第19話 わたしの使命
校舎を飛び出し、森のほうへと回りこみ、チャペルを目指して石畳の静かな小径を走っていく。
わたしの耳の奥に、かつて美波様がおばあ様について語ってくれた時の、優しい声がよみがえる。
――「だから美波も、どんなに過酷な運命が訪れようとも、置かれた場所であなたらしく立派な花を咲かせなさい。そうすれば、あなたに目を向け、愛情を注いでくれる人がきっと現れるわ。……おばあ様はそう言って、泣いている幼いわたくしをよくはげましてくれたの」
今なら分かる。
幼い美波様が、どうして泣き続けていたのか。
そして、当時の美波様がどうしていい子になろうと決意したのか、その理由も。
すべては、お母様を亡くしたことが原因だったんだ。
美波様は、お母様を失ってなお、己の置かれた場所で咲こうとした。
過酷な運命におそわれながら、それでも負けずに自分らしく立派な花を咲かせようと、健気にずっと努力を重ねてきた。
いつか自分に目を向け、愛情を注いでくれる人が現れるのを、一途に信じて……。
――「わたくしはいつも、『運命の人とめぐり会えますように』とお願いしているわ」
美波様の願いごとを知った時、わたしはてっきり恋バナだと思いこんで、つい舞い上がっちゃったけど。
でも、美波様の願いごとにこめられた言葉の意味は、そんなに軽いものじゃない。
むしろ、わたしが想像していたよりもはるかに深刻で、重いものだ。
だって、美波様がほんとうに求めているものは、過酷な運命によって失った大いなる母の愛情を埋め合わせるほどの、深い愛情を注いでくれる『運命の人』なのかもしれないのだから――。
涙で目をにじませながら、ようやくチャペルの前にたどり着く。
わたしは走り続けた勢いそのままに、体当たりするみたいにチャペルの扉を押し開け、中に飛びこんだ。
「美波様っ!」
視界に映し出されるのは、彩り豊かないつものまばゆいステンドグラス。
その幻想的な光の中に、美波様のうるわしい後ろ姿があった。
静かに祈りをささげていた美波様が、驚いてふり返る。
「どうしたの、日奈乃。そんなに息を切らせて、血相を変えて」
美波様が心配そうに眉根を寄せて、わたしの元へと足早に歩を重ねる。
そんな美波様のはかなげな色白の顔を目にしたら、どうしようもなく涙があふれ出してきて。
ついに、わたしは「わあぁ~っ!」と泣き出し、美波様にしがみついた。
「いったいどうしたの? なにかいやなことでもあった?」
美波様はわたしを労わるような優しい声で問いかけ、そっと髪をなでてくれた。
「ひっく……ひっく……っ。ごめんなさい……わたし、なにも知らなくて……っ」
「知らないって、なにを?」
「美波様が……お母様を亡くされたって……」
そのひと言で、美波様はすべてを察したらしい。
「夏姫さんね。どうしてあの子は余計なことばかり」
美波様がため息交じりに声をもらす。
わたしは美波様の胸の辺りをお借りして顔をうずめて泣きながら、首を小さく横にふった。
「夏姫様は、ずっと美波様のことを心配していました。だから、私に教えてくれたんです。お母様のことも、お母様を失ってからの美波様のことも」
わたしは顔を上げ、美波様にそう打ち明けた。
わたしは夏姫様に託された――美波様のことを頼んだ、って。
だから、夏姫様の思いに応える義務が、わたしにはある。
わたしは袖で涙をぬぐい、美波様に微笑みかけた。
「お母様を亡くしてから、美波様はずっといい子になろうとしてきたんですね。『愛は与えるもの』だと言って、誰にでも優しく接して、いやな顔ひとつせず他人に尽くして。わたしはそんな美波様の美しい心にひかれて、ずっとあこがれてきました。……だから、ずっと気づけなかったんです。美波様がひそかに孤独を抱えてきたことに」
美波様の美しい顔がわずかにくもる。
美波様はわたしの言葉を否定するかのように、ゆっくりと首を横にふった。
「いいえ、わたくしは孤独ではないわ。わたくしにはおばあ様がいるし、それに夏姫さんや、ほかの友人だって」
「でも、それだけじゃ満たされない気持ちもあったんですよね? だから、美波様は『運命の人』との出会いを祈り続けてきた。ちがいますか?」
美波様がわたしの視線から逃れるように顔を伏せ、黙りこむ。
「わたしは美波様に必要としてもらえてうれしかった。でも、美波様の優しさに甘えるばかりで、どうしてわたしが必要とされているのかまで、ちゃんと理解できていませんでした」
でも、今なら理解できる気がする。
美波様はこれまでだって、何度もサインを出してきたじゃないか。
――「『愛』は与えていると、やがてちゃんと返ってくるんですって。だから、わたくしは、人に尽くせる時は尽くしていたいと思うの」
――「わたくしはつい見返りを求めてしまう。誰かに優しくする代わりに、誰かから優しくしてほしいと願ってしまうし、愛する代わりに愛してほしいとも期待してしまう」
美波様は誰よりもたくさんの『愛』を人に与えようとしながら、誰よりも純粋に『愛』を欲しがっていたんだ。
そう気づいたら、これまで天使のように感じてきた美波様の、人間らしくて、子供らしくて、いじらしくて、かわいらしくて愛おしい部分が、さらに浮かび上がってきた。
胸の奥で、泉がわくように温かい気持ちが広がっていく。
「美波様はわたしにこうおっしゃいましたよね? 『人はみな、己が果たすべき使命をもって生まれてきた』のだと。だから、この世界にはわたしにしか果たせない使命もあるんだ、って。……わたし、その使命が何なのか、ようやく分かった気がします」
わたしはうつむく美波様へと手を差しのべ、笑みをこぼす。
「わたしの使命は、美波様を助けることです」
美波様がはっとして顔を上げる。
頬はほのかに赤く色づき、きれいな瞳は涙でにじんでいた。
美波様は、わたしに夢を見せてくれた。
何のとりえもないわたしを『天性の優しさをもった女の子』だと褒めてくれた。
そして、わたしの優しさで『世界中の困っている人たちに救いの手を差しのべてあげてほしい』とまで言ってくれた。
そのおかげで、わたしは「困っている人を助けたい」という夢を見つけることができた。
けれども、今のわたしでは、そんなにたくさんの人を助けることはできないから。
せめて、目の前のたったひとりの女の子を幸せにしてあげたいって思うんだ。
「だから、美波様。これからは、もっとわたしにわがまま言ってください。困ったことがあったら、いつでもわたしを呼んでください。ううん、呼ばれなくても、わたしのほうから行っちゃうかもですけど」
わたしはくすっと笑い、さらに続ける。
「美波様、もう強がらないでください。べつに見返りを求めたっていいじゃないですか。わたしたち、まだ子供なんですから。それに、誰よりも純粋に『愛』を欲しがっているのは美波様なんだってこと、わたし、もう分かっちゃいましたから。わたしが美波様をひとりにしません。約束します」
色白の美波様の赤く染まった頬を、涙が伝わり落ちていく。
美波様は何も言わず、ただじっと、うるんだ目でわたしを見つめた。
かと思うと、ふいに腕を伸ばし、わたしのあごに指をそえると、くいっと顔を上げさせた。
「み、美波様……っ!?」
ドキッとして、固まってしまうわたし。
美波様はそんなわたしの小さな身体に抱きつくと、肩をふるわせ、泣き出してしまった。
「……ありがとう、日奈乃」
「いえ、どういたしまして」
チャペルの中を、ふたりだけの時間がゆるやかに流れていく。
わたしは美波様が泣き止むまで身体を貸し、ずっとそばにいてあげたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます