推しの屑上司に転生したのだが

シキ

推しの上司になったのだが


「Liber《リベル》、今週も最高かよ……!」


 金曜日の夜八時。

 世間では華金と呼ばれ、社会の歯車たちが一週間の労働を労る素敵な日。

 県庁勤めのアラサーである俺、真藤誠は、ビール缶片手に最近ハマっている少年漫画ーーLiber《リベル》の最新巻を読んでいた。

 数年前から連載され始めたこの漫画は、現在世界中の人間の少年心をくすぐり、虜にしている。

かく言う俺も、つい最近まで興味を持っていなかったが、部署の同僚に強く勧められて今や熱狂的な読者の一員となっている。

 ぷしゅ、とビール缶を開けてごくごくと豪快に飲めば、多幸感に満ち溢れた。そうして、単行本を汚さないように、ビールを置き、開く。

 ーー温暖化の加速により滅んだ世界”スカイ”は、幾千年の時を経て再生し、人類も再誕した。

そんな中、はるか昔よりスカイに根付いていた精霊たちは、かつての過ちを繰り返さぬために一つの強硬手段に出た。それは、人類を地上ではなく、地中に閉じ込め、過ちを繰り返さぬように監視することだった。

 地中に閉じ込められた人類は、やがて鳥を、陽の光を忘れ、星を、月を、空を忘れていった。そんな、誰もが地上を知らない世界。

 そんな世界で、一人の少年が大きな夢を持った。

 「空をみるんだ!」

 今や誰も空という存在を信じない世界で、どれだけの嘲笑を受けようとも、少年なは真っ直ぐな目で空を追い求めるための旅に出る

 数多の嘲笑を、侮蔑を、厄災がその身に降りかかろうと足を止めることはない。同じ志を持つ仲間や旅で出会った人間たちとひたすらに前へ進む。

 これは、禁忌とされた空を目指す咎人の夢物語ーー

 大まかな話の導入部分はこうだろう。

 この主人公ーーリベル・エイビスが、地中世界の各地を巡り、仲間を得て自由な空へと夢を馳せるのだ。地中世界に広がるファンタジックな世界に心が踊らせられた。

 誠は、現代社会で問題視される温暖化をこうしたロマン溢れる物語へ組み込んだ作者の発想力に感心し、その才能に唸った。

 そんな彼の推しキャラは、一人の青年である。

 名前を、ルクス・ステラ。ラテン語で闇と星を表す名前だ。

 主人公に敵対する組織に属しており、その中で最強と謳われる実力者。二十歳半ばにして最高幹部の席に腰をおろした天才である。

 主人公は、空を追い求めるという禁忌を犯そうと目論む罪人として世界中に狙われていた。主人公だけでなく、同じように空や地上へ思いを馳せる者たちは卓並み指名手配され、多額の懸賞金がかけられている。

 ルクスが登場したのは、主人公が海底都市トゥルーデンとにやってきた時だった。

 主人公たちと敵対する世界機構スカイの諜報機関ーーウンブラ。その超精鋭組織ウンブラ・ゼロに所属するルクスは、自身の有する雷の力を駆使して主人公たちを追い詰めたのだ。

 Liberでは超人的な能力を行使する存在をまがといい、災厄の力を持つものとして畏怖される。モルテムは数百万人に一人、もしくは数千万人に一人であると推測され、なぜそんな人間が存在するのかは作中で明かされておらず、気になるところだろう。また、ことごとくが主人公のように禁忌を夢見る罪人、もしくは敵対組織に居ることが多い。

 それはともかく、後にも先にも、主人公たちが壊滅寸前まで追い詰めたのは推しだけだろうと、誠は思っている。今後の話の展開によって変わるだろうが、現在までルクスほどの脅威が出てきていないのだ。

 誠は、ルクスが大好きであった。

 身長198センチでありながらネコ科の猛獣のようにしなやかな肉体で、戦闘シーンは迫力があった。ボルサリーノを愛用していて、大事なものを帽子の中に隠す癖があるとファンブックで知った時には、思わず拝んでしまうほど破壊力があったのだ。同僚は主人公の仲間である女性キャラを推していたが、俺はルクスから一ミリも揺らぐことはなく、そこまで関わりのなかった女性の同僚とは推し語りをする仲にまで進展したのだった。

 冷淡かつ戦闘狂。スイッチが入れば誰の命令も聞かず暴れまくる暴走機関車。そんな彼は、他の同僚とともに配属された海底都市のウンブラ・ゼロ支部にて、部下を自身の道具だと思っている屑上司にこき使われていたのだ。

「おれが……俺が上司だったら存分に労るのに……確かに最恐だけど、まだ二十代の若者で人間じゃねえか!兵器扱いしやがってチクショウ……いや、本人まったく気にしてないし、むしろ上司を影で蔑んでるけどぉ……!」

 もちろん、推しはそんな上司に怯えるような存在ではない。仕事は完ぺきにこなすし、上司の要求の先を読んで行動する。そのため、推しは上司の理不尽な命令や叱責に対して非常に冷ややかな態度であった。こんな態度をとれる人間が多かったら、パワハラなんて言葉は世界に存在しないだろうと思えるほどに。

 上司の危機的状況ではあっさりと見捨て、上司の更に上層部に位置する存在に自分と同僚を売り込み、昇進していったのだから。むしろ今後どのような展開で出てくるのか楽しみである。

 そんな思考に浸っていると、フッと部屋の証明が消えた。

 「停電か?ブレーカーでも落ちたか?」

 ゆっくりと立ち上がって、玄関付近のブレーカーを見に行く。スマホのライトを点灯してカバーを外した。

 「ブレーカー……大丈夫だな。ってことは、停電か……?」

 確かめるように室内灯のスイッチをカチリと押せば、パッと明かりが戻った。

 なんだったのだろうと疑問に思いながらも、先程まで漫画を読んでいたリビングに戻る。

 ボス、と脱力するように座り込み、漫画を手に取れば、異様な光景を目にした。

 「……は?」

 ”あなたに、あいたい……”

 そうつぶやき、血に塗れたルクスが、同じく血に塗れたボルサリーノにキスを落とし、こちらに視線を向けていた。

 こんなシーンは知らない。

 先ほど全部読んだのだ、こんなシーンがあった記憶は無い。

 推しのこんなシーンがあったら嫌でも記憶に残るはずである。

 異様な光景になぜだか悪寒が走って身震いをする。おかしい、推しの見開きページなのに。

 「ルクスのこんなシーン、見逃すはず無いんだけどなあ……」

 酷くなる悪寒を気の所為だとごまかしながらそう呟いた。

 その時、ニンマリと推しの表情が歪む。それは、狂気染みた歓喜の表情だ。

 「は、う、動いて……」

 その言葉を最後に、とてつもない悪寒の波に襲われて、俺はあっけなく意識を飛ばしたのだった。

”ようやく、あなたに会える……!”

 そんな声が、部屋に木霊したことに気づきもせずにーー




 ふと、なにか温かいものに包まれた感触に違和感を感じて意識が浮上する。

 いつの間に寝ていたのだろうと記憶を巡らせていると、なにかが頬をくすぐった。

 母さんだろうか。そう思って目を瞑ったままじっとしていると、ハッとした。

 自分は一人暮らしのはずである。自宅に母親は居ないし、意識を失うまで漫画を読んでいた。

 意識を失う直前の出来事を思い出して、体が強張る。推しの見開きページは尊いが、それはそれとしてホラー染みて怖かったのだ。

 誰かに頬をくすぐられている現状はなお恐ろしい。しかし、怖気づいていたら話は進まない。

 覚悟を決めてゆっくりと目を開ければ、美しい女性が俺を覗き込んでいた。。

「あら、おきたのね?ふふふ……おはよう、ノックス」

「あう?(ハア?)」

 ノックス、ノックスと言ったのだろうか。ノックスといえば推しの屑上司の名前で、こんな美人に優しく呼びかけられるのは俺ではない。一体どういう状況なのだろう。

 しかし、俺の言葉はなぜだか甲高く、曖昧な言語に変換されてしまった。

 これは一体どういうことだ。まさか、俺がこの女性に抱えられているのだろうか。

 俺の体を包むのは、明らかに女性の腕と体温である。

「あうあぃい……?(赤ちゃん?)」

 俺は愕然として、小さなヒトデのようになっている自身の両手をまじまじと観察した。明らかに赤ちゃんの手である。おまけに言葉も赤ちゃん。

 そう、三十路の公務員である俺の手が生まれたてほやほやだろう小さなヒトデのようになっていたのだ。

 「あいあぅあぁいん!?(アカチャン!?)」

 ーー俺、アカチャンになってんのぉおおッ!?

 驚いて叫んでも赤ちゃん言葉に変換される現実を、俺は受け入れられなかった。

 受け入れる云々より、現状の把握がしたいのだ。何故見知らぬ美女に抱かれているのか、何故自分は赤ん坊となっているのか。

 そんなことを考えて目を白黒させていると、のっそりと美人の背後から少し日に焼けた男の腕が回され、抱き上げられた。

 目を向けると、そこには野性味を感じる美丈夫ーー推しの屑上司であるノックスに似た男が俺に笑顔を向けていた。

「ははは!意味わかんねえって面してんなあ、ノックス!この生意気な目は俺譲りかあ?」

「んもう、生意気なんて言っちゃダメよアーテル」

「事実だろう?」

 俺は思考が一瞬で止まった。

 体感で約数分、実際には数秒と満たない短時間だっただろう。

ーーあーてる……?今アーテルって言ったか?

 「ウンブラに戻らなくて大丈夫なの?つい最近、ウンブラの局長になったんでしょう?」

「まー文官だし俺の指示なんざいらねえほど優秀なやつしか居ねえからな。昼休憩で抜けるくらい支障ねえよ」

「ならいいのだけれど……」

 ーーアーテル・ドクトゥスぅう!?ルクスのクソ上司、ノックスの父親じゃねえか!

 目が飛び出さんとばかりに驚いた。実際は数ミリ見開いただけだが。

自身の置かれた状況の奇妙さや、居るはずのない人間が目の前に居る事実に思考がぐるぐると巡っていく。

ーーつ、つまり……俺は……

そうして、数秒も経たぬうちに思考回路がショートし、生まれて数ヶ月で知恵熱をだした杞憂な子どもとして、そこそこ有名となるのは数年後の話だ。

ーー推しの居る世界に、ノックスとして転生したってことぉおおおッ!?





 ノックス・ドクトゥスについて話そう。

 ルクスの屑上司であるノックスは、父アーテルの後継として海底都市トゥルーデン支部の局長となった。コネであるが、それに見合う功績や能力を有していたため優秀な人間ではあったのだ。人間性はともかくとして。

 そう、人間性だ。先述した通り、ノックスは非常に屑である。部下を道具だと思い、自身の思い通りにならなかったら思い処罰を与える。作中では幾人もの部下が処罰を受け、消えていったと言われている。ルクスやその同僚は能力値が比較出来るレベルではないため、処罰を受けることはなかったが。

 つまりそう、俺は推しの居る世界でそんな屑上司に転生したということである。

 ぼう、と豪奢な姿見に映り込む時分の姿を眺める。

 柔らかく波うった黒い髪、健康的な小麦色の肌、眠たげな目には透き通ったターコイズブルー。

 間違いなく、推しの屑上司であるノックス・ドクトゥスその人の子供の姿である。

 中身が自分であるからか、漫画で見た性格の悪そうな顔には見えない。いや、俺の性格がいいとかそういう話ではなく、雰囲気的に小物感のようなものが感じられないのだ。

 個人的に瞳の色は気に入っている。日本人は殆どが黒か茶色であるから、こういった自然を感じられる美しい色はとてもうれしかった。

 「ノックス様、いかがされました?」

 「……んーん、なんでもないよ」

「左様ですか。それでは、旦那様方がお待ちですので、夕食の席へ参りましょう」

「はーい」

 それはそれとして、根っからの庶民気質な俺は上流階級の生活になれる素振りが無い。これでも、転生を自覚してから六年経っているというのに。

 今も、姿見の前でメイドに服を着せられていたのだ。服くらい自分で着られるというのに。

 メイドに連れられて居間に向かえば、今世の父と母がそろっていた。

 「おはよう、父様、母様」

 「おはよう、ノックス」

 「早く席につけー」

 俺の家は洋風のお屋敷ではなく、前世で言うところの日本屋敷だった。魂の故郷は日本であるため、転生して家の内装を知ってからはテンションが上ったことを覚えていた。





 屑上司に転生して早十数年。

 十六歳の誕生日を迎えて数ヶ月たったある日、父がこう言った。

 「ノックス。今からテネブラエに向かい適正試験の視察をする。お前も来い」

 「テネブラエって……将来ウンブラに所属する奴らを育成するところだよな?」

「そうだ。酷な話だが、適性がなけりゃあ処分される。お前も俺の後継者だからな、そろそろ見せるべきだと思ったんだ」

 そう言った父の表情はいつもどおり余裕のある笑みだと言うのに、どこか苦しそうな印象を受けた。

 地底湖に浮かぶ鉄の檻ーーテネブラエ。

 特殊な波により、特定のコースでなければたどり着けない謎めいた地に、俺は降り立った。

 「ご足労いただき感謝申し上げます、アーテル様」

「いい、気にすんな。こっちは倅のノックス、そろそろ見せる頃だと思って連れてきた」

「ノックスです。はじめまして」

 無機質な鉄の施設から出てきた黒いスーツの仮面の男。

 父は男と慣れた様子で会話し、俺を紹介した。

 俺は少し緊張しながらも、無難な挨拶をする。

 「お初にお目にかかります、ノックス様。私、ここの最高教官を務めております。名前はどうか、ご容赦を」

「あー……暗躍する人がそう簡単に名前うちあけられませんもんね」

「ご理解いただき感謝します。それと、私共に敬語は不要です」

 無機質な声音は、感情を抑制しているが故なのか、まるで機械と会話しているような感覚に陥りながら、父とともに鉄の檻へ足を踏み入れた。

 案内されたのは屋外演習場。そこには、五歳から十三歳までの子どもたちが、一心不乱に得物を持って人をもした自動自立人形ーー前世で言うAIロボを破壊している様子があった。

 自動自立人形ばその中に人だ入っているのか疑うほどに人間そっくりな言動をしていた。殺されそうになった人間がする行動をたくさんのパターンで行っていて、それを殺す子供たちは自身の恐怖心を煽る。

 そんな中、ひときわ目を惹いた存在があった。

 「おっまえ、センスいいなあ!すげーよ、ほんとに!」

 戸惑ったような表情を見せた少年。しかし、俺はそんなことを気にもせず、ワシワシと少年の頭を豪快に撫でた。

 少年は、十数体の自動自立人形を相手取っていたが、3秒で一掃する実力の持ち主だった。

 その動作はすべらかで、ネコ科の猛獣が軽やかに平原を駆け抜け、鋭いキバで仕留める様子を連想させたのだ。

 訓練を受けているとはいえ、ここまで完璧な動きが出来るのか。それは否である。たとえどれだけ才能に恵まれていようと、本人が努力して開花させなければ見つかりっこないものなのだ。この少年は、若干十歳にしてここまでモノにしてみせた。

 なんだか、ご褒美をあげたくなってしまってスーツの胸ポケットやズボンのポケットを漁る。しかし、案の定何も無い。どうしたものかと頭を抱えると、そこにはいつもと違う感触があった。 

 帽子だ。俺は、咄嗟に帽子を脱ぎ去って少年の頭に深くかぶせた。

「なっ、これ……」

「めちゃくちゃ努力してここまで仕上げたおまえには、特別にご褒美をくれてやるよ。つっても、何も持って無くて帽子しかやれねえんだけど……」

 すこしぶかぶかだが端正な顔立ちの少年だ。似合っていた。

 まるで推しのような姿に胸を高鳴らせるも、相手は別人、しかも子供である。帽子ーーボルサリーノを被せられて呆然としている少年の頭を帽子ごと撫繰り回せば、頭をグラグラと揺らしていた。

「生き残れよ、少年。おまえにはそんだけの強さも、賢さも、メンタルもあるんだから」

「あんた……」

 口をハクハクと動かすも声は出ない様子の少年。俺は、もう会うことは無いんだろうと思った。不穏な意味でなく、もうここに来ないという意味で、だ。

 「ノックス様……あまりそういった行動は……」

 帽子をやり、激励までした俺の行動は異常だったのだろう。施設の最高教官が、無機質な声で口をまごつかせてそう言った。

「こいつだけだから見逃してくれよ。限界が見えない伸びしろを感じてつい興奮しちまったんだ」

「そうですか」

 ジリジリと焼き付くような視線を背中に感じながらも、俺は決して振り返ることをせず、その場から立ち去った。結構気に入っていた帽子だけれど、不思議と惜しむ気持ちも無い。少年によく似合っていたからかもしれない。

 来た当初より遥かに軽やかな気分で、俺は帰路についたのだった。

「ノックス……さん」

 ーーあのルクスが人に敬称をつけた……!?

 その場に、一人の執着と数多の驚愕を残して。



 それから時は流れ、十年が経過した。

 俺は約3年前に父の役職ーーウンブラ・ゼロ、トゥルーデン支部の局長につき、数多の書類仕事に追われていた。漫画を読んでいた当初、支部局長の偉さについて深く考えたことはなかったが、どうやらかなり権力があるらしく、日本の警察で考えると警視総監クラスである。そのうえに、政府最上層部が居ると考えれば相当な地位ではないだろうか。まあ、こちらの世界は政府ではなくスカイケアという機構だけれど。

 就任するまでは自覚しなかった地位の重さに、当初は押しつぶされそうになったが、いずれこちらに配属される推しのことを考えれば湧水のようにやる気が湧いてくるのだから始末に終えない。

 そんなこんなで日々の激務を乗り越えていれば、約半年前、とうとう推しが配属されたのだった。

 「本日よりゼロに配属されました。ルクス・ステラです」

「待ってた……!」

 思わず血を吐くように本音を暴露してしまった。激務に心が荒んでいた所に推しという精神安定剤が打ち込まれたのだ。これくらいは許してほしい。

 屑上司にはならないぞと意気込んでいると、俺の返答を聞いて固まった推しがゆらりと歩み寄ってきた。

 「ノックスさん」

 顔を上げれば、鼻がぶつかりそうな距離に推しの顔があった。ご丁寧に、大きな背中を猫のように丸めて、わざわざ視線を合わせている。

 「近くね?」

 「俺には遠いくらいです」

 間髪入れずにそう答えた推しに俺は二の句が告げなかった。

 ーー推しよ……お前そんなキャラだったか?

 疲労と推しの癒し力が合わさって平然としていたが、振り返ってみれば当時の自分を尊敬するほどの偉業を成し遂げている。推しを目の前にしたオタクは言語を話せないし、途端に末期のコミュ障となるのが常なのだ。

 推しは、自然な動作でボルサリーノを外してそっと自身の胸に押し当てた。

 「お待たせして申し訳ありません。これからは、あなたのお側でお守りいたします」

 ふ、と女性が見たら卒倒しそうなほどの色気を出しながら、推しは微笑む。

 「あなたの期待に答えてみせました。あなたと、あなたから賜ったこのボルサリーノに誇れるように」

 ーー何度だって言おう。お前キャラ違くね?

 上司を蔑み、弱者に関心を寄せない戦闘狂はどこに行ったのか。

 そんな、対面の日の出来事を思い起こしながら、俺は無駄のない動作でティーカップに紅茶を注ぐ推しの姿を眺める。やっぱりどんな姿も最高だな。

 その頭にはボルサリーノが被さっており、年季を感じるものの、新品同様に美しく、そしてあじを感じられた。とても大切に扱っているのがひしひしと伝わってくる。

 「ノックスさん、どうぞ」

「ああ……いつも悪いなーールクス」

 機嫌良さそうに目を細め、紅茶をそっと執務机に置いた推しの姿に、心のなかで大きくため息を吐いた。


ーー転生したら推しの上司になったんだが?

つーか、あの時の少年が推しだったとか、俺知らなかったんですけど……?

 思いも寄らない事実に、あいも変わらず俺の情緒はめちゃくちゃにされたのだった。

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