第13話
部屋を出てドアを閉めようとして、ドアの隙間から聞こえてきた会話に動きを止めてしまった。
さっさとエレベーターの方へ歩いていく瀬下の足音を後頭部で聞きながら、英智は少し迷いつつ、小指の幅よりさらに細く開けたドアに張り付いた。
部屋の中では観葉植物の奥で昴と小原が相対している。話す二人の声は空調の音に混じって、静かにドアの外にも漏れていた。
「そろそろ義理は果したろうが。勝手に山に登り出す船頭が操る泥船に、お前、いつまで乗ってる気だ」
「……仁義を極道に語るのは、上手い手じゃないですよ」
「馬鹿か。おめえだから言ってんだろが。義理と人情が何より大事って筋者、今はもう数えるほどもいねえだろう」
「それはまあ、ずいぶんと……」
くっと薄い唇を吊り上げて笑った昴は、一瞬だけ目を伏せたあと、鋭い視線を小原に向けた。
「俺を高く買ってくれてるようで」
光を含む量が多いのか、それとも本人の放つ生命力のせいかはわからないが、薄い茶色の瞳の奥で、相変わらず瞳孔が金色に光ってみえる。
「刑事がヤクザを買うか。買ってんのはてめえンとこの親連中だろう」
対して小原も、アクの強い視線を昴に投げた。
英智に向けていた、親戚のオヤジが遠縁の子の成長を見守るような生温かい視線は影も形もない。
二人の、というよりも、昴の今まで見たことがなかったその様子に驚いて、英智はぐっと唇を噛んだ。
今まで英智に見せてきた優しい父親の顔でも、津田沼や事務所の男たちに見せる上司の顔でもない。小原を突き放すような昴の冷たい態度に震えるのは、敵を射抜くような静かな態度に、幼い頃の暴力がフラッシュバックして恐怖を覚えているわけでももちろんなくて。
英智の見たことがなかった昴がいた。それがただただ悔しくてたまらなかったから。
そしてその昴のを正面に立って受け答えしているのが、なぜ英智ではなく小原なのかがわからなくて、英智は思わずドアノブを掴んでいた指に力を入れ――その手を瀬下に止められた。
英智がついてきていないことに気がついて慌てて戻って来たらしい瀬下が、ドアを開けようとする英智を止めるためにそのピンク色のスニーカーのつま先でドアを抑える。
なぜ、と睨みつける英智を、瀬下は棒付きのアメをくわえたまま見た。
「もーほんとマジでクソ。なあ坊ちゃんさあ」
と、彼はアロハシャツに引っ掛けた真っ黒なサングラスを取りながら眉をひそめ、英智の頭をぐいっと押さえつけた。屈む瀬下と一緒になって腰を屈めてしまい、顔を寄せ合って部屋の中の様子をうかがう姿勢になってしまった。
「……! なにを、」
思わず飛び出た文句はシッと短く吐き出された空気に制された。
黒いサングラスをかけて薄っすら笑みを浮かべた瀬下は、その派手な出で立ちに似合わぬ低く冷静な声で英智の耳元に囁きかける。
「誰だって人に見せるツラの皮の一枚や二枚、付け替えて生きてるもんでしょうよ。それにいちいち引っかかって、躾のなってねえ犬みてえに闇雲にキャンキャン吠えるだけじゃ、桜井さんも大変だ」
「……っ」
余計なお世話だ。と思うものに、学校から事務所に来る車中での瀬下との会話で刺さった小さな棘が、もう一度チクリと英智の喉元を刺した。
「どういう、意味ですか」
「んー? 桜井さんには絶対服従って顔してるくせに、勝手にしゃしゃって場ァ壊そーとすんのはいただけねえなって意味」
坊ちゃんはさあ……と、溜め息をつきながら、瀬下はもうひとつ声を低くして続けた。
どっちつかずなんだよねー、と薄く笑う。
「言われたこと無視して行動すんならちゃんと覚悟決めねえと。じゃなきゃハチ公みてえに待てっつわれたら死ぬまで待つか。桜井さんが好きならとりあえず邪魔になんねえようにしたほうがいんじゃねえのって、オレは思うけどね?」
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