家に眠る伝統で人生が狂ってしまいました〜分岐ルートはまだあるか〜

楠木静梨

第1話 お狐様

 堂上どうじょう綾人あやと、十六歳。

 彼の祖父の家には、古くから一つのお面があった。

 白い狐の、顔を全て覆う物だ。


 堂上の一族達は皆、それをお狐様と呼んだ。




 ●●●●●●




 綾人は今、高校最初の夏休みを利用して、祖父の五郎の家へと一人でやって来た。

 入学と同時に事故に遭い、初日の友達作りに失敗。

 誰と遊ぶわけでもなくダラダラと夏休みが過ぎていくのでは勿体無いと、思い立ったら即行動だ。



「久しぶりに見たけど、お狐様なんか変わった?」


「いや、変わっとらんよ。んな事言ってないで、はよう荷物運べ」



 綾人は、お狐様になんとも言い表せない違和感を感じた。

 五郎はそれを聞き流して、泊まりの荷物を客室に運ぶ様かす。


 しかし綾人は、どうしても違和感を拭いきれない。



「なんか違うんだよ、なんか…………」


「うるさい、口動かす暇があるなら足動かせ! それともお狐様見ながら廊下で寝るか!」


「分かったよ爺ちゃん。ったく、せっかく遥々孫が来たのに、可愛くないの?」


「―――あ?」



 零した文句に鋭く反応した五郎と目を合わせない様にして、綾人は荷物を運ぶ。


 荷物を運び終えると、綾人は外へと散歩に出た。

 五郎の家は中々の田舎にあり、辺りを見渡せば川や山、田んぼばかりだ。



「ガソリンの匂いがしない…………やっぱパソコン仕事を田舎でやるのが将来の最適解だ」



 道を歩きながら、一人呟く。

 少し歩くと、とある家の前に、信楽焼の狸の置物があった。


 妙な存在感を放って、堂々と。



「お狐様みたい…………いや、違うか」



 無意識に呟いたが、冷静になって訂正。

 狸と狐、まるで対極―――似ているわけが無いのだ。



「疲れたのかな…………」



 長時間の移動と片付けで疲れているのかと、早々に一時帰宅。


 この時感じた違和感を、人生を大きく狂わせる事となるこの信楽焼きを、綾人は一生忘れる事は無い。




 ●●●●●●




 夕飯、煮物と白米と味噌汁の質素なものだ。


 祖母が他界してから料理を始めた五郎は、普段の食事はインスタントなどが多いので、手料理を振る舞うだけでも最大限の歓迎をされていると思いながら綾人は食事をした。



「どうだ―――散歩してたようだが、この辺りは何も変わんねえだろ」


「うん………あ、でも山口さんちの前になんか変な置物あったよ。村が変わるとか、そんな規模の話じゃないけど」


「変…………? 目玉でもあっけえ?」


「いやいや、グロじゃなくて。ただの信楽焼の狸なんだけど、なんというか……一瞬、本当一瞬ね。お狐様と似た感じがしたというか…………」



 言うと、五郎が箸の動きをピタリと止めた。

 驚いて、思考を巡らせるように。



「お狐様…………綾人、お前は確かに、似てると感じたんか?」



 五郎は改めて尋ねた。

 それを不思議に思いながらも、綾人は頷く。



「ったく、お前は帰省してすぐ面倒事を…………これも縁か」



 言って、五郎は食事中にも関わらず席を立ち上がって自室へと駆けて行く。

 部屋には五郎が居なくなり、静けさが満ち溢れた。



「何やってんだか…………煮物、美味いな」



 ドタバタと走り去った五郎を見ながら呟いて、一人で食事を続ける。

 その間ずっと、五郎の部屋から物を漁る様な音が聞こえていた。


 すぐに帰ってくるだろうと気にしないで居ると、突然家のチャイムが鳴った。



「爺ちゃん! お客さん! 爺ちゃん! ん…………聞こえないか」



 仕方なく綾人が玄関へと向かう。


 面倒臭いが、田舎の人の繋がりは大事なのだ。

 少し居留守をするだけで悪い噂が広がるか、過剰に体調を心配される。



「はいはい、今開けますよ」


「すいませんね、こんな時間に」



 扉の向こうから、申し訳なさそうな声が聞こえた。

 相手の声が聞こえた事で、綾人は少し焦って扉を開く。


 そしてそこに、人は居なかった。



「いやあ、本当にすいませんね」


「なっ……なんで……」


「本当に、突然ねえ」



 狸の置物だけが、不自然に、訪問人の様に置いてあったのだ。


 瞬間―――綾人は駆け出していた。

 玄関の靴も全部蹴り散らかして、五郎の部屋まで一目散に。


 これが普段ならば、誰かの悪戯ドッキリかと考えるが、この信楽焼きからは、散歩中に感じた違和感が、嫌という程溢れ出していた。



「無力な乙女のように………あれが せがれとはあわ れとしか」



 信楽焼きが喋った。

 そして突然―――爆発のように煙を放って、置物から大量の狸へと早変わりする。



「何なんだよ! バケモノ、妖怪?!」


「人の足でのが れるか!」



 狸の声に怯えながらり家の中を駆け抜ける。

 五郎の部屋に行けば何とかなると、根拠の無い確信があったのだ。



「爺ちゃん、爺ちゃん!」


「来たか! 綾人、儂の後ろに下がれッ!」



 部屋に駆け込むと、なんたる事か。

 決して銃刀法見つければ決して許さないであろう刃渡りの刀を持った五郎が、丁度部屋から出ようとしていた。



「爺ちゃん、何それ! てか、何あれ!」


「話は後だ、下がっとれ綾人!」



 そう言って、綾人を残したまま五郎は部屋を出た。



「オヤジ………儂に力を貸しとくれ………」



 五郎は刀を握りしめて、今は亡き父に祈る。

 そのとき、狸の大群が現れた。



「初代出来損ないだ! 轢き殺しっちまえ!」



 そうだそうだと、狸達は騒ぎながらの猛突進。

 激突のタイミングに合わせて、五郎は刀を振り下ろした。



「ったあああああああ!」



「武器だ、武器を退けろ!」



 振り下ろされた刃を、狸達は華麗に回避。

 刃は狸を斬るどころか、勢い良く床へと突き刺さった。


 五郎は刀を引き抜こうと力を込めるが、深く刺さったのか抜ける気配は無い。

 狸達に踏みつけられ、突進に耐えて、刀にしがみ付く様になんとか倒れず抵抗している。



「綾人! 逃げろ綾人! お狐様連れて寺に逃げろ!」


「お狐様?! 今お面なんて気にしてる場合じゃ無いでしょ!」



 綾人は叫ぶが、狸達の猛突進に五郎の体制はどんどん低くなっていく。



「つべこべ騒ぐな、それでも儂の孫か!」



 五郎のピンチは苦しそうな声にも現れており、それを聞いた綾人は、生唾を飲み込んでから勇気を振り絞って、部屋から飛び出した。



「爺ちゃん、絶対人連れてくるから! 絶対耐えてて!」



 綾人は再び家の中を駆け抜ける。

 途中に廊下の壁からお狐様を回収して、玄関を目指し。



「絶対、絶対戻ってくるから……!」



 お狐様は、妙な手触りをしていた。

 木でもプラスチックでも鉄でも無い。


 確かに重みはあるが、そこに有るのか無いのか分からなくなってしまう様な、ずっと風に触れている様な手触りだ。


 廊下を走り、あと一つ角を曲がれば玄関。

 あと少し、ほんの数メートルで――――――。



「狸に化かされるってのは、どんな気分かえ?」


「――――――っあ」



 角の先には、狸の置物がそのまま巨大な本物の狸になった様な、化け物が立っていた。


 目が合った瞬間―――大狸の持っていた酒入れが勢い良く振るわれた。


 綾人は体制の整わぬまま緊急回避。

 大狸の傍を駆け抜けて、玄関から外へ飛び出した。


 追う様に聞こえる足音に怯えながら走って、次第に息が切れ始める。


 恐怖と疲れによって視界は薄れ、視界不良の中走っていた代償とでもいうことか、足元のわだちつまずいて、地面を転がる羽目となった。



「逃げるのは辞めかえ? もうしば し、生きても許すぞ」


「誰がお前の許可なんて…………!」


「無能が、一端の口を利きよって」



 下品な笑みを浮かべて、大狸は言った。

 そして、立ち上がろうとする綾人へと酒入れを振るい、ビー玉の様に容易く弾き飛ばした。


 飛ばされた綾人の手から、お狐様様が離れる。


 しかし―――命の危機の中、五郎が持てと言った物。

 落とす訳にはいかないと、精一杯手を伸ばした。


 酒入れで打たれて転がって、体の節々が痛む。

 食事中だったのに走り出したせいで、肺も今にはち切れそうだ。


 宙で辛うじてお狐様の名端を掴み、地面に打ち付けられても落とさない方法を考える。


 抱き抱えたとして、今疲弊した自分の腕は信用出来ない。

 足に挟む、着地と同時に落として終わりだ。

 いっそ落とす、無論論外。


 あり得ない程脳がよく回る―――そして、ふとお面の正しい仕様用途を思い出した。


 お面は持つものでも挟むものでもないのだ。



「―――被っちゃえばいいんだ」



 一言漏らして、お狐様を顔へと押し当てた。


 ――――――その瞬間、不思議な事が起きたのだ。


 一瞬意識が途切れ、体に莫大な力が籠る。

 その謎の力は勢いよく発せられて、地面に激突寸前の体を空中で跳ねさせ、地面から離れてから勝手に体が体制を整えて着地。


 そして、脳に大量の記憶を叩き込んだ。

 今の状況を脱するのに必要な、最低限の情報を。


 戻ったばかりの意識が再度朦朧としてしまう程の、膨大な情報を。



「…………いつぶりか」



 大狸が言った。

 次の瞬間―――家の壁の窓も突き破って、五郎の握っていた刀が綾人の手へと飛来し握られる。


 綾人の髪の色が、真っ白なお狐様に吸われるよう移動。

 黒かった髪は白く、白かったお狐様は真っ黒に染まった。



「貴様、使えるのか…………」



 今の綾人に、喋れる程の余力は無い。

 意識の有無も不明瞭だ。

 はたして今この体を操るのは綾人なのか、それ以外なのか。


 出来るのはただ、お狐様から送られた情報を実行するのみ。



「生かしてはおかぬ! 若い芽は今っ――――――」



 一瞬―――綾人へと酒入れを力強く振るったとほぼ同時に、袈裟の流れで大狸の体に筋が一本。

 そのまま体は斜めに流れて、一刀両断へと。



「若い芽は……早く………」



 視認も間に合わない程の一撃で完全に、大狸の命は断たれた。

 遺言とも断末魔とも取れない、実行する行動を呟き残して。


 それをハッキリと見届けた直後、綾人の意識も途絶えた。

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