推しの行動が迅速すぎるんだが



 推しは処置していた手を止めて俺の目を見る。

 至近距離は推しが部下として配属されたときから経験しているものの、未だ慣れることはない。最初は血反吐を吐かんばかりに内心身悶えていたが、今は叫び出したい衝動をこらえる程度だ。あまり大差ない。

 特にこの世界ではどうかわからないが、俺より二十センチほど大きい推しが少し身を屈めて視線を合わせるのだ。気遣われているのか、ただ単に表情を読み取るためなのか知らないが、前世で女性ファンを大量に沸かせたその魅力と理解してほしいと思う。無理であるが。

 「申し訳ありません」

 「何に謝ってるんだ?」

 「……遅れたばかりか、怪我を負わせてしまいました」

 ーーカァーッ!推し、真面目すぎッ!

 表情は変わらずともじっとりと重くなる視線は、俺の肩と横腹を捉えている。

 その言葉を聞き、俺は心の中で盛大に唾を吐いた。

 そもそも、今回の事態は俺の自業自得が招いたのだ。護衛として部下が同伴しているにも関わらず、煩わしいばかりに部下をプルモ号で待機させた。責められる要素は俺にしかなく、ましてや遠方の地で任務にあたっていた推しに責任は皆無なのだ。

 その趣旨を伝えたが、推しの表情(視線の重さ)は晴れない。

 この場に過激派ファンが居たら激怒され、見るも無惨な姿にされるだろう。俺が他の立場であれば、きっとそうするに違いない。

 しかし、どうやら推しは落ち込んでいるようなので、俺は少し考えた後口を開いた。

 「例えば、だが……俺が医者で、この男が患者だとして」

 急に例え話を始めた俺を、推しは怪訝そうに片眉をあげて見る。

 カッコよさに胸を撃ち抜かれながら続けた。

 「俺が、酒と薬を一緒に飲むなと口を酸っぱくして言ったのにも関わらず、男は言うことを聞かなかった。その結果、とんでもない吐き気や目眩に襲われるようになった」

 「ありそうな話ですね」

 「ああ。……その場合、どっちが馬鹿だと思う」

 「質問の意図が見えませんが」

 「いいから!どっちだ?」

 「誰が聞いても、男が馬鹿なのでは?」

 その回答を聞いて俺はにんまりと笑う。

 推しは眉間にシワを寄せながら、例え話の意図を探っていた。とても優秀かつ聡明である推しがこんな簡単な内容で頭を悩ますとは。

 「大正解だ」

 「何をおっしゃりたいのですか」

 「今回、こうやって怪我を負ったのは俺が患者の男のように馬鹿だったからだよ。護衛のために同行した部下達を連れ歩かなかった俺の独断が招いた……今回のこれは、防げるものだったんだ。患者の男が医者である俺の言葉を聞いて行動していれば回避できたように、な」

 そう言って再び笑った俺に、推しは虚を突かれたように目を見開いた。

 「今回は運が良かったほうだと思う。なんせ、ルクスが来てくれたからこうして俺は生きているんだ。ありもしない責任を感じるより、自分がした功績を自覚してくれ」

 「……承知しました」

 「うん」

 満足して頷いた俺はそろそろカンパニーの方へ行こうと歩き出す。しかし、貧血からの目眩を感じて少しふらついた。

 推しはぐっと俺の腕を取り、上体を支えてくれる。

 「傷は浅いようですが、出血が激しい。やはりプルモ号へ戻りますか」

 意識を切り替えたのか、先程のじっとりとした重い視線は消え、推しは俺の様子を確認するようにすっと目を細めてそう聞いてきた。そのまま忘れてくれればいい。

 俺は推しから体を離して、数歩歩く。

 「貧血だけだからいいさ。ここまで来たのに引き返すほうが手間だろ」

 「俺が抱えれば数分足らずで戻れます」

 「いい、いい!それだとあまりのスピードに失神しそうだ」

 少し強引な口調であげられた提案に、首を横に振って拒否を示す。

 俺は知っている。スカイケアの身体技術を駆使すれば五十メートルなんて一秒未満の世界なのだと。加えて推しはウンブラ史上最高の諜報員である。その実力は言わずもがな。

 このガンデラは洞窟内ではあるが最奥にあるカンパニーまで約八十キロメートルあり、俺が先程まで居た森はその数キロメートル手前。そこを水路から駆け抜けてきたのだからもう人間の次元じゃない。

 心配そうな視線を送ってくる推しは納得いかないのか、眉間にぐぐとシワを寄せて顰めっ面だ。こうした不機嫌そうな表情だけは豊かなのだからわかりにくいようでわかりやすい。

 ーー心配嬉しすぎて吐きそう

 ノックスはアドレナリンで痛みを感じない分、少しだけ情緒が不安定だった。いや、いつだって推しの前だと不安定であるが。

 「そんな心配するなって。ルクスが側に居るんなら安心だろ」

 ーーむしろ推しの供給過多でどうにかなりそうで怖い

 「……ハァ」

 「エ?なんで溜息ついた?」

 「いえ。……生涯に渡って御護りします」

 「急に壮大な話になったんだが……?」

 壮大なことを言った推しは、俺の疑問を無視して気絶している男をゲシゲシと蹴り出した。








 「こりゃあ、一体何が……」

 「荒らされていますね」

 目的地であるカンパニーに赴くと、そこはランプの残骸があちらこちらに散らばり、荒らされていた。

 カツカツと中に足を踏み入れると、光の灯るランプは無いのに気づく。全て破壊されたようだ。

 そのため、どこもかしこも薄暗闇に包まれ静かだった。

 「ランプ全部壊してんな……装飾系統は裸のまんまか」

 「……ランプのみを狙ったのでしょう」

 ランプの持ち手や縁に施す宝石などが手つかずの状態で放置されているのを見て首を傾げた俺に、推しは平常時と変わらぬ声音でそう告げた。

 「どうすっかね……」

 ーー道中の街の様子は特に違和感を見受けられなかった……国一番の製造所がこんな状態なら騒ぎになるし、俺も噂くらいは耳にするはず……つーことは、こうなってから時間が経ってないな。

 頭を抱えた俺をよそに、推しはゆっくりと製造所内を見渡し、鼻を鳴らした。

「スン……ランプが破壊されてからさして時間は経ってません。火の匂いが残ってます」

「あの男に襲われる前にはこうなったってことか」

 ランプは特殊なガラスに炎を閉じ込めて作られる。その炎はガラスが割れれば忽ち消えるが、焦げ臭さが数分残るのだ。

 製造所なだけあり数多のランプが壊れているため、正確な時間は推定できないが、ここが荒らされたのは最長でも三十分前ってところだろう。

 「これ、ガンデラにいるユースの奴らに連絡したほうがいいよな」

 「そうですね。後の面倒も減るでしょう」

 ここで、ひとつ世界機構スカイケアについて説明しよう。

 スカイケアは世界中に根を張る世界政府機構である。スカイケアは主に三つの組織に分類されている。

 一つが、俺と推しが所属する諜報組織「ウンブラ」。スカイケアに仇なす存在の排除、事実の隠蔽、情報操作。

 二つが、研究組織「カウサ」。世界のあらゆるものの探求、研究及び兵器開発。

 三つが、ユースーー世界防衛機関「ユースティティア」。世界中の国や地域の治安維持及び犯罪者、お尋ね者の捕縛と討伐。

 今回、カンパニーで起こっていることは俺達の管轄外と言ってもいい。そのため、ガンデラに駐在しているユースの人間に連絡を入れたいのだ。俺達が独断で動くことも出来るのだが、それは後から報告などで面倒なため、あまり使いたくない手である。

 そこで、一つ思いついた俺は胸ポケットから薄青色のボトルヴォクスを取り出し、栓を抜いて口元に当てる。そして、カン、カラランと真珠を鳴らした。

 かちゃんと瓶の中から音がする。相手が応答したのだ。

 “「ーーこちら、プルモ号にて待機中のウンブラ職員。ノックス様、いかが致されましたか」”

「悪いが、至急ガンデラ製造所に来てくれ。何者かに荒らされてもぬけの殻だ」

 “「承知しました! 直ちに向かいます。ノックス様はお怪我などありませんか?」”

「数分前、不審な男と戦闘になったが……直属の部下が合流してノシた」

 “「なっ!お、お怪我はありませんか!?」”

「多少怪我はしたがな。ともかく、今はその部下と一緒にいるからこれ以上の危険は無い」

”「……ルクス・ステラ様ですか」”

「ああ。ついでに拘束した男を回収しといてくれ。目測四メートル超えの、おそらく巨人族のハーフだろうから罪人護送用の担架で頼む。あと、ユースの連中にも連絡してて欲しい」

 ざわりと部下達が騒いでる音を聞きながら、俺はボトルヴォクスに栓をする。要件人間じみてるが、これ以上は時間の無駄だろう。

 これで男の身柄の護送、カンパニーの調査、ユースへの連絡といった三つが片付いたはずである。

 ふう、と一息つく。そんな俺をルクスは感情の伺えぬ表情で見ていた。

 「……え、どうした?」

 「いえ……ノックスさんからかけるのは珍しいなと」

 「えええ、これ事務連絡だが……?というか、必要があればかけるぞ俺は」

 「俺はノックスさんから入電されたことありませんので」

 ーー……うん、つまりどういうことだ推しよ

 今度は俺が推しの言葉の意図を理解できない番である。

 じっとりと先程よりは軽いが、少し重みを増した湿度のある眼差しが俺が持っているボトルヴォクスに注がれる。これは一体何を訴えているのだろうか、俺は困惑した。

 前世で紙面越しの情報しか知らない手前、今世でこうして生身で会うことができるとなるとその情報量はすごまじいなとしみじみ思う。前世では推しのこういった表情(無表情だが目で訴えている)を知らなかった。

 推しも人間なのだ、喜怒哀楽はもちろん言い表せない感情も持っているに決まっている。諜報員故に表に出ないだけで。

 だから、ふとした時に顔を出すそれを俺は見逃したくない。

 促すようにじっと見つめると、推しは淡々と言葉を落とした。

 「俺もアナタから入電を賜る機会はあるのだろうか、と」

 「賜るって、大げさだな。ルクスにかけなかったのは任務妨害したくないからで、迷惑じゃないならこれからかけるよ」

 「是非」

 ニヤリと口角をあげた推しは危ない男の色気が増して大変である。

 ジェンダーレスが謳われていた前世を持つ身としては、こんな考えは偏見だと思うが、俺は自分が女性でなくてよかったと安堵した。

 「……んじゃあ、二手に分かれて探索しよう。つっても、五分で切り上げる。もしかしたら隠れてる人がいるかもしれないしな」

 「承知しました」

 推しは胸に手を当てて恭しく一礼した後、瞬きの間に姿を消した。

 こういうところで諜報員らしさを感じるのは、ここが本当に漫画の世界なのだと実感させるものの一つである。

 少し踊った心を落ち着かせて、俺はゆったりと見て回りながら思考に耽った。

 最優先されるべきは職人達の安否と居場所の特定。加えて、ここで起こった出来事の解明だ。

 売ればそれなりに儲けがでそうなランプの装飾品に手をつけられていないとなると、ここを荒らした者はランプの破壊が目的だったということである。

 道中俺を襲った男の目的もわからない現状、どうすべきか。

 俺は肩と横腹に手を当てた。

「何が起こったんだかな……」

 ーー前世はただの公務員だったんだがなぁ

 ……物騒な出来事も指示にも慣れちまったよ……

 前世では考えられないほど物騒な世界に、知っていたとはいえため息が出る。推しが居るのでプラマイゼロどころかプラスではあるのだが、それはそれとして前世の平穏が恋しい。

 スリルは二次元に限るのだなと、転生してから得た学びだ。推しが居なければ諜報組織に居ないし、どこにも描写されない村人Aポジションを全力で狙ったのだが、すべては生まれた時点で消えた道筋である。

 推しを遠目で見るポジションに憧れを持つものの、あの屑上司に転生して推しを労ることができる今の環境は充実していた。これで物騒なことさえなければ文句なしである。

 隣の芝生は青いとはよく言ったもので、こうも物騒だと前世、社会の歯車として生きていたあの世界が少しだけ羨ましくなるのだ。いや、戻りたいとは決して思わないけれど。

 ーーそういや、俺って死んだのか?

 ふと、今更な疑問が頭をよぎった。

 ーー俺、なんでこの世界に居るんだろう。死んだ……わけじゃないとは思う。いや、あの後どうなったのか知らないからなんとも言えないけど……

 考えてみればおかしいのだ。最後の記憶は、夢でなければ推しの見覚えのない見開きページだったし、誌面の推しは何故か動いて、とてつもない悪寒に俺は意識を失ったハズだ。決して死んだわけじゃない。

 ーー……今はんなこと考えてる場合じゃねえ、か…… 

「あー、どっかに隠れてるやつ居ねぇか探さねぇと……」

 一瞬過った疑問を掻き消すようにガシガシと頭をかきながら、そうぼやく。

 考えても栓なきことなのだ。新たな生を歩んでいるからか、当時感じた推しへの不気味さや恐怖がすっかり萎んでいる。現状把握のためずっと考える余裕がなかったから、朧げなところも多い。そもそも、今ふと頭をよぎっただけで、事態収集まで考える余裕はない。

 俺は所々にあるロッカーや人が入れそうな場所を確認した。どこにも人は居ない。

 念の為確認してみたが、血痕は見当たらなかった。つまり、ここにいた職人たちは自ら姿を消したのか、脅されて大人しく従ったのかのどちらかだろう。第三の選択肢としては、そもそも卿が休業日だったか、だ。

 とはいえ、俺は事前に日程を確認してここに来たため、第三の選択肢はない。

 そこに、背後からとてもいい声が俺にかけられた。

 「ノックスさん」

 推しである。

 「へぁ!?……なんだ?」

 ドキン、と跳ねた心臓を抑えて推しの方へ振り返る。

 なにか発見したのだろうか。

 カッコいいし最高に推せるけど少し気まずい。先ほど思い返した前世の最後の記憶では、少しとはいえ推しに恐怖を感じてしまったためである。

 素っ頓狂な声をあげ、気恥ずかしく思いながら俺は尋ねる。

 そして、振り返った先には推しと、紺色のおしゃれな作業着を着ている見知らぬ男達がいた。

 まさか、と思えば推しは口を開いた。

 「事務所に隠れていた職人数人を連れてきました」

 「ウェエエーッ!? 見つけるの早ッ!」

 「こん色男、連れてきたゆうより捕獲と連行が正解じゃのう……」

 「上司さんめっちゃ驚いとる……」

 「目がこぼれ落ちねえか心配になっちまうよ……」

 訛りの混じった言葉を発する男たちにヒソヒソと囁かれながらも、俺は驚愕を隠せなかった。

 推しの行動が迅速すぎたからだ。先程二手に分かれたはずなのに、もう数人見つけているとは誰が思うのか。

 そんな推しも解釈一致でとてもうれしいが、出来すぎて不安になってくる。

 「三分も経ってねえのに!」

 「俺が優秀なのはアナタがよくご存知なのでは?」

 「そうでしたねッ!」

 

 ーー推しの行動が迅速すぎるんだが、すこしペースを合わせてもらうことは可能だろうか……?

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