第11話
ビルの地下駐車場からエレベーターに乗り、昴のいる四階のボタンを押す。
最上階である五階はこのビルのオーナーであり、飯田組の組長である飯田の社長室がある。その右腕である昴は、四階で『にこにこ不動産』の業務を仕切っている。
一応、一階は普通の不動産屋らしく、一般人も入りやすいように作られてはいる。
店内も出入り口も明るい。
不動産屋らしく、家の間取りが書かれた紙をたくさん張ったガラス張りの窓。入口には三角形の赤い屋根の家に目鼻と手足の生えたキャラクターのパネルスタンドが、「いらっしゃいませ!」と言って客を歓迎してくれる。
外にはこのキャラクターの顔抜き仕様のパネルもあった。顔をはめている客は見たことがないが。
色とりどりのキューブ型のアメが入ったガラスのキャニスターが受付に置かれ、「ご自由にお持ちください」と手書きのポップが添えてある。それだけ見ればとても明るくてきれいでアットホームな、よくある街の不動産屋さんに見えるだろう。
が、店へ入る前に少し視線を上げると二階以上のフロアの窓には全て格子があり、監視カメラの数も異常に多い。一階のガラス窓も弾を防ぐ強度がある。
英智や従業員たちが出入りする裏口には入ってすぐに守衛室があり、道ですれ違ったらそっと目をそらしたくなるような男たちがぎっちり詰めていた。
「坊ちゃん、アメちゃんいる?」
「いりません」
「んじゃチョコは?」
「遠慮します」
なぜこの金髪男は人に何か食べることを勧めてくるのか。
牛丼やラーメンを勧めてきた時のように、英智に菓子を食べさせて足止めしようとしているのかもしれない。昴の仕事場に入ってはいけない何かがあるのだろうか。
そう思って聞くと、瀬下はふるふると首を横に振った。
「オレが食いもん勧めるのは、たんにクセ。なんかこう、食べ盛りの男の子を見ると食わせたくなるんよなあ……」
あれやこれやとスーツのポケットから差し出してくる菓子を断って、英智はエレベーターの浮遊感に身を任せる。
この小さな箱が四階へ着いたら、昴に会える。
どんなに嫌なことがあっても、いつもならそれだけで気分は簡単に浮上する。ボタンを押せば自動で目的階に昇っていくエレベーターのように。
なのに、今日に限ってはなかなか心に刺さった小さな棘が抜けない。
ポンと音が鳴り、微かなモーター音を響かせてエレベーターの扉が開く。
瀬下が開のボタンを押しつつ視線で促してくるので、なぜか重く感じる足を動かしてエレベーターを降りる。と、途端に響く怒声と罵声。
「おー。混乱してんねぇ」
あははと朗らかに笑う瀬下の横で、英智の足はエレベーターを降りたままの姿勢で止まった。
奥のオフィスを隠す観葉植物の影から、いかにもなスキンヘッドの男が血色の悪い男の胸ぐらをつかんで引きずり出し、怒鳴りつけていたからだ。
どちらのスーツも照明の光を受けてペカペカと安っぽく光っている。
「しっかり見張っとけっつったろうが! 平沢の所在わかんねえってどういうこった! アァ?!」
「スンマセン! あの野郎、張ってた女とは別ンとこに逃げ込まれちまって……」
「テメーの安いゴメンナサイで松榮会が笑って許してくれっと思ってんのか、あ?」
「ス、スンマセ……!」
「いんのはよ、平沢の首だ。わかってんだろ? な? そんでも足りねえくれェなんだよ。そこにテメーの軽い頭添えてやってもんだぜ?」
ゴッ! とスキンヘッドの岩のような拳で頬を殴られた男は、がくがくと震えながらうなずいて口の端に滲んだ血をぬぐう。
「二人ともさあ、道開けよっか? 坊ちゃん困ってるし」
「アア? 瀬下テメー……って、おお! 英智さんお勉強お疲れ様です! 桜井の兄貴がお待ちですよ!」
のんびりした瀬下の声に凶器じみた顔面をさらに険しくしたスキンヘッドが振り返ったが、英智を視界に認めたとたんコロッと表情を変えた。
にこにこと音がしそうなほど唇の端が吊り上がって笑ってはいるが、ごつい指輪のはまった手は己の舎弟である男の髪を握り締めて無理やり頭を下げさせている。その力は変な方向に伝わっているらしく、首が良からぬ方向にめいっぱい曲がっているのだが、スキンヘッドも瀬下も全く頓着しない。
英智も何か言おうかと思ったが、昴が待っていると聞いたら急がなくてはと口を閉じたまま通り過ぎた。
普段はそれほど人の多くない事務所だが、今日は事件のせいかいつもより人気がある。
奥にある昴のオフィスに向かう間、英智と瀬下の顔を知っている人間からいくつもの挨拶が飛んできた。
副社長室と書かれたプレートの扉をノックする。
向こうからの返事が来る前に扉が大きく開いた。開けたのは、黒髪をオールバックにした男。真っ赤なシャツの上に、黒地にニシキヘビのような金色の柄が眩しいスーツを羽織っている。
エレベーターの前にいたスキンヘッドに勝るとも劣らぬ出で立ちのこの男は、煙草をくわえたままニヤリと笑って英智の頭に手を置いた。
英智より少し低いところのある薄黄色いガラスの入ったサングラスの奥で、つり気味の目がやや和む。
「おう、相変わらず真っ直ぐパパのとこに帰ってくる真面目ちゃんだな。鞠花にも見習わせたいぜ」
「小原さん。こんにちは」
この男、名前を
ぐしゃぐしゃと頭を撫でる手に押される形で英智がぺこりとお辞儀をすると、少し前に学校で別れた同級生と同じような邪悪さを感じる笑みを浮かべ、小原は声を上げた。
「っかー、コンニチハときたか。礼儀正しくてヤクザの息子たァ思えねえわ」
「そういう小原さんも、刑事さんとは思えないけどねー」
英智の心のツッコミを代弁したのは、意外にも苦笑を浮かべた隣の瀬下だった。
同級生の父である彼は、下手なヤクザよりもヤクザらしい出で立ちでありながら、実は瀬下が言った通りに刑事である。それも所属は暴力団を相手にする組織犯罪対策課なのだが、積極的に働いている様子は微塵もない。
自分の仕事は情報収集と言っているが、情報収集どころかいつもこの事務所に入り浸って茶を飲んで、酷いときにはティッシュを耳に詰め新聞をアイマスク代わりにソファで長々と寝そべっていたりする。
カンガルーがだらしなく惰眠を貪っているような小原の姿を見るたびに、聴覚と視覚を遮断した状態で集められる情報とは……と、英智は思う。
そんな小原は、金髪の男の苦笑に対してニヤニヤしながら言葉を返した。
「おまえもヤクザにゃ見えねえなァ瀬下よ。どっちかつうとホストだ」
「えー? 俺は貢がれるより貢ぐタイプよ?」
「メンヘラばっか引っかけて金巻き上げてる野郎がよく言う。これ以上派手なことすんじゃねえぞ。うちの連中に目つけられても庇ったりしねえからな」
にこにこと笑いながら「わかったー」と返した瀬下に、小原は肩をすくめた。
「英智、お前はこんないい加減な男になんなよ? 桜井が泣くぜ?」
「ならない」
小原の言葉に、隣で苦笑いを浮かべる金髪に視線をやってきっぱりと言い切った。
「昴さんが嫌がるなら、瀬下さんみたいにはなりません」
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