二人の、それぞれの日常

 そんなこんなで、得体のしれない連続殺人犯シリアルキラー擬きとの恐怖の交際がスタートしたのであったが、まずは何をすべきだろうか。


 恋人らしい会話か。それとも、デートでもしてみるのか。なんにせよ、まずは交際序盤の肩慣らしが必要だろう。普通ならそうだ。


 しかしこの場合、莉緒の課題は「いかにして霜との距離を保つか」だ。何せ、彼が莉緒に迫る理由なんてたかが知れているのだから。


 あの夜、莉緒は〈純潔の悪魔〉と目を合わせた。だから最も可能性が高いのは「口封じ」。あるいは「監視」か、「利用」か。いずれにせよ、この関係の維持しつつ逃げ続けなければならない。

 全ては己の、命の保証のために。誰にも言えない。

 ……きっと、言えば殺される。




「……リーオちゃん!」


 思考を巡らせていたとき、莉緒の机にドンっとのしかかる誰か。一人ではない、複数人でわらわらと群がってくる。


「ねぇ、ちょっと屋上行かない? 彼氏君とのエピソード、ウチらにも聞かせてほしーな!」


 ――また、か。この流れは、もう顔を見なくたってわかる。


「ね、なんで無視すんの? せっかく声かけてんだからさ、返事くらいしようよ。優等生ちゃん」

「……ご、ごめん。有村さん」


 上げたくない顔を強制的に上げさせられ、見たくもない顔に目を合わせる。複数の友人と共に莉緒の前に立つ女に、無理をして詰まった返事をした。



 女の名は、有村ありむら花音かのん。いかにもギャルという表現が似合う風貌の彼女は莉緒の同級生であり、見ての通り「仲の良い友人」。と、そういう体裁を繕っている。



 ……あぁ、気持ち悪い。目の前にいる奴らがみんな、人間じゃないように感じる。

 有村は莉緒の手首を鷲掴み、友人の輪へ無理やり引き込んだ。


「ほら、行こ行こ!」

「う、うん……」


 誰も助けてはくれない。自分はいつも、たった一人。

 これが、『東雲莉緒の日常』だ。


 ***


 〈純潔の悪魔〉

 自分を表すその異名が世間を揺るがし、今この場にいる友人たちもそれに踊らされている。友人たちの小さな会話さえも、〈悪魔〉を語るならば全ては自分次第。この奇妙な感覚がどうにも気持ちがいい。

 これが、『桐崎霜の日常』だ。



「あ、霜……彼女ちゃんが」

「どうかした?」


 友人の一人が、東雲莉緒に向けて視線を誘導する。釣られた霜は、特に気に留めていなかった他所の会話に耳を傾けた。


「――ね、なんで無視すんの? せっかく声かけてんだからさ、返事くらいしようよ。優等生ちゃん」

「……ご、ごめん。有村さん」


 振り返って見てみれば、莉緒の前には有村花音がいる。

 中途半端にしか聞いていなかったが、何となく状況は察した。莉緒はこれから、有村やその取り巻きと一緒にどこかへ行くようだった。もちろん、強制連行だろう。

 ――可哀そうに。


「そ、霜……お前どうするんだよ」

「どうするって?」


 慌てた様子の友に対し、霜は落ち着いた様子で問い返す。何をどうするかなんて、自分でもわかっているくせに。


「そりゃあお前……助けてあげたりとか。だって彼氏だろ⁉」

「助けるだなんて。あんなの、いつもの事じゃん」



 苦笑気味で言う霜は、「いつものこと」と軽くあしらう。

 しかしその通りで、有村がこんな様子で莉緒を連れ出していくのは、このクラスでは日常的な光景だった。誰も彼女を助けない、その様子も。霜もまたその一人。

 恋人関係だからと言って「助けてやる」だなんて心外極まりない。

 なぜなら桐崎霜は、決して善人ではないから。たとえ〈純潔の悪魔〉と呼ばれる彼が、悪人を粛清していたとしても。



「助けたくはない。……でも、面白そうじゃん」


 ふと、腕で表情を隠しながらニヤリとほくそ笑む。

 ――少し、面白そうな事を思いついた。


「俺は俺のやりたいようにするよ。――だって東雲さんは僕の、大事な彼女だからね」


 唖然とする友人らを押し退けるように立ち上がり、霜は彼女おもちゃの背中を追って行く。

 追う背中は東雲莉緒だけれど。しかし矛先は、もちろん有村花音に向けて。

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