娘はどこへ行った

「……どうして、どうしてだ」


 先日、植物状態に陥った種田伸一が、都内のホテル内で発見された。発見したのはホテルスタッフ。密室で倒れていたらしい。

 犯人は〈純潔の悪魔〉で間違いない。それなのに、妙は事があった。


「なぜ、どこにも奴の姿が無い」


 ホテル内には防犯カメラがいくつも設置されていた。しかしその姿は、その中の一つにも映っていないのだ。……まるで霧となって消えたかのように。あるいは、映っていたその姿が消されたかのように。

 〈純潔の悪魔〉は、またしても行方をくらましたのだ。


「……家にいても仕方がない。そろそろ行くか」


 世間は夏休みに入った。しかし、東雲警部に休みはない。

 彼は、全ての努力が水泡に帰したという悔しさを噛みしめながら、再び署へ向かうのだった。

 灼熱の外へ出ようとした、その時。ふと気になった事が。


「母さん、莉緒はどこへ行ったんだ?」

「……うっ」


 娘の莉緒の姿が無く、スニーカーも無い。家を出ていった気配はなかった。どこかへ行くにしても、基本的には学校の夏季課外だと思っていたのだが……ローファーはある。

 そこで、リビングにいた妻の奈緒に訊ねた。


「あ、あぁ……今日はお友達の家でお勉強してくるって」

「ふぅん、そうか」


 返しつつ、彼は玄関横の物置を確認した。そして、いつもはある物がそこに無いことに気が付く。


「その言い分なら、勉強合宿ってところか? どうしてあんなにデカいボストンバッグが必要なんだろうなぁ」

「うっ⁉」


 ここにしまってあるボストンバッグが無いのだ。しかもあんな物を、ただ友達の家で勉強するだけで必要なはずがないだろう。きっと、宿泊セットでも入れていったに違いない。


「い、いやぁねお父さん! そんなに勘繰らなくても……これだから刑事さんは、ねぇ!」

「……お前たち、何かやましいことがあるんだろう?」


 職業柄、何か引っかかることがあればすぐに探りを入れてしまう。そして、状況から推測できるシナリオを書き出す。

 妻は嘘が下手だ。故に今の返し方、これは隠し事がある時の反応だ。以前にへそくりの場所を言い当てた際にも、同じ反応をした。


「はぁ……いつも言っているだろう? こそこそしているから怪しまれるんだ。はっきりと言えば、俺は怒ったりしない」

「う、うぅ……」


 困ったときに発する、この「うぅ……」という声も莉緒と同じ。流石は親子だ。


「一体なんなんだよ」

「……黙秘権」

「ここでは通用せん」


 しかし、早朝から何やらゴソゴソという音は聞こえていたのだ。恐らく、莉緒がどこかへ出かける瞬間だったのだろう。……それにしても午前四時だぞ? 明らかに通常のお出かけではないじゃないか。


「俺だって一応、親なんだから。……最近は物騒だしな」

「……それ言われちゃ、お終いじゃない」


 クッションに顔を沈めて、娘ととても似た様子で、奈緒は言った。


「莉緒は……海に言った」

「海いいいいい⁉ あいつが⁉ あの年中引きこもりで、そんな場所とは無縁そうに見えるウチの娘が⁉」


 決して、『そんな所に行くな』と言いたいわけではない。ただ衝撃的で、イメージが全くできないだけだ。


「その娘に散々な言いようね……。あなたの知らなところで、あの子も青春をエンジョイしているのよ!」

「それで、誰と」

「と、友達と……」


 再び、やや言葉を詰まらせて返す。

 これ、聞くたびに呆れのため息が出るのだ。


「二十年近く夫婦をやって、俺に嘘は通じない事くらいはわかっているだろう? 嘘がお下手な親子よ」

「あ、やっぱりバレてる?」

「さぁ言え。うやむやに隠すと、余計に探りたくなるんだ。俺は」

「……本当は」


 東雲警部は、捜査線上ノートという物を持っている。自分の中での憶測やら、人物名やらを記しておくものだ。

 この時に出た名は、少し前にそのノートへ追加したばかりの、あの存在だった。


「か、彼氏君と、らしいわよ?」

「彼氏? ……桐崎霜とか言う、あいつか」

「え?」


 娘は、有村花音という女にイジメを受けていた。

 しかし二か月前、その女は〈純潔の悪魔〉に目を付けられ、今は病室で眠りについているのだ。

 その事件が起きたタイミングとほぼ同時に、娘と付き合い始めた男。


「……何もないわけ、ないだろう」


 この悪感情は、真犯人を負う刑事としての使命感だけではない。

 娘の身を案ずる、一人の父親としての責任感だった。

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