推しが優秀で誇らしいんだが



 推しの上司になってから、俺の悩みが増えた。

 暗いものではなく、主に供給やら羞恥心やらの面での悩みだ。万に一つとして、推しが関するもので暗くなる悩み事など無い。むしろ明るくなる。 

「ノックスさん。本日の任務、全て完遂致しました」

「え、マジか流石ルクスだな! お疲れ様。この後はもう自由にしていいぞ」

「分かりました」

 そう言って推しは執務室のソファに座った。

 「ええ……?またそこにいるのか?」

「自由にしていいとおっしゃったのはアナタでは?」

「あれだぞ?家に帰って休んでいいて意味だったんだが」

「そうですか」

 そう言ったにも関わらず、素知らぬ顔で遠回しの退出願いを躱し、推しはソファを広々と占領する。

 言っても聞かないこの態度を取られるのは、部下に持った当初からであるため、俺は諦めて書類と向き直った。

 そうすると、黒一色のスーツ姿の推しは、長い足を組んで持参したウォッカを片手にじっと俺を観察するのだ。

 上司となってからの俺の悩みーーそう、推しが離れないのである。

 正直緊張で手にしている万年筆が震えてミスが増える。

 ーー推しよ、なんで俺なんか観察してるんだ……仕事が終わったんだから飯食って休んでくれ! 頼むから!

 切実な心の叫びは推しに届かない。

 ゴポゴポと海中の音が聞こえる。

 俺は、この海底都市が好きだ。海底都市ってだけで浪漫がくすぐられるし、自然のBGMは癒し効果抜群である。

 それ以前に、大好きな漫画の世界で推しがそばにいるのだ。地元愛などにとんと縁がなかった俺は、故郷を愛する人々に今なら共感できるだろう。故郷ではないけれど。

 カリカリと書類を記入する音が響く。

 相変わらず推しはウォッカを煽りながらじっと俺を見つめており、緊張と困惑で居心地が悪かった。

 上司となってから、推しはいつも暇さえあれば俺を見つめている。何を考えているのかわからない表情で、俺の一挙一動をつぶさに観察しているのだ。

 190を軽く超えるしなやかな巨体の美丈夫に見つめられるのはとても圧がある。

 というより、この世界やたらと身長が高い奴が多い。俺のように170後半で、ようやく平均より少しした程度なのだ。地中に住むようになってなぜ体格が良くなるのか、甚だ疑問だ。

 そんなことをブツブツ考えていれば、そっとデスクに紅茶とクッキーが置かれた。

 ミルクティーに、チェッカーという名前の、ココアとプレーンが混じったチェック模様のクッキーだ。といっても、前世でよく見たものではなく、ココアの部分が海底都市のイメージカラーのようなアクアブルーであった。

 ーーこういう、ちょっとしたところで異世界味を感じるんだよなぁ……

「そろそろ休憩しなければお身体に障りますので」

「おー……悪いな、仕事終わりなのに」

「いえ」

 正直、推しが部下になる前は推しと過ごすなんて醜態をさらしそうだと危惧していたのだが、意外となんとかなっている現状に安堵している。

 いや、実際緊張も動揺もときめきもしているのだが、前世の社会経験で何層にも塗りたくった面の皮はそこそこ分厚いようで、内面が表に出ない。社会の歯車の一員であったあの日々に感謝する日が来るとは思いもしなかった。

「イヤでもホント……任務終わったならしたいことしていいんだぞ?家に帰ったり、どこか遊びに行ったり……」

「したくてしていることですので」

「そうか?」

 微かにウォッカの匂いを纏った推しは、そう言って微笑んだ。

「……なんだ、えらくご機嫌だな? 何かいいことでもあったのか?」

「いいこと……ですか」

 推しは少し考えると、途端にニヒルな笑みを携える。

「ノックスさんと共にいれば、俺はいつだってご機嫌ですよ」

 ーー死ぬが?あと何度も言うがキャラ違うよね?

 推しのファンサが過剰すぎて、俺は一瞬虚無になってしまった。

 




 まあ、そんな悩みは置いておいて。

 俺は現在、海底都市トゥルーデンから離れた国ーー洞窟の国カンデラへとやってきた。

 カンデラは名前の通り、沢山のカンデラ、もといランプが洞窟内の至る所に設置されていることが由来しており、この国はランプの製造が盛んなのである。

 地中生活において、ランプは必需品かつ消耗品。国によっては地上であるかのように明るい所もあるが、大体がランプを使って国を照らすのだ。

 というのも、この国で作られるランプは特殊な術が施され、所有者の思うがままの明かりをつけることができる。国トップが、国全体を照らす光を願えば、それが叶う光のランプなのだ。

 今回俺が遠路はるばるやってきた理由は、ウンブラ・ゼロのランプ補充を図る発注依頼というわけである。任務の多くは潜入や情報収集であるが国を跨ぐことも多い。思わぬアクシデントでランプを損壊することだってある。備えておいて損はないのだ。

 まあ推しは備品壊したことないんだが。

 推しに向けられる任務は大抵暗殺や殲滅である。本人が嬉々として任務に向かっているため特に云うこともない。けれど、やはり日本人の精神は殺人に対して些か抵抗を見せていた。推しにではなく、殺人をしなくてならない世情に。

「ノックス様、本当にお一人で行かれるのですか? せめて護衛の一人でも………」

「いい、いい。こんな栄えてる国で昼間っから絡んでくるバカは居ないだろ。人通りの多いところに居るから大丈夫だ」

 本日は推しがそばに居ないレア日である。

 タイミング悪く、推しに任務が下りたのだ。

 その時の推しは不機嫌になり、俺の御供をする部下達にただならぬ目を向けていた。お陰で何人か失神して置いてきてしまったが、仕方ないだろう。

 ーー推しよ、何度も思うがおまえそんなキャラか? 上司なんてゴミを見る目で蔑んでいたじゃないか……

 いや、あの屑上司にはなるまいと頑張っているが、なんかこう……慕ってる感じが……

 考えるとムズムズしてしまうため思考をそらそう。人に慕われるのは照れ臭いのである。それに、勘違いだったら後が怖い。主に俺の精神面が。

 というか、推しならともかくあまり知らない人間と一緒に行動するのは疲れるのだ。それに、長時間上司と一緒にいるのも嫌だろうし。

 海底都市からこの国まで、潜水艦を利用して移動した。潜水艦の名前はセクーラ・プルモ号、意味は気ままなクラゲ。国々には地下水を汲むために水路が張り巡らされているため、水上での船旅が一番効率的なのだ。

 このプルモ号は俺個人で造船が盛んな国へ赴いて作ってもらったこだわりの一品。潜水艦あるまじき白地の船体に、ターコイズブルーの稲妻模様は少年心を大変擽らせるだろう。稲妻は推しをイメージし、色は俺の好みである。

 欄干に手を置き、船内入口を振り返る。入口前には、護衛として同行した数十名のウンブラ職員たちーーつまりは俺の部下たちが佇んでいた。

 漫画では名前も出ないモブキャラであるが、ここは現実。全員とまではいかないがある程度の名前と階級は把握している。

 どこか緊張気味なその表情は、俺という権威者が損なわれる未来への怯えが含まれているのだろう。護衛の打診を俺が断っていることも要因のひとつだろうが。

 「そろそろ行くわ。日暮れまでには戻るから」

 「承知しました……」

 「悪いな」

 顔色の悪い部下に苦笑する。

 「んじゃあ、プルモの見張り頼むな。もしトラブルがあったら報せてくれ」

「は!いってらっしゃいませ!」

「よろしく」

 ビシッと敬礼した数十名の部下たちに手を振り、俺は潜水艦から降りた。

 この世界、スマートフォンのような画期的なアイテムは無い割に色々と便利な代物が多くある。その一つが、ボトルメールの進化版、ボトルヴォクス。ボトルメールはボトルに封じて川や海に流された手紙のことであるが、この世界では特殊なボトルを生産し、リアルタイムで音声のやりとりーー通話が出来る電話のようなアイテム、ボトルヴォクスが存在している。手紙の代わりに、真珠を入れ、入電したらカラカラと音を鳴らすのだ。応答する場合は、瓶の栓を外し、マイクとして使い、瓶の中から相手の声が聞こえるのである。それなりの音量なため、内緒話に向かない。

 また、人に発信する際にボトルを特定の回数、リズムで揺らし、真珠の音を立てる。この回数は所謂電話番号のようなもので、人によって違う。

 ボトルヴォクスは腰に下げるひょうたんほどのサイズが主流であるが、注文次第でサイズの指定も出来るという点は非常に便利だろう。

 俺は小瓶ほどのサイズのボトルヴォクスを複数所持して、ジャケットの胸ポケットに入れていた。

 ざわざわと賑わう町。

 洞窟なだけあって全体的に薄暗いこの国は、そんな暗さとは反対に誰もが明るい表情で町を行き交っており、陽気な印象だ。煌々と周囲を照らすランプは、そんな国民性を表しているように思えた。

 広大な洞窟内であるため、数多のランプが洞窟の天井や壁、地面に埋め込まれており、幻想的だ。特に、地面に埋め込まれているランプはクリスタルが張り巡らされ、俺はその上を歩くのがお気に入りだ。国に住まう子どもたちも、楽しそうに歩いては、揺らめく己の影にはしゃいでいる。

 目的地は水路の真反対、洞窟の最奥にあるランプ製造所ーーガンデラ・スペースカンパニー。

 ガンデラは国内の移動手段として天井から民家まで張り巡らされた吊り橋、もしくはトロッコを使う。時間に余裕があれば吊り橋に、なければトロッコといったように、使い分けるのである。

 トロッコは路面電車のように国中を走り回っており、一番大きなものをグロスス号と言う。見た目は機関車で頑丈さが売りだ。前世では列車マニアが居たが、この世界にはトロッコマニアが存在する。

 ーー推し……今頃なにしてんだろうな。任務終わったかな……

 俺は最寄りのトロッコ停留所でトロッコを待ちながら、ふと推しに思いを馳せた。





 「なぜ……なぜスカイケアの工作員がここにいる……!?それに貴様、ゼロの殺戮兵器だな!?」

 仕立ての良いスーツに身を包んだ壮年の男は、顔を蒼白にしてそう叫んだ。

 男は、ここ数年で勢力を拡大してきた情報屋だった。

 ここは、最南の都ーーグラーチェス。常に氷点下で、そこかしこにクリスタルの結晶が散らばり、大穴に張られた氷の上に存在する氷の国である。

 男は、この国を拠点としたクリスタルの輸入を行う会社を立ち上げていた。

 本日は、会社と自身の情報屋稼業が軌道に乗った記念パーティを開催していたのだ。場所は自身の大ゾリ船。氷った穴の上で多幸感に包まれていたところを、濃密な死の恐怖が襲ったのだ。

 デッキに飛び散った赤、砕けた欄干。

 突き落とされて氷に叩きつけられたゲストたちに、首を捻られた従業員たち。

 まさに、地獄絵図。

 男は、築きあげてきたすべてを破壊せんとばかりに暴れ、自分の目の前に佇む黒衣の人物を恐れた。

 「俺が一体何をしたってんだ!?答えろ、殺戮兵器ィイ!」

 「ーー49匹、駆除完了」

  狂ったように叫んだ男を気にもとめず、殺戮兵器と呼ばれた黒衣の男ーールクス・ステラは冷ややかな目で自分の作り出した凄惨な光景を見回し、殺害した人数を確認した。その数え方はもはや人間として認識していない。

 ルクスは、血の一滴すらつけていなかった。

 「あ、あああ……!どうして、なんでこんなことに……!」

 ガクガクと震え、嗚咽を漏らす男をルクスは無機質に眺める。

 ーーうるせぇ虫だな。はやくノックスさんの元へ向かいたいが……

 男を最後に残したのは、単に情報を得るためである。すでにあらかたの情報は入手済みだが、知らない情報を持っていないか確認しなくてはならない。

 しかし、男の様子を見るに情報を吐かせることは叶いそうにないだろうとルクスは判断した。男の精神が崩壊寸前だからだ。

 ルクスは男に近づき、その長い脚で顎を蹴り上げる。次いで、両手足の骨を蹴り砕き、数メートル先に蹴り飛ばした。

 「アガァッ……!ガッ!」

 ーーノックスさんはガンデラについた頃か。なら、さっさと合流して伴をしよう……あのゴミ共は論外だ。

 ルクスは、ノックスとともに潜水艦へ乗り込んだ数十名の職員たちを思い起こし、一気に機嫌が急降下した。

 絶望にくれる人間を前にしても、その冷徹な精神は揺らぎもしない。

ルクスの関心はすでに、上司の動向に向けられ、上司の側にいるであろう職員への苛立ちを感じていたからだ。

 何度かはずんで倒れ伏した男の顔横に立ち、手をかざす。

 ピチピチ、バチバチバチと青白い稲妻がルクスの手にまとわりつく。

「いやだ……いやだぁ!!」

「お前は用済みだ。情報のない情報屋に価値はない」

 そうして、男の頭を鷲掴む。

「時間を無駄にさせたんだ……脳を素手で触られる感触に狂って死ね」

 そう言って、男の頭に稲妻を流し込んだ。

 男の断末魔が辺り一面に木霊した。

「ーー50匹。任務完了」





 俺は推しからの入電に驚きの声をあげた。

 「ハァ……!?殲滅任務もう終わらせたのか?マジで!?」

”「はい。至極簡単な作業でした」”

 ーーはああ、ボトルヴォクスでも声がいいですね推し!

 トロッコを降り、目的地付近の路地で推しの報告を聞いて頭を抱える。

 今回推しに下った任務は、簡単に言えば情報収集と殲滅であった。ここ数年勢力を拡大させているクリスタル輸入会社の社長が、同時期に勢力を拡大させた情報屋であるという報告がスカイケアに上がったのだ。その証拠と情報屋が入手したすべての機密情報の確保、そして関係者の抹消の指令ウンブラ・ゼロに下った。

 ウンブラ・ゼロに向けられて入るが、実質推しを指定した命令である。なんせ任務達成期限は移動時間も含めてたった半日。いくらウンブラ・ゼロが工作員として優秀な者たちがそろっているといえども、それを達成できるのは推ししか居ない。

 ーーいや推し強すぎでは……?

 流石作中で主人公を追い詰めた最恐キャラ。これでまだ原作軸の年齢に追いついてないのだから、伸びしろに戦慄する。有能すぎて胸が苦しい。

 悶えそうな体を叱咤して、ボトルヴォクスに向き直った俺は推しに労りの言葉を駆けた。何をしているのかわからないが、ゴウゴウと風邪を切るような音がしている。

 「……そうか、そうか。ご苦労さま。流石ルクスだな」

”「アナタからの命令ですので、当然です」”

 ーー上司冥利に尽きる言葉をファンサでくれるって神だったりするんだろうか。

 一瞬で心が無になった。

 気を取り直して、推しの今後の予定を聞こうと口を開く。いや、いつも執務室で俺を観察してるからたまには上司が居ない土地でのんびりしてほしいのだ。お互い、せっかく他国に居るのだし。

「……あー、俺はまだガンデラに居るが、お前は」

”「すでに向かっています」”

 ーーいや観光でもしてなって言いたかったんだが。行動はやすぎるよ推し……!なにがそんなに推しを駆り立ててるんだ……?

 俺は口から零れ落ちそうな言葉をぐっと飲み込んだ。

 洞窟の国ガンデラと最南の都グラーチェスは海底都市を間に挟んでおり、その距離は果てしない。海底都市の周囲に渦巻く海流に乗って、数時間かかる。海流がなければ半年ほどかかるため、その速さがわかるだろう。超危険な海流である。それしか言えない。

 俺は乗ったことはないが、推しはよく利用している。下手をすると潮流から弾き飛ばされ、暗黒海と呼ばれる深海に流れ込むため、利用してほしくないのだ。

 推しはこの海流に乗っていると知られた当初、ドライな関係性の同僚ーーこの場合まだ配属されていないため未来の同僚に止められたほどである。

 ちなみに、海底都市から移動するにはブルアという特殊な気泡を船体、もしくは体に同化させる必要がある。同化することで、濡れることも窒息することもないという便利な自然の恵みだ。海底都市ではハズレにある海の森ーーシルワの木々の葉から生成され、そこら中に漂っているのだ。シャボン玉みたいでかわいい。

”「あと一時間ほどで到着します。しばしお待ち下さい」”

「あ、うん……了解だ……」

 ナルホド、ゴウゴウとうるさいわけである。俺は納得して気の抜けた返答を

してしまった。推しが海流に乗ってこちらに向かっている音だったわけである。

 ボトルヴォクスに栓をして、音声を切る。

 そうして、天を仰いで心のなかで叫んだ。


ーー推しが優秀で誇らしいんだが、それはそれとして行動が早すぎる……!

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