第6話 都合のいい人

「ふう、たいへんな目にあっちゃった」


 二年生のお姉様方に声をかけていただけるのはありがたいし、部活にさそってもらえるのもうれしい。けれども、あまり圧をかけられると、かえって逃げ出したくなってしまう。


 そのまま階段を下り、教室に戻ろうとしていると、


「あれ? あの後ろ姿……。もしかして美波様?」


 背中にまでかかる、つややかで長い髪。すらりと背が高く、しなやかに細い抜群のスタイル。フリージア女学院に集うお嬢様たちが行き交う廊下においても、ひときわ目を引くまばゆい存在感。まちがいない、美波様だ! 


 さっき二年生のお姉様方に囲まれてこわい思いをしたせいか、美波様の後ろ姿を目にしたら、しぜんと笑みがあふれてきた。


 わたしはご主人様を見つけた子犬のように、美波様のもとへと駆け寄った。


「こんにちは、美波様!」


「ごきげんよう、日奈乃。ふふ、今日も笑顔が素敵ね」


「えへへ。ありがとうございます」


 美波様に褒められて、ますます頬がにんまりとゆるんでしまう。


「ところで、美波様はなにをなさっているんですか?」


 美波様は何冊ものノートを大事そうに抱えていた。見るからに重そうだ。


「このノートを昼休みに職員室まで届けるよう、先生から頼まれていて」


「わたしも手伝いますっ!」


 わたしは美波様が持っているノートの山の上半分を引き取り、落とさないようにぎゅっと強く抱えこんだ。


「ありがとう、助かるわ。正直言うと、職員室まで運びきれる自信がなかったの」


「いえ、このくらいお安いご用です! それに、なんとなく、美波様には箸より重い物は持ってほしくないかもって」


 可憐で美しくて、はかなげで。女の子のあこがれを一身につめこんだような、お姫様みたいな美波様の細い腕に、重い荷物は似合わない。


 むしろ真っ赤なバラの花束とか、上品なペルシャ猫とかなら、すっごく似合いそう!


「日奈乃ったら、いったいわたくしのこと、どう思っているのかしら?」


 美波様が眉尻を下げて苦笑する。


 そんな困った顔もかわいらしくて美しくて、思わずきゅんとしてしまう。


 昨日、夕暮れ時にチャペルで出会った美波様もかがやいて見えたけれど、こうして廊下の窓から射しこむ陽の光を浴びて歩く美波様もまた光の粒子をふりまくかのようにまぶしくて、つい見とれてしまう。


「あの、美波様って、いつもそんなにかわいいんですか?」


「か、かわいい? わたくしが?」


 美波様がとまどったようにたずね返す。


 白い頬にぱっと朱が散った。


「はい! とってもかわいいと思います! ……はっ! もしかして、後輩がこんなこと言うのって、失礼でしたか?」


「べ、べつに失礼ではないのだけれど。でも、わたくしはそんなにかわいくないし、むしろ日奈乃のほうがずっとかわいいわ」


「またまた。そんなわけないじゃないですか」


「ううん、日奈乃はすごくかわいい。なんて言うの? こう、小動物みたいなかわいらしさとでも言うのかしら。思わずぎゅってしたくなるくらい、日奈乃はかわいい」


「あ、ありがとうございますっ」


 そんなこと誰にも言われたことなかったから、さすがに照れちゃう。


 こんなわたしのことも褒めてくれて、やっぱり美波様ってすごく優しい。


 見た目がきれいな人って、心まできれいなものなのかな? 


 そんな会話を弾ませながら、うきうきと職員室をたずね、無事に先生にノートを届ける。


「日奈乃、今日はほんとうにありがとう。おかげさまで、無事に役目を果たせたわ」


「いえいえ。またなにか困ったことがありましたら、いつでも呼んでください! わたしでよければ、いつでも力になりますから!」


 わたしは誇らしげに胸をたたき、美波様と手をふって笑顔で別れた。


 こんなわたしでも美波様のお役に立てたことが、すごくうれしい。


 達成感に満たされ、ニコニコしながら教室の席につく。


「……って、わたし、美波様に『チャペルクラブ』のこと聞くの、忘れてた~っ!」


 わたしは思わず頭をかかえ、ずーんと沈んだ。


 そもそもわたしは『チャペルクラブ』の真相をたずねるために美波様を探していたわけで。


 それなのに、実際に美波様とお会いしたら、会話が楽しくて、つい本題を忘れてしまった。


 わたしって、ほんとドジ……。





 放課後、わたしは階段で待ち伏せし、終礼を終えて下りてくる人並みにじっと視線を送っていた。


 ひとつ上の、二年生のお姉様方のフロアに行くのは気が引ける。


 けれども、この階段で待っていれば、いつかは美波様もきっとここを通るはずだよね。わたしって、頭いいかも!


 ・

 ・

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 しかし、待てど暮らせど、美波様はいっこうに姿を現さなかった。


 やがて下りてくる生徒の流れも蛇口を閉められてしまったかのようにすっかり止まり、ついには誰もいなくなってしまった。


「あれ? おかしいな。もしかして、美波様はほかの階段をお使いになったのかな?」


 やむを得ず、恐るおそる階段を上がりはじめる。


 息を殺して、けっして目立たぬよう、昼間のようにお姉様方に囲まれないよう細心の注意をはらいながら、美波様の教室を目指す。


 足音を立てないように進み、まもなく二年三組の教室へとたどり着く。


 すると、教室にはただひとり、美波様だけが優雅なたたずまいを崩すことなく、静かに黒板を消していた。


 わたしはふしぎそうに首をかしげた。


「美波様?」


「日奈乃?」


 よほど予期せぬ来訪者だったのだろう。美波様が、信じられないといった顔で目を丸くする。


「どうしてここに? もしかして、わざわざわたくしに会いに来てくれたの?」


「はい。……でも、どうして美波様がおひとりで掃除を?」


「みんな部活の新入生歓迎会で忙しいんですって。それで今日は、手の空いているわたくしが引き受けたの」


 美波様はおだやかな笑みを浮かべて、わたしにそう説明してくれた。


「そんな! 美波様だけ、たいへんじゃないですか!」


「あら、そうでもないわよ。ひとりのほうが捗るし、かえってせいせいするくらいだから。それに、昨日も言ったでしょう? 『愛は与えるもの』だって」


 美波様は疑いを少しも感じさせないような純粋な瞳でニコッと笑う。


 たちまち、わたしは胸がきゅっと苦しくなった。


「わたしも手伝いますっ!」


 わたしはあわてて美波様のとなりに立ち、一緒になって黒板を消しはじめた。


 昼休みにひとりで重たいノートを運び、放課後にひとりで掃除をする美波様。


 美波様は人がいいから、たいへんな仕事をひとりで引き受け、そうやって周りの人たちに優しく接して、美波様なりの『愛』を与えているつもりかもしれないけれど……。


 でも、わたしは知っている――二年生のお姉様方の、有無を言わせないような強い圧を。


 昼休みに集団で取り囲まれ、熱烈に部活動の勧誘をされた時、わたしはうれしかった半面、こわくもあったのだ。


 だから、嫌な予感もしてしまう。


 もしかしたら、お人好しの美波様は、周りの人たちから都合よく利用されているだけかも――って。

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