第22話

 「おはよう英智」


 「おはようございます」


 朝も早いというのに、昴は今日もしっかりと身支度を整えている。

 ワイシャツの上から紺色のエプロンをして卵焼きを焼いているのが、朝から仕事をバリバリこなしそうな出来る男の部分を崩している。なんというか、家庭的だ。


 「いい匂い……」


 「ご飯よそってくれるか?」


 うなずいて二人分のごはんをよそって振り返ると、食卓にはほかほかと湯気の立つ味噌汁と焼き鮭、卵焼きが並べられていた。

 いつもながら立派で美味しそうな朝食のおかずたちの横に白いご飯を置いてその献立を完璧なものにしてから、英智はエプロンを外して席に座った養い親をさりげなく観察する。

 そして少しだけ眉根を寄せた。


 昴は昨日、英智が寝てしまってから帰ってきたはずだ。

 睡眠時間は短いはずなのに、完璧に仕上がったこの朝食。いったい昴はいつ寝ているのだろう。


 「いただきます」


 「召し上がれ。たくさん食べろよ」


 手を合わせた英智を見て軽くうなずく養い親に、寝不足の様子は見られなかった。

 むくみなど全くない目の白目部分は真珠をはめ込んだように濁りなく澄んでいて、茶色の瞳の輪郭はくっきりと濃い。もちろん目の下に隈なんてものは存在しない。


 「昴さん、昨日遅かったよね?」


 「ああ、まあな」


 鮭の身をほぐしながら、昴は英智の言葉にうなずいた。

 だけど続く言葉は無い。どうして遅くなったのかを言う気はないようだった。


 いつもならそれを察して英智も口を閉ざすのだけれど、丁寧な箸使いで朝食を食べる昴が、いったい昨夜何をしていたのか知りたくて我慢できなくなった。

 遅れてきた賢者タイムは早々にどこかへ引っ込んで、また腹の底が引き攣れるような欲が顔をのぞかせる。


 普段なら絶対に出ない電話に出て、いつもならその欠片も見せないであろう仕事の時の険しい表情を昴から引き出した宗片とは、いったいどういう人物なのだろうか。

 英智を置いて、その相手といったい何をしていたのか。気になって仕方がない。


 寝起きに感じた後味の悪さも引っこんで、昨夜、昴の部屋で己を慰めながら感じた欲は成長し収まる気配がなかった。朝食のほのぼのとした匂いを嗅いでいてさえ。


 「何か、あったの?」


 英智の問いかけに、昴は鮭をほぐす手を一瞬止めた。


 俺には見せてくれない顔を、いったい誰に見せて、どんな会話をしたの。

 いつもは俺を優先してくれるのに、どうして置いていったの? そういう思いがぐるぐると渦巻く。


 味噌汁をかき回すと、豆腐とワカメがくるくると回る。

 その中にそういう煮えたような思いを落とし込もうとするけれど、立ち昇る湯気をふうっと吹き払ってから出た言葉は、飲み下せなかったわがままな感情だった。


 「誰と会ってたの?」


 昴は鮭の小骨を器用に箸でつまみ上げ、身を口にしてから英智を見た。そしていつも通りに義理の息子に微笑んだ。


 「仕事相手だ。……早く食べないと遅刻するぞ?」


 じゃあ仕事って、なに。


 そう言いたいのに、言えなかった。

 昴の仕事上、言ってはいけないことが山ほどあるのは承知しているし、欲を抱えた自分がどうしようなくわがままになっている自覚もある。


 昴が言わないと判断したことは、ずっと、英智が聞かなくてもいいことだった。

 昴が間違えたことなどなかったではないか。


 彼が教えてくれなかった〝功を焦ったマヌケのヘマ〟のことを瀬下が英智に教えた結果、自分はなんだかもやもやした嫌な感情に苛まれている。

 昨日事務所の帰りにドアを覗いて昴と小原の会話を盗み聞きした結果浮かんだ気持ちも含めて、こういう感情は決して良いものではないだろう。


 「昴さん。あんまり、無理しないでね……」


 自戒を込めて絞り出せたのは、そんな当たり障りのない言葉だった。

 ただ、無理をしてほしくないというのは心からのものではあった。


 ふっと目元を和らげた昴の笑みを見ながら、綺麗に焼けた卵焼きを口にする。

 英智の好きなこの甘い卵焼きは、昼の弁当にも登場するだろうと思った。

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