第3話 現実はクソ……ではない可能性

「はいどうも~、キャッシュマネーです。今日はわたしの好きな音楽を紹介してみたいと思います」


 キャッシュマネーの背景はいつもとちがって黒い。彼女の前にはDJブースが設置されている。


「最近よく聴いてるのはマンダリン・コア。これは上海のクラブシーンで流行ってるやつなんだけど、欧米でも注目されつつあるんだよね。上海のクラブって全体的にド派手でバブリーなんだけど、小さいハコでは尖った音鳴らしてる人がいるみたい。特徴としては、ちょっとノスタルジックな上物で、でもビートはゴリゴリって感じかな。代表的なアーティストの曲をかけるね。まずはJUYIの"Long Grudge"」


 サブライム・ミュージックのプレイリストから曲を選択し、流す。キャッシュマネーはコンソールをいじりながら頭とお尻を振る。ピンクの髪と黒いワンピースのスカートが揺れて、現実ではありえないほど繊細な軌跡を描く。


 2年前にキャッシュマネーとしてデビューし、半年後にはサポーターがついてお金が入ってきたので、腕の立つモデラーに発注してアバターをリファインした。そこらで買える量産型モデルとは揺れのクオリティが段違いだ。


「次はフェリックス・フォレスト。この人は歌ものも作っててメロディがきれいだから、みんなこっちの方が好きかもしれない。それじゃあ聴いてください、"Sail Your Soul"」


 キャッシュマネーが踊る。ピンクの髪が汗ばむ肌に張りつく。短いスカートがふわりと舞いあがり、設定されたラインまで太腿をあらわにする。


 わたしは顧客の求めるものを理解している。


「今日はわたしの好きな音楽を紹介してみました。いつか音楽イベントをプロデュースしてみたいな。クラブとか貸し切ってさ。そしたらみんなと顔を合わせられるでしょ? いまはまだぼんやりとしたイメージが浮かんでるだけなんだけど、いつか実現させたいと思ってます。もし本当に開催されたら、絶対来てね。それでは、キャッシュマネーでした。バイバイ」



       $$$$$$$$$$$$$$



 通学時に乗る電車の定位置はいちばんうしろの車両のいちばんうしろの隅だ。


 わたしは角に向かって立ち、自分の体を衝立代わりにしてその陰でスマホを操作する。もし藤垣女子の制服を着てスマホを持っているところを見られたらたいへんだ。他の生徒や先生やOGや謎の部外者に通報されて、スマホ没収のうえに反省文を提出させられる羽目になる。わたしは空いている手に本を持ち、こちらを見ている怪しい者がいたらフレキシブル液晶がバキッと逝く勢いでスマホを折りたたみ、ページの下に滑りこませる。


 昨日のアーカイブのコメント欄をチェックする。



  ネコメシ@Nekomessi キャッシュマネーのイベントとか激アツだな

  カトウ@katohito なにげにイベントは初?

  油@Abraoil 絶対行くでしょ

  ゆきみ@yukimizawa 有料か無料かわかんないけど、かなり大きなハコがいるんじゃないか

  mikki@wm0505 フェリックスフォレスト気に入った

  麺棒@menbow VRのクラブイベントで踊るのメチャクチャ楽しいんだよな 下の階から苦情来るけど

  ののた@kanAszj 今度はイベントで集金か 銭ゲバだなあ ひょっとしてサポーターが減ってきてるのか?



 またあのアンチだ。まったく的はずれな分析をして、わかったような気になっている。IDがまたかわっている。こいつはブロックしてもきりがない。


 こんな的はずれのコメントでも信じてしまう人がいるかもしれない。この文章は削除するとして、こいつ自身に対しても何か手を打たねば。


 降りる駅が近づいてきたので、わたしはスマホをふたつ折りにし、鞄の底に隠した。ふりかえると、乗客はみんな自分のスマホとにらめっこしている。こんな社会でスマホを禁じるというのは、単なる修道院ごっこであり、俗世間から隔絶された乙女の楽園ごっこだ。何の意味もない。


 同じごっこでも、文化祭でのカフェごっこは楽しみだ。キャッシュマネーのライブ配信1回分にも満たない売上しか出ないだろうが、わたしにとってもクラスメイトにとっても意味のあるものになる。いや、意味のあるものにしてみせる。


 電車のドアが開く。人波に押されてわたしは外に出た。いつの間にか汗ばんでいた体をホームに吹く風が冷たく撫でていった。




 男装カフェプロジェクト第1回会議は昼休みの学食で開催された。


「じゃあ、まず設備担当から報告してもらおうかな」


 そう言っておいてわたしはカレー(中)を一口食べた。プロデューサーとして、すべてを自分でコントロールしようとはしない。部門ごとに担当者を決め、各自の裁量にまかせることでスピード感のある組織を作りあげた。


「実行委員に訊いてみたんだけど――」


 結良ゆらが茶碗のお茶で口を湿らせる。「調理室の三分の一を使わせてもらえることになった」


「それはよかった」


 わたしはカレーを食べ進める。


「それと、会場は2-Aの教室か、4号館の多目的室のどっちかだって」


「多目的室って教室とたいして広さ変わんなくない?」


 那海なみがラーメン(大)をすする。


「あとは中庭も空いてるって話だったけど」


「中庭か……」


 わたしはスプーンをくわえて校内の地図を頭に思い浮かべた。中庭は1号館1階の調理室に面していて、そこから食べ物やドリンクを運びこめる。広さはテニスコートくらいあって、教室よりもたくさんの人を収容できるだろう。


「悪くないな。屋外用の椅子やテーブルって借りれる?」


 わたしが尋ねると、結良はメモ帳をめくった。


「体育祭の本部で使う長机と椅子があるって言ってた」


「じゃあ中庭使ってオープンカフェにしようか。その方向で実行委員に話を通しておいて。あと、テーブルのサイズ確認して、それに合うテーブルクロスの確保お願い」


「わかった」


 結良がメモ帳に何か書きこむ。単なる無能な腰巾着だと思っていたが、こちらが指示していないことまで情報を集めていて、意外と使える。


「次はわたしね」


 れんがお弁当の蓋を閉じると、お母さんの手作りらしき美味しそうな炊きこみご飯が隠された。


「お父さんに相談したら、ドリンクはお店の方から卸値で分けてくれるって」


「それ助かるわ~」


 がラーメンをすする。彼女は会計担当だ。


「それで、メニューはなるべく絞った方がいいって言われた。ドリンクはアイスとホットのコーヒー、それからジュース1種類。フードはドーナツとかワッフルとか、あとはクッキーみたいなの。食器は用意するのも洗うのもたいへんだから、全部使い捨て」


「なるほど」


 わたしはスプーンを置き、水を飲んだ。プロのアドバイスは傾聴に値する。


「コーヒーだけど、インスタントでいいかな。粉からドリップするの時間と手間かかるし。あと原価も安い」


「うーん、インスタントか……」


 わたしはとなりでサンドイッチを食べている由芽花ゆめかに目を向けた。「カフェやるとこって他にもあるんだっけ?」


「3年生のどこかのクラスとテニス部。あと、たこ焼き屋やるとこもある。藤垣祭ふじがきさいの間は学食も開いてる」


 けっこうライバルが多い。差別化を図るにはどうすればいいのだろう。本物のお店なら外装で人目を惹けるが、藤垣祭のカフェはどこもこのクソダサ校舎内でやるのだから、そこで勝負はできない。


 カフェはごっこ遊びだが、きちんと利益は出したい。今年の藤垣祭の収益はすべて去年の関西豪雨で被災した提携校に寄付される。自分の懐に入らないからといって儲からなくていいとは思わない。お金が絡む以上、でっかく稼ぎたい――キャッシュマネーならきっとそうする。


「粉のコーヒーとインスタントってそんなにちがうの?」


「香りが全然ちがう。粉だったらお湯注いだ瞬間、部屋いっぱいにひろがるよ」


 加恋がなぜかむっとしたような顔で言う。


「それならさ、その香りでお客さん呼べるんじゃない? 店の前を通りかかってコーヒーのいい匂いしたら入りたくなるでしょ」


「確かに」


「加恋、粉から淹れることできる?」


「できるよ。家でやってるから」


「じゃあ粉でいこうよ。藤垣祭で本格コーヒー出すとこなんて他にないでしょ」


「そうしよっか」


「あと、加恋の家にコーヒー豆を挽く機械とかない?」


「あるけど、なんで?」


「店先に置いて豆を挽くとこ見せる。視覚と嗅覚に訴えかけてわたしたちの店に入りたくなるように仕向けるの。加恋がコーヒー淹れるところも見せよう」


「すごい……」


 結良が目を丸くしてわたしを見ている。「なんか成功する気がしてきた」


「家帰ったらもっかいお父さんに相談してみるよ」


 加恋がふたたびお弁当を食べはじめる。


「じゃあ最後に衣装係」


 わたしが言うと、みつが空の皿の載ったお盆をすこし脇にどかした。


「那海とも話しあったんだけど、みんなが言ってた執事の服、ちょっと予算的に無理っぽい」


「え~」


 加恋が唇を尖らせる。「こっちは執事でお客さんは貴族のお嬢様っていうコンセプトでやるってクラスのみんなで決めたじゃん」


「ていうかさ――」


 那海がラーメンの丼をごとりと動かす。「衣装代はもうゼロにしちゃいたいわけよ、会計担当としては」


「どういうこと?」


「みんな家から私服持ってきて、それ着て接客してほしい。白いシャツに黒いパンツでも穿いてさ。エプロンは用意するから」


「でもみんなで決めたじゃん」


 加恋が食いさがる。というのは別に協調性があるとか民主的であるということを意味しない。単に自分の意見を押しとおすのにというのを利用しているにすぎない。言っていることは真逆だが、こま先生の「他の人が反対するから」ということばと同種の脅し文句だ。


 そもそも、が正しいとは限らない。それよりも優秀なリーダーがあらゆる物事をひとりで決めるべきだ。多数決など必要ない。


 だがわたしはそうした信念とは真逆のことばを口にした。


「予算増やしてもらえるよう、わたしが実行委員と交渉してみるよ」


 クラスメイトの意向を尊重したわけではない。ただ加恋がやったことをわたしもやろうと思っただけだ。を盾に藤垣祭実行委委員を揺さぶる。わたしのネゴシエーションがどこまで通用するのか試すのだ。


 加恋が口を半開きにしてこちらを見ている。


「あんたが行くの?」


「責任者だからね」


 わたしはほほえんだ。加恋の視線にどこかわたしを仰ぎ見るような色が混じっているように感じた。


「わたしも行く」


 光稀がまっすぐにわたしを見つめる。「衣装のことを説明するなら、わたしがいた方がいいと思うから」


 彼女は笑う。わたしは笑わない。彼女の笑顔はこの話しあいをまとめあげたわたしの手腕に対する報酬だ。わたしはそれをおごそかな表情で心に刻む。




 下校する頃には空が翳りはじめていた。


 わたしは駅へと続く道をいつもより早足で歩いた。


「いや~、駄目だったね」


亜都紗あずさはよくがんばったよ」


 すこし遅れてついてくる光稀が言う。


 わたしたちは放課後、藤垣祭実行委員に補助金増額を求めて押しかけていたのだった。


「まあでも、あれだけ予算すくないんじゃ仕方ないか。他のクラスのも見せてもらったけど、飲食系じゃないとこは悲惨だったもんな」


 交渉は失敗したが、実行委員が無力であるということがわかったのは収穫だった。今後あの人たちに頼ることはないだろう。責任ある立場にいても、そこで何も決められず何も変えられないなら、リーダーとは言えない。


 わたしはリーダーだ。すべてを背負い、あたらしいものをこの手で作り出す。


「私服でいいじゃん。執事っていうコンセプトじゃなく、コーヒーの味と香りで勝負しよう」


 わたしは歩を緩め、光稀と肩を並べる。「ぶっちゃけ私服の方がいいと思ってた。たぶんコスプレっぽいのよりも、カジュアルな男装の方がみんな似合うよ」


「なんか他人事みたいに言うね」


 光稀に見つめられる。


「何それ、他人事って」


「亜都紗は男装しないの?」


「えっ、わたし?」


「自分がやりたいから張り切ってるんだと思ってた」


「わたしはやらないよ。裏方だから。それに、きっと似合わない」


「そんなことないよ」


 なぜか光稀は勢いこんで言う。「絶対似合う。わたしは見てみたい」


 彼女は顔が小さくて、すらりと背が高い。


 そんな彼女をわたしは見おろしている。わたしは身長170cmあって、クラスでいちばん背が高かった。


 キャッシュマネーの身長で、わたしは光稀を見あげたかった。ピンクの髪や黒いワンピースや頸椎カラーを似合うと言ってもらいたかった。


「まあいちおう考えておく」


 わたしは光稀の前に出て、正面から来る自転車をやりすごした。


「こうやってふたりで帰るの、はじめてだね」


 光稀の声が追いかけてくる。


「そうだっけ?」


「もっと話したいって思ってた。ふだん何してんの、とか」


「ふだんはVRやってるよ。サブライム・スフィア。知ってる?」


「知ってるよ。スフィアタグも持ってる」


「ホントに?」


 わたしはふりかえった。光稀みたいな人がスフィアをやってるなんて意外だった。


「よくストリーマーの配信観てる」


「たとえば誰の配信?」


「TiaDROPとか、まゆたんとらとか」


「カワイイ系だね」


「あと、これ知ってるかなあ、個人勢なんだけどキャッシュマネーって子」


 光稀がわたしに追いついた。わずかに息を切らしている。


 わたしは彼女を見つめた。


「知ってるよ。いつも見てる」


「ホントに?」


「キャッシュマネーのどこが好き?」


「かわいくて頭がよくて、『嫌われてもいいや』って感じで媚びずに自分の道を行ってるとこかな」


 わたしは膝が震えてまっすぐ歩くのがやっとだった。キャッシュマネーがしゃべっている間にどれほど多くのコメントがつこうと、光稀のことばほど心を動かすものはないと思った。


「実はわたし……」


 そっと彼女の袖をつかむ。「キャッシュマネーと相互なんだ」


「マジで?」


 彼女が目を剥く。


「ここだけの話だけどね、キャッシュマネーは今度イベントやるらしい。わたしが言えば招待してもらえると思う。よかったら光稀も来ない?」


「えっ……いいの?」


「だってわたしたち友達じゃん」


 光稀からスフィアタグとIDを聞き、わたしは裏垢を彼女に教えた。書きつけるにはすこし暗すぎて、点きはじめた街灯の下、おたがいのメモ帳を突きあわせる。世界に向けて公開された、でもふたりだけの秘密の名前が並んでいた。立ったまま書いたために歪み、右あがりになっているところがふたり似ているとわたしは思った。

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