シリアルキラーな君との、猟奇的日常

「お母さん、ごめんなさい……」

「なんで謝るんだ?」


 背中の押し方がおかしかったとはいえ、母は娘の恋愛成就を願っていたのだろう。自分が夫にそうしたように、『愛しています』だなんて痛々しい意味の籠った浴衣を着させて、青春を楽しんでもらいたかったのだと、莉緒はわかっていた。


「いや……お母さんが思うほど、私たちは健全な関係じゃないんだよって。そんなこと、絶対に誰にも言えないけど」


 わかっていたからこそ、それ以上に罪悪感がある。

 彼は犯罪者だ。その悲しい過去が関係していても、それだけは変わらない。だから決して、心から入れ込んではならないというのに、自分は一緒にいる。彼の犯行に加担してしまった。


「後悔した? 俺との関係を続けたこと」

「それはない! あなたと一緒にいて、たくさん楽しいことがあった。……でも、それもいつかは終わっちゃうんだなって思うと、どうしてもね」


 仮に、数年間はこの関係を続けられたとしても、だ。いつまでも平和でいられるはずがない。

 莉緒の父は警察だ。父がいかに優秀な刑事かは、家族が一番よくわかっている。


「私のためじゃない。あなたのため」


 霜のことを思うなら、終わりが来るのが一番良いのだ。自分と一緒にいることで、霜が警察に追われるリスクは大幅に上がるだろう。いくら逃げ足の速い、神出鬼没の〈純潔の悪魔〉だとしても……いずれは。


「なら、一つだけ。俺たちが健全な関係になれる手段がある」

「え?」


 ふと、見透かしたように笑って、霜は言った。


「俺が犯行を辞めること。それで俺の罪が消えるわけじゃないけど、そこはバレなきゃいい。……結果、誰が見ても健全なカップルの出来上がりだ」

「今更それを言う?」


 ――そんなこと、わかりきってるよ。

 わかっていても、莉緒は止めなかった。


「それ、私が望んだらそうしてくれるの?」

「いや、無理だね!」

「即答じゃん……」


 もちろん、それを望むつもりもない。

 莉緒の犯行動機への理解を知ったうえで、霜は大手を広げて、


「でも、考えてみろよ。終わりのないものなんて、この世に無い。形作られた万物も、あるいは何十年を共にした夫婦の愛も、全ていつかは終わる。……でも、それがいい」


 彼は言った。自分たちだって長くは続かないこと、終わりを肯定する言葉を。


「俺はこれからも〈純潔の悪魔〉として、犯罪者を狩り続ける。莉緒、君だって忘れちゃいけない。君は既に、俺の犯行に手を貸した」

「……そっか。私も共犯者、だもんね」

「そうだ。だから君は、俺から離れられない」

「なっ、ちょっと!」


 霜は莉緒に急接近し、その瞳を覗き込む。それはまるで、告白したあの時と同じ、こちらを縛り付けるような恐ろしい双眸そうぼうだった。


「俺と同じステージに、同じ世界にいられるように、君を加担させたようなものだ。……逃げるなら、俺がどこまでも追いかけて、捕まえてやる!」

「それは脅迫?」

「どうかな。……ただ、今はまだ一緒にいてほしい。放したくない。それだけなんだ」


 正直、今の言葉は恐ろしかった。内に秘めた狂気が、愛憎と化しているかのようだった。

 しかし莉緒はたじろがない。ただ恐れていただけの時とは違う、今の信頼の表れでもある。

 

「物騒な話はここまでにしよう。……さて、そろそろかな」


 そう言うと、霜はスマホで時計を見た。

 次に通話画面を開き、夜空を見上げて、会話を始める。


「龍、そろそろか? ――わかった、スタンバイな」

「龍君?」


 先ほどまで焼きそば屋をやっていた龍だ。この二人が通話をする時、それは大抵何かが起こりうる時だというジンクスがある。今日もその類かな……と、嫌気がさした。

 刹那。霜はこちらに笑顔を向けて、


「莉緒、いいモノが見れるよ」

「え、なに? 嫌な予感が……」

「そんなことないって。ほら、来るよ! 三、二、一――」


 その秒読みの直後、空気を伝ってきた甲高い、笛のような音。

 縁日の明かりも、星の光も掻き消すような、美しく鮮やかな閃光が走る。一瞬で目を奪われた。

 

「は、花火⁉」

「たーまやー!」


 少し遅れて来る轟音と共に、莉緒は腹の底から衝撃を受ける。


「このお祭りって、花火大会じゃなかったよね⁉ ……もしかして」

「お察しの通り! 俺と龍で企画した、サプライズ企画さ! もちろん、薬師寺のお金でね」

「準備って、これのことだったんだ」


 ***


 同時刻。


「三、二、一、――やれ、セバチャン!」

「発射!」


 龍の号令に合わせ、杉田さんが起爆スイッチを入れる。薬師寺の関係者によって設置された装置が一斉に火を噴き、火炎を打ち上げていたのだった。


「ふぉーーーー! やっぱ夏はこれだよなぁ!」


 ***


「……綺麗」


 一輪が咲き、しかしすぐに消える。

 すると次の一輪が咲き、次いでもう一輪……そして、二つとも消える。

 絶え間なく火の玉が上昇し、美しい花を開花させ、会場にいた大勢に驚愕と感動を与えるのだ。


「綺麗だよね。でも、すぐに散る」


 霜もまた、先ほどとは違う優しい目で散華を眺めながら、しかし悲しそうに言う。


「あの花火だってすぐに終わる。それでも美しいと思えるのは、終わりがあるからだ。花も、物語も、命も、いつかは終わるからこそ、輝いている『今』を好きになれるんだ」

「……霜?」


 今が好きだと、そう言う彼は泣いていた。


「でも母さんは……その命に終わりを迎えることができずに、生きたまま地獄を彷徨っている。だから俺は、母さんをあんな風にした奴を許したくない! 許したくない、けど……莉緒と約束したから」


 復讐はしないと、二人は約束した。けれどいつの間にか、霜には重い足枷がかけられていたのかもしれない。

 きっと霜が救われるには、それ以外に無かったのだから。


「……許さなくていいと思う。でも、あなたがその恨みをぶつけた時、私たちは本当に終わってしまう」


 苦しそうだった。

 だから莉緒は、霜の頬を手で包み込んで涙を拭う。彼の意志を肯定して、安心させるために。


「そんなこと、私がさせない。たとえ、いつかは終わるとしても……私はあなたの味方でいる。絶対に!」

「……一緒に、いてくれる?」

「嫌と言っても、どうせ逃がしてはくれないんでしょ? だったら、私の意志で一緒にいる。この時間を、大切にしたいから」

「――……ハハっ、そうだよな。だって俺は、〈純潔の悪魔〉だもんな」


 涙は枯れなかった。けれどあの恐ろしい瞳は消え去って、〈純潔の悪魔〉ではなく、桐崎霜としての双眸を見せた。


「終わりがあるから、今を大切にできる。俺も、今この瞬間を大切にしたい。最初はおもちゃだったけど、後に共犯者になって、今は大切な理解者になってくれた、君との日常を」


 霜は大手を上げ、高らかに宣言した。


「俺は俺自身が、この〈猟奇的な日常〉を楽しむために、共犯者である君を手放さない!」

「……フフっ、仕方がないなぁ!」


 そう言って笑いかけた瞬間には、莉緒は彼の顔を引き寄せていた。


「じゃあ、私も楽しむよ。『シリアルキラーな君との、猟奇的日常』を……」

「そういえば……まだ一度も言ってなかったね。あの、大事なセリフ」


 〈純潔の悪魔〉こと、桐崎霜は泣いていた。そして、心の拠り所になっていた莉緒へ一言を告げて、


「好きだって」


 ついばむような、キスをしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る