに乱された髪を大して嫌な顔はせず手グシで戻している。

 京子ちゃんはもうこれ以上背を反らせないんじゃいか、というくらいにふんぞり返る。

「そうでしょうね。昨日今日首を突っ込んできた人に教えるわけないもの。重要な機密事項だもの。はじめが教えるわけないわ!」

「ふーん、京子ちゃんは知ってんの」

「当たり前でしょ!宇宙人にはアザができるから人間と区別がつくの。犯人だって被害者だって、宇宙人だと見分けることはできるのよ」

 そう、教えてくれた後に「帰るわ!」と高らかに宣言し、帰っていった。

 台風みたいな子達だった。子達、というか、京子ちゃんが。

 人混みの中、京子ちゃんの姿は小さくて隠れてしまっているのだが、原くんはあの中で一番背が高く、かろうじて頭が見える。もうあんな遠くにいる。

「アザなんて、普通の人間にもできますよね。俺もあるんですけど」

「俺も背中に生まれつきの茶痣がある。宮藤、俺は宇宙人だったのか?」

「宇宙人ではなさそうですけど…」

「だな」

 ポケットに片手を突っ込む眞田さんも真面目に受け取ってはなさそうだ。

(宇宙人には痣がある、…他にも色々とありそうだな)

 もうお腹いっぱいなのだが、彼らとはこの感じだと、また関わりがあるかもしれない。

 まあ、それはいいにしても。

「あんなことさせて、良かったんですか?」

 最所くんの住所を勝手に教えたことは友達だからいいだろうにしても、彼らにしたことは普通に違法労働だ。

 あの子達がポスティング先で大人に見咎められていて会社に連絡が来た場合には、俺は全力で関わりのないフリをしたい。

「やりたくない!ってキレて帰るかと思ったんだけどな、楽できたしいいだろ。目をつけられてないことを祈ろうぜ」

「はぁ…そうですね」

 タバコを手に颯爽と喫煙所に向かう姿を見ながら(眞田さんって、本当にてきとうなんだな)と思った。

 

 

 

 


「宮藤くん、最近眞田さんと仲良くない?」

 店舗に帰り、裏で礼品の在庫を補充していた森さんを見つけて作業を手伝っていると、急にそんなことを言われた。

 心当たりが…ないこともなかった。

 最近の俺と眞田さんはよく一緒にいるように見えるだろう(業務中ならまだしも、帰りに車に乗せてもらったりしているのだ)言われて当然なことなのかもしれない。

「…もしかしてデキてる…?」

 いや、かなり変なことを言われた。

「いやいや…、なんでですか」

「だって、この間からずっと昼ごはん一緒だし、この前ゴミ捨て場で2人っきりなの見たし、さっきポスティングも一緒に行ってたし…ううん、気にしないでね。世の中多様性、よね。もしそうだったとしても私は応援」「いやマジでやめてください」

 断言できる。眞田さんは付き合っても、すぐに彼女の方が耐えられなくなって別れるパターンだろう。

 あの適当で自分のことしか考えていない感じ、同棲なんてしようもんなら眞田さんの都合に振り回されて疲れきってしまいそうだ。

 森さんもやめておいたほうがいいと思うのだが「そう?勘違いならよかったー」と一転朗らかに笑う森さんは眞田さんへの淡い幻想を継続中らしい。

「眞田さんってそういう浮ついた話聞かないから、私生活がミステリアスなのよねぇー、他のことはたくさん話してくれるんだけど」

「俺も聞いたことありませんね。変な噂とかは色々聞かされますけど」

「んー、言わないってことは、何もないのかしら」

「ないんじゃないですか」

 そうじゃなければ、彼女さんはかなりの忍耐家だ。

「んー」とまた言う森さんに、俺はからかいの気持ちが生まれる。

「森さんと眞田さんが付き合ったら、俺はかなりお似合いのカップルだと思いますよ」

「ちょ、やだっもー!」

 満更でもない顔でべしっ、と肩を叩かれた。

 地味に痛い。

「あ、そうだ。噂って言えば、宮藤くんはあの噂は知ってる?」

「ああ、白い魂ですか?」

 肩をさすりながら言うと、森さんは礼品を掴んだ手を振った。

「違う違う、オカルトの話じゃなくて、事件で亡くなった被害者がうちで葬儀やるって噂」

「え、」

 答えは想定していた答えではなかった。

 森さんはパチパチと長いまつ毛を瞬かせている。

「ほんとなのかなあ、怖いわよねー、なんか生々しいっていうか。犯人もまだ捕まってないって言うし、うん。気をつけなきゃね」

「…知らなかったです」

 詳しく聞きたい気持ちは山々だったが、森さんも真偽については知らなそうだ。

 新鮮な驚きは、次第に腑に落ちる。

(考えてみれば、そうだ)

 これだけ騒ぎになっている事件だ。葬儀は行わないのではないかと勝手に考えていたが、遺族によっては葬儀をしてあげたい気持ちはあるものだろう。

 葬儀をしない、いわゆる直葬だとしても警察で司法解剖なりDNA検査なりが行われた後にも遺体の火葬は法律で義務付けられている。

 どんな事情があれ、遺体を棺に入れて、霊柩車で火葬場まで連れて行き火葬する流れは変わらないのではないか。

 この辺りには葬儀社はいくつかあるが、うちのシェアはそれなりだ。

 うちと事件の被害者が接する機会はありえないと一笑に伏すほどない可能性ではないのか。

 連続殺人事件が、急に身近に感じる。

 京子ちゃんの言っていた”宇宙人の痣”はおそらく最所くんも把握している。宇宙人を信じる彼なりの理屈を持つ最所くんを通しているのなら、アザを見分ける根拠にする理屈もまたある、のだろう。

(遺体があるなら、確認、できるんじゃないか?)

 彼らの言う痣があるかどうか。

 被害者が宇宙人なのかどうか。

 

「だれもおらんのか!」

 

 店内に響き渡る大声に、思考が切り払われる。

 不機嫌さをこれでもかと内包した野太い声が、ビリビリと身を震わせる。

 パタパタと、フロントの方からメガネをかけた経理の事務員さんが俺の姿を認めると向かって来た。「宮藤くん!探してたのよ、お客さんが来てるんだけどどっちもいないから、待たせてるの。今いい?」と早口で言われる。急かされる形でフロントに向かう。

(げ)

 テーブルに座る姿を視認する。

 どんと構えたあのシルエット、白髪混じりの頭髪。後ろ姿であっても嫌でも見覚えがある。昨日のクレーマーだ。響いてきた怒号。昨日、散々クレームを浴びたつもりだったがまだ何か言い足りなかったのか?

「宮藤くん、対応できる?」

 するしかない。心に急激にかかる負担を押し込めてうなづく。

「分かりました、要件は聞いてますか?」

 森さんは丸い目をキョトンとしている。

「なんで怒ってるのあの人、ひゃっ」

 眞田さんが事務所横の喫煙所から出て来て森さんを驚かせた。タバコの箱を手に、俺たちを見る。

「なんだ、眞田さんはタバコに行ってたの」

「どうかしたんですか?」

「いえ、昨日対応した方がまたいらっしゃったみたいで」

 眞田さんはお客を見遣った。

「しょうがねえなあ、宮藤はお茶、注いでこい」

 俺が説明を終える前に、タバコを胸元に押し付けられた。

「え?あの」

 思わず手で掴むと、身軽になった眞田さんはお客へ一直線に進んで行く。

 そのまま、流れるようにテーブルに座った。

「大変お待たせいたしました、本日はどうされましたでしょうか?」

 普段からは想像もつかない営業スマイルを向ける眞田さんを追うように、出遅れた俺は森さんと経理さんと共に給湯室近くに移動した。角度が変わり、客の顔がはっきりと見えるようになる。

 白髪が多い髪の毛に濃い眉毛は黒が残ったお客は、先日のクレーマーで間違いない。

「…ああ、昨日も来たんだけどな」

 お客は、俺が対応した時よりもえらくおとなしい。

(人によって態度変えるタイプか)

 やるせない。本来なら、俺が行ったほうが道理に合っていて話は早い。懸念すべきはお客のことも、クレームの内容もよく知らないだろう眞田さんにお客の怒りがぶり返すことなのだが俺は出遅れてしまった。

 歯がゆいが、やれることをやるしかない。握ったタバコをポケットに入れ、言いつけ通り給湯室に入ろうとすると、森さんが先駆けた。

「お茶は私が出しに行くわ、宮藤くんは顔覚えられてるでしょ?刺激しない方がいい」

「いや、でも」

「任せて」

 森さんのくっきりした目の迫力に押される。

「あ、ありがとうございます」

 森さんは給湯室のポットでお茶を作り始める。経理の事務員さんは「戻るわね」と戻って行った。俺は、素知らぬ顔で事務所で仕事ができる気もせず、その場で、お茶をお客に出しに行く森さんの後ろ姿を見る。

「失礼いたします」

 森さんは落ち着いた動作で頭を下げ、丁寧な所作で戻ってきた。寸前で、軽やかなステップで真横に来る。

「ありがとうございます、すみません」

「いいのいいのっ、怖い顔してたわ〜、眞田さん大丈夫かしらぁ」

「どうでしょう…」

 小声でそう言う森さんと、柱の影に隠れるようにお客を伺った。

「お宅は対応が悪いから、信用ができないんだがね」

 お茶を啜ったあとの、クレーマーの声はよく聞こえてくる。

「うちの取引先に、客を大事にしない会社だと広めても良いんだが、他の葬儀社と関わりが無いもんだから仕方なく来てるんだ。昨日も話したが、人の人生に関わる仕事をしてるんだから、客に対して真摯に向き合うのは当然だろうにお宅と来たら…、昨日の件は社員に共有はされてないのか?」

「失礼ですが、昨日来ていただいた通信工事会社の方でいらっしゃいますよね?」

 眞田さんの返答に、お客は腕を組んだ。

「ふん、どうせ嫌な客が来たと広めてたんだろう」

 どうすりゃ良いんだよ。と内心突っ込む。知らなければ知らなかったで怒るくせに。理不尽な態度に辟易しつつ、眞田さんがお客の会社を知っていたことには驚きがあった。

「いいえ、山のテレビ塔はこの辺りでは有名ですから、名刺を拝見して少し覚えていたんです」

 確かに、俺が眞田さんにクレームの話をしていた時に机に名刺を置いていたが、さりげなく見ているものだ。

 テレビ塔というのは、この付近にある大きな電波塔のことだろうか、と考える。

 貧見仏山、この街唯一の標高300mほどの山の頂にテレビ塔は立っている。遠くから見ても目立つほどには大きく、真っ白なそれは異動して帰って来た俺であっても、存在は知っている。

 俺は設備会社までは知らなかったが、反応から察するに、お客の会社はテレビ塔の設置に関わっているようだ。

「通信工事となれば、速さと技術が求められる大変なお仕事だと思います。お忙しい中、またこうやって足を運んでいただけて嬉しいです」

「ふん、インフラ整備なんか、そうじゃなきゃ話にならんからな。スピードとクオリティのどちらも欠けることは許されない。監督である俺は苦情の対応に追われてるんだ、お宅の仕事はゆっくりでもいいんだろうが、だから緩んでああいう、人を馬鹿にしたような態度が取れるんだろ」

 感情がぶり返して来たのか、だんだんと言葉尻と黒く濃い眉毛がつり上がっていく。 

「昨日の従業員もそちらの非を認めていたが、どういう対処を取るようになったんだ」

 昨日の俺の対応で、調子に乗らせてしまっているのか?と不安になってくる。

 はいはいとうなづくだけでは揚げ足を取られる危険性がある、俺なりに判断してうなづくところは頷き、危険な言い分は濁したつもりだったが。

 眞田さんは返答する。

「私どもはお客様のご要望に真摯に向き合い、信頼に値するサービスを提供することを心掛けています。先日ご指摘いただいた案件につきましては社内で共有され、2度と同じような対応をしないように努めさせていただきます。前回の担当者からの直接の謝罪となると、すでに辞めてしまっているので難しいのですが」

「俺は謝罪が欲しいんじゃない!クレーマーだと思われるのは心外だ!」

「失礼いたしました」

 何が琴線に触れたのか、罵声のような声が上がり、眞田さんは速やかに謝罪した。

 厄介な客だ。謝罪が欲しいのでなければ誠意を見せろと言っているのか?

 誠意となるとお金が一番分かりやすい。割引か、サービスが無難だ、クレーマーと呼ばれる人達は案外それだけで機嫌を直してくれる。

「2度と同じ対応をしないように、な。定型文だな。もう一度同じことがあったら、こっちは訴えたっていいんだ」

 強い言葉に、森さんも嫌な顔をした。

 クレーマーではないと言ったが明らかに脅しだ。人の怒りに慣れていない人が対応するのはきつい人物だろう。

 眞田さんは「恐れ入ります」と頭を下げた。

 お客はお茶を仰ぐように飲み干す。椅子にどしりと重心を預け、仏頂面で黙る。遠目から見ても、昨日もそうだったが、感情の起伏が激しい。

 よほどストレスの強い職場なのか、怒りのコントロールができてないように感じる。

 いつ感情のタガが外れて「訴えてやる」と言い出すか分からない。地域密着起業であるうちに、口コミの悪評はどれほど影響を受けるのか。

 やはり、こちらから誠意として割引を持ち出すのがいいか。眞田さんが動けない今、俺は支配人に掛け合って値段交渉をするべきか。

「森さん、俺、支配人に掛け合って」

 眞田さんが「失礼ですが」と切り出した。

「駅近くのうちの会館付近で工事をされていませんでしたか?先日、通りかかった際に作業員の方を見かけたのですが」

 世間話だ。

 お客を和ませようとしてるのか、落ち着いた今なら眞田さんのペースに乗せれると思ったのか。分からないが、俺は(よく見てるな)と思った。

 お客も面食らったようである。

「…ああ、確かあの近くの電柱の調子が悪いとかで、作業を進めていたと思うが」

「あの辺りは道が狭いので機械が通るのも時間がかかり大変ではないですか?車とすれ違うにも譲ったりと時間を食うものでしょう」

「そうだな、そう言った報告も受けている。余計な時間ばかりかかって…だが、あんたには関係ないだろう」

 お客は乱雑に突っぱねた。

 4、50代に見えるお客よりも眞田さんの方が圧倒的に若い、お客の中には自分より若い人間に言いくるめられることに反感を持つ人間がいる。

 世間話でお茶を濁そうとするのは失敗だったのではないか。

 見るからに他にもクレームをしたことがありそうだし、クレーム対応にも一家言ありそうな厄介な客だ。

 お客は馬鹿にしたようにふん、と鼻を鳴らす。

 遠くまで聞こえるほどのリアクションは、あかさまな挑発だ。

「お宅の駐車場を貸してくれるとでもいうんか」

「構いませんよ」

 真田さんは受け流すようにサラリ、と言い放った。

「お客様からご要望があればですが、会館の駐車場を使っていただいて構わないというお話をすることもあります。あの会館は従業員とお客様の駐車場が分かれているのですが、従業員側の駐車場でしたら道路に面していますから」「いいのか?」

 食い気味に発せられるお客の質問に、眞田さんは真摯に微笑んだ。

「はい」

 お客は黙った。

 口元に手を当て考えている。

 ここに来て、通信工事はスピード仕事だと煽てたことが効いてきた気がする。お客も復旧に時間がかかっていることでクレームを受けているのかもしれない。そのフラストレーションを他にぶつけているなら忙しないと思うが、お客もお客で色々とありそうだ。

「いいのか、そんなことを言い切ってしまって」

「お世話になっておりますので、このくらいは。使用する日にちを教えていただければご対応させていただきます」

「そうか、そうだな」

 お客は太い肩と肩を下げた。

「…あんた、名前なんて言うの」

「申し遅れました、眞田と言います。今後ともよろしくお願いします」

 お互いに名刺を取り出し、交換した。

 

 

 

 

 

「眞田さん」 

 入り口までお客を見送った眞田さんに駆け寄る。

「あの人礼品のパンフレット欲しいだけだったぞ、俺が行かなくてもよかったな」

 受け取っていたタバコを掲げて、ずっと隠れていた俺は頭を下げた。

「すみませんでした。代わりに出ていただいをわっ!」

 伸びた手がタバコを掴むかと思われたが、頭を両手にわしゃわしゃ!と犬のようにかき回され、変な声が出た。

「よーしよしもう大丈夫だぞ宮藤、怖かったなぁ〜」

「え、あ、あの」

「もう、来なくてもいいのにね!昨日も嫌だったよね!」

 ひとしきり掻き回し、手を離して、タバコを受け取る眞田さんの隣。回収したお茶を乗せたお盆を持つ森さんも何もしていない俺を励ましてくれる。

「えっ、は、はい?」

 乱れた髪を手で直す。

 なんだこの、保護されてる感…。

 俺もう入社して3年なんだけど、葬儀部門の新卒の頃だってこんな扱いは受けたことがない。

「ああいう地味に権力持ってる奴は扱いが面倒なんだよなあ。駐車場の件はよくあることだから葬儀部門に言っといてくれよ。俺はいまからお客の家行ってくる」

「はい、…分かりました。ありがとうございました」

 眞田さんは胸ポケットからペンを取り出した。机の上のアンケート用紙の白地部分にお客の情報、日付を書いたものを俺は受け取り、眞田さんに礼を言う。

「森さんも、ありがとうございます」

 出ていく眞田さんを見送り、森さんの方を向くと、お盆を持ったまま立ちつくして反応がない。

「森さん?」

「仕事ができるホスト…ハイブリット…」

 だめだこれは。

 俺はぽけー、と紅潮している森さんを置いてフロントの電話を扱った。

 コール音の後、低い声の女性社員が出る。

「あ、安良さん、お久しぶりです」

 前の部署の一年先輩、電話先の安良先輩もすぐに俺だと分かってくれた。

『宮藤?久しぶり』

 安良さんは付き合いは短いが、何度か先輩から飲みに誘ってくれて、かなり仲良くしてくれていた。

「お久しぶりです。すみません、会館の駐車場を借りたいというお客の申し出がありまして。その会館の近くで工事をしてる会社のクレーン車を職員が使う駐車場の方にでも停めたい、ということなんですが」

『どこの会館?いつ?』

 アンケート用紙に書かれた会館、日付と経緯も一緒に伝えると『眞田さん?』と知っている風に返される。

『あの人えらく適当でしょ、営業はできるんだけどねえ。宮藤、参列者が多いと職員側の駐車場も使うことあるんだから、ぽんぽんそんなこと言われたら困るって言っといてよ。…待ってね』

 確認している声。数秒して、声が戻ってくる。

『そう。宮藤、まったく問題はないみたいよ。明日から館内の改装始まるから葬儀が入らないって、眞田さん、知ってたのかしら』

(知ってたんだろうな)

 俺は森さんと見ていることしかできなかった。

 話だけ聞いていると、眞田さんはクレーマーが来ることを前から知っていて、対策を練っていたかのように聞こえる。だがお客が今日また来るのは予想できなかった事柄で、眞田さんが対応することも想定はされていなかった。社内でのクレーム共有なんて、眞田さんが言ったようには十分にはされていない。

 眞田さんが会館近くで作業員を見かけたというのも、この日のためにわざわざ覚えていたわけじゃないだろう。

 状況を判断し、的確に情報を使っている。機転が効くというのはこういうことを指すのではないか。

 もし、俺がクレーム対応をしていたら割引などで手を打ってもらうところだった。

 眞田さんの収め方は選択肢にないわけでないが、切り出すタイミングが難しくハマることの方がレアなように思う。俺は、会館の近くで工事をしているなんて情報も持っていなかった。

 眞田さんが工事の機械を見ているのであれば大きさの把握もできているはずだ。可能だと判断して言っているわけで、無茶は言っていない。

 お客からして、どちらがより誠意だと感じるか、という話だ。お客の反応は、対応が正解だったと表していた。

「すみません…よろしくお願いします」

 守られた立場であるので代わりに謝る。安良さんは、異動前の変わらないクールな口調で答えた。

『久しぶりだからってそんな畏まらないでよ、真面目なところは相変わらずね』

「あ、はは。すみません。話せて嬉しかったです」

『わたしも、じゃあ、頑張ってね』

「はい、お疲れ様です」

 受話器を置いた俺に、すかさず事務員さんが事務所から顔を出して声をかけてきた。

「宮藤くん、お客さんから電話が来てますー、3番お願いします」

「あ、はい」

 保留状態のボタンを押し、電話に出る。

「ああ、神坂條様、どうされましたか?」

 仏壇のキャンセルだったらどうしようかと思ったが、そうではなかった。

『宮藤さん、一周忌の礼品が決まって、もらった注文用紙に書いたんだよ。すまんが、取りに来てくれんかね』

 礼品注文は、ネットで送ってもらえるフォームがあるのでその方が社員には楽なのだが、お年寄りにはネットは酷な場合が多いために、神坂條様にはアナログの注文用紙を渡していた。俺は快く返事をした。

「分かりました。いつがご都合よろしいですか?」

『今日…でもいいんだが、今日は難しいかなぁ』

「今日ですか、ちょっと待ってくださいね」

 保留状態にして支配人に許可をもらうと、俺は神坂條様に了承をした。

 眞田さんの車とは比べものにならない振動とエンジン音の激しい車に揺られ神坂條家までは30分ほどかかる。家に近づくにつれ、道路の色は夕焼けの赤を吸い込み黒くなっていく。

 難易度の高い狭い駐車場に車を停めて、チャイムを鳴らすと神坂條様はすぐに出てくれた。

「わるいねぇ、何度も来てもらって。免許を返納したから、そっちに行くこともできんくてな、どうぞ入って」

「いいえ、お気になさらないでください。失礼致します」

「のしのこととか教えてくれるとありがたいよ。親戚にうるさいのがいるんだ」

 2度目の訪問だ。仏間に通されると、まず机の上の遺影に手を合わせた。横には綺麗にいけられた花が置かれている。奥様が備えたんだろうか、と考えていると、お茶と小皿に載っているおまんじゅうを持ってきてくれた。

「お礼品いっぱいあるから迷っちゃったわ。宮藤さんのおすすめにしてもよかったんだけどねぇ」

 にこにこ、と奥様は惜しみのない笑顔をくれる。目の下の腫れはすっかり引いて、健康的な顔色だ。

「あれから、よく寝れるようになったわ。宮藤さんのおかげね」

「そんな、たいしたことはしていませんが。お元気になられたならよかったです」

 記入された注文用紙を受け取る。お二人の心配事に答えるため、古い仏壇の処分方法、のしの説明などをした。

 お二人は俺の言うことに好意的で、よく対応する宗派だったのでスラスラと答えられた。クレーマーの怒号を聞いた後には2人の穏やかな反応は癒されるものがある。

「へえー、そうなんか」

「知らなかったわぁ。宮藤さんに聞いておいて、よかったぁ」

 思いつきで行った遺影のガラスの交換でここまで信頼してもらえるとなると嬉しいのやら恐縮やら、ただ一点、説明の中で気になることがあった。

 返事の声量、抑揚だろうか。

 おじいさんの方が、心なしか元気がないように感じた。

「どうかなさいましたか?」

 聞くかどうか迷ったが、聞いてもいいだろうと思った。

 説明が終わったあたりで問いかけると、自覚があったのか、言いづらそうにあぐらをかいた足を手で撫でた。

「いやあ、宮藤さんに話すことでもないんだけど、ちょっとな……」

 お爺さんは遠くを見るように縁側を見つめた。

「町内で仲良い人がいてな、そのひとが先日な。ひどい形で死んでな。そちらの会社かもなぁ、葬儀するの」

「…」

 ひどい形。

 俺は、口を開いていた。

「…その方は、どんな方でしたか」

「ええ?」

「なにか、亡くなる前に変わったことはありませんでしたか、なにか、体に」

 何を言ってるんだ、と、社会人としての冷静な俺が言う。

 お爺さんは困惑したように首を捻る。

「いや、うーん、そうだなあ、事故する前は…何も変わらなかったけどなあ」

(事故…)

 体から力が抜けた。

 抜けた力から、無意識に力を入れていたのだと分かる。

 ひどい勘違いだ。

 俺はつい、無意識に、連続殺人事件、リーパーと絡めて考えてしまっていた。

 夫婦が顔を合わせ、不思議そうに俺を見る。

 心臓が高鳴った。

「っ、すみませ」

「あんまり変なこと言わないでくださいよ」

 仏間の襖が声と共に開いた、20代くらいの男性に見下ろされる。

 初めて見る男性だった。

 茶髪に、耳にピアスをした男性。

 俺よりも若い、と感じたのは、彼の表情がどことなく幼いからだ。

 声は無感情のようで硬い、目には非難の色が浮かんでいる。

「無意味に不安を煽るのはやめてください」

「お前は向こうに行ってろ、婆さん」

 お爺さんがお婆さんに目線をやって、そそくさと立ち上がって男性の元に向かう。

「あんまり信用するなよ、この人だってビジネスなんだ。次なんか売られそうになったら」

 お婆さんの手によって襖は閉められた。

 声が聞こえなくなり、お爺さんは俺に頭を下げた。

「孫はいつまでも子供で…仕事というのを分かってないんだ。すみません、気にせんでください」

「いえ、…すみません、変なことを聞いてしまいました」

 何をやってるんだ、俺は。

 俺が先に謝るべきだったのに、お爺さんの後に頭を下げた。

 

 

 

 

 3



 

 

 事務所に戻ると、蛍光灯に照らされた空間には眞田さん1人だけがいた。

 パソコンの前に座って、カチカチとマウスを鳴らす音だけが響いている。

 営業社員に与えられる机にはパソコンは置いていない。タブレットで受注をした後は、営業社員は発注書を書いて、事務員さんにタブレットと共に渡す。眞田さんは事務員さんの机に座っていた。

「お疲れ、もうみんな定時ダッシュしたぞ」

「そうみたいですね…眞田さんは何してるんですか?」

 この時間にパソコンの前に座ってるのはめずらしい。

 俺も月末には残業代の申請用紙を印刷するために使うことがある。眞田さんが事務員さんに断りを入れているかはどうでもいいが、この時間に使ってる用途が分からない。

「調べ物。言われてからだんだん気になってきてよ。被害者に、あいつらのいう痕があるかどうか。さすがに遺体は載ってないし、報道内容に死斑とかあざとかいうことも書いてないな」

「それはそうでしょう」

 昔なら人権意識の低い週刊紙が、購買部数のために遺体の写真を載せるような猟奇事件だろうが、いまは規制が厳しい。

「探偵の真似ですか?」

「それもいいな、安楽椅子探偵にでもなりきるか」

 よくわからない用語を用いられた。

 眞田さんはシャーロックホームズのように、椅子に腰掛け手を組んで座っている、その姿は幽体離脱だと嘯いた日を連想する。騙された記憶が脳裏を掠めて、いささか乱暴に鞄を机に下ろす。

「なんかあったのか?」

 首を傾げこちらを見ている、視線を感じる。

 帰ってきた時間が定時を過ぎていることに対してだと思い、俺は答えた。

「いえ、べつに、少し予定が狂って」

「ふーん?」

 何か言いたげな声だ。 

「なんですか」

 眞田さんは腕を上げ、頭の後ろで繋いだ。余裕そうな顔は仕事終わりとは思えない。

「俺はまだお前の教育係のつもりだぜ?先輩には遠慮なく相談しとけよ。独り立ちしたら実家に寄らなくなるわけでもないだろ」

「…」

 俺は息を吐いた、体の毒素を出すように。

 これは自己嫌悪だ。

 眞田さんの対応を見た後だったから余計に、最悪な気分になっている。

「…お客を、不快にさせてしまいまして」

「へー、珍しい」

「どうかしていました」

 心情を吐露するのに、不思議と抵抗感はなかった。

「不安を煽るなと、言われました。お孫さんが、うちで購入した仏壇のこと気にしてたんだと思います。また何かを買わせるんじゃないかって、警戒しているような感じでした」

「こういうのは買った本人じゃなく身内が神経質になるからな。俺も何度言われたかわからねーよ、老人騙して高額の仏壇を買わせるような会社なんですね!って、本人が満足してんだからほっとけってなあ」

 眞田さんはニヤリと笑って見せた。

 その顔に、苛立ちは芽生えなかった。

 社会人としてはどうなんだ、と言いたくなるような言葉でも、言い切られれば清々しさすら感じた。

 眞田さんは出会ってからずっと一貫している。

 教育係が決まって挨拶をした時も、カラッと笑われたものだったか。

 『俺がフォローしてやるから、最初は失敗するくらいでちょうどいいんだよ』

 良くも悪くも、こういう人だよな。

 言葉にすることでモヤモヤが整理されて、心で処理される、その感覚は心地よかった。

「愚痴を聞かせて、すみません」

 眞田さんはうちのエースで、俺よりも抱えている仕事も、寄せられる期待も多いはずである。日々の仕事をそつなくこなし、不機嫌なところなんて見たこともない。

 てきとうでも、眞田さんはすごい人だ。

「いーよ、実を言うとな、お前のことを待ってたんだ。ったく待ちくたびれたぜ」

 眞田さんは立ち上がった。

 カチカチとマウス音の後、パソコンの電源が消える音がする。

「慰めてやるよ」

 

 

 

 

 

 ゴールデンウィークの店内は賑わっている。

 活気あふれる店員の声が反響し、美味しそうな食材の焼ける音が厨房から聞こえて来る。

 事務所を出て車に乗っけられると、居酒屋に連れ行かれた。

 事務員さんにお酒の値段のリーズナブルさが評判だと教えてもらっていた駅前の居酒屋に、こうやって来るのは初めてだ。知らぬ間に予約していたらしく、店員さんに通されたのは4人掛けの広いテーブルだった。

 掘り炬燵タイプのテーブルに座る。対面の眞田さんはスーツの上着を脱ぎ、俺も倣って脱ぐ。

「宮藤と飲むのそういや初めてだな、歓迎会も出来なかったし。この部署、宮藤がくる前にセクハラで一人辞職したから、それ以来飲み会自粛してんだ」

 すぐに合点がいく。

「ああ…あの方ですか」

 あのクレームの原因である。

 ああいうフォローをよくしていたなら、眞田さんの苦労も想像がつくというものだ、俺も次は自分で対応できるようにしなければ、と改めて思う。

 眞田さんはテーブル横のメニューを手に取った。俺にはアルコールの飲み物が書かれたメニューを渡される。

「さあ宮藤、のめのめ!溜まってるものはその日のうちに吐き出すのが肝要だ」

「え、俺だけですか?」

「俺が車で家まで送ってやるんだからよ」

「でも、代行とかありますし」

「金がもったいねえ。それに、俺は疲れちゃいないが宮藤が飲む理由はあるだろ?」

「まぁ、今日のことはそれなりにきつかったですが」

「それだけじゃなく、振られた悲しみは酒で忘れるに限る」

(く、)

「べつに、それはもう吹っ切れてますよ」

 俺は強がった。

 この話題、一生擦られそうだ。

「眞田さんがそう言うなら…いただきます」

 俺には初めての店なので、行き慣れていると言う眞田さんに食事を選んでもらう。グレープジュースとビールが一足早くテーブルに届くと、カランと小気味のいい音で乾杯をした。

「誘っていただいてありがとうございます」

 実のところ、この居酒屋は気になっていた。

 事務員さんの評判通り店内の雰囲気はいい、喉を潤すビールも美味しい。気分が良くなる。

「前から誘おうとは思ってたんだよ。俺も宮藤に聞きたい話があってな」

「なんですか?」

「ほら、宮藤が昔話してたって言う不思議な話、俺にもしてくれよ」

(…)

 気を許さなかったら良かった。

「嫌です」

「えー、なんでだよ」

「勘弁してくださいよ、何年前の話だと思ってるんですか、俺もう25ですよ、覚えてません」

 黒歴史だから触れないでくれ!

 なんて目の前の中学生マインドを持った28に言っても分からないんだろう。

 眞田さんの性格はだいぶ理解できた。

 眞田さんはきっと、ずっと子供のような精神性でいられる稀有な人間だ。そんな眞田さん自身に黒歴史の概念があるとは思えない。

 眞田さんは店員さんが持ってきたいくつかの料理の対応をして、美味しそうな山芋鉄板を俺の前まで動かした。

「月には宇宙人がいて、空から地球人を監視してるんだろ?」

 お酒があってよかったと思った。

 顔が熱い、普段の仕事で関係のある人に言われるのは、衝撃の質が違った。

 眞田さんの声は弾んでいる、馬鹿にしているでも半信半疑でもなく、今はそれがむしろきつい。

「お前夢あんなあ、いや、イマジネーションか?まさか潮の満ち引きが月の引力っていう話から、月の宇宙人が地球の水を飲料にしてるとかSF数あれど新説なんじゃねえの?」

「いやそれは、ちがうんですそれは」

「なんだ覚えてそうじゃん、な、他にはどんなこと考えてたんだ?地球平面説とかも信じてたりしたのか?俺はあれは流石に信じてないんだけどよ、海外で結構大きな会合やってたよなー」

「もうやめてください、俺が何をしたって言うんですか、恥ずかしい」

「あー、黒歴史ってやつ?」

「そうですよ!」

 顔を覆う代わりに、ジョッキをぐい、と煽る。

 ごくごくと嚥下していく苦味。

 お酒はいい、大人になって、一番いいことかもしれない。

 現実感が薄らぐ、現代人に許された逃避の一つ、嫌なことを忘れさせてくれる特効薬。

 現実が現実であることがきついのだ。

 過去は変えられないということが、今の俺にとって紛れもない現実だ。

「俺のことは聞かないでください」

「えー、宮藤のことが知りてえから誘ったのに」

「眞田さんは、ちゃんと最所くんのことは考えてるんですか?」

 俺のことよりも、目前に問題はあるだろ。

「あいつには、あいつの気が済むまで付き合ってやりゃいいんだよ」

 眞田さんはふ、と穏やかに笑った。

 やけに大人な表情だ。

「そんな悠長に考えて、何かあれば、どうするんですか」

 ジョッキを煽る。苦味が喉を焼く。

 連続殺人事件の犯人は宇宙人だなんて、一時期の俺よりもヤバいことを宣う高校生。

 彼は宇宙人を探すとまで言っている、オカルトに装飾されて見えずらくなっているが、かなり危険なことを言っている。

(宇宙人だとか、オカルトよりも、連続殺人犯はいるってことが問題なんだ)

「そんなにはじめが心配か?」

「…逆に、眞田さんは気にしなさすぎです。高校生が、連続殺人犯を探そうとしてるなんて危険ですよ…、学校にも、ちゃんと行ったほうがいい。10代の貴重な時期が、勿体無いでしょう」

 ふわふわと頭が軽くなる。

 この感覚がいい、現代人の酒飲みは、この感覚のために酒を飲む。

「きいて、ますかぁ」

「んー、枝豆欲しくないか?宮藤は好き?」

「すき…」

 俺はジョッキをテーブルに叩きつけた。

「だから!俺はもうオカルト卒業したんです!」

 言い放ってやると、眞田さんはなぜか喜んだ。

「おお、おおー。いい感じだなー宮藤」

「ちゃんと、きいてます?俺の黒歴史、掘り返してきて!あんなのはねぇ!錯乱、若さのエネルギーを想像力に暴走した、中二病ですよ!」



 

 

「まあつぎ、いい出会いあるよ」

「んぇ」

 記憶が飛んでいた、なんでその話をしてるんだ、それはもういいんだ、彼女にメールは送らない、それで決まったんだ。それでいい。

 今更会ったところで、もう終わったんだ。

「…だから、俺はもう…送らない」

「お、グラス開きそうだな、すみませーんもう一杯ビール!」

 テーブルには空いたジョッキが1、2、4…5本も置いている。なのに俺の手はビールを掴む。傾けて、中の黄金色の液体を流し込む、流し込むものがもうなくなって、ジョッキをテーブルに置く。

「もう、飲めな…」

「もう頼んじゃった。あと一杯いけるだろ」

 頼んじゃった、じゃないだろ。かわいくねーよ。

 体が軽くて、浮いてるような気がする。天国ってこんな感じなのかもしれない。

 無情にもすぐさまビールは運ばれて来る。思考を挟まず手に取って飲むと、ぐしゃぐしゃと不躾に頭を撫でられる、髪の毛がひどいことになっている、絶対。軽く振り払うとニヤニヤされた。

「酔った宮藤はヘニャヘニャしてていいな。宮藤って人付き合いが悪いわけじゃないけど、いつもはピシッとしてるからギャップがあって可愛がられるだろ」

「なに、いってんですか…俺なんか、つまんない人間ですよ。…つまらない上に、仕事もできない…」

「なんだえらい参ってんなぁ。今日誘ったのは正解だったな。宮藤のことはあいつから聞いてたからよ、面白いやつと付き合いがあったんだなって思ってたよ。あいつちょっと浮世離れしたとこあるから、俺も安心したもんだぜ」

「…そんな、ことを」

 眞田さんの声がぼやけた脳に染みいって来る。

「俺の、ことを」

 最所くんは眞田さんに俺の話をしていたんだ。

 俺は、彼のことを忘れていたのに。

 ひどいことなんだろうか

 なんか、泣きたくなってきた。

 泣きたいのか、吐きたいのかよくわからなくなってきた。

「最所くん」

「ん?」

 俺のせいなんだろうか。

 俺が彼にあんな夢を見させてしまって、いるのだろうか。 

「最所くん、久しぶりに会っても、すぐに分かりませんでした。そのことを、気にしてないといいですけど…」

「大丈夫だろ、そんな性格かよ」

「違いますよ」

「そうかぁ?昔から、わりとドライだと思うけどな」

 だから、違うんだ。

「むかしはもっと、暗い感じで…怯えてました。髪も、今より伸びてて。髪の毛の影が、目を覆ってました」

「そんな時もあったんだなあ」

 その齟齬が、変なんだ。






「宮藤ー奢ったからなー」

「…ありがとう、ございます」

 居酒屋を出て、俺の肩に手を回して支える眞田さんの言葉に、なんとか返事する。会計の時財布を出そうとしたがシラフの眞田さんの挙動に敵うわけもなく、奢ってもらうことになってしまった。

「帰るぞー頑張って歩けー」

「あんまり、揺らさないでください…」

 千鳥足になるまで酔わせた眞田さんにも責任があるとはいえ、飲み干すには俺のビールは多すぎた。大の男に大の男が支えられている、道行く人の視線が痛い。

 締め付けられるような頭に「はじめ?」という声がクリアに聞こえた。

 はじめ。

 最所くんの下の名前。

 懐かしい、響き。

 俺は彼を、昔、なんて呼んでたんだっけ。

 顔を上げて、楽になる頭で前を見る。

 繁華街の中心に、最所くんの姿がある。

 集まっていた周囲の視線は彼に対するものだった。

 道ゆく人は満遍なく彼に目を奪われて、誰も声をかけずに過ぎ去っていく。円状の不可侵バリアが張られているみたいに、美しい彼は町から浮いている。

「こんばんわ」

「なにしてんだ、こんなとこで。未成年がこんな時間に彷徨いてたら危ねぇぞ、って、もしかして俺らを探してきたのか?」

「うん、千里眼で見つけたんだ。探しだすのは、ちょっと時間がかったよ」

 俺はやっと声をかけた。

「さいしょくん、どうしたの」

「宮藤さんこそ、ふらふらじゃないですか」

「あーほら、ちゃんと掴まれ」

「ぐえぇ…」

 変な持たれ方をして首に痛みが走る。

 楽になるように体を捩る俺の手を、優しく握られる感触がした。

「ぅ、え?」

「宮藤さんに見てもらいたいものがあって、会いにきたんです」

 白い肌が、ネオンに照らされている。

「5人目の宇宙人を見つけました」

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