第4話 チャペルクラブ

 美波様が、わたしをさとすような声で教えてくれた。


「わたくしのおばあ様がね、よくおっしゃるの――わたくしたちは、自分たちの意思で生きているように見えながら、実は多くの人の支えによって生かされている。だから、すべての出会いに感謝なさい。そうして日々の出会いを大切にしていれば、おのずと『運命』を感じる瞬間が訪れるわ――とね。わたくしは、いつかその瞬間が訪れるのを、ずっと楽しみにしているの」


 美波様のお話は、今のわたしには、あまり実感のわかないものだった。


 けれども、美波様のほがらかな微笑みを目の当たりにして、この人は純粋に、少しも疑うことなく、そう信じてこれまで生きてきたのだろうということだけは、よく伝わってきた。


 わたしの心に、ふっと優しい風が吹き抜ける。


「わたしも、美波様にその『運命』の出会いがいち早く訪れるよう、お祈りしていますね!」


「ふふ、ありがとう」


 美波様がうれしそうに目を細める。わたしの口元からも笑みがこぼれた。


 ここフリージア女学院に広まっている言い伝えの通りに、ちゃんとチャペルでお祈りしたんだもの。わたしや美波様の願いだって、きっと聞き入れてもらえるよね? 


 それから、わたしたちは長椅子にふたり並んで腰を下ろした。


「ところで、日奈乃はどの部に入部するか、もう決めたかしら?」


「いえ、まだですけど……」


 入学したてのわたしたち一年生にとって、部活動はとても大きな問題だ。


 でも、運動はあまり得意じゃないから体育系の部活は無理だし、かといって文科系にしても、とりたてて特技もないし……。わたし、いったいどの部に入部すればいいの?


「もし、日奈乃がまだ部活を決めかねているのなら、わたくしと一緒に活動してみない?」


「美波様と? 美波様はいったい何部に入っていらっしゃるんですか?」


 美波様からおさそいいただけるのはありがたいけれど、わたしでもできる部活なのかな?


「そうね。しいて言うなら、『チャペルクラブ』といったところかしら」


「『チャペルクラブ』?」


 美波様から告げられたのは、これまで見たことも聞いたこともない名前だった。


「いったい、なにをする部活なんです、それ?」


「簡単に言えば、人助けかしら」


「人助け?」


 美波様がこくりとうなずく。


「こうしてチャペルにいるとね、いろんな生徒が願いを叶えようと、ここを訪ねて来るでしょう? そんな生徒たちの想いに寄りそい、手を差しのべ、少しでも願いが叶うようお手伝いをする。チャペルクラブが目指しているのは、そんな活動よ」


「願いを叶えるお手伝い……」


 わたしはとまどいながら、美波様が口にした言葉をくり返す。


 なんて尊い活動なんだろう。でも、そんなこと、ほんとうにできるのかな? 


 美波様はなんかこう、世俗離れしたようなふしぎな力をお持ちのように感じるから、もしかしたら人助けだって簡単にできるのかもしれないけど。


 でも、平凡でなんのとりえもない、ただの中学一年生に過ぎないわたしには、人助けだなんてあまりに荷が重すぎるっ。


 むしろ、助けてほしいのは、わたしのほうかも~っ。


 ……ん? 待てよ?


 わたしの脳内に、ある考えがふとよぎる。


 わたしは胸に手を当て、ためらいながらも、美波様にせまった。


「じゃあ、美波様はわたしにもしてくださるんですか? その、願いを叶えるお手伝いを」


「もちろんよ。わたくしはおばあ様から、こう教わっているの――『愛』は欲しがるものではなく、与えるものだ――って。だから、わたくしは日奈乃にだって『愛』を与えるつもりよ」


 美波様は美しい頬をほころばせ、ニコッと微笑みかけてくれた。


 美波様の言う『愛』がどういうものなのか、今のわたしにはまだ分からないけど。


 でも、美波様がそこまでおっしゃるのなら――。


「だったら、美波様、どうかわたしの願いを叶えてください。夢も、将来やりたいこともなにもない、あわれなこのわたしに、人前で発表しても恥ずかしくないような素敵な夢をお与えくださいっ!」


 言いながら、瞳がうるおいを増し、目尻の辺りにうっすらと涙がにじんでくる。


 わたしはなんて無茶なお願いをしているのだろう。美波様だって、こんなこと言われたら、きっと困るに決まっている。


 夢は誰かに与えられるものではなく、自分で見つけるものだ。だから、他人にわたしの夢を求めるだなんて、まちがっている。そのくらいのことは、わたしにだって分かる。


 だから、今のわたしは、ただ美波様にいら立ちをぶつけているだけ。ろくに発表すらできそうにない己の未熟さを省みず、ただ美波様を感情のはけ口にしているだけ。


 そんな自分があまりに情けなくて、ふがいなくて、涙が出てくる。


 けれども、美波様は少しも嫌がるそぶりを見せず、むしろ真剣な眼差しで、わたしが話す言葉を受け止めてくれた。


 返ってきたのは、わたしの深刻さとは縁遠い、軽やかで可憐な声だった。


「あら、それなら大丈夫よ。日奈乃にだって、ちゃんと夢は見つかるわ」


「どうしてそんなことが分かるんです?」


「だって、日奈乃も使命をもって生まれてきたのだから」


「使命?」


「そうよ。人はみな、己が果たすべき使命をもって生まれてきたの。日奈乃は、『みんなちがって、みんないい』のはなぜだと思う?」


 なぜって。それって、お互いの個性を認め合いましょうって話じゃないの?


「それはね、人にはそれぞれ与えられた使命が異なるから。わたくしにはわたくしの、日奈乃には日奈乃にしか果たせない使命がある。日奈乃にしかできないことが、この世界にはきっとあるわ」


「わたしにしかできないこと?」


「ええ、そうよ。日奈乃がこの世に生まれてきたのには、ちゃんと理由があるの。だからね、日奈乃。あなたはどうしたら自分のいのちが最もかがやくのかを、よく考えてごらんなさい。そうすれば、夢も、生き方も、しぜんと見えてくるものよ」


 美波様はきりりと眉を上げて、得意げな声で言う。


 やっぱり美波様のお話はむずかしくて、わたしにはよく分からない。


 ただ、美波様がこれまでわたしが聞いたことのないような尊い話をしてくれているのだろうことだけは、なんとなく理解できた。


「それで、わたしの夢はいつ見つかるんです?」


「さあ。明日かもしれないし、一年後かもしれない。もしかしたら、ずっと大人になってからかもしれないわね」


「それじゃ遅いんですってば~っ!」


 くすくす、と美波様は楽しそうに笑う。わたしは思わず頭を抱えたくなった。


 そんな会話を交わすうち、最終下校時刻を告げるチャイムが響いてきた。


 わたしたちは学校指定のリュックサックを背負い、ふたりでチャペルを後にした。


 最後にチャペルの鍵をしめてくれたのは美波様だった。


「それでは日奈乃。入部の件、考えておいてくれるかしら」


「分かりました。……でも、いいお返事ができるとはかぎりませんよ?」


「もちろん、わたくしだって日奈乃が簡単に入部してくれるとは思っていないわ。大事なことだもの、慎重によく考えて。その上で、日奈乃がチャペルクラブを選んでくれたならうれしい」


 こうして、わたしたちはそれぞれの帰路へと別れたのだった。





 夜、わたしはベッドに仰向けになりながら、今日という一日をふり返った。


「……ふしぎな人だったな、美波様」


 ステンドグラスの光を浴びて天使のように光りかがやく美波様のうるわしいお姿が、目に焼きついて離れない。


 けれども、美波様の美しい容姿もさることながら、それ以上に、美波様が語って聞かせてくれた言葉の数々が、今なおふしぎな効力をもってわたしの心に響いていた。


 わたしたちは生きているのではなく生かされているのだ、とか。

 愛は欲しがるものではなく与えるものだ、とか。

 わたしには果たすべき使命があり、生まれてきたことには理由があるのだ、とか。


 そんなこと、わたしの周りの子たちなら絶対に言わない。


 美波様は、他の子たちとは一線を画する、独特な世界観を持っている。


 つかめそうでつかめない、気高くて尊い、美波様だけの世界。


 けれども、美波様の言葉のすべてを理解できずとも、聞いているだけで胸の奥がじんわりと温かくなってくるのはなぜだろう?


 気品があって優しくて、とげ立ったわたしの感情でさえ包みこむように受け止めてくれた、美波様のおだやかな人柄がそうさせるのかな?


「……明日また、美波様にお会いできるかな?」


 わたしは明かりを消した暗い部屋でひとりつぶやき、目を閉じた。


 美波様がさそってくださった『チャペルクラブ』がどういう部活なのか、いまだに謎は多いけれど。


 それに、夢も将来やりたいことも見つからないという、わたしの悩みは少しも解決してはいないけれど。


 でも、『チャペルクラブ』のことは、ちょっと気になるかも。


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