悪役令嬢、あらわる
第9話 禁断の聖域
放課後を告げるチャイムが鳴る。
わたしは急いで学校指定のリュックサックに荷物をつめこむと、立ち上がった。
「日奈乃さんは、今日も美波様のところへ?」
琴音さんが興味しんしんといった顔でたずねてくる。
「うん。昨日、美波様に入部するって言っちゃったからね。これから美波様に会ってくる」
答えながら、ふと、昨日の放課後に起きた出来事を思い出す。
わたしと美波様のふたり以外には誰もいない、夕方の教室で、わたしは美波様に差し出された手をそっとにぎり返した。
それはもう、こわれやすい卵が割れないように真綿でやさしく包みこむような、ほとんど力を入れないかすかな力で。
美波様の手に触れただけで、指先がポッと熱をおびてくる。
そうして恥じらうわたしを、美波様は愛おしむような優しい目で見つめ、うれしそうに頬をゆるめると、にぎる手にさらに力をこめてきたのだった。
美波様の柔らかい手の温もりが、一晩たっても忘れられない。
「琴音はまだ美波様とお会いしたことがありませんが、よほど素敵な方なのでしょうね」
「うん。美人で優しくて、天使みたいにキラキラしていて、まさにあこがれのお姉様って感じだよ」
「ふふ。日奈乃さんったら、すっかり美波様のとりこですね。ところで、チャペルクラブの活動場所はどちらになるんです?」
「もちろん、チャペルだよ」
「えっ? あのうわさのチャペルですか? でも、あそこは常に鍵がかかっていて、入れないんじゃないんですか? 神のみぞ入ることが許される、まさに禁断の聖域だと琴音はうかがいましたが」
琴音さんがびっくりして目を丸くする。
しまった! うっかり口をすべらせちゃった!
実はわたし、美波様に言われていたんだよね。
――みんなが閉まっていると思っているチャペルが、実は放課後に開いていて、わたしたちがこっそり会っていることは、しばらく内緒にしておきましょう。変なうわさが立つといけないから。
美波様にそう釘をさされていたのに、さっそくやっちゃったかも!
「う、ううんっ、なんでもない! 今の忘れてっ! あっ、わたし、もう行かなくちゃ! 琴音さん、また明日ね!」
「え? あ、はい。また明日……」
こうしてわたしは、琴音さんに唐突に別れを告げると、あわてて教室を飛び出したのだった。
校舎の裏側から続く、木々に囲まれた石畳の小径の前までやって来る。
それから左右をよく見回し、誰にも見られていないことを確認すると、ようやくチャペルへと歩き出した。
「それにしても、美波様はどうして内緒にしたがるんだろう?」
夕陽が射しこむ小径を進みながら、わたしはひとり首をかしげる。
現在、チャペルクラブの部員は、わたしと美波様のふたりだけ。
まだ正式な部じゃないから、「部員」と言っていいのかどうかは分からないけど……。
でも、これから本格的に部員を増やそうと思うなら、むしろチャペルが開いていることをみんなに教えてあげたほうがいいんじゃないかな? そのほうがチャペルにやって来る生徒も多いだろうし。チャペルで新入生歓迎会を開いてあげたら、きっとみんなも喜ぶよね?
それに、『変なうわさが立つ』ってなんだろう?
フリージア女学院に古くから伝わるうわさ――『放課後にチャペルで祈りをささげると、どんな願いでも叶う』――これ以上のうわさなんて、ある?
でも、わたしよりひとつ年上のお姉様である美波様が、慎重な態度で念を押すようにそう言うんだもの。
きっとなにか深い考えがあるにちがいないよね。
「あっ、美波様!」
チャペルのすぐ目の前までやって来ると、すでに美波様の姿があった。
美波様は銀色にかがやくじょうろを片手に、花壇に咲く花々に水をやっていた。
色とりどりの美しい花たちと、気品ただよう美波様のうるわしい取り合わせ。
なにをしても絵になってしまう美波様はやっぱり素敵で、わたしのあこがれだ。
「まだ四月なのに、最近は初夏のように暑いでしょう? だから、わたくしが時々こうして水をあげているのよ」
「わあ~っ。どの花もきれいに咲いていますね。美波様にお水をもらって、お花たちもうれしそう」
「そうかしら? ほんとうに日奈乃の言う通りなら、わたくしもうれしいわ」
美波様はほんのり汗を浮かべながら、にっこり微笑む。
「こうして花壇に水をあげていると、幼いころ、おばあ様によく言われたことを思い出すわ――『置かれた場所で咲きなさい』って」
出た! おばあ様の名言集!
おばあ様の話をする時の美波様って、すごく癒されたような優しい表情をするから、わたし大好きなんだよね。
「植物たちはけっして恵まれない環境でも、ちゃんと根を張って立派に育つことができる。それこそ、アスファルトに咲く花みたいにね。だから美波も、どんなに過酷な運命が訪れようとも、置かれた場所であなたらしく立派な花を咲かせなさい。そうすれば、あなたに目を向け、愛情を注いでくれる人がきっと現れるわ。――おばあ様はそう言って、泣いている幼いわたくしをよくはげましてくれたの」
「へー、そうだったんですね。素敵なお話をありがとうございます」
幼いころのきゃわわな美波様を想像したら、ほっこりしちゃった。
それにしても、美波様のおばあ様って、いったい何者なんだろう?
美波様の生き方にこんなにも強い影響を与えている人だもの。きっとただ者じゃないんだろうな。もしかして、総理大臣とか大統領とか?
そんな話をするうちに、まもなく美波様が花壇に水をやり終えた。
美波様がチャペルの中へと入っていく。わたしもその背中に続く。
チャペルの鍵は、美波様が開けてくれた。
「ところで、美波様」
「なあに、日奈乃?」
「どうしてチャペルが開いていることをみんなに教えちゃダメなんですか? みんなに来てもらったほうが、部員も増えるかもって思うんですけど」
たずねると、美波様は神妙な面持ちで口を開いた。
「……日奈乃は、どうしてこのチャペルが、いつからか禁断の開かずのチャペルになってしまったのだと思う?」
「どうして、って」
たしかにふしぎな話だ。
けっして大きくないとはいえ、パイプオルガンまで備えた立派なチャペルだもの。なにも特別な行事がある日に限らず、ふだんから開放されていたっていいはずだ。少なくとも、生徒たちが毎日祈りをささげに来るくらいは許されてもいいと思う。
「美波様は理由をご存じなんですか? このチャペルの扉が、なぜ固く閉ざされてしまったのかを」
「ええ、もちろんよ」
美波様はうなずき、さらに続ける。
「フリージア女学院で代々言い伝えられてきた、このチャペルにまつわるふしぎなうわさが、神の逆鱗にふれてしまったの」
「神の逆鱗……」
わたしはごくっと息をのんだ。
それってつまり、神様を怒らせちゃったってことだよね?
なにそれ、こわい。
でも、その話、もっとくわしく聞かせてほしいかも。
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