第20話
漂うのは昴の匂いだ。
匂い、というよりも、昴の物が多くある空間に漂う、穏やかな空気と言ったほうがいいかもしれない。
それは英智を見つめる優しい笑みに似ていて、甘い匂いがゆったりと包み込んでくれる。
一番最初に昴と出会った時に、彼がくれたコートからも同じ空気を感じたことを覚えているから、たぶんこれは刷り込みなんだろう。思えばそれが、英智の中で〝安心〟という感情を覚えた初めての出来事だった。
ドアノブから手を離した瞬間にドアは音もなく閉まり、英智の周りは真っ暗になる。明かりとして認識できるのはノートパソコンの充電ランプやカーテンの隙間から漏れるわずかな明りだけだ。
暗闇の中、昴の匂いがする甘い空気と安心感に包まれて、英智は床に座り込む。
フローリングの床はひんやりと冷たい。むき出しの上半身を壁に預け、英智はこくんと唾を飲み込んだ。
そろりと下半身に手を伸ばす。
「昴さ……ん」
目を閉じてまぶたの裏に映るもやもやした何かは、次第に育ての親の横顔に変わっていく。
今日の帰り道。商店街の和やかな雰囲気の中、夕日の紅色がかった紫の光に照らされた彼の横顔は綺麗だった。
虫一匹殺せないような、穏やかな横顔。
英智を甘やかし、さくらんぼを譲って微笑む優しい顔。
「ごめ……なさ、っ昴さん……っ」
その保護者然とした、慈愛からくる美しい横顔に欲情する。
ぐちゅぐちゅと己の下肢から響く水音が、まぶたの裏に浮かぶその横顔を白く汚していく。
「……っ」
いつでも英智に優しくしてくれた昴。
そこに事務所での冷たくて凶暴な横顔が重なって、痛いくらいに欲が引きつった。
英智が右手に握る欲望をその身体に突き入れたら、あの優しい人はどんな顔をするだろう?
さくらんぼの嘘を許した時のように、仕方がないなと甘やかして微笑むだろうか。
さすがに泣いて怒るだろうか。
そう考えて、背中に走った電流のような快感を右手に握りこんだ欲の中に落とし込む。
泣く……?
あの強い人が?
警察にも顔がきき、ヤクザたちからも一目置かれるあの人が?
ぺろっと舌を出し、英智は乾いた唇を舐める。
彼の屹立を擦り上げたら、もしかしてあの穏やかな眼差しを歪めて泣いたりするのだろうか。
育てた子供にそんなところを弄られる嫌悪感からか、それとも快感からか。
「……っゃば、気持ちい……」
想像すると止まらない。
身体を無理に開かされる痛みに泣く顔は、どんな感じだろう。
事務所で見た時のような鋭い光を放つあの目で、英智のことを睨みつけるのだろうか。
それとも……英智の顔を見て泣くんだろうか?
「……くっ」
一時的に欲を吐き出しても終わらない渇きに喉が震えた。
首にかけていたタオルで白く濁った欲の塊を拭いながら、考える。
全身を支配するこの飢餓感は、昴という人の全部を暴いて食い尽くさなければきっと満たされないだろう……と。
親子では触れてはいけないところに触れてみたいとは思っていたけれど、昨日まではそれはただ漠然とした欲だった。
義理の父親という対象が少し変わっているが、けれどその欲のあり方は、露出の多い肌色にあてられてモヤモヤするような思春期特有のよくあるものだったと思う。
けれど今日、事務所で見た凶暴な笑みや、英智を甘やかす顔を崩さないポーカーフェイスを目の当たりにしてさらに深く刺激され、強烈な情欲に変わってしまった。
ただ肌を見て興奮するだけでは済まない。全てを暴いて自分のものにしなければ治まらない、独占欲の慣れの果て。凶悪な情だ。
全部見たい。全部知りたい。どうして教えてくれないのか、なんで見せてくれないのか。
俺が昴さんの善意を裏切ってこんな真似をしてるって、それを知ったらいったいどんな顔をするの。
ねえ、
「昴さん……」
腹の奥が焼け爛れるほどの飢餓感。
自分を助けてくれた大切な人にとって、ちゃんとしていたい。良い子でいたいという理性を食い破り、自分が自分でなくなってしまうほどの飢えだった。
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