推しの屑上司に転生したのだが

四季ノ 東

プロローグ


 午後六時。

 県庁舎から徒歩十五分程の場所にある一人暮らし向けのマンション。

 その一室で、男は興奮の滲んだ声を上げた。


 「LIBER《リベル》、今週も最高かよぉ……!」


 真藤しんどうまことは、並々とグラスへ注いだビールを一口煽り、「ぷはぁっ」と息を漏らす。

 口の周りを白い泡が縁取り、微かにパチパチと音を立てた。

 ゴン、と三分の一ほど中身の減ったグラスをテーブルに置き、今週号の漫画雑誌を捲る。

 今しがた読み終えたばかりだと言うのに、ワクワクとした表情で読み返し始めた。

 数年前から連載し始めた少年漫画ーーLIBER《リベル》。メディアミックスも多く出され、つい先日初の映画を公開された。現在、最も熱い漫画だと言っていいかもしれない、と誠は思う。

 誠がこの漫画に興味を持ったのは至極単純で、部署の同僚から強く勧められたに過ぎない。アニメや漫画よりも洋画や小説などを好む性質であったが、ほんの好奇心で手を出したが最後、あっという間にファンとなってしまったのだ。

 その流れでアニメ担当声優などにも興味を持ち、今や日本のオタク文化、基サブカルチャーは彼の生きがいと言ってもよいだろう。

 誠は、ガサガサと袋から取り出したカルパスを口に放り込む。


 ーー人類の発展に伴い、温暖化が急加速して滅んだ世界「スカイ」は、幾星霜の時を経て再生し、人類が再誕することとなった。

 しかし、このままでは滅びの歴史を繰り返すことになるだろうと懸念を示した遥か昔から星に根付く精霊たちは、過ちを繰り返さないために一つの強硬手段に打って出る。

 それは、人類を地中に閉じ込め、監視することだった。

 地中に閉じ込められた人類は、やがて昼を、星を、月を、太陽を忘れ、空を忘れた。

 代わりに、人類の極小数で自然の有する「まが」という存在が現れた。

 誰もが外の世界などないのだと思っている中、一人の少年が大きな夢を持ったのだ。

 「空を見る! 俺は、外の世界へ行くんだ!」

 今や誰も外の世界を、空の存在を信じない世界で、どれだけの嘲笑を受けようとも、少年は真っ直ぐな目で空を追い求め、旅に出るーー。


 大まかな導入部分はこうだろう。

 この少年ーーリベル・エイビスが地中世界の各地を巡り、仲間を得て自由な空へと夢を馳せるのだ。

 なんというワクワク感だろうか。地中世界が舞台とは変わった趣向だ。

 誠は、現代社会で問題しされる温暖化をこうした浪漫溢れる物語へ組み込んだ原作者の発想力に感心し、才能に唸ったのだった。あと、作画も素晴らしい。

 そんな彼の推しは、一人の青年であった。

 リベルと敵対する組織ーースカイケアの諜報機関ウンブラ・ゼロに所属している殺戮兵器、ルクス・ステラである。

 作中で最強格と謳われ、二十歳半ばにして組織の最高幹部の座に腰を下ろした天才。

 ルクスが登場したのは、リベルが海底都市トゥルーデンへやって来たときだった。

 空を追い求めるのは世界の禁忌。リベルは禁忌を犯そうとする大罪人として多額の懸賞金かけられ、世界中に指名手配されていた。それは、仲間も同じように空や地上へ夢を馳せる者たちも同様に。

 そんなリベルたちをルクスは自身の有する雷の力を駆使して追い詰めたのだ。そう、ルクスは世界でも珍しい異能使いーー禍であった。

 禍のキャラクターは作中で何度も登場する上、特段珍しくもないように思えるが、この世界観では何十万人に一人といった割合で、本当に稀な存在なのだ。故に、遠ざけられ、迫害の対象や利用されることもあるのは余談である。

 ともかく、後にも先にも、リベルたちを壊滅寸前まで追い詰めたのはルクスだけだろうと、誠は思っている。未だ完結の兆しを見せていないが、最新話までルクスほどの脅威が存在していないのだ。それに、今後重要な展開でルクスは出てくるはずである。その際、より強大な敵となるのというのは想像に難しくない。

 誠は、ルクス・ステラを心底愛している。もちろん、作中のキャラクターとしてだが。

 身長一九八センチでありながらネコ科の猛獣のようにしなやかな肉体美。戦闘シーンは作画もさることながら迫力満載であった。

 冷淡かつ戦闘狂。スイッチが入れば誰の命令も聞かず暴れまわり、命を奪い尽くす暴走機関車。しかし、なぜだがボルサリーノ帽を愛用しており、大事なものをその中に隠す癖があるという意外な一面。

 ファンブックで知ったときには、ギャップ萌えで思わず拝んでしまったほどだ。

 同僚はリベルたちを推していたが、誠はルクスから一切揺らぐこと無く、そこまで関わりもなかった同僚と推しの魅力を語り合い、固い握手をしたのだ。その後、同僚とは推し語りをするほどに仲良くなった。


 「くっそ……! マジでぶん殴ってやりてぇよ、クソ上司ぃ!!」


 ゴン、とビールをテーブルに叩きつけるように置きながら、誠は唸る。

 その拍子に少しだけ溢れ、手にかかったビールで更に不快さが増すばかりである。

 クソ上司ーーそれは、ルクスの直属の上司のことであった。

 上司の名前は、ノックス・ドクトゥス。

 部下を自分の道具であると思いこんでいる屑である。

 無茶な任務を部下に任せ、功績は自分の手柄とし不利益が生まれればそれを部下になすりつける。いわゆるパワハラ上司だ。

 パワハラは六つに分類できるが、この上司の場合精神及び肉体的苦痛、過剰な要求などテンプレートなものが多い。

 それが諜報機関というかなり物騒な所属故に、性質が悪いのだが。


 「俺が……俺が上司だったら存分に労るのにぃ……っ。確かに最強で最恐だけど、まだ二十代の若者で人間だろーが! 俺の推しを兵器扱いしやがってコンチクショウっ! 何様だてめーは! いや、本人全く気にしてないし、むしろ上司を蔑んでるし、なんなら失脚させてたけどぉ……」


 もちろん、推しはそんな屑上司に怯え、従うような存在ではない。

 任された仕事は完ぺきにこなすし、無茶な要求は更にその先を読んで行動する。功績に興味はないが失態をなすりつけられるのは高いプライドがあって我慢ならないため、功績はルクスにしかできない成果を上げて横取り対策も万全だ。

 そのため、ルクスは上司、ノックスに対して非常に冷ややかな態度であった。侮蔑や軽蔑の視線を隠しもしない。

 結局、ノックスが失態を犯した際はあっさりと見捨て、同僚や部下達の失態をなすりつけた上で上層部に自分たちを売り込み、昇進していったのだから。


 「はあ……かっけえよお前。マジですげえわ」


 感嘆の声を上げて、少しだけぬるくなったビールを一気に煽る。

 ちらりと壁にかけられた時計を見れば、午後六時五十分。読み始めて一時間弱ほど経過していた。カルパスも残り少ない。

 そろそろ夕飯でも作るかと考えて、アルコールで少しだけ頬を赤くした誠は、腰を上げた。

 食べたいものは特に無いが、酒とつまみだけでは健康に悪いだろう。

 

 「焼きそばでも作るかー」


 ぐぐっと腕を伸ばしながら、少しだけ気合を入れた。




 ***




 ーープツン


 「あ?」


 調理が終わり、先ほどと同じダイニングテーブルで出来立てのホカホカとした湯気をまとわせる焼きそばを食べていると、突然部屋の明かりが消えた。

 行儀は悪いが、スマホで漫画の最新情報を追っていたところであったため、液晶画面の明かりが目を焼く。

 咄嗟に画面の明るさを最小にしてライト機能をオンにする。誠の視界は、少しだけ明瞭となった。


 「えー……まさか停電か? それともブレーカー?」


 端を置き、ゆっくりと立ち上がる。足元がよく見えないため少しへっぴり腰だが、誰も見ていないことだしと開き直った。

 誠は玄関付近のブレーカーを見に行く。玄関の小棚に置いていた小さな工具セットを取り出し、ブレーカーの蓋を開けた。


 「……うん、全部大丈夫だな。ってことは、停電か」


 確かめるように室内灯のスイッチをカチリと押せば、パッと明かりが戻った。

 停電ではなかったのか。はたまた、タイミングが噛み合ったのか。不思議に思いながらも、工具箱を元の位置に戻し、ダイニングにもどる。

 ストンと腰を下ろし、食事を再開しようとテーブルの上を見れば、異様な光景が誠の目に入ったのだった。

 少しだけ冷めた焼きそば、雑に置かれたビール缶にカルパスの袋。転がっている箸。

 ーー閉じていたはずなのに、見開きいっぱいに推しであるルクス・ステラを描写したページを開いている単行本。


 「は?」


 思わず、バッと体を大きく後退させ、ソファにぶつかった。

 衝撃に「ぐえ」と声が出る。


 (……俺、本閉じてたよな?)


 内心は困惑でいっぱいだった。

 そう、ページなのだ。先程まで熟読していたはずの単行本にはなかったシーン。丁寧に捲っていた上、読み飛ばし特有の不自然さはなかった。つまり、見落としなどあるはずがない。

 誠の頭にぐるぐると思考が巡る。


 「ルクスのこんなシーン……見逃さねえんだけどなあ」


 もしかして、疲れてるのだろうか。誠はまじまじとそのシーンを見つめた。

 すると。

 ーーグニャリ

 ルクスの表情が動いた。


 「スゥ……」


 誠は深呼吸して叫びそうになった口をバシンと抑え込む。

 

 (う、動いたよな? 今絵が勝手に動いたよな!? どういうことだよ、最近の単行本は表情差分はコマ割りじゃないのか……!?)


 ありえないとわかっていても、混乱する頭は馬鹿な考えしか浮かばない。

 何が起こっているのか、誠は理解できなかった。

 こうして混乱している間も、絵は勝手に動き出す。ルクスは血に塗れており、じっとこちらを見つめていた。その口がゆっくりと動き、言葉を紡ごうとしているのだ。

 まるで、神聖な雰囲気をまとわせたワンシーンであるが、異常事態が起こっている今、誠は冷静に感想を述べられない。


 (なんだ、ほんとうに何が起こってるんだ? ……それに、推しはなにか言おうとしてるのか……?)


 バクバクと騒音を奏でる心臓。

 誠は繰り返し動くルクスの口元を凝視して、呟いた。


 「……あ……い……た……い……あいたい?」


 その瞬間、ニヤリとルクスが笑みを浮かべる。

 ぽかんとしていると、ルクスの口元は動き、側に文字が浮かび上がった。


 ーーあなたに会いたい……  さん……


 名前は黒く塗りつぶされて読み取れない。

 しかし、誠はなぜか自分に向けて言葉を投げかけているように感じた。

 わけがわからない。わからないことだらけで、頭痛すらする。

 誠は震えた手でビールを手に取ろうとすると、床に落としてしまった。

 

 (……夢って落ちじゃないのか、これ)


 そう思いつつも、ゾワゾワと背筋をなで上げる悪寒が間違いなく現実なのだと突きつけてくる。

 恐怖だ。誠は、恐怖を感じていた。

 ルクスという紙面上の存在に対して、未知のものに対する恐れであった。

 明滅する視界と遠ざかっていく意識。

 脱力した体はなすすべもなく床に倒れ、その拍子にスマートフォンもガン、と勢いよく落とす。


 (本当に……何が……起こって……)


 ーー”ようやくあなたに会える”


 最後に聞こえたのは、歓喜に満ちたルクスの声だった。


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