第3話 天使のようなお姉様

 それにしても、なんて美しい人なんだろう。


 つややかで流れるようにきれいな長い髪。彫刻のように整った顔立ち。淡雪のような色白の肌。もしかして、魔女にもらった毒リンゴを食べて眠りについてしまった白雪姫?


 赤いタイから察するに、どうやら二年生のお姉様のようだけれど……。


 私立フリージア女学院では、学年ごとにタイの色が異なるから、タイを見れば何年生かすぐに分かるんだ。ちなみに一年生は黄色、二年生は赤、三年生は白だよ。


 ……って、今は説明している場合じゃないっ。


 いくら四月になって温かくなってきたとはいえ、夜はまだ冷える。このまま眠り続けていたら、きっと風邪を引いちゃうよ!


 わたしは意を決して、遠慮がちに声をかけてみた。


「あのー、大丈夫ですか?」


「う、うぅん……」


 美しいその人はうめくように小声をもらすと、目をこすり、まだ重そうなまぶたをゆっくりと開いた。


 そして、わたしと目が合うなり、


「きゃっ!」


 と、短く叫んだ。


 小鳥のさえずりにも似た、耳ざわりのいい、うるわしい声。


「わたくしったら、なんてはしたない……っ」


 お姉様がゆっくりと上体を起こし、すっかり赤らんだ頬に両手をそえ、恥ずかしそうに下を向く。


 そんな所作でさえ可憐で品がよくて、しぜんと引きこまれてしまう。


「いえ、よくあることですから」


 わたしは笑みをさそわれつつ、すかさずフォローした。


 うららかな春の午後についうたた寝してしまった経験なんて、きっと誰にでもあるもんね。


 やがて、美しいお姉様は立ち上がり、わたしの前に進み出た。


 背がすらりと高く、スタイルがよくて、まるでモデルさんみたい。


「ごきげんよう。わたくしは中等部二年三組の御堂みどう美波みなみよ。あなたは?」


「中等部一年三組、早坂日奈乃です。ごきげんよう、美波様」


 わたしは美波様の柔らかい微笑を見上げ、夢見心地で声をかえす。


 だって、ステンドグラスを背にして立つ美波様は、彩り豊かなまばゆい光に照らされて、まるで天界から舞い降りてきた天使のようにきらめいていらっしゃるんだもの。


 あっ、言いそびれたけれど、先輩であるお姉様に対しては、お名前に『様』をつけてお呼びするのが、この学院でのしきたりなんだ。


「放課後にこの場所を訪れたということは、日奈乃にもなにか叶えたい願いがあるのかしら?」


 美波様は親しみをこめてわたしの名を呼び、興味深そうにたずねてくる。


 優美な腕をすっと伸ばし、わたしの曲がったタイをさりげなく直しながら。


 そんな美波様の優しい気づかいにうながされ、わたしは胸の内を正直に告白した。


「今度、自分の夢や将来やりたいことについて、みんなの前で発表するように求められて。でもわたし、そういうの、ぜんぜんないから……。そもそも人前で話すのも、あまり得意じゃないし……」


「それで、救いを求めてここまで足を運んでくれたのね」


「はい……」


 わたしはしゅんとうなだれ、素直に首を縦にふる。


 美波様はそんなわたしに微笑みかけ、それから、祭壇のほうへと目を向けた。


「放課後にこのチャペルで祈りをささげると、どんな願いでも叶う――フリージア女学院で脈々と受け継がれてきた、古い言い伝えね。日奈乃は信じているのかしら?」


「信じているかと言われたら、正直、まだ半信半疑ですけど……。でも、そういう言い伝えがあるのは、とてもいいことだと思います」


 たしかに、なんの根拠も信ぴょう性もない、気休めの言葉に過ぎないのかもしれない。


 どんなに祈りをささげたところで、願いなんて聞き入れてもらえないかもしれない。


 それでも、わたしは嘘みたいなこの言葉がもつ温もりが好きだ。


 おまじないにも似た、信じる者に期待感を抱かせる、優しい言葉。


 その温かい響きに救われ、か弱い心を支えられてきた生徒たちだって、これまでいっぱいいたはずだ。今のわたしみたいに。


 この学院で古より受け継がれてきた言い伝えが、今なおうわさとなって広まっているのは、つまり、きっとそういうことなのだろう。


 わたしの言葉に耳をかたむけていた美波様は、やがて満足げにうなずいた。


「そうね。わたくしもそう思うわ」


 そうして美波様もまた祭壇へと手を組み合わせ、静かに目を閉じ、祈りをささげるのだった。


「――主よ。わたくしの祈りを聞き入れてください」


 さすがはひとつ年上のお姉様。祈りをささげるポーズもすっかり様になっている。


 特にお美しい美波様にかぎっては、それはもう一枚の絵画みたいにうるわしく、神々しい。


 わたしは興味本位にたずねてみた。


「あの、美波様はいったいどんな願いごとを?」


「わたくし?」


 美波様がくすりと笑う。


「わたくしはいつも、『運命の人とめぐり会えますように』とお願いしているわ」


 美波様は真剣な瞳をキラキラとかがやかせ、にこやかにそう教えてくれた。


 わたしの心にも、ぱあぁっ! と明るい花が咲く。


「素敵~っ! もしかして、美波様にはすでに好きなお人がっ!? いったいどんな方なんです? もしかして、幼いころからずっと文通している王子様みたいな人とか? いいな~っ!」


「ひ、日奈乃。ちょっと落ち着いてちょうだい」


 はっ、いけないいけない。つい気分が舞い上がっちゃって、食い気味にあれこれ聞いて美波様を困らせちゃった。


 でも、美波様だって恋に恋するお年ごろだもの。好きな人のひとりやふたり、いてもおかしくないよね。


 それにしても、美波様が想いを寄せるお方って、いったいどんな人なんだろう?


 こんなに美人さんなんだもの。きっとすぐに結ばれるに決まっているよね~っ。


「うふふっ。美波様がその運命の人と結ばれたあかつきには、ぜひわたしにも紹介していただきたいですっ!」


「あの、さっきからなにか勘ちがいしているみたいだけど、わたくしには日奈乃が考えているような好きな人はいないし、文通している王子様もいないわ。そもそも、わたくしはなにも恋愛の話をしているのではなくてね」


「へっ? ちがうんですか?」


 美波様が優しい眉をハの字にして、苦笑する。


 もしかしてわたし、やっちゃった!?


 ああっ! わたし、さっそく美波様に変な子だって思われちゃったかも~っ!


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