第2話 宮堂寺

「んっ………ここは………」


「おはようございます。お加減はいかがでしょうか?」



 綾人が目を覚ますと、そこは祖父の家とは別の見慣れない部屋。

 床は畳で、壁には掛け軸。

 布団はとても暖かい。



「ここは宮堂寺ぐうどうじ の客間でございます。僭越せんえつ ながら、私共が依代様の寝床を用意させていただきました」



 応えたのは、枕元に座る巫女。

 顔は片目が包帯で隠されていて全体像は見えないが、見える限り整った顔立ちの、とても美しい声の女性だ。



「住職を呼んで参ります。少しお待ちください」



 言って、女性は部屋から出ていった。


 宮堂寺とは、五郎の家から徒歩十分の位置にある寺であり、綾人が小さい頃から何度も来ている場所である。


 五分程でドタバタと騒がしい足音が聞こえて、部屋のふすまが乱暴に開かれた。



「起きたか綾人!」


「爺ちゃん………! 生きてた!」


「儂が……儂が……」



 現れた五郎は、小さな声で繰り返す。

 俯いているからか、目は薄っすら髪の隙間からしか見えず、若干怒っている様に見えた。



「――――――ん?」   


「儂が………死ぬと思うたか! 三日も寝腐りおうて!」


「なっ! それが不思議体験した孫に対する言葉か?!」



 怒鳴る五郎に言い返して布団から飛び出すと、不思議な程体が軽かった。


 体に羽が生えたどころじゃない。

 体重は半分になり、筋力が倍になった気分だ。



「やあ依代様―――その様子じゃあ、実感している様だね」


「桜井さん! 依代様って……さっきの人も言ってたけど何ですか?」



 五郎の背後から現れたこの男、桜井さくらい 憲忠のりただ ―――この寺の住職だ。

 綾人が小さな頃から顔見知りの、どこか胡散臭い中年である。

 中年と言っても、見た目は完全なる十代後半の、中性的な顔立ちの男。

 その風貌が、胡散臭さに拍車をかけている。


 桜井は面白そうに笑いながら、部屋の隅を指差した。



「取り敢えず、着替えようか依代様や。寝巻きじゃ何話しても格好がつかない」



 指差しの先には、姿見が。

 そこには真っ白の寝巻きを着た自分の姿が。



「前の服はボロボロになってしまったから処分させてもらったけど、代わりのを用意した。着たら千乃 せんのが外にいるから、僕を呼ぶ様伝えてくれ」


「千乃さん?」


「さっき枕元に女性がいただろう? 彼女が千乃、千乃美也子みやこだ」


「分かりました。着替えは鏡の横ので?」


「合ってるよ。それじゃあ僕達は出てくから、ゆっくり急いで着替えておくれよ」



 そう言うと、二人は部屋から出ていった。

 不思議に軽い体を少し伸ばしてから、綾人は着替える。


 真っ白のワイシャツと、逆に真っ黒のコックズボン。


 髪の色が黒く戻っている―――少し長めの後ろ髪を小さく結んだら、衣服の横に置いてあったお狐様に目を向ける。


 不思議体験の後なので少し恐ろしく思えたが、その横に置き手紙で、必ず持つ様にと書かれていたので、仕方なく耳に通してある紐を掴んで、部屋から出た。



「お待たせしました、着替え終わりました」


「では、ご案内させていただきます」



 襖の外、静かに正座していた千乃に声をかけると、立ち上がって道案内を始めた。


 案内といっても、宮堂寺ぐうどうじ には子供の頃から桜井と遊ぶため来ていたので、目的地の部屋がどれかさえ分かれば迷うことは無い。



「ん……早かったね依代様」


「取り敢えず………依代様はやめてくださいよ桜井さん。なんかこそばゆい」


「そうかい? いいと思ったんだけどな。じゃあ今まで通り綾人と」


「はい、それでお願いします」



 綾人は五郎の横にある、空いていた椅子に座る。



「さて―――僕が君に話さないといけないのは、お狐様にさわって生き延びた事に払う対価の話だ」


「触る? 対価? 貯金叩くタイプのですか?」


「さわるは触るであり、障るだよ」


「それ口頭じゃ分かんないですよ」



 昔から桜井は妙な言葉回しをする。

 慣れていなければ、頭の上にはクエスチョンマークが残り続けるだろう。


「いいんだよ―――でだ、対価は貯金、マネーじゃない。君の人生が対価だよ」


「…………死ねと? 冗談じゃない」


「生き延びた対価に死ぬなんて、そんな落語オチは要らないよ。命懸けやも知らないが、絶対の死じゃない。むしろ、今まで通り生きようとした方が死は確実だよ」



 最後の一言に、妙な力が籠っていた。

 それによる言葉では言い表せない説得力は、気絶前の記憶が夢でない事を理解するのには十分過ぎた。



「巻きで説明すると、あの狸は妖怪。君も知ってるあの河童や人魚みたいな妖怪だ。そしてそのお面、お狐様は付喪神であり、守り神―――この地域に伝わる、一種の土着神でもある。お狐様はお面を解して君の体に侵入し、不完全ながらも一時的に受肉したんだよ」


「付喪神って………受肉って………ちょっと話しが急すぎて………」


「まあ、今すぐに全部を理解しなけりゃいけないってわけじゃない。今理解しなきゃいけないのは一つだよ」


「一つですか、それなら覚えられます」


「良かった。じゃあ忘れちゃダメだよ―――君はこれから引っ越し、僕が手配した学校に転校してもらう」


「………………はぁ?」



 一つではなかった、二つだった。

 そして、二つにしてもまたもや情報の火力が高い。



「その衝撃…………今持ってきて良いやつですか」


「良いのさ、綾人も狸で肝が据わったみたいだし、一種の耐久テストだと思いたまえよ」


「肝が据わるって…………」



 綾人は少し腹が立ったが、しかし納得もした。

 あの夜の経験は一瞬ではあったが、緊急事態の闘争劇を得て多少の非現実に対する耐性が身についた感覚があった。


 事実、今までならば―――枕元に目を隠した女が居ただけで綾人は逃げ出していたはずだ。



「妖怪やら、信じてもらうまでに時間をかけるつもりだったけど、結構すんなりと信じるねえ。もしかして、オカルト好き?」


「いや、あんなの見たら信じるも何も…………」


「違いないね―――それじゃあ、これから頑張ろうね綾人。出来る限り応援はしてあげるよ」



 桜井が楽しそうに言った。

 黙っている五郎は不機嫌そうだ。


 綾人は天井を見上げる。

 妖怪がいるのなら、この天井が突然崩れ落ちて襲われる事もあり得るのかなと、気の抜けたことを考えながら。



「取り敢えず…………死なない様にしたいです」


「頑張りたまえよ、若者」

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