第12話 悪役令嬢、あらわる

 夏姫様が、わたしの頭のてっぺんから足の先までを、ねっとりと見回す。


 それから、フッと視線を外すと、今度は祭壇へと目を向けた。


「そういえば、ここで祈るとどんな願いでも叶うんだったわね。ちょうどいいわ。私にも祈らせてちょうだい」


 夏姫様はきっぱりとした口調で言い、わたしたちを押しのけて、祭壇の前へと進み出る。


 そして、手を合わせ目を閉じると、一心に祈りはじめた。


「――主よ、私の祈りを聞き入れてください」


 最後にそうしめくくって、ようやく目を見開く夏姫様。その瞳は燃えるようにかがやいて、まるで赤い光沢をたたえたルビーのよう。


 ところで、夏姫様はいったいどんなことをお願いしたんだろう?


 夏姫様のことはまだよく知らないし、こわくもあるけれど、もし悩んだり困ったりしているのなら、助けになってあげたいとは思う。


 だって、それがチャペルクラブの活動の目的だし、わたしの夢でもあるのだから。


 わたしはおそるおそる夏姫様にたずねてみた。


「あの、夏姫様はいったいどんなお願いを?」


「おバカね。そんなこと、あなたに言えるわけないじゃない」


 ですよねー。


 やっぱり夏姫様って意地悪な人! せっかく人が親身になって話を聞いてあげようとしているのに、もう知らないっ!


 ……って、怒ったところでしょうがない。


 個人のプライバシーにかかわる問題でもあるし、言いたくない人だってきっといるよね。


 わたしはだんまりを決めこんで、すなおに引っこんだ。もう夏姫様の前では口を閉じておこう。


 しかし、意外にも黙っていられない人がいた。美波様だ。


「夏姫さん。わたくしの日奈乃にひどいことを言わないで。訂正して」


 美波様が眉尻を上げ、真剣な目で夏姫様にうったえる。


 もしかして、美波様、怒っていらっしゃる?


「美波様……」


 怒った顔も美しくて、思わず見とれてしまう。


 なにより、わたしのために怒っていることがうれしいし、あまりにかっこよすぎて、美波様がなんだか優雅で凛々しい王子様に見えてきた。


 気が強い夏姫様も、さすがに美波様に気おされたのか、きまりが悪そうだ。


「そうね。たしかに失言だったわ。ごめんなさい」


 あっさりと引き下がり、ぺこりと頭を下げる夏姫様。


 あれ? もしかして、夏姫様って、案外いい人なのかも?


 場の緊張感もふっとゆるんで、わたしは美波様と笑顔を見あわせた。


 しかし、このままでは終わらないのが夏姫様だった。


「いいわ、そんなに知りたければ教えてあげる。私の願いはね――そこにいる、御堂美波さんを倒すことよ!」


「ええ~っ!?」


 天井の高いチャペルに、わたしの驚きの声が響きわたる。


「フフ、なんでも願いを叶えてくれるのでしょう? さあ、私の願いをさっさと叶えてちょうだい」 


 勝ち誇ったような、意地の悪い笑みを浮かべる夏姫様。


「ちょっ、ちょっと待ってください! 美波様を倒すって、いったいどういうことですか!?」


 夏姫様の前では固く口を閉ざしていようと心に決めていたわたしも、さすがに黙ってはいられない。


 フン、と夏姫様が鼻息あらく答える。


「どうって、そのままの意味よ。勉強も運動もできて、さらに人望まであって、周囲の目をいつも簡単にうばってしまう。そんな完璧超人の美波さんをみんなの前で屈服させられたら、さぞかし気分がいいでしょうね。だから、一度でいいから美波さんを倒してみたい――それだけよ」


「そんなっ!」


 なんて身勝手なお願いなのっ!?


 たしかに美波様はなにをやっても絵になるし、常に完璧で、もしかしたら天上から舞い降りてきた天使かもって、わたしも思う。


 でも、だからって『美波様を倒したい』って、なに!?


 夏姫様が嫉妬しちゃう気持ちも分からなくはないけれど、でもそんなの、ぜったいに許せないっ!


 夏姫様みたいな人のことを何と呼ぶのか、わたしは本で知っている――。


 清楚で可憐で、純粋で、天使のようにうるわしい美波様みたいな人に意地悪をするお嬢様のことを、『悪役令嬢』と呼ぶのだ、と。


 その悪役令嬢である夏姫様は、美波様に不満げな目を向けている。


「だいたい、美波さんは何でもひとりでやりたがりなのよ。いつも仕事をひとりで抱えこんで、誰にも助けを求めないで。少しは私を頼ってよ!」


「夏姫さん……」


「だから、私は美波さんを倒したい。そして、自分ひとりの力では叶わないこともあるんだって、美波さんに分からせてやりたい。そして、無力で非力な美波さんには私が必要なんだって、思い知らせてやりたいの!」


 夏姫様の声にも、しだいに熱がこもっていく。


「……それなのに、美波さんはいつも私を遠ざける。私がこんなにも美波さんを想っているのに。チャペルにしたってそう。ここにいるだなんて、美波さん、ひと言も教えてくれなかったじゃない。私はね、そんな美波さんに心底腹が立っているの」


「ごめんなさい。チャペルのことは、誰にも言うつもりがなかったから」


「じゃあ、なんでその子はいるの?」


 夏姫様がわたしを指さし、くやしそうに唇をふるわせる。


「美波さん。さっきあなたは、そこにいる一年生を『大切な人』って言ったわよね? 美波さんにとって、私は大切な人ではなかったの? 初等部からずっと一緒にいたのに?」


 美波様が切なげに眉を下げて、首を横にふる。


「もちろん、わたくしにとって、夏姫さんも大切な人よ。ただ、チャペルのことは、ほんとうに誰にも言うつもりがなかったの」


「だったら、なんで? なんでその子だけ!?」


 夏姫様が反発するように声を荒らげる。


 すると、美波様はそっとわたしの背後に歩み寄り、美しい手をわたしの両肩にぽん、と手を置いた。


「日奈乃はね、わたくしにとって特別なの。この子は、まるで神様に導かれでもしたかのように、わたくしの前に現れた。そして、ためらいもなく優しい手を差しのべてくれた。そんな日奈乃の優しさに、わたくしは『愛』を感じたの。だから、わたくしはこれからも日奈乃との関係を大事にしたい。わたくしが日奈乃を必要とするように、わたくしもまた、日奈乃に必要とされるお姉様でありたいと思っているわ」


 美波様は澄んだ声で淡々と、想いをこめた言葉を重ねていく。


「美波様……っ」


 美波様の手にふれられた肩が、燃えるように熱くなる。


 わたしは火照った顔でうつむいた。


 美波様が、わたしのことをそんなふうに思ってくれていただなんて。うれしい、うれしすぎるっ!


「なんてこと……これは重傷ね……」


 夏姫様がふらふらとよろめき、頭が痛そうに額に手をそえながら、暗い声をもらす。


「いいわ。美波さんがそこまで言うのなら、私にも考えがあるわ。ところで、美波さん。さっきの願いごとを今から変えることって、できるのかしら?」


「ええ、もちろんよ。祈りが真剣なら、どんな願いだって、きっと神様は聞き入れてくださるわ」


 夏姫様の問いかけに、美波様がうなずく。


 すると夏姫様は、今度はわたしをキッ! とするどい目でにらんだ。


「それなら、私は先ほどの願いを取り下げ、別のことを祈らせてもらうわ! 美波さんを倒す前に、まずはそこにいる一年生、早坂日奈乃をこの私が倒してあげる! そして、美波さんの目を覚まさせてあげるわ!」


「ええ~っ!?」


 びっくり仰天するわたし。


 しかし、夏姫様はそんなわたしの気持ちなどおかまいなしに、ふたたび祭壇へと祈りをささげ始めた。


「どうか、そこにいる早坂日奈乃を倒すことができますように!」


 夏姫様は悪魔のようなおそろしい言葉をさらりと告げ、


「さあ、主よ! 思うぞんぶん、私の祈りを聞き入れなさァい!」


 まるで呪いじみた決まり文句を声高に叫んだのだった。


 これはさすがに人生最大のピンチかも~っ!


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