第16話 これからもずっと一緒に

 やがて、チャペルにはわたしと美波様のふたりが残された。


 夏姫様は、すでに部対抗リレーのメンバーを集めに飛び出していた。


「ひとつだけ、美波さんに忠告しておくわ。なんでも自分が正しいと思わないことね。私はきっと日奈乃を倒してみせる。そして、次は美波さんの番よ。美波さんにはいったい誰が必要なのか、私がきっちりと分からせてやるわ」


 そう、言いたいことを美波様に一方的にぶつけて――。


 また、琴音さんは、


「これから百人一首部に兼部したことを報告してきます。今日はこれで失礼します」


 と、ていねいにおじぎをして、チャペルを去っていったのだった。


 琴音さんを巻きこんでしまったことに、後ろめたさがないわけじゃない。


 けれども、琴音さんが部員になってくれたおかげで、『どうか、チャペルクラブの部員が増えますように』というわたしの祈りはまたしても通じたわけで。


 放課後に祈りをささげるとどんな願いでも叶うというチャペルのうわさが、ますます真実に思えてくるのだった。


 なにはともあれ、美波様とこうしてふたりきりになれて、チャペルの長椅子に並んで座っていると、わたしはようやくいつもの時間を取り戻したのを実感した。


「美波様。なんだか、たいへんなことになっちゃいましたね」


「ええ、夏姫さんにも困ったものだわ」


 お互い顔を見合わせ、微苦笑を浮かべあう。


 やっぱり、美波様の優しい笑みに見つめられると、ホッとする。


「夏姫様って、昔からああだったんですか?」


 たしか、美波様と夏姫様って、初等部からの付き合いだったよね?


 たずねてみると、美波様は過ぎ去った日々を懐かしむような遠い目をして教えてくれた。


「夏姫さんは泣き虫でね。周りの子たちとよく衝突しては、泣いていたわ。夏姫さんをかばい守るのは、いつもわたくしの役目。困っている子がいたら助けてあげなさい、とおばあ様によく言われていたから」


 なるほど。どうりで夏姫様が美波様を好きになるわけだ。


「けれども、高学年になるにしたがって、夏姫さんもこのままではいけないと思い直したみたいで。ある日を境に、今度はわたくしを守ろうとしてくれるようになったの。例えば、わたくしを目がけて勢いよく飛んできたバレーボールを、身をていして防いでくれたりね。おかげで夏姫さんが保健室に運ばれるはめになって、それはそれでたいへんだったのだけれど」


 美波様がおかしそうに笑う。


「でも、あまりにわたくしの世話を焼こうとするものだから、わたくしもとまどってしまって。ほら、夏姫さん、あの性格でしょう? やると決めたらとことん突き進んでしまうから、加減を知らないのね」


 美波様が色白の頬に手を当て、はぁー、と悩ましげに息を吐く。


 美波様は優しいからはっきりとは言わないけれど、きっと苦労したんだろうな。


「中等部に入ってからは落ち着いたように思っていたけれど、まさかこんなことになるだなんて。夏姫さんの友人として、わたくしから日奈乃におわびするわ」


「美波様が頭を下げないでくださいっ。わたしは気にしていませんから」


 わたしはあわてて、頭を下げようとする美波様の動きを止めた。美波様は少しも悪くなんかない。


 それに、今となっては夏姫様の気持ちも少しは分かる気がするんだ。


 夏姫様にしてみれば、初等部からずっと一緒だった美波様を、わたしが取っちゃったように見えたのかも。


 美波様はいつだってわたしに優しいから、わたしもつい美波様に甘えてしまう。


 わたしを『大切な人』だと言い、『特別』だと話してくれた美波様。


 そんな美波様の慈しみ深い愛情はわたしにも伝染して、今やわたしにとっても美波様は『特別』で『大切な人』だ。


 美波様にはわたしが必要で、わたしには美波様が必要で――片時だって離れたくないと思ってしまうくらい、わたしは今、ふたりの間に築かれたこの関係に満たされている。


 けれども、夏姫様から見れば、なぜ美波様がこんな平凡で頼りないわたしを必要としているのか、きっと疑問なんだろうな。わたし自身だって、とてもふしぎに思うくらいだもの。


 でも、だからといって、夏姫様との勝負にあっさり負けて美波様から手を引くなんて、そんなの許されっこない。わたしだって、いつまでだって美波様のそばにいたい!


「美波様。わたし、負けませんから。わたしと美波様の仲を引きさこうとする夏姫様になんか、ぜったいに負けません。だから、見ていてくださいね、美波様」


「日奈乃……」


 美波様はうっとりとしたような温かい眼差しをわたしに注ぎ、柔らかく微笑む。


「『わたし』ではなく、『わたくしたち』でしょう? ひとりでなんでも背負わないで。ふたりで一緒に夏姫さんに勝ちましょうね」


「はいっ!」


 わたしは笑顔をはじけさせ、長椅子から立ち上がると、祭壇の前に進み出て祈りをささげた。



――どうか、美波様とこれからもずっと一緒にいられますように。



 こうして、わたしの特訓の日々がはじまった。 

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