第21話

 自分の部屋で目が覚めると、ドアの向こうですでに昴が起きて動いている気配がした。


 枕の横に置いたスマートフォンの時計は午前七時少し前、アラームが鳴る前に目が覚めたらしい。

 アラーム機能をオフにして、繋げっぱなしだった充電器のコードを外した。スマホに灯った小さな緑のランプがふっと消え、枕元に置いたスマホの角度が変わる。そのせいでカーテンの隙間を縫って斜めから差し込む朝日が、スマホの画面を反射して目を焼いた。

 それでなくとも日差しは朝から強烈で、今日も相変わらず蒸し暑い。


 なんとなく太股とひざ裏あたりが張っているような気がして、起き上がってぐっと伸びをすると、背骨がポキッと小さく鳴った。


 昔は床で転がって寝ていた。たまに段ボールを床の上に敷けた時は最高の寝心地だと思っていたような気がする。

 以前の寝具事情を思い出し、マットレスのありがたさに思わず今まで寝ていたベッドをながめてしまった。


 以前はコンビニのビニール袋が掛布団代わりだったけれど、今では冬用、春用、夏用、猛暑日用と、季節と気温に合わせて布団が入れ替わる。高さや硬さまで考えた枕を使って寝ている今の生活は、つくづく贅沢だと思う。

 その贅沢なベッドで寝ていて、起きたら関節が鳴るとはいったいどんな寝相をしていたのだろう。


 意識がない時の自分に首を傾げつつ、クローゼットを開けて制服を引っ張り出そうとして、一人であっ……と声を漏らしてしまった。

 妙なコリの原因は、昴の部屋でしたひとり遊びのせいだろう。その時はただただ興奮していただけだが、一晩経って朝の光を浴びたら猛烈な後味の悪さを覚えた。


 遅れてきた賢者タイムというやつか。

 何度経験しても慣れない、いたたまれないどんよりとした気分を抱えながら制服に着替え、洗面所で顔を洗う。

 濡れたまま顔を上げ目に入りそうだった滴を乱暴に拭くと、鏡の中から不機嫌そうな顔が見返してきた。


 鋭角的に尖った黒い目。右眉の端には昔、母親の同棲相手から殴られた時についた傷跡が斜めに走っている。今はもう薄くなったけれど、その時は痛みよりも大量に噴出した血に心底震えたものだ。


 流れ出る血への恐怖よりも、血が男や母親の持ち物を汚さないかが怖かった。それがたとえゴミでも、彼らにとっては関係ない。ゴミ以下の存在である英智が、自分の持ち物を汚したということが許せないのだ。

 そして英智が彼らの機嫌を損ねれば、もっと強く、もっとたくさん殴られることになる。


 鏡に映る自分の体は、子供から大人に成長する途中とはいえそれなりに分厚くごつごつしている。目つきや傷跡のせいだけでなく、雰囲気もなんとなく刺々しい。

 昴とはどこも似ていない。当然だ。


 溜め息をひとつこぼし、身支度を整えてダイニングへ。

 ドアを開けた瞬間に漂うのは朝食の匂い。魚が焼ける匂いと、気ぜわしい朝でも嗅ぐだけでほっとする出汁の香りだった。

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