第10話 ふたりだけの秘密
美波様はかがやく神秘的なステンドグラスを見上げると、遠い昔話でもするかのように、ゆっくりと語りはじめた。
「かつて、学院のすみに建つこの小さなチャペルは常に開放されていて、生徒たちも自由に出入りができたそうよ。式典の日にはパイプオルガンが奏でられ、聖歌隊が高らか讃美歌を響かせてね、けっこう華やいでいたみたい。ほかにも、神父様の講和を聞きに集まったり、クリスマスを祝ったりと、生徒たちにとって、このチャペルはまさに特別で神聖な場所だった。……けれども、ある奇妙なうわさが、神聖な場所を汚してしまった」
美波様がわたしのほうをふり返る。
「日奈乃は、このチャペルにまつわるふしぎなうわさを覚えているかしら?」
「それはもう。放課後にこのチャペルで祈りをささげると、どんな願いでも叶うんでしたよね。女の子たちの夢がつまった、かわいらしいうわさだと思いますけど」
しかし、美波様は美しい顔に影が射すかのように、表情をくもらせている。
「日奈乃は、どうしてそんなうわさが生まれたのだと思う?」
「どうして、って? なにか、きっかけとなる出来事があったんですか?」
「ええ、なにごとにも始まりはあるものでしょう? つまり、はじめに誰かがここで祈りをささげ、願いを叶えたからこそ、うわさは真実として広まっていった――。日奈乃は、その始まりの人がなにを祈り、どんな願いごとを叶えたのだと思う?」
「うーん、なんでしょう?」
わたしは首をひねり、腕を組んで真剣に考えこむ。
宿題を忘れた日に先生に当てられませんように、とか?
夕飯のおかずに大好物のから揚げが出てきますように、とか?
お年玉つき年賀はがきが当たりますように、とか?
「……なんにせよ、願いが叶ったことを周りに証明する必要があるかも」
わたしはぽつりとつぶやいた。
だって、そうじゃないと、本人がほんとうに願いを叶えたかどうか怪しまれちゃうもの。
ほんとうに願いを叶えたと証明できたからこそ、次はわたしも、って続く人が出てくるわけで。
そうして何人もが願いを叶え続けたからこそ、うわさは令和となった今の世でもまことしやかに語り継がれているんだよね、きっと。
そこまで考えたら、わたしの頭にある考えが浮かんだ。
「みんなに証明できるもの……。あっ! 分かりましたっ!」
「なにかしら?」
「もしかして、『大会で優勝しますように』とか、『英検に合格しますように』とかですか?」
「あら、日奈乃はどうしてそう思うの?」
「だって、願いが叶ったら賞状がもらえるじゃないですか!」
もらった賞状をみんなに見せれば、願いが叶ったって簡単に証明できるもんね。わたしって、頭いいかも!
わたしは自信満々に表情をかがやかせる。
けれども、美波様はくすくすと笑うばかりだ。
「な、なにがおかしいんですか、美波様?」
「ふふっ。日奈乃って、ほんとうにかわいい」
「もう、からかわないでくださいっ。わたしは真剣なんですからねっ」
美波様は微笑みながら「ごめんなさい」と楽しそうに謝り、ようやく正解を教えてくれた。
「最初の願いは、『どうか好きな人と仲よくなれますように』だったそうよ」
たちまち、頬がポッと熱くなる。
「へー、そうだったんですね。でも分かるなあ、その気持ち」
わたしたちにとって、人間関係ってすごく繊細で、大きな問題だ。
わたしも同じクラスの友だちはまだ琴音さんくらいしかいないから、もっとたくさんの人たちと仲よくなりたいなって思う。
でも、そう親しくない子に声をかけるのは緊張するし、もしかしたら迷惑かも、なんて思うとますます声をかけづらくて……。きっと相手が好きな人なら、なおさらだよね。
美波様がにこやかに話を続ける。
「やがて、その子の願いは叶えられ、ふたりは仲むつまじく過ごしたそうよ。すると、その様子を見たほかの生徒たちが真似をしはじめてね。ついには、このチャペルの祭壇の前に好きな相手を呼び出して告白する、なんて生徒まで現れたらしいわ」
「すごい……まるで結婚式みたい……っ」
夕陽を受けた放課後のステンドグラスに照らされて、祭壇の前で想いを告げる生徒たち。
一途な想いをついに実らせた、そんな場面を想像したら、ますます顔がカアァッ! と熱くなってきちゃった。
「生徒たちにしてみれば、お茶目な恋愛ごっこみたいなものだったのかもしれない。けれども、ブームは日を追うごとに加熱していってね。見過ごせなくなったシスターたちが、ついに生徒を立ち入り禁止にしてしまったの。神聖なチャペルで風紀を乱すとは何事だ――とね」
「それが、『神の逆鱗』……」
「ええ。以来、このチャペルの扉は固く閉ざされ、特別な時以外は誰も入れない禁断の聖域となってしまったそうよ」
「なるほど……納得です」
わたしは頭がのぼせるような心地がしながら、大きくうなずいた。
さすがは百年以上の古い歴史をもつ伝統校、私立フリージア女学院。わたしでは想像のつかないような出来事がいっぱいあるもんだ。
それにしても、まさか恋愛のお話だったとはね。
女の子しかいないこの学び舎でも、多感な青春時代を過ごしたかつての生徒たちの中には、恋愛に興味しんしんだった人も少なからずいたんだろうな。
……ん? 待てよ?
ふいに、わたしの頭の上に「?」マークが浮かび上がる。
「じゃあ、なんでわたしたちは今チャペルに入れているんですか?」
そんなに深い事情があってチャペルへの出入りを生徒に禁じたのなら、わたしや美波様だって、当然この聖域に足を踏み入れることは許されないはずで。
それなのに、わたしたちが神聖なチャペルに平然と入ってしまっていいの?
「そうね。本来なら、日奈乃がここに入ってくることはありえなかったはずなのだけど……。あの日、わたくしが扉の鍵を開けたまま、うたた寝さえしなければ……」
美波様が悩ましげに頬に手を当て、小さくため息をつく。
「あの、もしかしてわたし、やっぱり入っちゃダメでした? なんなら今から出ますけど」
「いいえ、日奈乃にはここにいてほしい。あなたはわたくしにとって必要な存在だから」
「そ、そうですか。美波様がそうおっしゃるなら、ここにいますけど……っ」
わたしは照れくささをかくしながら、ためらいがちにそう答えた。
ほんとうは美波様に必要としてもらえてすごくうれしかったけれど、本音をそのまま態度に表してしまうのは、まだ恥ずかしい。
「それに」美波様がまっすぐわたしを見つめて告げる。「日奈乃がここにたどり着いたのは、きっと神様のお導きだから。わたくしは日奈乃との出会いを特別なものに感じているわ」
「美波様……」
美波様の柔らかくて優しい声の響きが、あまりにも耳に心地よくて。
わたしはとろけそうになってしまう。
「そっ、それじゃ、チャペルは今まで通り開いていないことにしておいたほうがいいですよね?」
「そうね。ほかの子たちには申し訳ないけれど、しばらくは禁断のままにしておきましょう」
「はいっ!」
美波様がいたずらっぽく笑う。
つられてわたしも笑みをこぼす。
こうして、わたしは美波様とふたりだけの秘密を共有してしまった。
この秘密を誰にも打ち明けず守り通さなくちゃいけない責任は、けっして軽くはないけれど。
でも、美波様とふたりだけの秘密って、ちょっぴり楽しいかも。
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