キャッシュマネーフェスティバル
石川博品
第1話 ひさしぶりに雑談するぞー!
わたしでないわたしになるため、首にベビーパウダーをはたいた。
舞妓さんとか歌舞伎役者がするように、うなじまでパフを当てる。おっぱいのふもとに粉が落ちて、焼菓子のいちばん美味しそうなところみたいに見える。
姿見の前に立つ。骨ばった体で、首筋だけ白くなっていて、なんだか気味が悪い。むかしどこかでバズってた皮膚病の狸の画像を思い出す。
首に指を這わせて粉を取り、頬に塗ってみる。白い線が斜めに走って、すこし表情が険しくなったように感じられた。いつもリップを塗るくらいで、本格的な化粧はしたことがない。校則で禁じられていることだけが理由ではなかった。顔に何か塗りたくって化けても空しいだけだ。もっとすさまじい、顔だけでなく心も体も別のものになってしまう変身を、わたしは日常的に行っている。
頸椎カラーを喉に当て、ぐっと締めあげてうしろのベルクロで留める。長時間着けていると
首元がよれよれになったTシャツを着て、机の上に目をやる。明日の予習はもう済ませた。時計は7時半を指している。母は10時に帰ると言っていた。時間は充分にある。
部屋の中央に置いた椅子に腰をおろす。折った紙をキャスターに嚙ませてあるので動かない。トラッキングシューズを履いてベルトを締める。シューズというよりサンダルっぽい見た目だ。グローブも掌の部分がくりぬかれていて、籠手と呼んだ方がいいように思える。
外部カメラから取りこまれた部屋の映像を背景に、アプリのアイコンが浮かんでいる。わたしは手を伸ばして、その内のひとつをタップする。
目の前が白一色に塗り潰され、見慣れたロゴが回転しながら飛んでくる。
sublime sphere®
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一面の白が後方に流れていき、闇に包まれる。
おかえりなさい、キャッシュマネー@Ca$$$HMoNe\\\
闇の中に一人の少女が立っている。青く大きな瞳がまっすぐにわたしを見る。
髪は鮮やかなピンクのショートボブ。ゆったりした黒いワンピースを着ている。リストバンドはレインボーカラーだ。斜めがけしたショルダーバッグとハイカットのスニーカーは同じ白。
首には頸椎カラーを着けている。
わたしがニッと笑うと、少女も小さくきれいな歯を見せて笑う。わたしが右目をつぶると彼女も右目をつぶる。左目も同じ。HMDのセンサーが顔の動きをしっかり感知している。
グローブのはまった手を動かす。手首を曲げ、肘を曲げ、肩をまわす。指を一本一本動かす。ピンク髪の彼女がわたしの動きに追従する。
トラッキングシューズを後方に滑らせると、少女がその場で歩きだす。逆に動かすとうしろ歩きになる。両足を床に着けて爪先を押しこむと、彼女は走る。足全体を押しこむとジャンプする。片方の足全体ともう片方の爪先を押しこむと、しゃがむ。横歩きと方向転換も試す。
声を出してみる。ボイスチェンジャーが働いて、彼女の口から甘ったるく幼い声が漏れる。
これでチェックは終了。指を虚空でスライドさせ、メニューを開く。「スタート」をタップすると、少女が迫ってきて、わたしと一体化する。わたしは首元よれよれのTシャツを着て椅子に座っているわたしでなく、世界最大のVR空間サブライム・スフィアの住人、完全無欠の美少女・キャッシュマネー@Ca$$$HMoNe\\\となる。
周囲が明るくなる。殺風景な部屋の真ん中にキャッシュマネーは立っている。わたしの借りているホームスペースだ。部屋の中は物がなくてがらんとしているが、窓からは地上125階のうつくしい夜景が望める。現実の世界ではありえない高さのビルが色とりどりの光を星まで届くほどに積み重ねる。サブライム・スフィアは基本無料だが、こんないいホームスペースを借りるにはお金がかかる。
部屋を出たキャッシュマネーはエレベーターに乗って地上に向かう。送られてきたメッセージやニュースが視界の端を流れていく。
あまたに@amataamaさんがあなたの公開ウィッシュリストから「紅茶楽園 5ooml×24本」をギフトとして贈りました
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あまたにさんはキャッシュマネーのサポーターで、毎月のサブスク購入と
Tiaちゃんの配信はいまからだと観れそうにない。アーカイブが残ることを期待しよう。
他のニュースには興味が湧かない。キャッシュマネーは流れる文字列から目を逸らした。ガラス張りのエレベーターが落下するような速度で街の灯の底に沈んでいく。
サブライム・スフィアの母体であるサブライムは世界最大のEC企業で、SNSのサブチャットや動画配信サービスのサブストリームを運営していたが、サブライム・スフィアがローンチされると、それらの各種サービスは統合され、すべてVR空間内で利用できるようになった。もちろん本家サブライムでの買い物もスフィアの中で行える。
1階に着いたのでエレベーターを降りる。
ロビーはモダンでおしゃれな雰囲気だ。このマンションのオーナーの趣味だろう。いかにも座り心地のよさそうな革のソファが並んでいる。その座り心地を確かめるにはハプティックスーツを着ていなくてはならない。それでも現代の技術では「座っている」ことがわかるくらいで、革の質感やスプリングの利き具合なんかは感じ取れない。
わたしはグローブ以外、そうした触覚デバイスを身に着けていない。ことばとかわいすぎる容姿だけを頼りにキャッシュマネーはスフィアで生きていく。
マンションを出て通りを歩く。ピークタイムには早いので、人出はそこそこだ。車道を自転車が行き交っている。エアロバイクを接続してVRトレーニングをするというのが流行っているという。
ミリタリーな格好をした女性が向こうから歩いてくる。手には黄色いスキンのサブマシンガンがある。すれちがうとき、 彼女は指を2本立てて挨拶してきた。キャッシュマネーは手を振りかえす。
彼女はこの地域を守る
すこし行くとスタジオが見えてきた。入口の前に人だかりができている。彼女たちはキャッシュマネーをみとめると、手を振ってきた。
あっという間にキャッシュマネーは人の輪に囲まれてしまう。身長140cm設定のキャッシュマネーよりも背の高いアバターばかりだ。声をかけられ、握手を求められて、キャッシュマネーはお姉さんたちを見あげ続ける。
これがロリキャラのつらいところだ。このせいでわたしは首を痛めてしまった。頸椎カラーはそのときの名残だ。
「配信がんばってね」
「いっぱいコメントする」
「最後までここで観てるから」
入り待ちのファンの声に送られてキャッシュマネーはスタジオに入る。月極で借りているホームスペースとちがい、このスタジオは時間単位の契約だ。プロ用の録画・編集アプリの使用権も契約に含まれているので、ホームスペースで作業するよりもいろいろと捗る。
真っ白で何もないブースの中に、保存してあるインテリアを読みこませる。おすすめの本やアイテムのアフィリエイト広告、スポンサー企業のロゴ、送ってもらったファンアートをキャッシュマネーの背後に配置する。
ヴァーチャルドローンの可動範囲を設定する。スフィア内の配信は視聴者が好きな角度から観られるが、その際にカメラの役割を果たすのが、目には見えない仮想のドローンだ。これを自由にしておくと、スカートの中まで見られてしまう。アバターのパンツなんて見られても減るもんじゃないが、パンツ見放題の配信をしていると変な視聴者がついて、まともなファンは減っていく。
配信の前準備が整ったので、チャンネルのデータを表示させる。
キャッシュマネー・オフィシャル
サポーター 1,549(+29)
フォロワー 124,701(+457)
前回の動画 【トレンド分析】2ALダークツーリズムがアツい⁉
再生回数 53,255
平均再生時間 3分08秒
昨日アップした動画は、サブストリームで最近流行っている動画を紹介したものだ。2ALエリアは、迷いこんだら殺されてアカウントが消滅してしまうので恐れられているが、怖いもの見たさで関心を集めてもいる。そうした需要を満たすため、2ALのディープなエリアに潜入して動画を撮影するストリーマーが現れはじめた。いつかヤバい連中に出くわして殺されてしまう者も出るかもしれない。
視聴者維持率のグラフを表示させる。5分28秒のところでガクッと維持率が低下している。よく言われる「5分の壁」のためでもあろうが、何本か動画を紹介したあとですこし長めの解説を入れたのがよくなかったのかもしれない。サムネと動画タイトルで飛んできた人がここで興味を失ったものと思われる。
ユーザー層をチェックする。いつもどおり、いちばん多いのが「10代女性」で、「30代男性」「20代男性」がそれに続く。ドネーションは年齢の高い男性からのものが多いのだが、そちらに媚びてコアとなる女性層を失えばチャンネルの軸がぶれてしまうので、バランスを取っていきたい。
先月、人気ストリーマーのまゆたんとら@mayutantraちゃんとコラボしたのがきっかけでフォロワーが増えたが、その勢いも落ち着いてきた。次の一手を早急に打たなくてはならない。
日課の一人反省会が終わったところで、配信の準備を再開する。今日は雑談ライブ配信なので簡単だ。編集の手間もかからない。
映像と音声をチェックする。指で四角を描き、サブストリームの画面を呼び出す。きっとスタジオの前にいる彼女たちもこうして配信を観る。
オープニングが流れ、緊張が高まってくる。わたしは深呼吸した。キャッシュマネーも表情が硬い。わたしはほほえんでみせる。
「はいどうも~、キャッシュマネーで~す。
「今日はひさしぶりにライブで雑談していきたいと思います。
「ホントいつぶり? まゆたんとらちゃんとコラボしたあとにやって以来か。
「最近は短めの動画メインだったけど、またライブ配信もやっていきたいな。
「今日はスフィアのトレンドのこととか解説していきたいと思ってます。あとは最近読んだ本のこととか。『こういう話して』っていうのがあったら、コメ欄に書いてね」
ユーキ@YUKI110 はじまった
きゅう@QQQ999 はじまった
プリプリ@Pritth 待ってた
鳥海@atsushi43 今日もかわいい!
mikki@wm0505 はいどうも~
○¥500 だんす@HIT_FLOOR 首の治療費
ナイスタ@nw15sf 生配信は先月以来?
ののた@puomaid 再生回数が伸びなくなっってきたからライブで投げ銭狙いかよ
アンチのコメントに目が留まる。こいつは何度ブロックしても別垢を作ってコメントしてくる。IDが変わっても
気を取り直してトークに入る。
キャッシュマネーの採りあげる話題は、他のストリーマーのようなアニメやゲームに関することではない。わたしは自分自身や動画を観てくれている人たちが成長できる、新しい視点を持つことができるようなテーマについて語っていきたいと思う。決してキャッチーなものではない。サムネのキャッシュマネーを見て飛んできて、すぐに離れていく人もいる。それでもフォロワーやサポーターはキャッシュマネーについてきてくれている。愛されていると感じる。
「まあ、2AL絶対ムリって人の気持ちもわかるけどね。死んだらサブライムのアカウントも消えちゃうわけだから。
「電子書籍を買ってる人は別垢でやらなきゃダメだよ。
「あれはもともとサブライムがどこかの国で裁判に負けたことから来てるんだよね。アカウント削除したら企業が持ってる個人情報を完全に消去しろって判決。
「じゃあ消してやんよっていうのがこの2ALだよね。
「不安とか不便ってふつうは避けるものだけど、サブライムはあえてそういうのをサービスに取り入れてると思う」
ムッシュ@misterJP 友達が2ALで殺されかけたって言ってた
残念太郎@bummerboy むしろスフィア全部2ALにしてほしいわ
kvadrat@kvadrat178 キャッシュマネーも2ALに住んでるんでしょ? ヤバくない?
イシグロ@Stonegrey 表通り歩くぶんには意外と安全だよね
zeel@zeel1601 確かに2ALに慣れると他のワールドは物足りなくなる
イケ@MPUHIE ドイツじゃなかった?
「あ、そうそう、ドイツね。
「最近読んだ本で『トゥー・ビー・サブライム』っていうのがあって、これはサブライムから独立して宇宙開発系のスタートアップをはじめた人が書いてるんだけど、
「ここにリンク張っとくね。
「サブライムが最初DVDのオンラインレンタル事業をやってたっていうのはみんな知ってると思うけど、ある時期から『他のジャンルの商品も扱ってほしい』ってリクエストが多く来るようになったんだ。でもCEOのネオ・ブラッドリーはそれをしなかった。
「なぜかというと、彼はまず顧客に『サブライムに来ればどんな映像ソフトも手に入る』って思ってもらいたかったから。だから、他の分野は後回しにしてDVDの品揃えを完璧にしようとした。
「配信とかでも同じことが言えると思う。
「再生回数やフォロワー数が伸びないって悩んでる人、自分の動画から不快な要素を完全に取り除こうとしたり、説明不足を避けようとしてテロップを入れすぎたりしてない?
「実はそういうところに個性って隠れてるんだ。
「あなたのその『欠点』、本当に欠点なのかな?
「わたしもたくさんの人に嫌われてると思う。でもそれで自分の道を曲げるような真似はしなかった。だからいま、こうしてみんなといっしょにいれるんだよね」
油@Abraoil 俺もう2回死んでるから何も怖くねーわ
○¥4771 たぬ吉@minttanuki キャッシュマネーは死なないでね
ハシモト@hasikko 一回行ったけど怖かった
mikki@wm0505 普段どんな音楽聞いてるか教えて
結衣奈@yuinaaa そっか 別垢作ればいいのか
ゴマ@kurokaz 何人かで行けば全然怖くないよ~ >2AL
○¥10000 あまたに@amataama 今度2AL歩くロケやってみてほしい
ロディ@RODYYEL 早速ポチった!
ゆきみ@yukimizawa キャッシュマネーのおすすめだから読んでみるか
ユーキ@YUKI110 キャッシュマネーはいろんなこと知ってんなあ
ミカン@natsumi0307 2度あることは3度ある >油
きゅう@QQQ999 ここのコメント欄愛があふれてて好き
ジョン太@Jfotoshi スタートアップって何
ののた@puomaid さっきの話と微妙にずれてない?
イツキ@ItukiXXXkyun わかるなあ。欠点と個性って紙一重だよね。
ののた@puomaid アフィのために無理矢理つなげた感
白石@sasmaru DVDなんて最後に買ったのいつだったかな
キャッシュマネーはしゃべり続ける。
体に汗がにじむ。頸椎カラーの下がぐしゃぐしゃに濡れている。
体育でサッカーの試合をしたあとみたいに頭が真っ白になる。あのときとちがうのは、2000人の視聴者を前にしてパフォーマンスをしているということだ。
まるでボールを持ってゴール前に切りこんでいくストライカーのように、キャッシュマネーは観客の視線を一身に集める。彼女の背後には何もない。彼女の前にも何もない。彼女こそが表現であり、価値であり、世界だ。
わたしは30分間、身も心もキャッシュマネーであり続けた。やがてそれも終わる。
「今日は久しぶりのライブ配信で楽しかったな~。
「やっぱライブはいいね。リアルタイムでリアクションもらえるから。
「リアルタイムでリアクション。
「たくさんのコメントとドネーション、どうもありがとう。
「次は明後日、動画をあげる予定。来週あたりまた配信やろっかな。
「それじゃあ、終わりにします。最後まで観てくれて本当にありがとう。
「キャッシュマネーでした。バイバイ」
やぎ@meemeeyagi もう30分たった?
Rekka@Rekkayama またライブやってほしい
ユーキ@YUKI110 たくさん動画見たいけど無理してほしくないなあ
ゆきみ@yukimizawa この時間に個人勢が同接2000人ってすごいよな
ののた@puomaid [このコメントはチャンネル管理者によって削除されました]
白石@sasmaru 終わりか
たぬ吉@minttanuki すごい楽しかった!
zeel@zeel160 お疲れ
ハムカツ@hamuhamu お疲れ
mikki@wm0505 お疲れ様
ミカン@natumi0307 お疲れ~
[配信は終了しました]
ログアウトし、HMDをはずす。汗かきびしょ濡れゾーンがわたしの頭を一周している。
頸椎カラーの下はもっとひどくて、汗を吸ったベビーパウダーがこねはじめの紙粘土みたいにねばつく。
水を飲もうとキッチンへ行く。
濡れた髪の父が缶ビールを飲みながらテレビを観ていた。
「あれ? お母さんは?」
わたしは冷蔵庫から水のペットボトルを出してコップに注いだ。父がソファの背もたれに頭を預けてこちらを見る。
「残業するから遅くなるって」
「じゃあ先にお風呂入っちゃお」
わたしは冷たい水を喉に流しこんだ。
お風呂は好きだ。浴室掃除とお風呂を沸かすのはわたしの役目だから、熱いお風呂に入ると、正しく報酬を受け取ったという気分になる。
髪と体を洗って湯船に浸かる。細かい気泡が肌につく。お湯の上の首筋がベビーパウダーのおかげでしっとりつやつやしている
今日のライブ配信をふりかえる。ドネーションが計5万円。毎週配信を行えば臨時収入としてはかなりのものになる。定期収入としてはサポーターからの月額料金がある。月500円の内、サブライムに3割取られて350円。わたしのサポーターは約1500人いるので、月に50万円強。さらに動画についている広告料もある。
はたしてこれが真っ当な稼ぎなのかと考えてしまうときもある。両親の月収は知らないが、時給でいえばわたしの方が上だろう。
ふと、アンチのことばが頭によみがえる。なんであれほどわたしに粘着するのか。文句があるなら他のチャンネルを観ればいい。批判的なコメントや動画への低評価はストリーマーとして活動する以上、避けられないものではある。でもわたしはそれをゼロにしたい。すべての人に愛されたい。わがまますぎるだろうか。
湯船の中に沈む。肌を離れて浮かびあがる細かい気泡を口から漏れた大きな泡が追い越していった。
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