お前ら二人で、ダブルベッドだよ

「へぇ、俺がいない間にそんなことが」


 時は流れ、夕刻。

 水平線に日が沈む頃、三人はホテルに向かう車に乗っていた。

 海の家で買ったフランクフルトを頬張りながら、昼に起こった出来事を聞く龍であった。


「それで、その連中のせいで空気が悪くなって、早々に引き上げたってわけだ?」

「ほんそれ! ナンパで忙しかった龍にはわからないだろうけど」


 連中が去った後、二人の間には鬱屈とした空気が流れていた。

 海に入って遊ぶような気力も失われ、尚且つ霜は、終始悶々とした感じだった。


「霜、ごめんね? 私が面倒事に巻き込こまれたから……」

「なんで謝るんだよ。莉緒は悪くないじゃないか。むしろ、止めてくれてありがとう」


 どうしてこうも、この二人の周りにはトラブルがやって来るのだろう? 

 莉緒が静止してくれたから良かったものの、一歩間違えれば、霜は手を出していたかもしれない。男はああいう場で、引き際がわからなくなる生き物なのだ。

 よって、責任を感じやすい莉緒に釈明しつつ、感謝を伝えるのが彼の役目だ。


「でも、勿体なかったよね……」

「あぁ、勿体なかった」


 あれだけ水着を恥ずかしがっていた莉緒だが、いざ終わってみれば少し名残惜しそうである。

 しかし、その気持ちはは霜だって同じだ。なぜなら、


「……。もっと見たかった」

「え、なんて?」


 彼女の姿を、目に焼き付けることができなかったのだから。

 ――ただ、それ以上に気になることがあって。それで悶々としている。


「あの匂い……ふふっ、今夜が楽しみだ」

「霜、また何か悪巧みしてるでしょ?」

「おっと、お見通しですか」


 どうやら、彼女への隠し事は難しくなってきているらしい。距離が密接になった証拠である。


「皆様、もうすぐホテルへ着きますぞ。お降りの準備を」

「はいよ、セバスチャン」


 運転する杉田さんの合図に合わせて、三人は荷物をまとめ始める。

 夕暮れを背景に見えたのは……豪華なリゾートホテルであった。


 ***


「ようこそ、いらっしゃいませ……」


 スタッフの美しきお出迎えに合わせ、シャンデリラが輝くフロントへ扉を潜る。


「おぉ……めちゃくちゃ豪華じゃん」

「しかも、かなり格式の高そうな……」


 煌びやかな造りに、二人は圧倒される。

 薬師寺家との付き合いが長い霜は、多少落ち着いてはいる。対して莉緒の内心は興奮状態である。


「ほ、本当にこんな所に泊っていいのかな? なんかこう、私は場違いのような気が……」

「大丈夫だって! お前らはこの俺、薬師寺龍の友人で、その分の宿泊費も払っている。文句いう奴はいねぇさ」


 流石は大金持ち。威風堂々としたその様は、『こんな場所にはしょっちゅう来ている』と言わんばかりの態度だ。


「ただ……感謝はしてくれよ? 親父のコネでここに来たわけだからさ」

「もちろんです! ね、霜?」

「ん? お、おう」


 また上の空になっている霜を横目に、莉緒は金の力に屈して従順になったようだ。

 すると東京の方角を向き、合掌。


「お父さん、お母さん……こんないいホテルに泊っちゃう、罪深き娘をお許しください。今日だけは贅沢させてもらいます」

「なに? 親御さん死んだの?」

「いや、生きてる」


 おふざけも大概にして、早くチェックインを済ませたほうがよさそうだ。

 スタッフが三人の荷物を持ち、誘導する。

 予約は龍が『薬師寺の名前で取っておいた』らしいので、そっち系のことは全てお任せした。なにせ、何もわからないのだから。


「それじゃ、チェックインお願いします」

「はい、薬師寺様ですね。お部屋のご予約が……あら?」


 突如、担当の女性スタッフの表情が曇る。

 何やら一変した雲行きに、今の今までの笑顔が静まり返った。


「薬師寺様は、本日は三名様でお越しで?」

「そうですが、どうしました?」

「ご予約を承った際、二名様での宿泊とお伺いしたのですが……」

「え?」

「え?」

「え?」


 思わず疑問符が、三人揃って同じ声で飛び出す。

 しかし、二人しか登録されていないとはどういうことか? ホテル側の手違いだろうか。龍が間違えて伝えたという線も考えられるが、可能性としてはどうしても低い。

 ――本当になんで?


「龍、どういうことだ?」

「いやぁ、わからん。二人だとすると……部屋はどうなっています?」


 本来なら二部屋を予約し、霜と龍の男子組、女子の莉緒は一人部屋となる予定だった。しかしこの場合だと……


「申し訳ありません、となっております」

「マジかよ⁉」

「まぁまぁ。落ち着こうよ、龍」


 やたらと大袈裟に慌てる龍の肩に手を置き、霜が言った。


「仮に一部屋しかなかったとしても、俺と龍が同じベッドで寝ればいいだけじゃないか。ね、スタッフさん?」


 これぞ、で合理的で冷静な判断である。

 なので特に問題を感じず、にっこりと微笑んだ霜。しかし返された言葉は、


「いえ、この部屋のベッドは一つですね。ご夫婦やカップル用のダブルベッドです」

「……マジかよ」

「落ち着こうぜ、霜」


 敢えて同じ返しをした龍であった。

 つまるところ、男子組の二人添い寝プランは使えない。


「それなら、他の部屋は⁉」

「申し訳ございません。今は旅行シーズンですので、他の部屋は満室となっております」

「そ、そんな……」


 こうなれば、誰かが違う宿に泊まるしかない。しかし最悪のパターンは、その代わりが見つからなかった場合だ。その場合を考えるとリスクが大きい。

 さぁ、誰が犠牲になるか。

 ――それは意外にも、一瞬で決まった。


「よし! じゃあ俺は別のホテルを探す!」

「り、龍君⁉」


 自ら名乗り出たのは、龍であった。

 この事態の原因である自分が犠牲となり、尻拭いをしようというのか。


「だって、女の子一人をどっかにやるなんてありえないし? 俺と莉緒ちゃんじゃ、色々と危ないし? ならここは、が一番いいでしょう!」


 ――なるほど。確かに合理的だ。

 これなら当たり障りもなく、女性の莉緒も安心して眠れるだろう。男はどうとでもなる。

 しかし、一つだけ引っ掛かることが。


「……なぁ、龍」

「なんだい? わが友よ」


 ひたすら悶々としていた霜が、疑いの目をしている。


「お前……なんか嬉しそうじゃないか?」

「そ、そんなことねぇよ!」

「――まさかとは思うが、お前……謀ったな⁉」

「ぎくっ」


 わざとらしく効果音を口にしたこの男。

 どうにも、話がとんとん拍子に進み過ぎておかしいと思っていたのだ。その実態は……裏で手引きしていた輩がいたのだ。


「え、謀ったってなに⁉ どういうこと⁉」


 霜の考察が理解できない莉緒。

 すると、敵が二人に増える前に逃げおおせようと、龍は自分の荷物をスタッフから取り上げて、


「それじゃ、邪魔者は消えるとして……お前ら二人で、グッドナイトを満喫しろよ! あ、その二人はそのままチェックインでお願いします!」

「あ、待てコラっ⁉」


 捕まえようとしたのも束の間。二人とフロントにそう言い残した龍は、杉田さんの車に乗り込み……どこかへ消えてしまった。


「あいつ……嵌めやがったな」

「もしかして、そういう悪戯いたずら?」

「そういうこと」


 どうやら、莉緒もようやく理解したらしい。

 龍は初めから一部屋だけを予約し、霜と莉緒を二人きりにしようと目論んでいたらしい。誰も邪魔することのない、ダブルベッドの部屋で。


「あの……どうされますか?」


 困り果てたスタッフが、取り残された二人に問う。


「でも、他に泊まる所もないよ?」

「……あいつの思う壺はしゃくに触るが、仕方がない。チェックインで」


 ふざけるな! と騒ぎたいところだが、これ以上ホテルに迷惑はかけられない。

 二人はペンを取り、それぞれの名前を記入した。

 支払いの名義はもちろん、『薬師寺龍』で。

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