第18話 二年生の絆

 放課後。


 わたしの足はチャペルには向かず、一年生が過ごすフロアのひとつ上、二年生の教室がある階上へと歩き出していた。


 今朝、夏姫様がおっしゃった言葉の真相を教えてほしい。


 美波様について、わたしの知らないことがあるのなら、なんだって聞かせてほしい。


 そんな思いにとらわれて、わたしは夏姫様を探してさまよいはじめた。


 夏姫様は案外すぐに見つかった。


「日奈乃? どうしたの、そんなに真っ青な顔をして」


 夏姫様は、二年生の教室の入り口に立つわたしを見つけるなり、ギョッと大きな目を丸くした。


「教えてください、夏姫様。今朝の夏姫様の言葉の意味を。わたしが美波様のなにを知らないのかを……」


 夏姫様は、わたしの声に深刻な響きを感じ取ったのか、肩をすくめつつ、


「まったく、しょうがないわね。ここじゃなんだから、場所を変えましょうか」


 と、面倒がりつつもわたしを促してくれた。


 夏姫様に導かれるまま、カフェテリアへとやって来る。


 ここはいわゆる学生食堂で、昼休みにはランチを求めて生徒が足を運ぶのはもちろん、放課後にも打ち合わせに使われたり、自学習のスペースとして利用されたりもする、いわば生徒たちの憩いの場だった。


 カフェテリアのはしのほうの席に、夏姫様と向き合って座る。


 壁一面ガラス張りの窓から射しこむ夕陽は明るく、外に広がる緑の芝生や色とりどりの花々が柔らかい光に包まれている。


 夏姫様は自動販売機でいちごオレをふたつ買い、意外にも、そのひとつをわたしにごちそうしてくれた。


「それで、いったい日奈乃は美波さんの何を知りたいわけ?」


「ぜんぶです」


「ぜんぶ?」


「はい、ぜんぶです。今朝、夏姫様がおっしゃったこと――美波様がどうしてひとりで仕事をしたがるのか。誰かに尽くしたがるのか。そして初等部のころにどんな悲しい出来事が美波様をおそったのか――すべて教えてください」


 私の頭の中は、今朝、夏姫様から告げられた言葉たちで埋め尽くされている。


 美波様が仕事をしたがるのは、『愛は与えるもの』という美波様の持論がそうさせるからじゃないの?


 人に尽くすのは、『優しさ貯金』をためるためではないの?


 それに、初等部の時になにがあったの? 初等部での出来事は、悔しいけれど、受験して中等部から入ってきたわたしにはちっとも分からない。


「すっごい目力なんですけどー。はいはい、分かったから、そう興奮しなさんな」


 そんなに強い目で訴えていたのかな? 自分では気づかなかったけれど、言われてみれば、たしかに全身に力が入っていたかも。


 夏姫様はそんなわたしをたしなめつつ、すべてを打ち明けてくれた。


「……美波さん、初等部の時にお母様を病気で亡くしているの。そのころ、美波さんは毎日欠かさずお母様のことをお祈りしていてね。でも、結局祈りは通じず、ついにお母様は天に召された」


 知らなかった。


 どうりで美波様のお話の中におばあ様は何度も出てくるのに、お母様が一度も登場しないないわけだ。


「幼い美波さんは深く悲しみ、傷ついてね。その時にね、美波さん、こう思ったみたいなの――祈りが通じなかったのは、きっと自分が悪い子だからだ、って。自分が悪い子だから、神様が言うことを聞いてくれなかったんだって。……美波さんって、ああ見えて案外思いこみがはげしいから。お母様が亡くなったのは美波さんのせいではないのにね」


 心の中が、悲しい色に染まっていく。


 どうして、もっと早く気づいてあげられなかったのだろう? 美波様の悲しみに。あんなにずっとそばにいたのに。


「今朝、日奈乃は私に言ったわよね。美波さんが仕事を抱えていても、なにもしなかったくせにって」


「……はい。言いました」


「それにもちゃんと理由があってね。美波さんは自分がなんでも仕事を引き受けることで、いい子になろうとした。それが亡くなったお母様への罪ほろぼしだと言わんばかりにね。初等部のころから、美波さんのその姿勢は少しも変わらない」


 美波様の優しさの背景に、そんな悲しい理由があっただなんて。


 しぜんと涙がこみ上げてくる。


「だから私たちは、美波さんになんでもやらせてあげようって、みんなで約束したの。それこそ、美波さんの気のすむように、なんでもね。美波さんがひとりで仕事を引き受けて、他人に尽くすことで少しでも気が晴れるのなら、私たちも応援するし、そうさせてあげたい――それが私たち二年生のひそかな誓い。二年生の絆なの」


 これまで私が見てきた世界が、がらりと色を変えていく。


 美波様は人がよくて優しくて、だから二年生のこわいお姉様方に都合よく利用されちゃっているんじゃないかって、わたしは疑っていた。


 でも、真実はそうじゃなかった。


 夏姫様たち二年生は、ちゃんと美波様のことを理解していた。そして、美波様の深い悲しみに寄りそい、受け入れ、ずっと見守っていたんだ。


 それなのに、わたしはただ誤解して、勝手に怒ったりして……。


 なにも知らなかったのは、わたしのほうだったのに。


「でも、美波さんって、ほんとうにひとりでなんでもこなしちゃうじゃない? だから、いつか身体を壊すんじゃないかって、心配で。だから私、美波さんに何度も言ったのよ、『少しは私を頼りなさい』って。美波さんが助けを求めてきたら、すぐにでも飛んでいくつもりだった。……ったく、それなのに、あの頑固者は、一度たりとも私に助けを求めてきやしない。まったく、おバカなんだから」


 夏姫様が不満げに頬づえをつく。


 チャペルで初めて夏姫様と出会った放課後を思い出す。


 たしかに、あの時も夏姫様はいら立ったそぶりを見せながら、切なげに叫んでいたっけ。『少しは私を頼ってよ!』って。


 美波様が夏姫様との初等部時代をふり返り、わたしに教えてくれたエピソードを思い出す。



――「ある日を境に、今度はわたくしを守ろうとしてくれるようになったの」



 その『ある日』って、きっと美波様がお母様を亡くした日のことだったんだ。


 そんなにずっと前から、夏姫様は一途に美波様を守ろうとし続けてきた。


「それなのに、美波さんが選んだのは、私じゃなくて日奈乃だった。……ったく、どうしてこうなるのかしら。もう好きにしてって感じ」


 夏姫様は突き放したように言いながら、肩をすくめる。


「きっと、私は美波さんのことを理解っているつもりで、あの子がかくし通してきた本音に気づけなかったのでしょうね。だから、ほんとうに身を引くべきなのは私のほうなのかもしれないけれど……。ああ、こんなことなら、強引にでも手を貸せばよかった!」


 飲み干したいちごオレの紙パックを、ぎゅっとにぎりしめる夏姫様。


 そんな夏姫様のいら立ちや悔しさが痛いほど分かるから、わたしも胸が苦しくなる。


 落ちこむわたしに、夏姫様は最後にはげますように言った。


「とにかく、日奈乃は美波さんに選ばれたんだから、がんばりなさい。ま、勝負には私が勝つけど。日奈乃が美波さんのためにどこまでがんばれるのか、とことん試してやろうじゃない」


「夏姫様……」


 やっぱり、わたしでは夏姫様には敵わない。


 自分だってきっと苦しいはずなのに、そんな心情はおくびにも出さず、むしろ不敵な笑みをかがやかせて、わたしをはげまし背中を押してくれるんだもの。


 心の広さが、度量が、わたしとはまるでちがう。


 いつか、わたしでも少しは近づけたりするのかな?


 夏姫様みたいな素敵なお姉様に。





 夏姫様との話が終わると、わたしは席を立った。


「夏姫様。今日はいろいろと親切に教えてくださり、ありがとうございました」


 一度深くおじぎをして、ふり返り、カフェテリアの出入り口へと駆け出そうとする。


 今はただ、一分一秒でも早く、美波様に会いたい。


 そして、美波様といっぱいいっぱいお話したい。


 こんなわたしにいったい何ができるのか、美波様の悲しみにどこまで寄り添えるのかは分からないけれど、とにかく美波様のそばにいたい。


 そんな衝動にかられてじっとしていられないわたしの背中に、夏姫様の声がかかる。


「日奈乃」


 呼び止められ、ふたたび夏姫様へと視線をもどす。


 すると、夏姫様はルビーのような赤い瞳を光らせて、ニッと口角を上げた。


「美波さんのこと、頼んだわよ」


 窓から射しこむ夕陽の柔らかい光が、夏姫様の不敵な笑みをまぶしく照らしている。


「はいっ!」


 わたしは固くうなずくと、夏姫様の想いに応えるように大きく返事をして、美波様の元へと走り出した。


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