悪魔の過去と、犯行動機

 五日前。霜の頭から、まだ包帯が取れぬ頃。


「どうぞ、入って」

「お、お邪魔します」


 莉緒が招かれたのは、横浜市の郊外に佇む古びた一軒家。桐崎霜の実家である。


「霜って、いつもここから通学しているの? 遠くない?」

「いや、ここに住んでいたのは十年前までだ。現住居は都内にある。……この家は今、薬師寺のサポートで管理されているんだ」


 また薬師寺だ。霜の素性を深掘りすると、至る所でその名が出てくる。いくら龍とは幼馴染とは言え、どうにも関係が密接過ぎるように感じる。

 ましてや霜は、〈純潔の悪魔〉なのだから。


「霜のご両親って、その……あなたのこと知ってたりする? 普段は何しているの?」

「……いや、両親は知らない。もっとも、知ることができないんだ」


 莉緒のもっともな問いに、霜はやや濁した解答をする。

 おかしいとは思っていた。彼の素性を聞いていても、両親や兄弟、親族関係の話は一切出てこない。仮に両親が知らないとしても、彼は夜な夜な殺人未遂を犯してくるのだ。息子の不審な行動があれば、流石に何か気が付くだろうに。


「そもそも、俺は両親とは暮らしていない。あの人は今、この家にいる」

「え⁉ いるの⁉ わ、私はどんな顔して会えば……」

「緊張はしなくていい。……ほら、この部屋にいる」


 時は日没後。

 薄暗くなった室内の、窓一つない廊下を歩く二人。すると、突き当りに部屋が見えた。

 ドアは一見して普通の木製。しかし、ドアノブが変だ。そこには歪なほどに厳重な電子ロックキーが備え付けられており、しかもそれは、非常に高価な生体認証セキュリティーのタイプだった。


「ここから先は俺と龍、そして龍のお父さんしか入れない。関係者以外が立ち入るのは、莉緒が初めてだよ」

「そ、そんな所に入っちゃうの? うぅ……緊張する」


 霜が指をかざし、ロックが解除される。ノブに手を掛け、いよいよその空間を目にする時。


「……ただいま、母さん」

「え?」


 部屋に入った瞬間、霜はどこか悲しそうに呟いた。

 それを目にした瞬間、莉緒の理解が追いつかなかった。そして同時に、漂う哀愁に息を呑む。

 小さな窓が一つ、そこから差し込む月明かりに照らされる室内に、一人の人間が横たわっているのが見えた。そして霜は、その人を『母さん』と呼んだ。


「莉緒。この人が俺の母、〈桐崎きりさきかん〉だ。……母さん、俺の恋人の東雲莉緒だよ」

「え、いや……ちょっと待ってよ」


 母親を紹介され、恋人として母親に紹介される。

 しかし、返事はない。そこに喜びはおろか感情はなく、哀しみだけが残る。


「どうしてお母さんは……動かないの」


 母親はベッドに寝かされ、顔には呼吸器、胸からはバイタルサイン測定器。腕からは点滴のチューブが伸び、〈薬師寺コーポレーション〉と記された栄養剤パックと繋がっている。


「十年前の話なんだけどね。母さんはとある事件に巻き込まれて、脳に損傷を負って、昏睡状態に陥ったんだ。……それ以来、ずっとこのままさ」

「昏睡って、この状態は――」


 莉緒には一目で、一言でわかった。

 昏睡状態とは、外部からの刺激に対して反応を示さないこと。しかしそれは意識障害の類であり、つまりは深い眠り。自力での生命維持が可能で、回復の可能性も高い。

 しかしこの場合、生命維持装置が多数備えられている。しかも、十年間も目を覚まさない。


「植物状態……っていうことだよね」

「しかも、脳死状態だ」


 植物状態とは、一概には意識障害の程度が重い症状のことを言う。呼吸は行えるが、昏睡期間が長いうえに、ほとんどの場合はまばたきすらしない。

 しかし、脳死は違う。これは脳が全く機能していないため。回復のきざしが無いこと。それすなわち、死と同然。


「母さんは生きている。のに、死んだも同然。ずっと生き地獄を彷徨さまよっているんだ」

「あ、あのさ」


 いくつかのキーワードを聞いたうえで、莉緒の憶測が確信に変わる。


「お母さんの状態、同じだよね。……今までの、あなたの被害者と全く同じ」

「その通りだよ。賢い君なら、もう察しが付くだろう?」


 これまで、彼の行動原理をいくつも考察してきた。正義感、ただのサイコパス。

 しかしどれも結論には至らず、現実はそれを遥かに上回るほど残酷だった。


「復讐、だと思う。俺自身もそこはよくわからないけど、犯罪者やチンピラに限らず……俺は憎い。この世の悪という概念そのものが」



 ***



「ねぇ、霜。さっき、事故とかじゃなくて事件って言ったよね? それなら犯人がいるでしょ? ……それはどうなったの」

「莉緒は本当に勘がいいな。その通りさ」


 核心を突く発言というべきか。勘の良さに期待して、霜は次の質問を待っているかのようだ。


「あれは、当時十四歳だった少年が引き起こした、無差別傷害事件だった」


 語り始める霜を横目に、莉緒は腹の底が重くなっていく。

 ――少年犯罪、まだ十四歳、無差別殺傷。

 どれもこれも、耐性の無い人間にとっては辛すぎる言葉。折角話してくれたのに、もうこれ以上聞きたくないというほどに。


「犯人はその当時、色々あって精神がおかしくなっていたらしい。そして、逆らう事の出来ない状況に陥り、狂気の犯行に及んだ。……俺はそう聞いた。いや、それしか聞かされていない」

「それだけ?」


 一つ疑問がある。

 話を聞くに、犯行の動機には『不可抗力』の要素を感じる。この国の犯罪において、これらの条件が重なるならば。


「当時十四歳なら……もしかして、実名報道されていない?」

「ビンゴ。……しかも、本当なら無期懲役とか、そのくらいの凶悪犯だった。でも少年犯罪だからね。少年院や刑務所で服役するだけで、凶悪犯に対する正当な判決は下されなかった」


 ふと、霜の口角が引きつった。拳に傷がつくほど力がかかる。

 ――悔しい。憎い。でも理不尽過ぎて、むしろ笑っちゃうね。

 不可解な感情が表に出る。


「俺はその時から悪を憎み始めた。……ちんけな犯罪のニュースを聞くたびに、殺人衝動に襲われた。『母さんは凶悪犯罪で死んだのに、他の罪は全て下らない』ってね」

「だからあなたは、その下らない犯罪者を狩り続けた」

「それで、母さんの事件を神聖なものにしたかったんだと思う。……もう、よくわからないけど」


 そして、幼馴染である龍や薬師寺家は、母に向け鎮魂歌レクイエムを謳う霜の手助けをした。次第に彼は、〈純潔の悪魔〉と呼ばれることになる。


「あれから十年。……もうすぐ、きたるべき時なんだ」

「え?」

「服役した犯人、来年出所するんだよ」

「――っ⁉」


 出所する? そうだ、少年犯罪ならそれくらいが妥当なのか。

 犯人は現在、二十四歳。最初に少年院なら、成人したタイミングで刑務所に移されただろうか。

 そして霜は、〈純潔の悪魔〉はその時を待っていた。


「霜……まさか、復讐する気⁉」

「わからない。けど、きっとすると思うな」

「それはダメだよ⁉ だって……あなたきっと」

「本当に殺しちゃうかもしれない、って?」


 それが現実になれば、霜は今まで通りではいられない。きっと、踏み込んではいけない領域へ入って……こちらへ戻れなくなる。

 莉緒や龍たちと笑える日々は、本当に無くなってしまうかもしれない。


「ハハハ、大丈夫だよ。確証は無いけど。そうしたら、君たちの元へは帰れなくなるからね」

「でもっ! あ、っ……ぅあ……うぅ」

「泣くなよ! 俺は莉緒と一緒にいて楽しいし、この日々が好きだから。失わないために、どうすればいいかはわかってる!」


 考えた瞬間に涙が止まらなくなって。

 ぐずる莉緒の肩を掴み、霜は安心させるように……抱擁した。


「大丈夫、大丈夫だから」

「うぅ……本当に?」

「あぁ、約束だ」


 まるで眠り姫のような母の前で、霜は優しさを見せた。〈純潔の悪魔〉ではない、本当の彼の素顔を。


 これが、桐崎霜の過去。

 莉緒が受け入れた、彼の犯行動機である。

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