殺してみる?
「じゃあ、殺してみる?」
「……――⁉」
感情が高ぶった時、人間は周囲の事などまるで一切気にしないらしい。莉緒は、その声が聞こえるまで、この場には自分しかいないと思い込んでいた。憎しみに駆られて涙を流す姿を、その男に見られていたのだと気付いた。
「……いつから、そこにいたの」
「うーん、強いて言えば最初から、かな」
桐崎霜はまるで、その無様な姿を
……足音がしなかった。いや、莉緒は泣いていたのだから、それで気付かなかったのかもしれない。しかし気配さえも感じ取れなかった。まるで生きているとは思えない、霧のような男だ。
「誰かを襲う時も、……そうやってこっそり近づいて、それから殺したんだね」
「襲うだなんて心外だなぁ。それに知っているだろ? 僕は今まで誰も殺していなし、獲物はどうしようもない悪党ばかりだ」
ふと、霜がしゃがみ込んで目線が合う。
「みんなが言うように、僕は
「……どこまでクズなの」
嬉々として言う霜を、莉緒は懸命に
「……やっぱり、負の感情が生み出す涙は、そう美しいものじゃないね」
言うと霜は突然、莉緒の頬に指先を伸ばす。目尻から落ちる涙をすくい上げた。
「いやっ――触らないで!」
「嫌なら、僕を殺してみれば?」
手を振り払い抵抗する。刹那、逆に腕を掴み返された。霜はずいっと顔を近づけ、あの夜に見たのと同じ
「第一、東雲さんはズルいよ。そうして泣きじゃくって、ただ有村花音にされるがままになるだけ。奴らにも、今この瞬間の僕にも、抵抗の意志を見せないんだ」
「……そんなこと言って、あなたにとってはそれが一番なんじゃないの? 抵抗しなければ、すんなり私を殺せるじゃん」
殺したいなら、殺せ。そんな意味を含んだ返答。
だってそうだろう。桐崎霜が莉緒に接近する理由なんて、〈純潔の悪魔〉の正体を口止めするくらいしかないのだから。
霜の言う通り、莉緒に抵抗の意志はない。とっくの前に諦めているし、どう足掻いても無駄だと思い知らされた。
だからある意味で、死は救済なのかもしれない、と。そう思った。
莉緒の自暴自棄的なそれ対して、霜は目を少し丸めて、けれどニヤリと笑う。
「だーかーら、言ったじゃないか。僕は誰も殺さないって。君が僕の正体を知っていようが、それは変わらない」
「……そうだったね。じゃあ、私を植物状態にする? 他の被害者と同じように」
全ての事件は殺人未遂。被害者は生きているのに、証拠なら集められるだろうに、未だ〈純潔の悪魔〉が逮捕されないのは。その全員が、二度と言葉を発することがないから。
「うん、それも悪くないかも! ……けど、それじゃ面白くないよね」
「面白くないって……おちょくってんの⁉」
煽りだと受け取ったものだから、怒りで叫ぶ。
「君は僕の餌食になることで、苦しみから解放されるかもしれない。でも、それは有村に勝ち逃げされるようなものだし、僕にとってはつまらない。エンタメ性が足りないんだよ」
「有村の……勝ち? 違う、私はもう負けていて」
「――違う、まだ負けてはいない。だからこそ」
言葉を遮って否定した直後、ふと、霜の面持ちが
「僕は君を逃がさない。死んで逃げるなんて、許さない。少なくとも、有村が勝つシナリオは阻止したい。だって君は、俺の彼女だもんね!」
「――か、⁉」
少しだけ。間接的に「死ぬな」と言った霜の声は力強くて、不覚ながら頼もしさを感じた。
それに、彼女だと。こんな時にその関係を持ち出すのか。やはりこの男の意図は、どうにも読み切れない。
「……でも、無理だよ」
しかし、莉緒は否定で返す。
「あなただってわかるでしょ? この学校じゃ、有村花音に文句言える人はいないって」
「それは、虎の威を借る狐ってことだよね」
霜はことわざで面倒な言い回しをするが、意味としては間違っていない。意思疎通が実現し、互いに頷く。
「有村の父親は、都議会の議員。それも結構な影響力を持つ、偉い人らしいから」
「娘が通うこの白礼高校には、その懐から金がザクザクと流れてくる。有村の暴君的な素行が黙認されているのは、父親と学校側がズブズブの関係にあるからだ」
「……そういうこと」
典型的な癒着と、クズが金と権力で物事を解決するパターン。莉緒に差し向けるあの性格は、そんな親元で育ったが故に根付いた、我が
運悪くと言うか、必然的と言うか、莉緒はその琴線にまんまと引っ掛かったらしい。
「結局はそういう背景があるんだから……諦めるよ。私だけで、権力に抗うなんて」
弱者は淘汰される。そんな世の
「それなら仮に、一人じゃないとしたら?」
「――?」
対して霜は、明るく言う。
「僕は別に、君を助けたいわけじゃない。ただ、有村に負けさせたくないだけ。……でも、一緒に立ち向かうことくらいはできるさ」
「立ち向かうって……馬鹿なの? そんなの、私はまっぴら御免なんだけど」
権力に対する、暴力による反抗。霜の言うそれは、殺人未遂による植物化に他ならない。
「僕は僕のやりたいようにやる。だから君は君のやり方で、立ち向かってみたら?」
困惑する莉緒に、〈悪魔〉は笑顔で囁いた。
「君が抵抗の意志を見せたなら、僕は僕のショーを始めるよ。――だからさ、一緒に戦おう。東雲莉緒さん」
「……よく言うね。彼氏君」
そう返す莉緒の内心は、少しだけ和らいでいた。〈純潔の悪魔〉が、この瞬間だけは悪魔には見えなかったから。それは少なくとも、噂と比べてというくらいだけれど。
二人間に、奇妙な空気が流れた。
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