第8話 わたしの夢、見つけた

「ところで、日奈乃がどうしてわたくしの教室に?」


 そうでした。


 美波様の掃除を手伝って、喜んでもらえたら、それだけでもう満足しちゃって、またしても本題を忘れて帰るところだった。


 わたしは美波様にたずねに来たのだ――『チャペルクラブ』の真相を。


「もしかして、昨日の件、考えてくれたのかしら?」


 美波様が期待に目をキラキラとかがやかせながら、わたしの表情をうかがってくる。


 美波様も、わたしがチャペルクラブに入部するかどうか、気になっていたのかも。


 だったら、話が早い。


「その件なんですけど……」


 わたしは言いづらそうに切り出した。


 チャペルクラブなんて聞いたことないし、生徒手帳のどこにも書いていない。琴音さんも知らないっていうし、ベテランの中根先生でさえご存じない様子だった。



――「チャペルクラブなんて部、ほんとうにあるんですか?」



 わたしはそう美波様にたずねようとして、ハッと思いとどまった。


 だって、美波様ったら、今にも泣き出しそうにうるっと瞳をうるませ、不安げに眉を下げて、しょぼーんとした顔でわたしの答えを待っているんだもの。


 美波様、わたしに断られると思ったのかも。


 でも、だからって、なにもそんなこの世の終わりみたいな絶望的な顔をしなくても。


 そんな顔するの、反則すぎですっ!


「そうよね、日奈乃だって迷惑よね……。わたくしなんかにさそわれても……」


「ま、待ってくださいっ! わたしはなにも入部しないって言いたいわけじゃなくてですね」


「あら、ちがうの?」


 今にも泣き出しそうだった美波様の顔が、ぱっと明るくなる。


「ただ、わたしは教えてほしかっただけです。チャペルクラブなんて部がほんとうにあるのかな、って?」


 わたしは疑問をストレートに美波様にぶつけた。


 美波様はようやく合点がいったのか、ああ、とうなずいて答えてくれた。


「もちろんよ。ちゃんと生徒会に申請したもの」


 美波様がニコッと微笑む。


 よかった。生徒手帳に載っていないから心配になっちゃったけど、どうやらちゃんとした部活みたい。


「ただ、部員がまだわたくししかいないから、許可が下りなかったのだけれど」


「……へっ?」


「正式に許可を得るには、部員が五人必要なんですって。でも同好会なら三人でいいそうよ」


「えっ? ええ~っ!?」


 純粋な笑みを浮かべて、にこやかに教えてくださる美波様。


 一方、わたしは放課後の静かな教室に、驚きの声を響かせる。


「それってつまり、チャペルクラブはこの世にまだ存在しないってことじゃないですかっ!」


「あら、いずれ正式な部になるわ。わたくしには分かるもの」


「あの、美波様。失礼ですけど、なにを根拠にそうおっしゃっているんです?」


「だって、わたくしでしょ、日奈乃でしょ。あと一人加われば、もう同好会になるじゃない。五人なんてあっという間よ」


「すでにわたしが入部することになってるっ!?」


 コロコロと笑みをこぼしながら、美しい指を折って、部員の数を数えはじめる美波様。


 なぜか、わたしがもう部員としてカウントされているんですけどっ!?


 とまどうわたしに、美波様は優しく微笑みかけ、さとすように言う。


「日奈乃は覚えてる? チャペルクラブがどんな活動をする部活なのか」


「えっと、たしか、人助けをするんでしたよね?」


「そうよ。そして、日奈乃はすでに人助けをしてくれた」


「わたしが?」


「ええ。今日一日、わたくしのことを助けてくれたじゃない。おかげでわたくしの心がどれだけ救われたか、日奈乃には分かって? 日奈乃が今日とった行動は、チャペルクラブが目指すものと完全に同じ。だから、日奈乃にはぜひチャペルクラブに入ってほしい。そして、わたくしと行動を共にしてほしい」


 美波様は純粋な瞳をまっすぐわたしに向け、強く訴える。


「ちょ、ちょっと待ってください! たしか、チャペルクラブって、チャペルに祈りをささげに来た生徒たちの願いを叶えるお手伝いをするんでしたよね? わたし、美波様の願いを叶えるお手伝いまではできていませんよ?」


 チャペルの祭壇の前で手を組み、祈りをささげる美波様の、ステンドグラスの陽に照らされた神々しい姿を思い出す。


 あの時、美波様が祈っていた願いは、



――『運命の人とめぐり会えますように』



 だったはずだ。


 たしかに、わたしは美波様のお仕事を手伝ったかもしれない。


 けれども、美波様の切なる祈りが叶うような、そんな大それた人助けまではしていない。


「そうかしら?」


 美波様がくすっと笑う。


「案外、運命の人はもうすぐそこまで近づいているのかもしれないわ」


「えっ? どこにです?」


 いったい、どこに美波様の運命の人がいるというのだろう?


 あたりを見わたしたって、教室にはわたしと美波様しかいないというのに。


 きょろきょろするわたしに、美波様はにっこりと目を細め、優しい声をかける。


「逆に、わたくしなら、日奈乃の願いを叶えるお手伝いができるかもしれない」


「えっ?」


「日奈乃は夢が見つからなくて困っていたのよね」


「ええ、そうですけど……」


「日奈乃は、わたくしが前に言った言葉を覚えているかしら? 『人はみな、己が果たすべき使命をもって生まれてきた』んだって。日奈乃はきっと、人を助ける使命をもって生まれてきた。だから、わたくしは、日奈乃の夢は、人を助けることであってほしい」


「人を助けることが、わたしの夢?」


 美波様が静かにうなずく。


「いったいどんな仕事なのかは分からない。学校の先生かもしれないし、お医者様かもしれない。あるいは海外を飛び回る支援活動家かもしれない。なんであれ、日奈乃の向かう先は、人助けであってほしい。わたくしにためらいもなく手を差しのべたのと同じように、世界中の困っている人たちに救いの手を差しのべてあげてほしい。わたくしは日奈乃に、そんな夢を見てしまう――だって、日奈乃は天性の優しさをもった女の子だから」


「美波様……」


 美波様の言葉が、わたしの胸の奥に温かく染みわたる。


 美波様はわたしのいいところを見つけて、すごく褒めてくれる。


 そして、夢も将来やりたいこともないつまらないわたしに、これから進むべき道を指し示してくれる。


 真っ暗な夜空にかがやく天の川みたいな、希望に満ちた、まぶしい道筋を――。


 美波様がふっと口角を上げ、わたしの前に手を差し出す。


「さあ、日奈乃。わたくしの手を取って。そして、わたくしと一緒に、チャペルクラブで素敵な夢を叶えましょう」


 それはまるで、お姫様を舞踏会のダンスへといざなう騎士のような、優雅でたのもしく凛々しい口説き文句で。


「……す、末永くお願いいたします」


 わたしは甘い蜜に吸い寄せられる蝶のように、美波様の手に自分の手を重ねてしまうのだった。





 翌日。


「それで、チャペルクラブに入ることに決めちゃったんですか」


 一年三組の教室で、琴音さんがあきれたように言う。


「そうなんだよね。さすがに早まったかも」


 美波様にさそわれるまま、ついOKしちゃったけれど、チャペルクラブはそもそも正式な部ではないわけで。その場の雰囲気に流されてしまった感はいなめない。


「まあ、よいのではないでしょうか。日奈乃さんらしくて」


「琴音さん。それ、ぜんぜんフォローになってないから」


 わたしは苦笑するしかない。


 それから、夢や将来やりたいことについて発表する順番が、ついにわたしにも回ってきた。


 わたしは緊張した面持ちで黒板の前に進み出ると、胸に手を当て一度深呼吸し、クラスメイトたちに向き直った。


 そして、はっきりとした口調で、堂々と打ち明けた。


「将来、どんな仕事に就きたいかはまだ決まっていません。けれども、わたしにはやりたいことがあります。それは、困っている人を助けることです。こんなわたしに何ができるのかは分かりませんが……。けれども、こんなわたしでも救える人がいるのなら、手を差しのべ、少しでも力になってあげたい。それが、今のわたしの夢です」


 発表しながら、美波様の顔を思い浮かべる。


 『あなたの愛に、わたくしは今日という日を生かされた』とまで言ってくれた美波様。


 美波様の言う『愛』がどういうものなのか、わたしにはいまだに分からないけれど。


 でも、こんなわたしでも美波様が必要としてくれるのなら。


 わたしだって、少しは応えてあげたいと思う。


 放課後に祈りをささげると、どんな願いでも叶う――そんな言い伝えを残すふしぎなチャペルで、わたしは美波様と出会った。


 そして、未来への扉が開かれた。


 美波様と初めて出会ったあの日、わたしは祭壇の前で切なる祈りをささげていた。



――「どうか、みんなの前で発表しても恥ずかしくないような、素敵な夢が見つかりますように」



 って、あれ?


 わたしの願い、ほんとうに叶っちゃったかも。

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