第11話 大切な人

 しかし、チャペルをこのまま禁断の場所にしておくと、困ってしまうこともある。


「でも、そうすると、ますます部員が増えそうにありませんね」


 チャペルの扉が開いていなければ、訪ねてくる人もいないだろうし、ここで新入生歓迎会をしよう、なんて計画も成り立たなくなる。


 チャペルクラブが正式な部になるためには最低あと三人、同好会になるのでさえ、あとひとりは必要だっていうのに。


 いったい、どうやって部員を増やせばいいの?


「あら、そうかしら? 部員は必ず増えるわ。わたくしには分かるもの」


 少しの疑いも感じさせない、実に晴れやかな笑顔で美波様はお答えになる。


 あまりにおきれいで、つい目をうばわれちゃいますけど……。その自信、いったいどこから来るんです?


「だって、扉が閉まっていると分かっていたって、救いを求めにこのチャペルまでやって来る人はいるもの。ね、日奈乃」


 美波様はわたしに同意を求めるようにウィンクする。


「あはは……」


 わたしはバツが悪そうに人さし指で頬をかく。


 たしかに、わたしもそうだった。


 はじめてチャペルを訪れた時、わたしもまさか扉が開いているとは思っていなかった。


 それでも、あの時のわたしはそうとう追いこまれていて、ほかに方法も思いつかなくて、わらにもすがる思いでチャペルに駆けこんだんだっけ。


 ほかにも、あの時のわたしみたいに、かすかな望みをかけてこのチャペルにやって来る人がいるのかな?


「わたくしは、そういう切実な悩みをかかえた子の力になってあげたい。たとえ万人に開かれてはいなくても、このチャペルが真に助けを必要とする人たちの救いの場となれれば、それでいいと思っているわ」


 美波様は純粋な瞳をかがやかせ、語気を強める。


「そして、わたくしたちチャペルクラブになにかお手伝いできることがあるなら、その子の力になってあげたい。悩みがあるのなら寄りそってあげたいし、夢を叶えたいのなら、本気ではげましてあげたい。そうして、チャペルクラブが少しでも人の助けとなれれば本望よ」


「でも、かりに人を助けたところで、部員が増えるかどうかは分かりませんよね?」


「大丈夫。わたくしたちの活動が認められれば、やがて共感して入部を希望してくれる人だって、きっと現れるわ。結果は後からついてくるものよ。だから、今はわたくしたちにできることを精一杯やりましょう。ね、日奈乃」


 美波様はそう言って、にこやかに微笑みかけてくれた。


 結果は後からついてくる――か。


 たしかに、そうかも。


 部員を増やすことばかりにとらわれて、本来の活動がおろそかになっちゃたら、意味ないもんね。


 わたしの夢は、あくまで困っている人を助けてあげること。誰かの救いとなることだ。


 ついこの前までのわたしなら、なんのとりえもない平凡な自分には、人を助けるだなんておそれ多い、と答えていたはずだ。


 その気持ちは、今でもまったくないわけじゃないけれど。


 でも、美波様のお仕事を手伝ってあげたら、すごく喜んでもらえて、手放しで褒めてもらえた――『日奈乃は天性の優しさをもった女の子』だって。


 そのひと言がたまらなくうれしくて、美波様の声が耳によみがえるたびに胸が温かくなってくる。


 だから、これからも大事にしたいって思うんだ。


 美波様が褒めてくれた、わたしの唯一のとりえである『優しさ』を。


 わたしが誰かに優しくするたびに、美波様の言う『優しさ貯金』も増えていって、その結果、部員が増えてくれたらうれしいな。


 わたしはそんな思いを胸に、祭壇の前に立つと、手を合わせ祈りをささげた。



――どうか、チャペルクラブの部員が増えますように。



 そして、最後におまじないのようなひと言をつけ加えるのだった。


「主よ、わたしの祈りを聞き入れてください」


 放課後にチャペルで祈りをささげると、どんな願いでも叶う――フリージア女学院に通う女の子たちの間に広まる、そんなかわいらしいうわさを、わたしは今日もあてにする。なんの信ぴょう性のない言い伝えを、心の支えにしているわたしがいる。


 ……って、つい先日願いが叶ったばかりだもの。今回ばかりは、そう簡単に叶うわけないよね。


 と思っていたら。


 突然、チャペルの扉がバンッ! と開いた。


 びっくりしてふり返ると、視線の先に、見たことのない生徒が立っていた。


「うそっ!? もう願いが叶っちゃった!?」


 もしかして、入部希望かな? だとしたら、このチャペルすごすぎない? 祈ったとたんに侵入部員を連れて来ちゃうなんて。


 きれいなショートカットに、勝ち気にかがやく大きな瞳。血色のいい肌。赤いタイは、二年生のお姉様の証。


「ようやく見つけたわよ、美波さん」


「あら。ごきげんよう、夏姫さん」


 どうやら美波様はお相手の方をご存じみたいだ。


「あの、美波様。あちらの方は、いったい?」


宝城ほうじょう夏姫なつきさん。わたくしの初等部時代からの友人なの」


 へー、初等部からの付き合いなんだ。どうりで。


「まったく。放課後になるたびに姿を消すから、いったいどこをほっつき歩いているのかと思えば、こんなところにいたのね」


 夏姫様は遠慮もせず、つかつかと美波様の元にやって来る。


「美波さん。このチャペルは禁断の聖域だったはずよ。いくら美波さんでも、勝手に入っていい場所じゃないわ」


「ちゃんと許可はもらっています。というより、おばあ様に頼まれた、といったほうが正しいかしら。いつでも使えるように、きれいにしておきなさいって」


 美波様の返答に、夏姫様があきれたように肩をすくめる。


「フン。どうやら理事長も孫娘にはずいぶんと甘いようね。神聖なチャペルの鍵を美波さんに簡単に渡してしまうだなんて。いくら理事長の孫娘だからといって、ひとりの生徒を特別あつかいするだなんて、感心しないわ」


 美波様に対する、とげのある言い方。残念だけど、夏姫様が入部を希望してここまで来たわけじゃないってことだけは理解できた。


 それにしても……美波様のおばあ様って、フリージア女学院の理事長だったの!?


 名言メーカーのおばあ様って、いったいどんな人格者なんだろう? って前から疑問に思っていたけれど、理事長なら納得だ。どうりで美波様が立派なお嬢様に育つわけだ。


 夏姫様が、ふと私に目を向ける。


「ところで美波さん。そこにいる、ちんちくりんな一年生は誰かしら?」


「なっ!?」


 わたしはカチンときた。


 ちんちくりんで悪かったですね! これから背だってぐーんと伸びますからねっ!


 ……って言い返してやりたかったけど、二年生はまだこわい(美波様をのぞいて)ので、ぐっとこらえる。


 それにしても、夏姫様って、もしかして意地悪な性格なのかも?


 わたしのことをからかって、いやな笑みを浮かべて、楽しんで。感じの悪い人っ!


 美波様は、そんなムッとしたわたしの感情を和らげるような優しい声で、夏姫様に答えた。


「この子は早坂日奈乃さん。わたくしの大切な人よ」


 美波様が美しい表情をかがやかせて、にこやかに言い切る。


 きゅん……っ!


 美波様の予期せぬ言葉にしぜんと胸が高鳴って、思わず両手で顔をおおう。


 『大切な人』だなんて。そんなこと、今まで生きていて一度も言われたことがないから、顔が熱くなってきちゃった。


「へえ、大切な人ね」


 夏姫様がわたしを値ぶみするかのように、まじまじと見つめてくる。


 あれ? なんだか夏姫様の目がするどさを増してつり上がってきたかも。


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