第17話

 キッチンに立つ昴はいつも紺色のエプロンをしている。


 「英智、皿出してくれ」


 「はい」


 生姜焼きの良い匂いに腹が刺激され、ぐきゅうぅと腹の虫が切ない悲鳴を上げた。

 帰りに肉屋の主人におまけでもらったコロッケなんて、とっくに消化されてしまっている。


 「なんか今、すごい音が聞こえたな」


 英智から白い皿を受け取った昴が笑いながら言う。


 「俺の腹の虫が……」


 「健康的でいいことだ。おかわりもあるぞ」


 いただきます。と二人そろってから手を合わせる。

 そして昴はいつも、「召し上がれ」のあとに「たくさん食べろよ」と言う。


 「おいしいです」


 そう言うと、昴は微笑んだ。事務所で見た飯田の不始末を嘲るような笑みではなく、心底嬉しそうな笑顔だった。


 彼は英智が知らない顔をいくつも持っている。

 そういう当たり前のことなのにわかっていなかったことに、気づいてしまった。昴のために何かしたいと思う気持ちと一緒に、その英智が知らない顔を全て暴きたいという飢えに似た欲求がさらに大きく育つのを感じた。


 「昴さんの仕事って、何か……やばいことに、なってるの?」

 

 だから、事務所で今日聞いた通りに昴が何か大変なことに巻き込まれているのなら、それを知っておきたかった。それを知って、自分が何か昴にできることがあるのなら、どんなことでもしたいと思った。


 それが瀬下に問われたことの答えになるのではないかと思った。

 そうして徐々に英智が知らない昴の側面を知っていけたらいい。


 そう思って問いかけたのだけれど、「英智が心配するようなことは、何もないぞ」と、昴はゆったりと微笑んだ。

 拒絶している笑みではない。だけど、昴が英智に見せない面まで踏み込むことを容認した笑みでもない。


 「でも、俺に何かできることがあるなら、したい」


 「それはすごく頼もしいが」


 そう言いながら、昴は立ち上がった。

 空になった英智の茶碗にご飯のおかわりをよそうためだ。


 炊飯器を開けてしゃもじで米をすくいながら、昴は言葉を続けた。


 「英智が心配するようなことは、本当に何もないよ」


 それはつまり英智が昴のためにすることもないということで、昴は甘やかす顔以外を英智に見せる気はないということだった。


 「…………」


 ご飯のおかわりを受け取って、ひと口食べる。

 お米の甘い味がした。


 それがすごく悔しかった。

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