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第16話
瀬下の運転で家に帰る。
さすがにあの黄色い車ではないが、堅気の人間たちが行きかう商店街に威圧感を漂わせる車で乗り付けるわけにもいかず、それなりに大人しい車種の車である。
後部座席に一緒に座った昴は事務所で盗み見た冷たい空気は纏っておらず、生姜焼きの付け合わせは何がいいかと問うその様子は穏やかの一言につきた。
交流が少ないために代わり映えしない英智の学校生活の話に相づちを打ち、静かにアーモンド形の瞳を細める姿には極道を少しも感じない。
もめているらしいのに護衛もつけず商店街にある肉屋へ寄って、生姜焼きの材料と一緒に明日の弁当のから揚げのための鶏肉を吟味する後ろ姿は、もはやただの主夫だった。
大きなスーパーよりもこじんまりとした商店を好む昴は、英智を自分の息子として施設から引き取って以来ずっとこの商店街で買い物をしている。
ブランドの高級スーツに身を包み、そのスーツに負けない品格を漂わせる昴は夕飯の買い物にきたおばちゃんたちの中ではかなり浮いているのだが、肉屋の主人は慣れた様子で対応している。
今日の晩飯は生姜焼きか。なんて声をかけ、昴の後ろでぼーっと立っていた英智のためにコロッケをおまけしてくれる。
肉屋の主人だけじゃなく、ここにいる商店街の店主や常連たちは、何らかの事情があって昴がかなり若い年齢で英智を引き取ったことを知っている。おそらく昴が一般的な職種の人間でないことも。
けれどガリガリに痩せていた英智に昔からみんな優しくて、当時の様子を見ている彼らは大きく育った今の英智を見てもまだ何かと食べさせたがる。
育ちざかりは食わなきゃな! と揚げたてのコロッケを差し出す肉屋の主人に周りのおばちゃんたちは同意して、いつもありがとうございますと頭を下げる昴の肩を「あなたがいるならお化粧をちゃんとしてくるんだったわ~」と言いながらバンバン叩く。
事務所にいる連中が見たら卒倒しそうな光景も、英智にはこちらのほうが見慣れたものだった。
夕暮れの色を浴びて微笑む育ての親。
小さい頃は見上げていて、今では少し見下ろすようになった横顔。
それを奇麗だと思ったのは、いつからだっただろうか。
透明度の高い茶色の瞳に夕日の色が反射して、果実の表面についた雫がキラキラと光るような美しさに息を飲んだのはいつだっただろう。
商店街の常連たちがもてはやすように、自分の養い親が映画やドラマの世界に住む住人と同じかそれ以上に整った顔立ちをしているのだと気づいたのは、いったい何がきっかけだったのか。
ほかほかと湯気を立てるコロッケにかぶりつきながら、その白い湯気越しに血の繋がらない親の横顔を盗み見る。
コロッケの匂いがする湯気は、さっき事務所で小原と骨すら断ち切りそうなほど冷たい目をして笑っていた昴の姿をぼんやりと霞ませた。
あれは夢だったのかもしれない、なんて思ってしまいそうになる。
だって英智の前ではもうずっと、虫一匹殺せないような穏やかで優しげな表情をする人だった。
穏やかで、優しくて、美しい横顔を持つ人だった。
「疲れたか?」
釣銭を受け取りながら、昴が首を傾げて様子をうかがってくる。
それに小さく首を振り、残りのコロッケを頬張りながら英智は腹の奥が引きつれるような罪悪感を感じて目を伏せた。
この優しい人の横顔に、欲を抱いたのはいったいいつ頃だっただろう。
今日もこの夕暮れの光に照らされた横顔に欲情するのだ。
それを英智は止められない。
いけないことだとわかってはいても。
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