逃げられないのなら

「目障りだからさ、早く消えなよ」

「そう言うなって! 莉緒ちゃんも、彼氏が花音に言い寄るところ一緒に見ようぜ?」

「ひっでぇ! ギャハハハハハハハ!」


 有村に呼応して、男たちが容赦なく追撃する。屈辱的な光景を、大人しく見届けろと言うのだ。

『――だって君は、僕の彼女だもんね!』

 何故だ。不意に、霜の言葉を思い出した。


「……何が、彼女よ」


 ――僕は君を逃がさない。死んで逃げるなんて、許さない。


「何が逃がさないよ……、そっちが逃げられないようにしたんじゃん⁉」


 この状況に追い込んだ張本人が、自分に投げかけた言葉。それは皮肉にも、落ちていた心を少しだけ前向きにさせた。

 ――だからさ、一緒に戦おうよ。東雲莉緒さん。


「何が……『一緒に戦うおう』よ。結局、私を見て楽しみたかった、自分のためじゃん⁉」


 馬鹿みたいだ。

 桐崎霜に、〈純潔の悪魔〉にとって、自分は単なるおもちゃなんだ。

 自分は言いように踊らされていただけ。甘い言葉をかけられて、有村と戦わされて、最後にはきっと口封じのために殺されるだけ。

 どこにも、逃げ場なんてない。だったら、いっそのこと――


「……立ち向かってあげるよ。あなたの思惑通りに」


 涙が溢れそうになって、顔が紅潮する。その目を有村に向ける。


「有村さん。私はもう、どうだっていい。あんたに何を言われようが、どれだけ縛り付けられようが」

「……は?」


 どうせ、桐崎霜に殺される身。逃げることはできないのなら、


「どうでもいいけど……一つだけ曲げたくないものがある」


 一矢報いたい。


「あんたたちみたいなクズには負けたくない! 負けたまま死にたくない!」

「……なに、なんなの?」


 心の底から湧き出る圧に、有村はたじろぐ。


「なにが権力よ、なにが『立場を弁えろ』よ! ……なにが彼女よ、なにが一緒に戦おうよ、何が〈純潔の悪魔〉だっての!」


 この二年間、耐え続けてきた怒りが溢れ出す。誰に言っても解決しない、怒りを向ける的さえなかった。それが〈純潔の悪魔〉によって、理不尽に悪化の一途を辿らされた。

 もうこれ以上、耐える必要はない。


「どんなに人格を否定されても、どんなに奪われても、私は私、東雲莉緒! あんたのおもちゃでも、〈悪魔〉の道具でもない! 抗い続けて……最後にはあんたを道連れにしてやるんだ!」


 窮鼠きゅうそ猫を噛む。狩られる側の草食動物は追い詰められ、しかし最後には肉食獣に噛みついた。自分の尊厳を、せめて自分自身は守ってやるために。


「――急になんなの? ムカつく」


 目を丸くしていた有村は、仲間の男に告げる。


「ねぇ、あいつ黙らせてくれない?」

「オッケー、俺もちょっとカチンと来ちゃったわ……」

「もう何してもいいからね」


 三人の男たちが血相を変え、莉緒に迫る。有村の取り巻きは、ニヤニヤとそれを見送る。


「さーて、どうしてくれようかな」

「ちょっと可愛いし……、俺らで楽しんじゃう?」

「サンセー。散々痛めつけて、よがらせてやるよ……」


 ――あぁ、もういよいよ、逃げることはできなくなった。

 しかし、諦めたわけではない。逃げずに立ち向かうことを選んだだけだ。


「……っ!」


 大丈夫、自分は戦った。もう今更、どうなってもいいんだ。

 

『よく言った、東雲さん』

「……え?」


 覚悟を決めた瞬間。幻聴ではない。聞こえたのは、今しがた想い返したあの男の声。


「――よっと」

「ふぇ⁉」


 その男は天井から、莉緒の目の前に降り立った。

 誰もがその姿を見たとき、思考が止まる。


「おまたせ、東雲さん」

「うそ、なんで」

「君のその殺意、この僕が代弁しよう」


 ニヤリと奇妙な笑顔で、桐崎霜が立ち上がる。


「どうも。桐崎霜改め……純潔の悪魔です」

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