私を犠牲に、許してください

『あーあ……莉緒ちゃん、連れ込まれちゃったぜ』


 緊急事態が起こった同時刻。その様子を、龍はリアルタイムでお届けする。


「なんだって! それは大変だ、すぐに助けなくちゃ!」

『なにふざけてんだよ。完全に棒読みじゃねーか』


 隙間から入る僅かな光しか光源の無い、狭く、息苦しいジメジメとした空間。七月の猛暑の中、クーラーもついていないその空間に、桐崎霜はいた。


「まぁ、それはいいんだけどさ……早くしてほしいな。クソ熱いんだよ、ここ」

『そのくらい我慢しろや! お前が考えた作戦だろ? しかも、莉緒ちゃんはものスゲー危険な役回りをしてんだからよ』

「はいはい」


 龍は電話越しに説教を垂れる。チャラチャラしていてボンボンの、女とくればすぐに手を出す。幼馴染の霜とは方向性の違うクズだが、意外にも人格はしっかりしているのだ。


『ま、作戦っていうか……この場合、お前にとってのだろ?』

「僕だけじゃないさ。ショーっていうのは、みんなで創るものだからね」

『ったく、またそんなこと言ってよ……』


 〈純潔の悪魔〉は、犯行においてエンタメを求める。長年の付き合いでそれをよく理解している分だけ、呆れた回数も多い。

 我が子に屁理屈を言われた親のように、龍はため息をついて言う。


『お前、この前も莉緒ちゃんに同じようなことしたんだろ? あの子をそそのかして、お前が大好きな〈ざまぁ逆転劇〉に仕立て上げたんだろ』


 この前。つまり有村事件のことだ。


「いやいや! あの時は僕、嘘ついたりしてないし? それにほら、莉緒も結果的に救われたから!」

『ま、お前に何言っても聞かないのはわかってらぁ。……でもそのうち、莉緒ちゃんにフラれちまうぜ? いや、捨てられるのほうが正しいか』

「捨てっ……⁉ そ、それは嫌だ!」


 捨てられるというのはプライド的な問題でも嫌だし、相手が莉緒だから尚更嫌だ。


『それならお遊びも程々にしろや! ほら、!』

「年中女遊びしているお前が言うな⁉ ……とりあえず、奴らを待つ」


 ***


 こういういかがわしいホテルのチェックインというのは、随分と簡単にできるらしい。種田がフロントのおばさんに声をかけてプランをセッティングすると、そのおばさんは適当な部屋のキーを渡してきた。


「おら、行くぞ」


 ――いやいやいや、おかしいでしょう。

 こういうのは普通、年齢確認をして、未成年であればお断りするものではないのだろうか? そのくらい、莉緒だって知っている。

 しかも今日はワイシャツにミニスカという、明らかにJKだとわかる格好でやって来たのだ。


「おばさん……止めてよぉ」


 種田に気付かれぬよう、ぼそっと嘆く。

 いや、おばさんの視点に立ってみれば、もしかすると莉緒がコスプレに見えたのかもしれない。普段なら絶対にありえない格好だから、そういうプレイだと勘違いされた可能性は高い。

 つまり、ただ単に似合っていなかっただけとなると……なんだか少し悔しくなってくる。


 二人はエレベーターで五階まで昇り、そのまま絨毯じゅうたんの柔らかい感触がある廊下を進んでいく。

 ――このままじゃマズい。と、今になって後悔する。


「ちょっ……本当に待って!」

「なんだよ。今から焦らしプレイか?」

「いやいやいや!」


 こんな場所まで連れてこられては、種田の手を振り払って逃げるなど今更だ。仮に抵抗するなら、もっと人目につく場所でしておくべきだったのだ。

 とは言え、抵抗すれば怪しまれるだけなのだけれど。


「ほら、ここだ。入れよ」

「――っ!」


 予約された部屋へ辿り着く。カードキーを使って扉を開け、莉緒は拒む余裕もなくぶち込まれてしまう。そして、勢いのままにベッドへ投げ飛ばされた。


「きゃっ⁉ ま、待ってください……私まだ、心の準備が」

「はぁ? この期に及んでなに言っちゃってんの?」


 あぁ、もうダメだ。この男の目は、獲物を狙う野獣そのものだ。きっと被害者の女性たちにも、こんな目を向けてきたのだろう。そして今、莉緒がそのリストの一人に加わりそうになっている。

 ――ヤバイ。このままでは本当にやられる。最悪の場合、殺られる!


「わ、私……本当はそういうつもりじゃなかったんです! ……本当は、本当は」


 もう今更、どうしようもない。作戦は失敗して、莉緒は囚われた。

 パニック状態の莉緒は、命乞いをするかのように言葉を漏らす。


「本当は……俺を誘い出すのが目的。そうだろ?」

「……え?」

「下手な芝居しやがって。……へへ、初めからわかってらぁ」


 するとどうしたことか。ベッドに腰掛けた種田は、「やってやったぞ」と言わんばかりの笑みを浮かべて言うのだ。


「てめぇ、あの夜に〈悪魔〉の野郎と一緒にいた女だろ?」

「は、はぁ⁉ そ、そんな……なんで」

「簡単な話だ。てめぇ、あの時と同じなんだよ。背格好と声がな」


 ……最悪だ。この男に、全て見透かされていたなんて。これではつまり、初めから作戦もクソもなかったということなのか?

 絶望しかない。


「初めからって……か、顔を見られていたってことですか」

「いや? あの時は暗すぎて、顔までは見れなかった。……だがな、俺は声と体型のシルエットさえわかれば、女を判別できるからなぁ」


 この変装も、羞恥を押し殺した演技も。自責を償うために、彼を信じて振り絞った勇気も。全部が全部、無駄だったというのか?

 ――ふざけるな。ふざけんなふざけんなふざけんな……ふざけんな!


「……初めからわかっていたくせに、なんでわざわざ私をここに? バカにしてんの⁉」

「おいおい、そっちから誘ってきておいて逆ギレかよ! にしてもお前、演技クッソ下手だったなぁ! へへへ」

「なっ……ぐうぅ」


 見透かされていたのなら、会った瞬間から見受けられた「へへへ」という笑い方も全てこちらを嘲笑していたものだとわかってしまって、余計に腹が立つ。恐怖や危機感よりも、怒りが勝ってしまう。


「それによぉ、ここは今やなんだぜ? どうせそこら辺で俺を殺す気だったんだろうが、ここじゃ到底無理だなぁ! なにせ、ここに〈悪魔〉の野郎はいねぇんだから!」


 跳び上がって、舞い上がる種田。


「俺は奴の顔も覚えた。名前は確か……〈そう〉って言ったか?」

「……だからどうしたっていうの」

「強がるなよ! 俺は、てめぇらの弱みを握ったんだ! どうすればいいかくらい、わかるよな?」


 疑問形で言ってくるあたり、この男も霜と同じだ。相手が、自分の言葉で自滅するように図っている。その答えがわかってしまうのも、莉緒にとっては苦しい。


「へへ……こういうの、一度やってみたかったんだ。俺をコケにした奴の女を、滅茶苦茶にしてやるってのをよぉ」

「……」

「ほら、言えよ!」


 ――あぁ、本当に。何から何まで、今日はとことん最悪な日だ。

 強がってはみたものの、背に腹は変えられない。自分のせいで、霜は弱みを握られたのだから。せめて自分が、自分の体でどうにかしなくては。


「……私を差し出すので、彼のことは忘れてください」

「うーん、もう一声」

「――っ! お願いします、彼を許してください!」


 言ってやった。やれるだけのことはやったはずだ。


「ハッハッハ! そこまで言われちゃあ、仕方ねぇな! ……じゃ、早速」


 直後に、クソの手が莉緒に伸びる。

 もう後戻りはできない。この後の自分がどうなるかは、わからないけれど。

 どうにでもなれ。


『……っくく。アッハッハッハ! 莉緒、なかなか大胆なことを言うじゃないか!』

「――え、なに⁉」


 瞬間、密室に響き渡る高笑い。

 突拍子もないことに驚愕するが、しかし同時に歓喜も湧き上がる。なぜなら、この声の主が誰なのか、一瞬で理解できたから。


『さて、いつもの如く。主役とヒーローは……遅れて来るものだ!』

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