第15話 S極とN極

 夏姫様がビシッ! とわたしを指さし、怒ったように声を張り上げる。


「さあ、私と勝負なさい、日奈乃! 私があなたを大勢のギャラリーの前で必ずぎゃふんと言わせてやるんだから!」


 夏姫様のルビーのような大きな瞳に、真っ赤な炎が燃えさかっている。


 ひそかに考えていた『夏姫様のきげんを取って、気持ちよく帰ってもらおう大作戦』は、あえなく失敗。それどころか、かえって夏姫様の闘志に火をつけちゃったかも。とほほ……。


 すっかり落ちこんでいると、美波様がわたしをかばうように前に進み出てくれた。


「夏姫さん。お姉様の立場であるわたくしたち二年生が、妹である一年生を倒そうだなんて、おかしいわ。本来、お姉様は妹たちを守るのが使命のはずでしょう?」


「妹たちを指導するのも、お姉様の使命のはずよ。そこにいる日奈乃は、禁断の聖域であるチャペルにこっそり忍びこみ、美波さんとの秘密の逢瀬おうせを重ねていた。これは十分指導にあたることでしょう?」


「いいえ、日奈乃にはなんの罪もないわ。なぜなら、わたくしが日奈乃にチャペルにいてほしいとお願いしていたのだから。それでも夏姫さんがどうしても日奈乃に指導が必要だというのなら、その指導はわたくしがいたします」


 美波様がきりりとした表情で、はっきりと言い切ってみせる。


 やっぱり美波様って素敵すぎる! ふだんはうるわしのお姫様のようにかわいいのに、いざという時には凛々しい王子様のようにかっこよくなるんだもの。わたしの心は美波様にぎゅう~っ! とつかまれっぱなしだよ!


「それに」美波様がさらに続ける。「わたくしの日奈乃は、夏姫さんにはけっして負けないわ。日奈乃はわたくしのためなら何だってするんだから。ね、そうでしょう、日奈乃?」


「へっ?」


 そうよね? と、真面目な顔でわたしに同意を求めてくる美波様。


 一方、急に話をふられてとまどうわたし。……って、これ以上夏姫様をあおってどうするんですか、美波様っ! 


 美波様は信じて少しも疑わないような純粋な瞳をきらめかせ、じっとわたしを見つめている。


 ついにわたしは観念した。


「も、もちろんですっ。わたしは夏姫様には負けません! 美波様の期待を裏切るわけにはいきませんから」


 あーあ、とうとう言っちゃったよ……。もう作戦もなにもあったもんじゃない。


 案の定、夏姫様がわなわなと肩をふるわせて、こわい目でわたしをにらんでいる。


「フン、ようやくその気になったみたいね。そうでなくては面白くないわ」


 腕を組み、不敵な笑みをこぼす夏姫様。


 できれば戦いたくなかったけれど、こうなってしまった以上、わたしも覚悟を決めなくちゃ。


「それで、わたしは夏姫様と何で勝負すればいいんですか?」


「あなたたちは知っているかしら? フリージアでは毎年五月に体育祭が行われることを」


 それなら、もちろん知っている。


 実は、この間の体育の授業で、説明を受けたばかりだったんだよね。


 なんでも一年生は長縄やムカデ競争をするらしく、ほかにもクラス対抗リレーや応援合戦なんかもあって、すごく盛り上がる行事なんだって。


「その体育祭の出し物のひとつに、『部対抗リレー』があるのだけど――ここまで言えば、私が言いたいことはもうお分かりよね?」


 わたしは美波様と顔を見合わせる。


「もしかして、わたしたちに、それに出ろってことですか?」


「ええ、そうよ。そして私と戦いなさい。私は第一走者として出場するから、日奈乃も第一走者にエントリーなさい」


「ま、待ってください! 夏姫様はいったい何部に所属しているんですか?」


「帰宅部よっ!」


 わたしは思わずズッコケそうになった。


「帰宅部でもリレーに参加できるんですかっ!?」


「当然じゃない。帰宅部だって立派な部なんだから」


「あはは……。立派な部なのかなあ?」


 大いに疑問が残るけれど、なにせ相手は宝城グループのご令嬢、夏姫様だ。


 夏姫様に逆らえる人はフリージア女学院にはいないって琴音さんも言っていたし、きっと夏姫様が白だと言い張れば、黒いカラスだって白になっちゃうんだろうな。


「フフフ、楽しみにしてなさい! とびっきりのエリート帰宅部員たちをそろえてやるんだから!」


 夏姫様はすでに勝つ気満々で、ものすごく張り切っている。


 わたしは夏姫様にたずねた。


「でも、チャペルクラブはまだ正式な部ではありませんし、部員もわたしと美波様のふたりしかいませんよ? それでも部対抗リレーに参加できるんですか?」


「できるわけないじゃない。最低でも同好会でなければ、参加は認められないわ」


「それじゃあ、はじめから勝負にならないじゃないですか!」


「あら、逃げる気? 日奈乃が素直に負けを認めるというのなら、許してあげてもいいわよ。ただし、もう金輪際、美波さんには近づかないこと。それでいいなら、話を聞いてあげる」


「ひどいっ! 夏姫様、ズルすぎるっ!」


 わたしたちが参加できないのを分かっていながら、勝負を吹っかけてくるなんて! さすがは悪役令嬢、夏姫様! 意地悪にもほどがあるっ!


「負けたほうが美波さんから手を引くのよ。いいわね?」


 勝ち誇ったように一方的に言い放つ夏姫様。


 あまりのズルさに一周回ってすっかり感心していると、そばで話を聞いていた琴音さんが、ふいに声を発した。


「あのー。それなら、琴音がチャペルクラブに入りましょうか? 部員が三人集まれば同好会になりますし、それなら部対抗リレーに参加できるんですよね?」


「いいのっ、琴音さん!?」


「はい。日奈乃さんもお困りのようですから。美波様、チャペルクラブは百人一首部との兼部は可能ですか?」


「ええ、もちろんよ。困っている人を助けようとする姿勢こそ、チャペルクラブが求めるものだから。琴音さんにも、チャペルクラブの部員としての資質が立派にそなわっているわ」


「それでは、お世話になります。日奈乃さん、美波様」


「やったあ~っ! こちらこそよろしくだよ、琴音さんっ!」


 思いがけず琴音さんの入部が決まり、わたしは喜びのあまり琴音さんに飛びついた。


 琴音さんが一緒なら心強いし、チャペルクラブの活動だって、今よりもっと明るく華やかになるはずだ。


 夏姫様はぐぬぬ、とすごく悔しそう。こう言っちゃ悪いけど、ちょっぴりいい気味かも。


 そんな夏姫様を尻目に、琴音さんはチャペルの祭壇の前へと足を運ぶと、わたしのほうをふり返った。


「日奈乃さん。たしか放課後にこのチャペルで祈りをささげると、どんな願いでも叶うんでしたよね?」


「うん、そうだよ」


「でしたら、琴音も祈らせていただきますね」


 琴音さんは一度おじぎをすると、目を閉じ手を合わせ、祈りをささげ始めた。


「どうか、日奈乃さんがぜったいに夏姫様に負けませんように」


 そして、お決まりの呪文のような言葉でしめくくるのだった。


「主よ、琴音の祈りを聞き入れてください」


 これで、どんな願いでも叶うという、うわさの儀式は完成したわけだけど……。


 夏姫様と琴音さん、ふたりの願いごとはまるで磁石のS極とN極くらい反発し合う内容で。



――「どうか、そこにいる早坂日奈乃を倒すことができますように!」


――「どうか、日奈乃さんがぜったいに夏姫様に負けませんように」



 願いごとが100パーセント叶うと言い伝えられてきたチャペルで、相反するふたつの願いがぶつかり合ったら、いったいどうなっちゃうの!? 


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