シャワータイムにて

「しゃあっ! まんまとしてやったり!」


 友人カップルを罠に嵌めたところで、早々に逃走を図る龍。宿泊先はどうするのか? そんなもの、あらかじめ用意しているに決まっている。


「しかしお坊ちゃま、本当に良かったのですか? あのお二人にこのような……もし一線を越えでもして、間違いがあればどうするのです?」

「なに、あの堅物の二人なら大丈夫だって! それに、そのくらい羽目外したほうがいいじゃねぇか」


 人生経験の長い杉田さんが言う間違いとは、つまりは一夜の過ちの末……ということなのだが。龍は気にしない。

 決して、あの二人のことを軽く考えているわけではない。そういう間違いがあっても、『霜なら全力で責任を取るだろう』というある意味での信頼に基づく行動だ。


「だってあの二人、未だにキスはおろかハグすらしたことないんだぜ? ……もうお互いに心許し合ってんだ、もっと進展してもいいだろ」


 口を尖らせて言うのは、まるで子供たちを応援する親世代のようだ。

 杉田さんが言う。


「だとしても、少し強引ではございませんか? 真の友人なら、彼らのペースに任せるのが最善かと」

「いいんだよ! ……それに、あいつらの関係もいつまで続けられるか、わからないんだぜ。いい思い出は、なるはやで創らせてやりたいんだよ」


 彼らの猟奇的な日常は、いつだって危険が付きまとう。いつ、どちらかの身に何が起こるかわからない。

 そして霜は、いずれ仇討ちを始めるだろう。


「だからさ、俺は支援の立場を維持すんだよ。黙って見ていてくれ、セバセバ」

「また変な呼び方を……。しかし、それがお坊ちゃまのご意思なら何も言いますまい」


 異性に飢えた金髪ヤンキーは、その内側に優しさを秘めている。

〈純潔の悪魔〉と呼ばれる、掛け替えのない友のために。そんな友が手を握った、唯一の女性のために。


 ***


「おぉ……部屋もめっちゃ綺麗!」

「そして、本当にダブルベッドだったか……」


 予約されていた部屋は地上十階で、海を一望できる造りだった。ベランダの窓を開けると、心地よい夜の潮風が入り込んでくる。シャワールームや洗面台も完備、設置されたテレビは大型。強いて言うなら、トイレとシャワーが同室なので少々不便というところだが、これは大概のホテルに言えることだろう。男女で宿泊の場合は気遣いが必要である。


「あれ?ソファーもあるじゃん」

「マジか! ……龍の奴め、これは盲点だったんじゃないか?」


 幸運なことに、ここには成人男性でも横たわれる程のソファーがある。そうとも、わざわざベッドで寝る必要はない。どちらかがここで寝ればいいのだ。

 ――その場合は俺だな。と。


「莉緒、俺は今夜ソファーで寝ることにするよ。ベッドは君の独り占めだ」

「あ、うん……わかった」


 ひとまずは目の前の問題が解決し、荷物を下ろしてひと段落する。

 いくら女性と、莉緒と同じ部屋で一晩過ごすとしても、〈純潔の悪魔〉は年相応の欲をさらけ出したりしないのだ。そう、ひたすらに平常心を保て。いつも一緒にいる彼女だ、何も変わりやしない。


「じゃあ私、先にシャワー失礼します」

「う、うん。行ってらっしゃい」


 レディーファースト。それを改めて再認識する。

 このような空間では風呂からトイレ、着替えなど、何から何までを女性優先にしなければならない。一端の男として、霜の精神に刻まれているのだ。


「……そこで、着替えているのか」


 脱衣所の扉は完全に封印されている。だがしかし、内部の音というのは案外貫通するらしい。バサッという想像の容易い効果音が波寄せてくる。


「いつも通り。そうだ、いつも通りさ」


 数分後。

 今度はシャワーの流れる音と、ピチャリという湯船の水滴音。気にしなければ聞こえないものを、自然と気にしてしまっているからだ。

 ――絶妙に。身体のどこが水に触れているのかが、想像できてしまう。


『あ!』

「な、なんだ?」


 頭を抱えていると、風呂場から声がした。


『霜、ごめん……寝巻用のハーフパンツ、そっちにない?』

「ハーフパンツって……これか」


 目を向けないようにしていた脱衣所の前に、黒のそれが転がっていた。当然、莉緒はあらかじめ着替えを用意して風呂に行ったのだが、いつの間にか落としたのだろうか。

 しかし女子の短パンだ……男が手に取っていいモノなのか、判断しかねる。


『悪いんだけど、こっちに持ってきてくれない?」

「はいぃ⁉ いや、持ってくるって……はい⁉」


 莉緒よ、それはだいぶ酷な注文ではないか?

 こちらはひたすらに気を使って、平常心を維持すべく努力していたではないか。それをわざわざ、そちらから破壊してくるというのは如何なものか。


「そもそもどうやって渡すのさ!」

『ちょっとだけドア開けるから、そこから渡して!』

「それは……いろいろと」


 いろいろと問題が大ありだ。

 しかしこれを渡さないことには、莉緒が風呂場から出てこられない。まさか、パンツにタオルを巻いて出てこいとは言えない。

 ……ならば霜は、自らの理性と羞恥を忍んで、このプレシャス秘宝を届けなくてはならない。


「そ、それじゃ……いくよ?」

『お願い、そっとね?』


 同時に、脱衣所兼風呂場の扉が開いた。熱気と蒸気が隙間から流れ出てきて、それに乗っているのは……微かな女性の匂い。

 数センチだけの隙間から、莉緒の手がヌッと出てくる。向こうからはブツの位置が見えないため、手繰り寄せるような動きをした。


『ほら、早く』

「わ、わかったよ」


 ――危険だ、目を逸らせ!

 霜は紅潮する顔を反対に向け、手を後ろに伸ばす形で渡そうとした。つまり、霜にも莉緒の手の位置が見えていないのだ。

 

『どこー、全然掴めないよ?』

「バカっ! こっちも見ないようにしてるんだよ……」


 互いに手がすれ違って、近づいたと思えば大きく遠ざかって。じれったい状態が十秒ほど続いたが、それが体感で何分にも感じてしまう……


『あ、あの……そろそろ恥ずかしくなってきたんだけど』

「こっちは首が辛いんだが!」


 ――もういい、初めからこうすればよかった!

 自分はタオルを巻いただけの、ほぼ裸。そんな状態なのに、ドア越しに霜がいるという状況に、莉緒も絶妙な羞恥を感じていた。


『もういいよ……隙間から放り込んで!』

「あぁ、そうするさ!」


 互いに痺れを切らし、莉緒は手を引っ込める。霜はきびすを返して、ドアの隙間に腕を突っ込む。

 二人の動作が噛み合って、ブツはスムーズに脱衣所へと吸い込まれていった。

 ただ、この二人は焦りすぎたのだ。


「ほらっ、――って」

『あ、ありがと――へ?』


 瞬間……隙間に、二人の顔が収まってしまった。

 つまりは視線が通る。目と目が、互いに向き合ってしまった。

 そして何を思ったのか、あるいは何も考えなかったのか。――霜の視線は、自然と下へ向かっていて……


『――っ! ひゃああああああああああ⁉』

「うわっ⁉ ご、ごめん!」


 途端に体をグイッと戻して、ドアをバタンっと強く閉める。

 早くこの時間を終わらせようと努力したばかりに、それが返って裏目に出て……回避しようとしていたシチュエーションを展開させてしまった。


「俺は……俺は何をしているんだ⁉」


 自問自答、そして自己嫌悪。

 莉緒の首から下の、タオルに隠された膨らみ。そこに滴る水滴。……忘却の彼方に追いやろうとするたびに、再び蘇ってくる。


「落ち着け……俺は何も見ていない! 見ていない見ていない見ていない見ていない――」


 ――俺は、〈純潔の悪魔〉だ!

 さぁ思い出せ。闇夜に紛れて犯罪者どもを狩る、あのカッコいい自分を!

 ……しかしどう足掻いても、脳は今見た光景を忘れさせてはくれないのだった。

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