第20話 激走! 体育祭

 ついに体育祭の日がやって来た。


 よく晴れた青空の下、グラウンドでは熱戦がくり広げられ、勝っても負けても大歓声が響きわたっている。


 競技は進み、やがて部対抗リレーの順番が近づいてくると、わたしたちはグラウンドに設置された入場門の辺りに集められた。


 チャペルクラブのメンバー三人で列に並び、出番を待つ。


 第一走者はわたし、二番手は琴音さん、そしてアンカーは美波様だ。


「うう~っ、人生でいちばん緊張するかも~っ!」


 プレッシャーで押しつぶされそうな胸に手を当て、思わず顔をしかめるわたし。


「大丈夫ですよ、日奈乃さん。あんなに練習したじゃないですか」


 琴音さんがそんなわたしをはげますように言い、


「そうね。日奈乃ならきっとうまくいくわ。だって日奈乃は、わたくしの日奈乃なのだから」


 美波様もまたニコッと微笑み、優しい声をかけてくれた。


 美波様の笑顔に見つめられると、うれしくも恥ずかしくなってきて、わたしはごまかすように唇をとがらせた。


「もう、なんなんですか、美波様のその理論は。美波様のその自信は、いったいどこから来るんです?」


「だって、神様は乗り越えられない試練はお与えにならないもの。わたくしの日奈乃なら、どんな試練だってきっと乗り越えられる。わたくしは、そう信じているわ」


「よけいプレッシャーかも~っ!」


 期待をかけられてますます困ってしまうわたしをよそに、琴音さんが美波様にたずねる。


「そう言えば、美波様にはまだうかがっていませんでしたよね。日奈乃さんが美波様を好きなのは知っていますけど、逆に、美波様は日奈乃さんのことをどう思われているんです? やっぱり、お好きなんですか?」


「ええ、もちろん大好きよ。肌身はなさず、常にぎゅってしていたいくらい」


 美波様が事もなげにさらりと言い、まぶしい笑みをさらにかがやかせる。


「~~~~っっ!」


 横で聞いていたわたしはうつむき、両手で顔をおおうしかない。


 カアァッ! と顔が火照っているのは、きっと空から降りそそぐ初夏の日差しのせいだよね?


 三人でそんな話をしていると、招かれざる客が急に口をはさんできた。


「あら、見せつけてくれるじゃない。最後の別れの言葉はもうすんだのかしら?」


「夏姫様!」


 フフン、と不敵な笑みを浮かべて、わたしたちのとなりへと並びはじめる夏姫様。


 どうやら夏姫様が率いる帰宅部チームは、わたしたちチャペルクラブのとなりのレーンを走るらしい。


「日奈乃。負けたほうが美波さんから手を引くって約束、まさか忘れていないでしょうね?」


「えーと、そんな約束しましたっけ?」


「あん? なにか言ったかしら?」


「……いえ」


 ほんとうは、夏姫様が一方的に勝負を吹っかけてきただけで、わたしはそんな約束したくなかったのだけど……。とはいえ、夏姫様のきげんを損ねては大変なので、これ以上はなにも言わず、素直に引っこむ。


 言い出したら人の意見などおかまいなく突っ走ってしまうという点に置いて、夏姫様の右に出る者はいないのだ。


「ま、せいぜいがんばりなさい。楽しみにしているわ」


「あはは……。お、お手柔らかに」


 堂々と、誇らしく、ゆるぎない自信をのぞかせて――晴天の空の下、わたしとの勝負を心待ちにして燃えている夏姫様は、今日もどこまでも夏姫様なのだった。


 まもなく、スピーカーから生徒のアナウンスが響いてきた。


『エントリーナンバー10番、部対抗リレーです。選手のみなさんは入場してください』


 アナウンスにうながされ、わたしたちは一斉に入場門をくぐってグラウンドへと向かう。


 そして、第一走者のわたしはついにスタートラインに並び立った。


 となりでは夏姫様が今にも飛び出そうと身構えている。


『位置について、よーい、ドンッ!』


 銃声と共に、選手たちがいっせいに走り出した。


 

――ぜったいに、夏姫様には負けられない! 負けたくないっ!



 そんな気持ちが後押ししたのか、はたまた練習の成果が出たのか、とにかくわたしは最高のスタートを切ることができた。


『チャペルクラブ、速いです! ただ、ほかの部も追い上げてきます!』


 実況の通り、スタートこそよかったものの、わたしはすぐに他の部につかまり、追い抜かれはじめてしまった。


 でも、他の部なんてどうでもいい。とにかく、夏姫様にさえ負けなければっ!


「逃がさないわよ、日奈乃ッ!」


 夏姫様も必死になってわたしを追いかけ、コーナーを大きく回り、すぐにわたしを追い越そうとする。


 わたしもまたけんめいに歯を食いしばり、腕をふり、ふき出す汗をぬぐいもせず、けんめいにひた走る。


 けれども、一年生と二年生の壁はやっぱり大きくて――ついに、わたしは夏姫様にまで並ばれてしまった。


「くっ! このままじゃ抜かれちゃうっ!」


「見たか、これが二年生の実力よ! ……きゃあっ!?」


 その時だった。


 コーナーを曲がり切ったかに思えた夏姫様が突如として足をもつれさせ、ザザーッ! と派手に転倒したではないか!


「夏姫様!?」


 わたしはびっくりして足を止め、すぐさま夏姫様の元へと駆け戻った。


 夏姫様が驚いたように目を見開き、怒ったように吠えたてる。


「あなた、おバカなの!? さっさと先に行きなさいっ!」


「ああもうっ! それはそうなんですけどっ! でも、ほっとけないでしょう!」


 夏姫様に叱られるまでもなく、バカなのは分かっている。


 このまま夏姫様を置いて走っていけば、わたしは確実に勝てるのに。


 でも、そうしてしまったら、わたしはたとえ夏姫様との勝負に勝てたとしても、自分に負けた気がして……。


 だって、わたしの夢は「困っている人を助けること」だから。


 そして、わたしが困っている人に優しい手を差しのべることを、わたしの誰よりも大切な美波様が望んでいるのだから。


 だから、わたしは夏姫様にすっと手を差し出した。


「お怪我はありませんか、夏姫様? 立てます?」


「たっ、立てるに決まっているでしょうっ!」


 夏姫様はいら立ったように大きな声で応えると、腕を伸ばし、わたしの手をぎゅっと強くにぎった。


 わたしは夏姫様の身体を起こし、手を引いて走り出す。


 夏姫様もまたすりむいた足を痛そうにしながら、わたしに手を引かれ、気丈にもついてきた。


「日奈乃さん、こっち! こっちです!」


 琴音さんが大きく手をふって、早く早く、とわたしを出迎える。


「あとは任せたよ、琴音さんっ!」


「はい! 任されました!」


 琴音さんがバトンを受け取り、猛然と走り出す。その後ろを、わずかに遅れてバトンを手わたした帰宅部が追いかけていく。


 わたしと夏姫様は第二走者の行方を目で追いながら、へなへなと地面に座りこみ、それから苦笑した顔を見合わせた。


 夏姫様が観念したように天を仰ぎ、声をもらす。


「あーあ、私の負けね。よかったわね、日奈乃」


「夏姫様……」


 夏姫様が悔しそうに笑う。


 まるでつき物が取れたかのような、清々しく、爽やかな微笑だった。


 ついに琴音さんからアンカーの美波様へとバトンがわたる。と同時に、美波様が一気に前へと駆け出した。


 美波様の走りは、まるで背中に天使の羽が生えたかのように華麗で、たちまち観客たちの心を魅了し、グラウンドに黄色い声援をまき起こす。


「美波様、がんばれ~っ!」


 わたしもまた、必死になって美波様にエールを送り続ける。


 そんなわたしの精いっぱいの声が届いたのか、美波様は先を行く選手たちを次々と抜き去り、やがて一位におどり出ると、そのままゴールまで走り抜けた。


 こうして、大歓声の中、チャペルクラブはみごと勝利を収めたのだった。


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