海、来たれり

「あぁ、なんと美しく青い水平線……」


 霜がサングラスを上げて言う。


「さらに美しい、水着のお姉さんたち!」


 プレイボーイ龍が鼻の下を伸ばす。


「一人だけ不純物が混ざってましたけど……」


 そして、莉緒が突っ込む。

 それぞれ感じるものが違う、連帯感の欠片も無い仲良し三人組。

 彼らはやって来たのだ。


「来たぜ、しょうなん! ここまで運転ご苦労、セバスチャン!」

「ありがとう、杉田さん」

「ありがとうございました」

「いえいえ、とんでもございません」


 以前に薬師寺邸第三号で会った、執事のセバスチャンこと杉田さん。

 普通、高校生だけで海へ遊びに行くなら、電車などの公共交通機関を使うだろう。しかしこちらは、あの薬師寺コーポレーションの御曹司であらせる。全て自前の車に決まっている。


「それではお坊ちゃま、くれぐれも羽目を外し過ぎないよう、お願い致します」

「わかってるよ。セバスが親父に怒られるようなことは、させないさ」


 『しない』ではなく『させない』。あくまで羽目を外しまくる気らしい。これでは杉田さんも、長年苦労したのだろう。


「霜お坊ちゃま、それに奥方様。青春を満喫してください」

「ありがとう。……ん?」

「お、奥方様⁉」


 おっとりした初老の雰囲気、その口から何やらとんでもない発言が聞こえたのは気のせいだろうか? いや、そんなことはない。


「おや、奥方様ではない? ではなんと」

「……か、彼女です。一応」

「ハハハ。失礼致しました、老いぼれのちょいとした戯れです。……では、私はこれで」


 そう言って、杉田さんは車を出した。

 嵐、いや、突風が過ぎ去ったような感覚で、顔が真っ赤になる。


「莉緒、顔赤いよ? 日差しかな」

「……もう、みんなでからかわないで」

「ごめんよぉ。……まぁ暑いのは事実だし、行こうか。海岸」


 ちなみに、まだ水着ではない。三人とも半袖シャツに短パンという格好だけれど、お日様は容赦なく皮膚を焼いてくる。むしろ痛いまである。オゾン層を破壊した、人間の自業自得だろうか。

 だがしかし、海水に浸かれば問題ないだろうと、霜は切り出した。


「よっしゃ! ナンパするぞ!」

「いや、目的それかよ」


 龍の意気込みは置いておいて、……いざ、出陣の時。


 ***


「莉緒、いい加減に出て来いよ」

「い、いや……もう少し待ってくれない? 心の準備が……」

「そう言い始めて十五分経っているんだが?」


 砂浜に乗り込む前に、まずは水着にスタイルチェンジだろう。

 互いの更衣室に分かれ、当然、男二人は着替え終わるのが早い。霜は上下ワンセットのラッシュガードタイプ。龍は鍛えられた肉体をさらけ出す王道タイプ。

 しかし、ここでハプニング。……莉緒が一向に出てこないのだ。


「龍は体力持て余して、早々に遊びに行っちゃったぞ?」

「ナンパ師はどうでもいいの!」

「ほら、無駄な抵抗はやめて出てきなさーい」


 どうやら、人前で水着を晒すのが恥ずかしいようだ。

 いや、それならまだわかる。慣れない公共の場で肌を見せるなど、乙女には厳しいものがあるだろう。ましてや、青春を有村というクソに潰されてきた身なのだから。


「気持ちはわかるけどさ……それ、自分で買ったんじゃないか」

「いや、でも、肌の露出が多いかなって……」

「選んだ時点でわかるだろ!」


 しかしなんだ。自分で選んで買った水着だろうに、本番になって怖気づくのはやめてほしい。男の感性では理解しきれないものもあるだろうが、フォローする身にもなってほしいものだ。


「ていうか、一体どんな奴を買ったのさ……」

「ショップの店員さんが、『こちら十代の皆様にお勧めですよ!』って推してきたから……よくわからなくて、つい」

「つい買っちゃって、着てみたら露出多くて恥ずかしくなったと」

「……はい」


 ――仕方がないな。

 ひとまず、一歩外へ出なければ話が進まない。確かに、買った経験のない物で正解を選ぶなんて、それは難しいだろう。

 だから適当なフォローを入れて、莉緒を言葉巧みに引っ張り出すことにした。


「大丈夫だよ。君がどんなにスケベで、羞恥の塊みたいな格好でも、俺は何も言わないさ」

「いや、しかしですね……周りの視線が」

「見た男がいたら殺す! ガチで、本気で、リアルに。さぁ、出てきなさい」


 なんと信憑性のある言葉だろう。この男なら本当に殺しかねないのだから、莉緒にとってはありがた迷惑……いや、よい支えだ。

 ――穏便に済むのが一番だけれど。


「うぅ……東雲莉緒、行きます!」


 ――さてさて。どんな代物か、とくと拝ませて頂こうじゃないか。

 ニヤニヤとそんなことを考えながら、意を決して登場した莉緒を見て……霜の脳は、オーバーヒートを避けるために緊急停止する。


「ど、どうかな」

「……」


 同級生の私服姿を見た時、世の若者は男女問わずに『新鮮でいいな』という気持ちになるだろう。制服では普段見えない部分、あるいは、醸し出されるその人の性質。あの何気ない喜びというものが、誰にだってあるはずだ。


「な、なっ……」


 しかし、これは水着だ。制服からの私服とは、比べ物にならない衝撃力。

 ――そんなの、大したことじゃない。

 などと一丁前に余裕ぶっていた自分がバカみたいだ。〈純潔の悪魔〉とて、一応は思春期男子……、彼の内なるモノにぶつかるダメージは、計り知れない。

 この……官能的な彼女の姿は。


「ばっ、バカじゃないのか⁉ 莉緒、お前は痴女だったのか⁉」

「はぁ⁉ 何も言わないって言ったじゃん! っていうか、前にあんなことさせておいてよく言うよ!」


 だって、だってだってだってだって……予想より破廉恥なんだもん。

 Ⅴ字型に大きく開かれた胸元、それを支えるにはやや細すぎるような紐。それは下側も同様で、細い紐が脚部を絶妙に強調してくるのだ。

 死ねと言うのか? 脳を破壊されて、今までの被害者と同様に死ねと言うのか? そう言わんばかりの代物だ。


「……もう、無理」

「え?」


 これ以上は脳が耐えられない。

 悟った霜は、右手でチョップの形を取り、それを首元へ向ける。


「後で起こしてね、莉緒……」

「え? いや、ちょっと待っ――」

「せいっ!」


 莉緒までも何かを悟り、制止しようとするが間に合わず。

 霜は自らの急所を突き……彼の意識は飛んでいくのだった。


「そーーーーーーーう⁉」


 この美しい湘南の海に、彼の名を叫ぶ莉緒の声が、木霊した。

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