第2話 現実はクソ
我が家では、朝、わたしがいちばん遅く家を出る。
学校までは40分。いつものクソダサ制服を着てわたしは電車に乗る。
わたしの通う
清楚なイメージを強調するにしても、やり方があるだろうと思う。首元はリボンにかえても落ち着いた色なら充分上品に仕上がる。スカートは明るいチェックがいい。上下同色にしたいなら、上はセーラー服にして、リボンも同じ色にするとシックに決まる。人気のある学校はそういうところを工夫している。
藤垣女子はかつて女子御三家に次ぐ人気校だったという。当然、志望者が多かったので、偏差値も高かった。だが21世紀に入る頃から人気が急落し、いまでは中等科の偏差値が50を切るありさまだ。わたしの叔母が通っていた20年前は東大合格者も毎年数人出ていたそうだが、2020年以降、東大・早慶合格ゼロという年が続いている。
そのような状態に陥った原因はいくつか考えられる。
一つ目はミッション系女子校というものが敬遠される風潮だ。受験生の親がそうした厳格な教育というものの効果をもはや信じていないのだ(実際にはそれほど厳格なわけではないが)。受験生自身はもちろん自由な校風の学校に憧れるのが常だ。藤垣女子はそうしたニーズを汲み取れなかった。
二つ目はイメージ戦略のミスだ。
制服もダサいが、藤垣女子は校舎もダサい。近くの区立小に似た、お役所的な建物だ。古いけれど伝統や格式は感じられない。
お受験でガチってる保護者は子供を国立か私立の上位校、あるいは都立の中高一貫校に入れる。では、わざわざ小・中学校受験をして上位以外の女子校を志望する層は学校に対して何を期待するか――それはイメージだ。「お嬢様感」だったり「上品さ」だったり「清く正しくうつくしい感じ」だったりが女子校には求められる。
そうした浮世離れしたイメージはおしゃれな制服やきれいな校舎によって演出される。先に権威が失墜したと指摘した「厳格な教育」も、そのような異世界感のある空間でなら個性として受け入れられうる。残念ながら藤垣女子にはそれがないので、日常の延長線上にあるのにやたらルールの細かい場所という、誰も得しないスポットになってしまっている。
三つ目は、教育内容で差別化を図れなかったことだ。
前世紀に藤垣女子より不人気で偏差値も低かった学校が、近年次々に躍進して我が校を追い抜いている。大学受験用のカリキュラムを整備したり、国際交流に力を入れたり、部活を強化したりした結果だ。藤垣女子はと言えば、受験勉強は予備校まかせ、国際交流は修学旅行で行く京都で外国人観光客を眺めるくらい。部活はどれもクソ弱い。
わたしがこの学校をプロデュースするとしたらどんな手を打つだろう。まず制服の変更と校舎のリフォームは行うとして、あとは思いきって共学化を目指すかもしれない。少子高齢社会でサバイブしていくためには、いままでのやり方を踏襲していてはだめだ。
そういえば、サブライムCEOのネオ・ブラッドリーも最近のインタビューで教育分野に興味があると言っていた。数々の商慣習を破壊してきた彼が藤垣女子のトップに立ったら、この学校をまったくの別物に作りかえるだろう。彼に影響を受けていて、おまけにストリーマーとしてファンのニーズに応える術を知っているわたしも、きっと藤垣女子に革命を起こせる。
そんなことを考えているうち、学校に着く。
高等科2年A組の教室はいつもどおり騒がしかった。仲良しグループが固まっておしゃべりをしている。スマホがないのでそれくらいしかすることがないのだ。
スマホ持ちこみ禁止なんていう校則が2033年にもなって存在し続けているということは一種の奇蹟であると言っていい。バチカンに申請すればこの学校自体が列聖されるのではないだろうか。
先生たちがスマホに疎いというわけでもないだろう。携帯電話が普及したのは1990年代半ばだから、その頃高校生だった者もいまでは50歳くらいだ。職員室のほぼ全員がスマホを生活必需品だと捉えているにちがいない。
ではなぜそんな彼らが生徒にスマホを禁じるのか。それは「むかしからそう決まっているから」という思考停止――要するに怠惰ゆえだ。自分の頭で考えることをやめてしまっているのだ。
澱んだ思考がこの学校を覆っている。さっきはプロデュースしてなんとか改善してやろうと思ったが、むしろこんな学校は潰れてしまった方がいいのかもしれない。考えることをやめてしまった者はさっさと退場すべきだ。わたしはつねにいろいろあたらしいことを考えてきた。だからいまのわたし、フォロワー12万人の人気ストリーマー・キャッシュマネーがある。
「昨日の配信とSYUNくんとHARUTOくんヤバかったわー」
わたしの正面では
「あのふたりの絡みマジヤバいよね~。あれもう半分カップルでしょ」
腰巾着の
「いやいや、ヤバいのはおまえらの方だよ」
そう言って
内部生が多い藤垣女子では、変わり映えのしないメンバーと年単位でくっついたり離れたりをくりかえす。わたしが加恋たちのグループに所属するのは中等科の2年生以来だが、こんなに退屈な連中だったろうかと驚かされた。今回、同じクラスになってまだ一月もたたないが、早くも苦痛で仕方ない。現実ってクソだ。
だがそんな中にも救いの光はある。学期ごとに開かれるミサの御利益だろうか。
「その配信、そんなにおもしろいのか。アーカイブあったらあとで観てみよ」
彼女はこのグループで唯一の外部生――中学受験で入ってきた生徒だ。入学してきたときから彼女は目立っていた。眉目秀麗・成績優秀・お父さんは有名なプロダクトデザイナーでお金持ちというチートキャラなのだから当然のことだろう。
わたしは彼女のとなりに座っている。彼女と同じクラスになるのは中1のとき以来だ。当時はあまり親しくなれなかった。いまこうして同じグループに属していて、友達になるチャンスだが、まだ話しかけるのにも緊張してしまう。
その光稀がわたしに目を向けた。
「
ここでわたしに振ってくれるの。
光稀は鼻筋がとおった凛々しい顔立ちで、髪型もモードっぽいショートカット。女性向けの美人って感じだ。彼女の私服は見たことがないけど、カシミアニットにジーンズみたいな、シンプルで上質なファッションがきっと似合うだろう。藤垣女子のクソダサ制服は似合わない。キャッシュマネーみたいなピンク髪もたぶん似合わない。
わたしは口を開き、今日初会話なためにガッサガサになった声を発した。
「わ、わたしは最近、フェリックス・フォレスト聴いてる」
「誰それ、外人?」
加恋がちょっと不機嫌そうな声を出す。
「フェリックス・フォレストは中国生まれのアメリカ人。上海のアンダーグラウンド・クラブシーン、いわゆるマンダリン・コアを代表するトラックメイカーだよ」
「いや亜都紗、急にめっちゃしゃべるやん」
那海が謎の関西弁でツッコんでくる。うるせえゴミカス。こういう奴が動画に揚げ足取りのクソ寒コメントつけてくるんだ。
「歌がないやつでしょ? そういうのわたし聴かない」
加恋が言う。はいはい、あなたたちはせいぜい自称アイドルの30代男性による口パクショーでキャーキャー言っててくださいよ。
「フェリックス・フォレストね。それってサブライム・ミュージックにあるかな」
光稀がメモを取る。
「全曲入ってる。MVもいいからサブストリームでさがしてみて」
「観てみる。ありがと」
話を聴いてくれる人がいるというのはいい。相手が2000人でも1人でも、その価値はかわらない。正しく受け入れられたと感じられる。
チャイムが鳴って、グループは解散する。わたしは満ち足りた気分で自分の席へともどった。
4時間目のロングホームルームは6月に行われる藤垣祭の出し物を決める話しあいだった。
司会を務める学級代表の
「メイドカフェとかいいんじゃない?」
那海が独り言にしては大きな声で言った。
教室が笑い声に包まれる。
「やれそうじゃない? 加恋のお父さん、カフェやってたよね?」
結良のことばに加恋が苦笑する。
「メイドカフェはやってないよ」
教卓の向こうの由芽花が
窓際に立っていた先生が教壇にのぼる。
「メイドカフェはなあ……他の先生から反対意見が出るかもしれないね。ちょっと藤垣女子らしくない」
この人はものわかりのいいおじさんのふりをして「でも他の人がああ言ってるから」という形で生徒の意見を潰す卑怯な人間だ。
クラスメイトたちは不興げな声を漏らす。
「でも、ちゃんとしたメイドの格好ならいいんじゃないですか」
「そうそう。貴族の家にいるようなやつ」
「そういうのだったらこの制服よりスカートも長いし」
いちばんうしろで聴いていたわたしは、先生もクラスメイトたちもどこかずれていると思った。
文化祭でやるお遊びであっても、お客さんからお金をもらう以上、満足してもらえるよう努力しなければならない。ネオ・ブラッドリーが掲げる5つのCの内のひとつ、顧客第一主義だ。
顧客第一主義を実現するために重要なのは、明確な顧客像を把握することだ。藤垣祭に参加できるのは生徒とその家族、それとOG。ということは――
「
突然名前を呼ばれて我に返った。由芽花がわたしを見つめている。
「意見があるならみんなの前で言ってもらえる?」
無意識の内にわたしは手を前に出して、いわゆるろくろをまわす手つきになっていた。考え事をするときの癖だ。配信をしているとどうしてもこうした身振り手振りがおおげさになってしまう。
わたしはおずおずと立ちあがった。横顔だけを見せていたクラスメイトたちが真正面の顔を向けてくる。
「メイドカフェもいいんですけど、はたして顧客がそれを望んでいるのか、考えてみる必要があります。藤垣祭に来場する人のほとんどは女性です。そうした客層にメイドカフェはアピールできるでしょうか」
クラスメイトたちがとなり同士話しだす。
「じゃあ何にする?」
「猫カフェとか?」
「漫画喫茶がいいな」
「メイドよりもイケメンがいい」
光稀がそう言って笑う。わたしも得たりとばかりにニタリと笑った。
「でもわたしたちにイケメンは調達できない。それならば――」
「男装……する? わたしたちが」
「はい正解」
わたしは指をパチンと鳴らして光稀を指差した。
教室中がどっと沸く。
「あの~……」
教壇の由芽花が呆れたような顔でこちらを見ている。「議事進行はわたしたちがするから……」
「ああ、ごめんね」
そう答えるが、頭はさげない。熱に浮かされたような表情で騒ぎはじめたクラスメイトたちを見おろして立っている。いまこの場をコントロールしているのはわたしだ。
窓際の生駒先生がこめかみに指を当てている。
「男装というのは……メイドよりも理解を得られない気がするなあ」
「おことばですが先生――」
わたしは小さく手を挙げる。「女性が男性の格好をして何がいけないのでしょうか。近年、伝統ある女子校でもスカートではなくスラックスを用いたジェンダーレス制服を採用するところが増えています。残念ながら藤垣女子ではそうしたことは議論の俎上にも載っていませんが、わたしたちの試みを通じて下級生たちがこうしたジェンダーの問題に関心を持ってくれればと考えています」
「今日の亜都紗、めっちゃしゃべるやんマジで」
那海が大きな声で言うが、誰も笑わない。
男装というテーマに刺激されたのか、先程までの沈黙が嘘のようにみんな積極的に意見を出す。それを愛美が板書する。みるみる黒板が文字で埋まっていった。
「ねえ井筒さん、よかったら今回の企画のプロデューサーをやってくれない?」
ホームルーム終了を告げるチャイムの下、由芽花が言った。
「いいよ。やる」
わたしは光稀に目を向けた。彼女の浮かべるどこか誇らしげな笑みを見て私は、まるで彼女のアバターであるかのようにまったく同じやり方で笑った。
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