悪魔のステージ

 迫る男たちを前に、全身黒づくめの霜が降り立った。しかし桐崎霜としてではなく、〈純潔の悪魔〉として。様変わりした瞳孔が放つ威圧感に、男たちは金縛りのような感覚に陥る。

 誰もが状況を理解できずにフリーズする。しかし、最も早く言葉を取り戻したのは、莉緒だった。


「……なんで、ここに」

「言ったじゃないか。一緒に戦おうって」

「そもそも、いつからいたのよ⁉」

「あぁ、最初からだよ?」


 平然と言うが、それならもっと早く出て来いというものだ。


「あ、もしかして……僕に裏切られたと思った? そんなわけないじゃん! 僕はちゃんと約束を守る男だぞ?」

「うるさい! 誰があんたなんて信用するか……」

「でも、少なからず信用したからここに来たんだろ?」


 あながち間違いではない。でも本当は、父から逃れたかっただけなのだが。


「せめて、もっと早く来てほしかった」

「いやいや、主役は遅れてくるものだろ? 当然じゃん。だってここは、僕のエンタメショーなんだから」


 やはり、そこだけは変わらないのか。だからつまり、莉緒を助けに来たわけではないのだろう。しかし、霜はやって来た。利己的な目的のためであっても。莉緒を守るために、彼は来た。


「ち、ちょっと待って……なんで桐崎君が? なんで莉緒なんかを庇うわけ⁉ 私に気があったんじゃないの⁉」

「はて、なんのことですかな? 自分が偉いと思い込んでる、痛々しい勘違い女さん」

「――か、勘違い女⁉」


 ようやく言葉を取り戻した有村は、状況を受け入れられないままだ。霜にすがりつくような発言をするが、霜はサラりとはぐらかし、煽りの一言を添える。

 周りを見てみれば、男たちや取り巻き女もフリーズから蘇ったようだった。


「お、おい……こいつ何なんだよ」

「今、純潔の悪魔って言わなかったか⁉」

「まさか、その場凌ぎの冗談でしょ! ……冗談、だよね?」


 得体の知れない一人の男が、場の空気を全て持っていった。自分たちの優勢な立場が、恐怖を与えられる側に一変した途端、奴らの威勢がくじかれる。


「あぁ……ここは、僕の独壇場どくだんじょうだ」


 誰の邪魔も許さない、〈純潔の悪魔〉が創造する空間。たった一瞬の動きと声で、この場を支配しようとする桐崎霜は、誰にも止められない。


「と、いうわけで、有村花音とその一味の皆さん」

「な、なによ!」

「生き地獄へご招待いたします。……大事な彼女のためにね」


 そう言うと、霜は腰に巻いたベルトポーチへ手を伸ばし、ブツを取り出す。

 ――右手に、微かに光る。それは、注射器。

 左手に握る。細く、しかし緻密ちみつなロープ。


「東雲さん、……怖いなら目を閉じてね」


 ***


「い、いやあああああああああああ⁉」


 コンクリート壁に反響する、女の悲鳴。

 その隣には既に、男一人と有村の取り巻き二人、計三人がピクリとも動かずに転がっている。首にはロープで絞められた跡が残る。もう、だ。

 続いて、次の標的が、


「よ、よせ……やめろ! やめてくれええええええええ⁉」


 眼前に差し迫った死の恐怖に耐え切れず、見苦しい命乞いの叫びを上げる。尻から倒れ込み、体を引きずりながら後退し、そして、壁際に追い詰められる。


「大丈夫だよ、死にはしないから! ……ただし、戻ってはこれないけど」


 満面の笑みで、最悪のなぐさめと気休めを告げる、〈純潔の悪魔〉こと桐崎霜。


「ロープでは三人ヤっちゃったし、少し飽きたなぁ。――よし、次はこれ使う!」


 右手に握った注射器を、高く、獲物の上部へ掲げ、

 ――首へ、突き刺す。


「ぎっ⁉ あ……あぁ」


 内部の薬液が急速に、その首に張られた血管に流れ込む。

 そこから男の目がうつろになり、まるで骨を抜かれたかのように倒れるまでは、それほど時間はかからなかった。

 これで四人目。


「無理だろ……悪魔だよ、こいつ!」


 終始、有村とじゃれ合っていた男が残った。


「――っ! あああああああああああ!」

「ちょっと、どこ行くのよ⁉」

「に、逃げるが勝ちだよ!」


 腰を抜かした有村を置いて、奴は一目散に逃走した。どれだけ威勢を張っていた人間でも、死の恐怖には勝てずに、女を囮にして逃げるという醜態しゅうたいを晒したのだ。もっとも、有村が第一ターゲットだと理解しての囮なのだろうが。

 しかし、


「逃げるが勝ち? 逃げても負けだし、逃がすはずないじゃん」


 狩る側と、狩られる側。莉緒を狩るはずだった奴らも、その立場は既に逆転している。

 霜はポーチから、細いナイフを取り出す。つかの先端を握り、遠心力を付けて、


「獲物が背中を見せちゃダメだ、――よっと!」


 投げた!

 ヒュンヒュンと音を立てるナイフは、勢いのままに直進。逃げる男の背中……ではなく、脚に突き刺さった。


「ギャア゛アアアアアア⁉ あ゛あ…ああああ」

「よしよし、すぐ楽にしてあげるね」


 後を追った霜は、間髪入れずに注射器を取り出し、 ――首筋に薬液を注入。他の連中と同じく、男は白目を剥いて徐々に脱力していった。

 これで五人目。


「さて……残るは有村花音、君だけだ」


 ナイフを引き抜いて、血の滴るその刃先を有村へ向ける。他の連中が前菜なら、有村がメインディッシュと言った感じで、お楽しみを噛みしめるのだ。

 有村は全身を震わせて、膝から下が動かないらしい。涙を流しながら、かすれた声で言う。


「い、嫌だ……誰か助けて」

「誰も助けてくれないさ。パパの権力を傘に、女王様を気取っていた君なんて」

「許して、許してよ……死にたくない」

「許して、か」


 呆れ顔でため息をついて、獲物へ近づきながら霜は振り返って、


「君を許すかどうかは、僕が決める事じゃない。……君の恨み次第だよ、東雲さん」

「――っ⁉」


 有村が危害を加えたのは自分ではない。有村を恨んでいるのは自分ではない。〈悪魔〉としての自分は、被害者である彼女の恨みを、非力ながらも懸命な抵抗を代弁しただけだ。

 だからこそ、その生殺与奪を莉緒に委ねた。ただし、本当に殺すわけではないが。


「さぁ、どうする東雲莉緒。これまで君を苦しめ、追い詰めてきたクズの最後だ! 君が殺せと言えば、僕はその通りにしよう!」

「そんな! わ、私は……」


 殺したいくらい恨んでいた。いや、殺したかった。でも……いざその場に直面した時、恐ろしくて仕方がない。


「殺したいと言ったのは君だ。そして、君にはその権利がある!」

「私が……殺す?」

「さぁ、どうする。今までの涙を、無かった事にするのか⁉」


 莉緒を急かし、注射針を有村へ押し付ける。


「い、いや……⁉」

「待って!」


 しかし、霜は手を止めない。針の先端が、皮膚に食い込む。


「――莉緒、ごめんなさい⁉ 私が、私が悪かったから……だから許して! 殺さないで⁉ お願いだからアアアアアアア!」


 ここに来て謝罪の言葉だ。命の危機に瀕してからの言葉に、誠意なんてあるはずない。そんなことはわかっている。


「復讐しろ、東雲莉緒!」

「私は……桐崎君、私は!」


 ――わかっている、はずなのに。


「……殺したいくらい、恨んでる。でも……私には無理だよ」


 そう言って、莉緒は崩れ落ちた。流れる涙を手で覆って、頭を抑え込んで、


「辛いし、許せない。……でも、殺すとか、復讐とか、できるわけないじゃん! だって私は……桐崎君みたいな〈悪魔〉じゃないんだから」


 嗚咽おえつが響き、霜はその声をしっかりと受け取った。


「そうか。優しいな、東雲さんは」


「――っ⁉ うぅ……っあああああああああああああああ――……」


 辛かった。

 悔しかった。

 孤独だった。

 これまでの想いがこもった叫びが、はかな木霊こだました。


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