推しはタイミングも完璧なんだが
推しの報告を聞いた俺はガンデラ・スペースカンパニーに向かうべく路地から出た。
カンパニーの周辺には多くのガラス販売店が立ち並んでいる。ここに足を踏み入れた当初、長崎を連想させた。前世長崎に行った際に、ガラスの小物をいくつか買った経験がある。宝石のような気後れする輝きではなく、どこか神秘的で自然を感じるガラス工芸品は何時間でも見つめていられるのだ。
グラスやスノードーム、花瓶や動物を模した置物など、店それぞれで趣が異なっており、通りがかりでも楽しめる雰囲気だ。
観光客なのか、わいわいと人が行き交うそこから抜け出し、カンパニーの敷地内へ入る。大きな製造所であるため、その土地面積も広大だ。辺りが一面森に囲まれている。町の喧騒も遠のき、シンとした静けさが心地よかった。
すると、ゾクリと悪寒が走る。その瞬間、辺りが薄暗くなった。いや、俺の上から影がかかったのだ。
ハッとして上を向けば、ボロボロのローブを身にまとった巨体が降ってくる。反射的に後方へ跳躍すると、巨体の持ち主は見た目に似合わぬ軽い音で着地した。
ーーコイツ……何だ?
推定四メートルは超えるだろうその体を見るに、どっかの種族のハーフだろうか。知識としては巨人やそれに連なる種族が居ることは知っている。しかし、そういった種族は閉鎖環境に住んでおり、あまり表には出てこない。
職務上、何度か他種族を見たことはあれど、こうした街なかで会うことなど想定していなかった。
巨体の男はローブを翻し、背中に手を伸ばして大きな得物を取り出した。
それは、ピッケルだ。
先端が赤黒く汚れていることから、既に何人もその手にかけた、もしくは負傷させたことがわかる。四メートル超えの巨体の一撃だ、喰らえばひとたまりもないのだろう。
たらり、と冷や汗が流れた。
「おいおい……アンタ、なんでそんな物騒なモン持ってんだよ」
「ピッケルは壊すためにあるだろう?ピッタリじゃねえか」
「具体的に何を壊すのか聞いても?」
口元を引き攣らせながら聞いた俺に、男はニンマリと笑ってこう言った。
「人間だ……ッ!」
ーーでしょうね!わかってましたよコンチクショウッ!
笑みを浮かべたまま俺に接近しピッケルを振り下ろす。
それをなんとか避けると、ピッケルは俺の背後にあった木の幹へ突き刺さり、次の瞬間木を粉砕した。
ーーウッソだろ十メートルはあるんだぞ!この森の木は大きな樹木で有名なのに……!
たったの一撃で木屑とかした光景はかなり衝撃的であった。
「カンパニーには行かせん」
自信をにじませる声音にひくり、と表情がひきつる。
護衛を半ば無理やり置いてきた手前、下手に怪我したら大変なことになってしまうだろう。上司の命令であれども、護衛として派遣されたのだ。その責任は部下達に向く。万が一俺が意識不明の重症に陥ったりして部下に責任を負わせるわけにいかない。
「置いてきた部下に顔向け出来ねえな……」
数度の追撃を避け、数メートル距離を取った俺はプルモ号に半ば無理やり置いてきた部下たちの顔を思い浮かべて、そっと目元を抑えた。
「っと、あっぶね……!」
「避けるな」
「それは無理な要求だな!」
ズガン、と振り下ろされたピッケルを避ければ、地面に亀裂を入れる。その範囲は直径三メートルは余裕だろう。中心部にはクレーターのような凹みも出来ている。
ーーこれ避けなかったら一発アウトだろ!
更に、間髪入れずに追撃をしてきたそれを避け、距離を取った。
大きく一歩踏み出し、空に駆け上がる。これはスカイケアの身体技術の一つで、足裏に固まった空気が一時的に固まる瞬間を狙って跳躍するのだ。それを聞いた時全く意味がわからなかったが、ここは漫画の世界、所謂異世界なのだと割り切った。
ビュン、と猛スピードで駆け上がった俺に男は驚愕するも、すぐさまピッケルで斬撃を放つ。
ーーハァアアッ!?斬撃っておま、マジかよッ……!
チリリ、と頬に熱が走る。動きと共に散る赤を見て、頬が切れたのだと悟った。
「勘弁してくれよ、こちとらデスクワークが主な文官なんだ……ッ!」
「軽々と避けておいてよく回る口だ」
「ペンを持つ腕とよく回る口と頭が仕事道具なもんで、ね!」
「ハ!なら、その仕事道具とやらを壊してみようかッ!」
鼻で笑った男は横綱のように足を広げ、ぐぐ、と身を屈めながらピッケルを自分の腰の横に構える。
ざわり、と男の周りに緩やかな風が吹き始めた。
ーー……まさかッ!
「アンタ、
「
唸るようにそう言って、男はピッケルをグワンと横薙ぎに振るった。
強烈な風が吹きすさび、竜巻となって俺に激突する。その瞬間、数多の斬撃が俺を襲った。
ーーまずい、避けきれねえ……!
斬撃が肩を裂き、横腹を掠る。散った血は風に呑まれて空気に溶け込んだ。
ほとんど勘で体を動かしていれば、避けることは出来たらしい。風がやみ、地面に着地して体を見れば、小さな切り傷を多く作れども、大きな怪我は肩と横腹だけだった。
「クソったれ!」
「へえ、思ったよりやるなあアンタ」
「敵に褒められたって嬉しくねえんだよ。ニヤニヤしやがって……」
丸腰である俺に勝ち目など無い。
ーークッソ、避け続けるにしたって体力切れりゃあゲームオーバーだ。部下達が居たって多分無理だろうな……こんなとき我が最愛の推しが居たら……
俺は現状打破策が見当たらない現実に目の奥が熱くなる。
しかし、そんなことを考えていても時間は止まらず、男はピッケルを幾度も振り下ろしてきた。
貧血なのか、クラリとしてきた頭を振って男の攻撃を避けるも、俺の周囲は男が作った数多のクレーターで足場が悪い。空を駆けようにも、貧血ではうまく安定しないだろう。
ーーマジでやべえ……
「こりゃあマジで置いてきた部下に顔向け出来ねえ……」
そう投げやりに呟いて、そっと目頭を抑える。そうしなければ感情を抑えられないからだ。
男は、そんな俺の様子を気に留めること無くトドメを刺すべく再びピッケルを構えた。
「ーーじゃあな、文官殿……!」
そうして、振りかぶる瞬間。
俺は、目頭を抑えていた手をどけて嘲笑を男に向けた。
驚愕に目を見開く男に、上空から猛スピードで迫る気配。
「ーー
走る、走る、走る。
ルクスはガンデラに到着してすぐに空気の震えを感じた。
それは国の賑わいではなく、自分が任務時に発する殺気が混じった死の空気。僅かであるが、不自然な風の流れを悟り、降り立ったその足で猛然と街を駆け抜けたのだ。
ズビュンと弾丸のように駆け抜けるルクスの表情は無く、瞳の動向は開ききっている。苛立ちからか、わずかに開いた口から除いた歯は、ぎりぎりと食いしばっており、唇に八重歯が刺さって血が滲んでいる。
「え、うわああ!?」
「なに、陥没!?」
「ああああ真っ黒な突風が……!」
人々が悲鳴をあげ、大騒ぎとなる町。
そんな声を無視して、ルクスは既に何箇所も地面を陥没させながらも足は止めず、なお加速させる。かろうじて残像が見えるだろう。
ーーあのクソども、事態に気づいてねえな。やはり俺がノックスさんのお側に控えるべきだった……ノックスさんの無事を確保次第、あれらは処分しなければ……。
ルクスはノックスの護衛を放棄してプルモ号で待機する部下達に沙汰を下す決断をした。当人からの指示であるとはいえ、結果守る対象を危険な目に合わせているのだ。特に、ルクスが敬愛するノックスであればその罪の重さは計り知れないだろう。
ビキビキと額に筋を浮かべて、今後のプランを練るルクスは、とても恐ろしい。研ぎ澄まされた怒りと殺気をまとい、更に加速する。もはや、人に残像すら認識させない。
途中、建物や人間といった障害物が邪魔に思いパルクールの要領でコースを変える。時には空を駆け抜けた。向かい先はただ一つ、殺気を当てられているノックスの元だ。
そうして、数分と経たずたどり着いたその先では、今まさにノックスがピッケルを持った大男から攻撃を食らう寸前であった。その体には、いくつもの切り傷や肩と横腹に少なくない赤が見える。
それを見た瞬間、ルクスは視界が真っ赤に染まった。
ーー殺す、慈悲を乞う間もなく惨たらしくなぶり殺してやる。誰に殺気を、力を向けているんだゴミが……ッ!
ルクスは極限まで研ぎ澄まされた殺意と憤怒を指先に込めて、放つ。
その瞬間、ノックスが相手を嘲笑したのが垣間見えた。
それだけで赤一色となっていた視界がクリアなものとなったのだから、ルクスは敵わないと実感するのだ。
ーーああ、やはり。アナタは俺の唯一ですね、ノックスさん
「ーー
ズバン、と光の速度で青白い雷の弾丸が相手を撃ち抜いた。
「ア、ガァアアアアッ!」
バチバチと音を響かせる青白い閃光が俺の直ぐそばを走り抜け、男を貫く。男は体を抱きしめるように手を回して絶叫した。
あまりの激痛に地面でのたうち回る男は失神寸前で、四メートルはある巨体の持ち主にこれほどまでのダメージを与えた力に慄き、安堵する。
そうして、音を立てず俺を庇うように降り立った広い背中に向かって、俺は喜色に満ちた声を上げた。
「ルクス!」
ーー推しィイイイ!マジで最高、ナイスタイミング!正直めちゃくちゃ待ってた……ッ!
そう、前世から愛してやまない最高にかっこいい推しである。
「ご無事ですか、ノックスさん」
「たった今無事が確定したところだな」
まだ終わっていないのに勝利のファンファーレが脳内再生される。登場のタイミングもその存在感も勝確演出だった。
ジクジクと痛む傷口を抑えて笑えば、ルクスはじっと見下ろしてくる。視線をたどると、肩と横腹の傷を注視していた。
そして、ムワリと濃密な殺気を放ち、男を鋭い眼光で射抜く。眼力だけで人を殺せそうな気がするほど、鋭利なものだ。
「……殺しても?」
ーー推しの殺意高ぇな、おいッ!
俺に問いかけながらもその手は男に向けられ、今にも雷が放たれそうだ。どうやら推しは殺す気満々らしい。
「……いいや。目的もなにもわかってないんだ。まずはそれを吐かせるのが先」
「では、尋問後殺処分でよろしいですか」
「疑問形じゃないんだよな……」
淡々と男の生命を断つ決断を下すあたり、そうとう鬱憤があるのだろうか。戦闘狂なのは重々承知しているが。
「あーひとまずそれは置いとこう……スカイケア職員を狙ったのか、無差別なのか、はたまた俺なのか。プルモ号に居た部下達はどうだった?」
「あれらを見る前にこちらへ向かったので、把握してません。ですが、騒ぎになった様子はありませんでした」
推しの言い方に少し引っかかりを覚えつつ、俺は思考に耽る。
ーーコイツ、確か「カンパニーには行かせない」って言ってたよな?つーことは、カンパニーに向かう奴らを攻撃してんのか?それとも、俺がカンパニーにいかないように妨害したのか……
「……俺狙いか無差別のどちらかだな」
「前者であれば殺す以外の選択肢を許容しない」
「相当キてない?」
一応上司である俺への敬語を捨て、動向の開いた瞳で男を見据える姿は味方ながら、大変恐ろしい。
俺を狙った場合が死であるなど、任務の疲れが見て取れる。これは無理矢理にでも休暇を与えるべきか。
そんなやり取りをしている俺と推しをよそに、痛みに耐えながら起き上がる男の瞳は恐れと怒りに塗れていた。ゼイ、ゼイと息を荒げてピッケルを握りしめる。俺は、推しを前にしても戦いの意志を持つこの男に感心する。
俺が推しと敵対していたら戦意消失どころか生きる意志の消失だが、この男、見た目相応に図太いらしい。
「……な、にものだ……ッ!」
「……なるほど?」
ーーコイツ、俺達のことを把握してないな
「念の為聞くが、アンタはスカイケアの人間を狙ったのか?それとも、俺個人?」
「は、スカイケア……?まさか、お前らが?」
信じられないと言いたげに目を見開いて動揺を表す男。
「何故この人を襲った、目的を吐け。好きな死に方くらい聞いてやる」
「……スカイケアの人間だなんて知るかよ!カンパニーに来るやつは皆殺したんだ」
「つまり、カンパニーに行く人間であれば無差別に襲うってことか」
「理由はどうであれ、ノックスさんを襲ったならば殺すべきです」
「スンとした顔でめちゃくちゃ物騒だよな……」
瞳孔はそのままに、スンとした無表情で青白い稲妻を両手に纏いながらそう言った推しは最高に物騒だった。
「アンタら、何者だ……!?スカイケアの人間ってぇのは、話の流れでなんとなくわかる……だが、このバケモノーー
「あ?」
自分でも驚くほど低く冷たい声が出た。
ーーコイツ……今推しをバケモノって言ったか?……ハア!?
「こんな頼りになるヤツ、そうそう居ねえだろ。でけえ図体に見合った目は節穴か?」
思わずそう言ってしまった。だが事実である。
推しをどんな意図であれど貶すものは断じて許さないのがオタクだ。俺は俺の怒りを至極正当なものだと思う。
「つか、人の部下をバケモノ呼ばわりする奴に説明するかよ」
「ふっ……」
微かな笑い声に思わず推しを見ると、口を手のひらで覆い、ボルサリーノを抑えて顔を伏せていた。肩が微かに震えているのを見るに、笑っているのは間違いないらしい。
「笑うトコあったか今……?」
困惑しながらそう問いかければ、推しはすんとした様子に戻り、こう言った。
「いえ。つくづく俺はツいてるなと実感したところです」
ーーどこに実感するところがあった?俺、推しの気持ちがわからなくて悲しい……
そう言いながら、推しは男の意識を刈り取って懐から取り出した拘束バンドを付けた。止める間もないほど自然かつ素早い動きであったため、やっぱり推しは優秀である。
四メートルの巨体を軽々と動かすのだから、上司として立つ瀬がないのだが、それも推しが有能だからだろう。俺個人としては、男と相対して致命傷を負ってないだけ十分なのだ。
推しは、男の拘束を終えるとすぐさま俺の怪我の止血に取り掛かった。
こわごわと触れてくるその手が妙に冷たくて驚く。
その表情はいつもと変わりないが、瞳が少し揺れている気がした。
ーー推しはタイミングも完璧なんだが、考えていることがよくわからない
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