あのクズを殺したい

「ねー莉緒ちゃんさぁ、桐崎君とはいつからそんな感じだったの?」

「そうそう! ウチら全然知らなかったんだもん! 何で言わなかったのかなぁ」


 屋上にて尋問が開始された。莉緒がフェンス際に寄り、その半径を有村たちが取り囲むような構図となる。……まるで、ウサギを狩るハイエナのよう。


「いや、私も突然の事だったから……特に接点も無かったし」


 狩られるウサギの莉緒は、言葉で守勢に回らざるを得ない。


「またまたぁ! 接点無しで告白ってくる奴なんて、ただのキモだい奴だって! 桐崎君はそんな男じゃないでしょ?」

「ほ、本当に何もなかったの……!」


 よくわからないまま、恐怖の中で始まった関係を懸命に否定しようにも、莉緒の事情を知る人間はこの世に存在しない。逃れるための弁解も、全て無駄だとわかってしまう。

 有村には通用しない。この、暴君のようなお嬢には。


「桐崎君さ、カッコいいよね! ミステリアスな感じとか、賢そうなところもさ!」

「そ、そうだね」


 ――それどころじゃないよ。〈悪魔〉の側面を知ったからには、そんなことわからない。

 ふと、馬鹿みたいに笑顔を振りまく有村の、その輪郭が尖った。


「ほんと……なんであんたなんだろうね? この私を差し置いて」

「桐崎君も酷いよねー。あの有村議員の娘より、陰キャの莉緒に目が行っちゃうなんてさ」

「……っ!」


 歯軋りの音が静かに鳴る。いわれのない侮辱は、これまで数え切れないほどに受けてきた。もはや慣れてしまうくらいに。


「やっぱりさ、莉緒みたいに頭がいい女がタイプだったりして⁉」

「いやいや、結局は色仕掛けで一発でしょ。所詮は男なんだし」

「ハハ! それじゃあ莉緒は無理ゲーじゃん!」


 取り巻きが会話を弾ませる。

 ……なるほど。今日の憂さ晴らしは、それが原因か。

 有村は、莉緒と桐崎霜の関係に腹を立てている。とは言え、きっと有村は霜の事が好きだとか、そういう話ではないのだろう。自分より格下の存在に、自分を差し置いて男ができる事が気に入らないのだ。それも桐崎霜は有村が「カッコいい」言うように、陰ながら人気を集める優良株と言う話。


「マジでさ、ムカつくんだよね。あんたは頭が良くて、教師共にもチヤホヤされて、陰キャの癖に男に色目使われてさ。……あのクソども、私の家がどれだけこの学校に金落としてると思ってんのよ!」


 有村が勢いのままに突撃し、莉緒をフェンスに叩きつける。


「別に……私だって望んでこうなった訳じゃ、」

「その澄ました態度もムカつくのよ……『私は至って普通です』みたいな感じがさ!」



 『そんな事を私に言われても』、と言い返したいが無駄だと分かっている。そうしたところで有村を逆上させるだけだろう。今更何を言われようと、どう言い返そうと……何も変わらない。


 いつから有村に目を付けられていたかはわからないが、これまでにもたくさん経験した。例えば定期考査で学年主席を取った時、返却された答案用紙を紛失した。結果的にそれはゴミ捨て場で見つかって、捨てた犯人は有村の取り巻き。他には掃除を押し付けられたり、上履きを隠されたりなど、子供のような細々とした嫌がらせ。


 それまでは「幼稚な逆恨み」だと考えて、敢えて気にしない態度を貫いていたけれど……それは却って奴らの行動をエスカレートさせた。


 数学検定の会場に向かう途中、。制服を濡らされて足止めされたことがあった。当然、受験はできなかったし、そのせいで父にも酷く叱られた。

 両親は何も知らない。その理由はいろいろあるけれど、端的に言えば無駄だから。

 ――莉緒はその頃から、抵抗する意思を見せなくなった。自分一人では勝てないし、誰も助けてはくれないのだから。



「ってなわけでさ……桐崎君、譲って? まぁもっとも、私から取りに行っちゃうけどね」

「ひゅー、花音ってば悪い女!」

「見てよ、莉緒のこのつら!」


 ――やめてよ。

 うつむく莉緒を抑え込み、フェンスをガシャンガシャンと叩き続ける有村。


「陰キャは大人しく勉強だけしてなよ」

「ギャハハハハハハハ」


 ――もうやめて、誰か助けて。

 その言葉さえもっと早く言っていれば、状況に救いはあっただろうか。このろくでなし共と戦えていただろうか。

 結局、自分には無理だ。そう思う事で立ち向かうことを諦め、醜怪しゅうかいな感情をぶつけられるだけの下僕に成り下がった東雲莉緒という人間には……力がない。そう、自分に言い聞かせるだけ。


「……今日はこのくらいにしといてあげる」


 有村はフェンスを叩く手を退け、莉緒を責め立てる姿勢を直す。


「バイバイ、莉緒。今度は立場をわきまえてね」


 寄りかかるフェンスを握りしめ、去り行く有村の背中を睨むことしかできない。涙が滲んでよく見えないけれど、その目先は確実に心臓を捉えている。


 ――今、この場にナイフでもなんでもあれば……。

 ――奴らをめった刺しにして、醜い肉塊にしてやるのに!


 そう、できもしないことを希望のように祈る歪んだ心。その心を原動力とする莉緒の手は震えたまま、憎しみの刃を向けることは、結局できない。


「……殺したい」


 ふと、口走った。


「殺してやりたい……あのクソビッチ! たとえ〈悪魔〉に魂を売ってでも、この弱い自分を殺してでも! ――いや、いっそ殺して」


 血走った目。言い放つ願いは木霊して、儚く消える。

 倒れた莉緒に歩み寄る影が現れたのは、その直後だった。

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