でも、ありがとう

「はぁ……はぁ、あ……――」

「あれ、気絶しちゃった」


 莉緒にその気が無いと知るや否や、死への恐怖が抜けたのか。有村は注射をされていないけれど、白目を剥いて倒れる。


「っ……、う……、」


 しゃくりあげて泣く莉緒も動かない。自分を苦しめた敵はいなくなった、のに、その姿は辛そうだ。


「――ごめん、東雲さん。僕の楽しみに巻き込んで、怖い思いをさせた。……少なくとも、僕は君のために、良かれと思ってやったんだけどね」


 霜の高揚こうようした気分も、次第に治まってきた。冷静になるにつれて、莉緒の姿に申し訳なさを感じて、少しだけ謝罪をしてみる。


「君は被害者だ。負い目を感じることは、こいつらは誰も死んじゃいない。……それに、立ち向かったじゃないか」


 本当は、莉緒に抵抗するよう煽動せんどうして、有村に立ち向かわせて、最後は〈純潔の悪魔〉が始末する。そういうショーを演出して、自分が楽しみたかっただけだ。結果的には思い通りになったけれど……思いのほか、後味が悪かった。


「――ねぇ、桐崎君」

「ん?」

「……私は、勝てたのかな。有村たちに、弱い自分に。……ちゃんと戦えたのかな」


 少し泣くのをやめて、莉緒は問う。いじめが続いたのは自分が弱かったから、自分自身が諦めてしまったからだとわかっていて、だからこそ、霜にたずねた。


「……あぁ、ここまでよく頑張った」

「――っ! そっか……私は、」


 『勝った』とは言わない。けれども莉緒は耐え抜き、自分から戦った。その代弁者たる霜は、ただ一言『頑張った』と、優しく告げた。

 莉緒の表情が、少しだけ前を向いたのを感じる。ふと、霜は笑って立ち上がり、


「有村とその一味は、この〈純潔の悪魔〉が始末した! ……君が苦しめられることは、もうないんだよ」


 安心させるように言いつつも、さり気なく自分の犯行を自慢した。


「それに、僕も楽しかったしね!」


 ――優しい笑顔だ。しかし殺してはいないとは言え、こんな事をしておいてその笑顔は……


「……ほんと、あなたはやっぱり〈悪魔〉だよ」

「あ、それは誉め言葉ですね!」


 どんな経緯にせよ、彼は私を助けてくれたんだな。と、莉緒は心の中で解釈かいしゃくした。


「でも、……ありがとう。私を、救ってくれて!」


 涙でぐしゃぐしゃになった表情は、少しだけ笑っていた。皮肉を込めて〈悪魔〉と呼んで、それでも感謝だけは伝えたくて。莉緒は彼氏を自称する〈悪魔〉に、笑いかけて見せた。

 瞬間、


「――っ!」


 思わず息を呑む。心臓が強く鼓動する。それは徐々に速くなって、体の内側から熱が上がってくるのを、霜は感じ取った。


「えっ――、あぁ……うん、どうしたしまして」

「ん、急にどうした?」


 なぜだろう、理由はわからない。ただ、あの表情を見た瞬間に、不覚にも体がそう反応した。

 どう返したらいいかもわからず、ぎこちなくて弱弱しい返事をしてしまった。


「……ん? おっと、ヤバイ」


 一人だけよくわからない空気に浸っていたら、ふと、遠くから鳴り響く音を聞き取った。


「サイレンだ。警察が来る」

「うそ! 私も色々とヤバいじゃん!」


 現状、ここには動かなくなった連中がゴロゴロと転がっている。〈純潔の悪魔〉は基本的に被害者を隠したりはしないが、二人揃ってここに居続けるのは非常にマズい。


「ええい! 後のことは何とかするから、東雲さんは行って!」

「あ、はい!」


 座り込む莉緒に手を差し伸べ、体を起こさせて送り出す。早いところ帰らせて、有村の事後処理をしなくてはならない。


「――桐崎君!」

「なに、早く行きなって」


 走り去ろうとした莉緒は、一瞬立ち止まって振り返る。そして一言、


「ありがとう!」

「……うん、お疲れさん!」


 もう一度、改めて伝えたのだった。

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