第4話 夢とカプグラ症候群
「デジャブ」
という言葉があるが、現実世界で、何か意識として残ったことを、眠っている時に見るのが、
「夢」
というものであり、起きている時に見るのが、
「デジャブ」
というものではないか?
という風にも考えられるであろう。
この、
「合わせ鏡」
という夢に関して、時代が自分の知っている時代ではないということから、考えられることとして、
「これは、自分の記憶の中のことではないか?」
ということであった。
というのも、
「何かのテレビドラマか、レンタルで借りたDVDなどで見たような話に印象が深く残っていて、それを思い出そうとしているのではないか?」
ということが、一番説得力のある話であった。
しかし、
「それならなぜ、その映像を見たという意識がないというのだろうか?」
というのである。
「記憶として残っているのであれば、見たという意識も一緒に残っているはずではないか?」
と考えられるのだが、そうではないだろうか?
確かに、少し怖い話であり、無意識に、
「怖い話なので、思い出したくない」
ということであれば、
「それもそのはず、説得力はあるな」
と思うのであった。
しかし、逆に、
「見た」
ということを、そこまで否定しようとするなら、
「夢に見る意味も一緒に理解できるような夢を見たいものだ」
とも感じるのだった。
夢を見るということは、やはり、
「印象に残っているからだ」
ということであろうが、
そのことを、
「夢の証明」
として結びつけるというのは、
「少し強引ではないか?」
とも考えられるのだった。
そういう意味で、
「夢を見たのは、自分が実際に見たものではないのかも知れない」
とも思えてきた。
確かに、違和感がないのは、似た時代のドラマを見たことがあり、この時代に興味を持っているというのは間違いのないことだが、夢に出てきて、その主人公は明らかに女性である。
「夢を見ている自分は男性ではないか?」
と考えるのだ。
そう思うと。
「自分の中にある記憶が一つではなく、いくつかあることで、それを意識が結び付けさせようとすることで、こんな夢を自分に見せたのではないだろうか?」
ということであった。
というのは、一つ考えられることとして、
「この夢に出てきた内容は、ドラマでもフィクションでもなく、現実なのではないか?」
と感じたのだ。
「現実だ」
という意識があるから、記憶の中にある内容が、
「夢として出てきたのだ」
と言えるのではないだろうか?
「では、この意識と記憶はどこから来るのだろうか?」
と考えると、それは、
「遺伝子が関係しているのではないだろうか?」
ということであった。
過去のご先祖様から受け継がれてきた記憶と、それに対して。
「怖かった」
という意識が残っている。
これは、一種のトラウマのようなものではないか?
とも考えられるが、そのトラウマというのは、遺伝子によって、子孫に受け継がれていくものなのだろうか?
ハッキリと、遺伝するものという意味で、
「血液型」
というものがある。
「何型と何型からは、何型が生まれるのか?」
ということは、ハッキリと分かっているではないか。
さらに、血液型で、その人の性格が分かるという、
「血液型占い」
というものもある。
「数億という人間を、たった4つの血液型で判断するというのだから、あくまでも統計的なことで、それだけたくさんいれば、言われている性格とは、まったく違うという人が、かなりの数いても当たり前のことである」
というのも説得力があり、それでも、
「血液型というのは、かなりの確率で正確だ」
という人もいる。
もちろん、数十人単位で統計を取れば、80パーセントくらい当たっているとすれば、
「すごい命中率だ」
ということも言えるだろう。
「5人のうちの4人でも、80パーセントであるし、50人のうちの、40人でも、同じ80パーセントになるではないか。だとすれば、どっちの方が確率的に高いという感覚になるだろうか?」
ということを聞かれれば、それこそ、
「感覚的なものだ」
といってもいいだろう。
人によっては、
「前者かな?」
というだろう。
理由を聞くと、
「外れている人が一人ということは、それだけ当たる可能性が高いからでは?」
と答えるだろう。
正直、疑問に感じる回答だ。
しかし、後者だと答えた人に聞くと、
「それは、聴いた人の人数が多ければ、それなりに信憑性が出るというものだよ。ただし、闇雲に多くすればいいというものではなく、そこには結界のようなものがあって、その度合いによって、説得力や信憑性が大きく違ってくるというものだよ」
という話が聴けた。
こちらには、かなりの説得力がある。
一つの回答に対して、いくつかの信憑性のある。しかも、繋がりのある話をしていることが、一番だった。
だから、前者と巧者では、明らかに後者の確立を取りたいと思うだろう。
なるほど、統計学でも、その資料が、
「少なすぎても、多すぎても、信憑性に欠ける。適度な数が一番信憑性がある」
と言われているような気がするのだった。
夢に関しての、統計的な話を、それほど聞いたこともない。調べても、なかなか出てこないだろう。
もちろん。
「調べ方が悪いのだ」
ということになるのだろうが、ひょっとすると、そのあたりの研究は、
「門外不出」
なのかも知れない。
一種の国家機密的なことが含まれているとも考えられる。
例えば、
「夢を使っての心理学テストであったり、軍事的な作戦で、このあたりの、
「信憑性のある情報が、敵国に漏れてはいけない」
というのがあるのかも知れない。
実際に、戦争状態でなくとも、今の時代は、
「サイバーテロ」
などと言われるように、ネットの世界では、
「絶えず、戦闘状態だ」
といってもいいだろう。
例えば、日本のような国が、アメリカのような国に、情報がすべて筒抜けになっていて、しかも、それを、
「両国で、承認されている」
というような、まるで、
「国民をまったく無視したかのようなやり取りが、実際に、水面下で行われていないなどということを、誰が証明できるというものか」
ということであろう。
結果として、
「誰が一番得をするか?」
ということであり、
「その得をした人が与える影響が、国にとっていいことなのか、それとも、一部の特権階級にいいことなのか?」
そんなことは、
「太古の昔と変わっていない」
と言えば、ほとんど誰もが納得することだろう。
夢というのが、そういうものであるとすれば、その先にあるものが、
「洗脳である」
ということは、分かり切ったことなのだろう。
「洗脳」
つまりは、催眠術であったり、脳波の中に、何かのチップを入れたりして、脳波を狂わせ、こちらのいうことを聞く一種の、
「ロボットのような人間」
というのが、
「洗脳されるということになるのであろう」
洗脳というと、生身の人間の脳に、チップを埋め込み、そこで、人間を、思いのままに動かす。
それによって、何ができるかというと、
「宗教団体においての、数の理屈を作るということができる」
サクラとでもいえばいいのか、
「この人の説得力で、洗脳されたうえで、さらに、チップを埋め込んで、その人を、こちらの思い通りに動かす」
というものである。
宗教団体というのは、完全に、
「秘密主義」
である。
逆にいえば、
「悪の秘密結社」
というのも、
「宗教法人」
として認められれば、
「法人」
としての、権利を得ることができる、
それを隠れ蓑にして、
「悪の秘密結社が暗躍する」
というのが、昔からの、特撮モノなどであったりしたではないか?
例えば、
「自分の近しい人物である、たとえば、恋人であったり家族などが、自分が知らない間に、悪の秘密結社の手によって、彼らの手下と入れ替わっている」
というような恐ろしい話を想像したことがあるだろうか?
これらの話を、信じ込んでしまうという人がいたとして、このような状況のことを、
「カプグラ症候群」
といい、一種の、
「精神疾患」
として考えられているというのが、
「最近の精神疾患の中には入ってきている」
という話を聴かされることもあったのだ。
今から約半世紀前の、ちょうどテレビが家庭に普及し始めた頃の特撮ドラマには、そういうのも多かった。
さらに、SFマンガ的な話の中には、その、
「悪の秘密結社」
というものが、
「地球を侵略にきた宇宙人」
という発想があるということであった。
つまり、
「宇宙人の方が、科学力は勝っている」
ということである。
そもそも、まだ、月にさえも行けていなかった当時の地球人の科学力と、
「地球人が知らない、宇宙に知的生命体が存在しているところから、地球という星を調べて、侵略にやってくるのだから、当然、我々地球人には、太刀打ちできるはずのない科学力を持った知的生命体に違いない」
ということである。
宇宙には、
「果てしなく広がった世界があり、地球人が達することのできない光の速度でも、何千年と掛かるところの星が、今光っている」
ということで、
「今光っているあの星は、今から何千年も前に光った光なんだ」
と言われると、
「じゃあ、あの星は、もう今はないかも知れないな」
と思うと、それだけで、
「神秘的だな」
と感じさせられるものである。
宇宙において、
「果てしない」
という発想は、それだけ、ロマンをもたらすものだが、今は、粒子力学によって、さらに、
「マルチバース理論」
というものが証明されようとしていたりする。
基本的に、地球から飛び出した宇宙というのは、
「一つの宇宙」
という発想である。
一つとはいえ、構成しているものにはいくつかある。
たとえば、地球のまわりで一番最小単位といえば、
「太陽という恒星のまわりをまわっていて、その引力と、光の恩恵によって、存在している」
というのが、
「太陽系」
というものである。
さらに、そこは、上から見れば円になっていて、横から見れば、楕円というか、少し歪ではあるが、中心部分が膨らんだ、一見、
「宇宙船」
のような形のものが存在しているという、いわゆる。
「銀河系」
というものがある。
いわゆる。
「星雲」
と呼ばれるもので、同じような星雲として有名なのが、
「アンドロメダ星雲」
というわけだ。
ちなみに、このような、星雲であったり、星の名前というのは、基本的に、
「ギリシャ神話」
から命名されている。
ということは、古代ギリシャで作られた神話を元に作っているということは、これらの星は星座というのは、
「古代から考えられていた」
ともいえるだろうが、ただ、これらの宇宙を考えた科学者が、
「宇宙の星を見て、名前がないと分かりにくいということで、星座の図を作った時に、ギリシャ神話から、引用しただけだ」
とも言えなくもないだろう。
もちろん、本当に古代から続いていて、それが証明されているかどうかまでは分からないが、そういう疑問が起こっても、無理もないことなのであろう。
さて、ギリシャ神話において、つけられた星座の一番遠いところがどこなのか?
ということは、誰が分かるというのか、今の科学力であれば分かるだろうが、少なくとも、ガリレオの時代までは、
「地球が回っている」
などというと、処刑された時代だったではないか。
それ以前の時代に、そんなに正確な星の世界が分かるわけもないということであろう。
そもそも、
「人類の最初というのは、どうやってできたのだろう?」
ということを考える。
普通であれば、男と女が、
「まぐわう」
ということで、子供が生まれ、
「そこから子孫が紡がれていく」
というものであるが、聖書などでは、
「アダムとイブ」
がいて、日本では、
「イザナギ、イザナミ」
という二人の創造神がいるのだが、ギリシャ神話では、少し違う。
というのも、
「最初は女はいなかった」
というのが考え方で、女というものを最初に作ったのは、ゼウスであり、それは、
「人間を懲らしめるため」
ということだったはずだ。
その名が、
「パンドーラ」
いわゆる、
「パンドラの匣」
と呼ばれる、その人である。
彼女は、たくさんの女神から、
「贈り物」
を貰った。
それが、人間界に災いを及ぼすということになっているものだった。
「人間界に火をあたえてはいけない」
というゼウスのいうことを聞かず、プロメテウスが人間に火をあたえたことで、人間が、火を使うようになり、結果、争いが絶えない世界になってしまったのだ。
その時、
「本当は一番ゼウスの怒りを買った」
というのは、プロメテウスのはずである。
その時、プロメテウスが、ゼウスから、どのようなバツを受けたのかというと、これが、
「聞くも恐ろしい話」
であったのだ。
というのも、
「どこかの断崖絶壁に、磔のようにされて、括りつけられていて、身体を、ハゲタカのような鳥に、貪り続けられる」
ということであった。
確か、これが、数千年だったか、数万年続くというものであったはずなのだが、ちょっと考えれば、
「それだけの長い間、生きていることができるのか?」
ということであるが、それ以上に気になるのが、
「それだけ長い間拷問を受けるというが、それまでに死んでしまうのではないか?」
あるいは、
「それだけ長い時間であれば、もう、鳥が貪るだけの肉が残っていないではないか?」
ということが、まず疑問として、浮かんでくることであろう。
しかし、実際には、この二つの疑問を、一気に解決できるものがあるのだ。
それが何かというと、
「元に戻る」
ということである。
この言葉だけを聞けば、何のことか分からないかも知れないが、
「賢明な読者」
であれば、ピンとくる人もいるであろう。
というのも、
「実際の時間は進み、一日はカウントされるのであるが、肝心な肉体は、一日経てば、元に戻っている」
ということである。
つまりは、
「一日、ハゲタカについばまれていれば、一日で、骨だけになってしまい、その後の、数万年という月日を区切ったことの意味がなくなってしまうだろう」
それが、疑問の一つなのだろうが、
「肉体が、前の日に戻っている」
ということであれば、まったくの無傷で、
「ただ、同じことが前の日と変わらずに、繰り返される」
ということになるのだ。
つまりは、
「何万年経っても、身体が戻っているのだから、いくらでも無限にこのバツを続けることができる」
というものであり、もっといえば、
「この苦しみは、果てしなく続く」
ということであり、
「考えられる拷問の中で、一番恐ろしいものではないだろうか?」
初日も、二日目も、
「死に匹敵するくらいの苦しみを味わっていて、それが永遠に続く」
と思うと、これほど恐ろしいことはない。
「死んだ方がマシだ」
というのは、まさにこのことをいうのであろう。
そう思うと、
「人間の考えることは恐ろしいが、それ以上に怒らせてはいけないのは、神だ」
と言えるだろう。
それだけ神というのは、存在だけでも恐ろしいのに、人間以上に、残酷で、しかも、考えていることは、
「人間以上に、人間らしい」
といえるのではないだろうか?
やはり、
「神が人間を作ったのか?」
「人間が神を作ったのか?」
ということである。
だから、
「人間は誰が作ったのか?」
ということは、人間にこれ以上ないというくらいの存在の神が、作ったというのが、一番しっくりくるだろう。
特に、ことわざなどで、
「タマゴが先か、ニワトリが先か?」
という言葉があるが、まさにその通りだろう。
もっといえば、昭和の時代の漫才師で、
「地下鉄って、どっから入れたんでしょうね?」
ということを言っていたが、こちらも
「まさにその通り」
であり、
「ギャグとしては面白い」
といえるだろう。
ただ、真面目に考えれば、いくらでも、方法は出てきそうな気がする。それも、
「帯に短したすきに長し」
であり、
「どこまでが本当なのか?」
と、信憑性は怪しいものである。
「まず、どちらかの七に入り口を作っておいて、そこから入れたあと、その穴を塞いでしまう」
というやり方である。
そもそも、地下鉄の中には、
「車両基地は表にあるので、元々、地上に出れるようになっている」
というところもたくさんあり、そっちの方が、主流なのかも知れない。
しかし、実際に、どこも地下鉄を入れられるだけの穴も開いていない。
「当然、線路おない」
ということであれば、
「どこかで入り口を作っておいて、後で分からないように、埋めてしまう」
という方法と、もう一つは、
「まず部品だけを組みたてておいて、穴の中で、地下鉄を組みたてる」
というやり方である。
これも、妥当な気がするが、少し、実践的ではないような気がする。
なぜなら、部品を入れて、地下鉄を組みたてるといっても、
「子供がプラモデルを作る」
というわけにはいかない。
とんでもなく重たいものが部品としてあるのだ。
つまり、
「地下鉄の穴の中に、どうやって大きな什器を入れるのか?」
ということであり、話が本末転倒だ。
「だって、什器が入るくらいだったら、地下鉄だって入るに決まっているではないか?」
ということになるのだ。
それこそ、
「地下鉄を組みたてる什器って、どうやって入れて、どうやって出したんでしょうね?」
ということになるわけだ。
さらに、
「什器の方あ、組み立てが終われば、表に出さなければならない」
というわけだ。
これほど、一番考えられないという考えはないだろう。
よく考えてみると、おかしなもので、これこそ、
「合わせ鏡」
と似た考え方の、
「マトリョシカ人形」
のような考え方と言えないだろうか?
どんどん解決させようと思い、中をあけると、そこはまた、同じようなものが入っている。
そして、どんどん奥に入っていくと、そこには、
「限りなくゼロに近い」
何かがあるのではないだろうか?
そんな
「合わせ鏡」
の都市伝説がある中で、一人の男性が行方不明になっていた。
その行方不明になった男性というのは、そんな農家の子孫に当たる人で、名前を、
「黒崎」
といった。
黒崎は、昔、祖母から、そんな合わせ鏡の話を聞かされていた。その祖母というのが、この合わせ鏡を見たその時、お腹の中にいた子供だという。
その合わせ鏡の話を、祖母だけが聞かされていたようだ。
「決して、他の人には話してはいけないよ。でもね、この鏡をずっとこのまま、子々孫々と伝えていくことになるだろうから、その時に、この話をしなさい。そうすれば、怖くてこの鏡を処分するということはないと思うの。もし処分するとすれば、キチンと除霊をしておかないといけないよ」
と、言ったようだ。
祖母は、
「じゃあ、どうしてお母さんは、除霊して、この鏡を手放そうと思わなかったの?」
と聞かれたので、
「私は、それはちょっと怖いと思ったの。それに、私に宿ったかも知れない、この霊が、本当に怖いものだという気がしなかったので、除霊をしようとは思わなかったということなの」
というではないか。
「じゃあ、霊の正体を調べようとは思わなったのね?」
と聞くと、
「ええ、そうね。見たといっても一度キリだから、錯覚だったのかも知れないって、思うようにしようかと思うの」
というので、
「分かったわ。私も気にして見るようにする」
ということで、いずれは、祖母がこの鏡を受け継ぐことになる。
しかし、実際にこの鏡で、祖母の母親が経験したような異常現象は起こったことはなかった。
「合わせ鏡」
に関することも、まったく起きるわけではなかった。
何事もなければ、手放す必要も、除霊する必要もない。
それを考えると、
「子々孫々と伝えていく中で、都市伝説のような話だけは、本当に伝説のように語り継がれているが、次第にその信憑性は疑われていく」
ということであった。
「2代、3代と、伝えられる間に、普通であれば、話の内容は変わっていくことが多いであろうに、この都市伝説に関しては、それほど変わっている様子はなかった」
ということのようだ。
それこそ、
「伝言ゲーム」
のようなものだが、それだけ、印象的なことだけを拾っていくと、正確に伝わっていくということなのだろう。
そんなことを考えていると、
「その子孫である、黒崎も、本当は気を付けなければ、いけなかったのだろうか?」
ということであった。
とは言っても、もう半世紀以上も前の話。
しかも、その話は一度きりのことで、その現象が何を暗示しているのかということすら、分かっていないのだった。
それを、変に意識するという方が、無理だというもので、しかも、変に意識するということの方が、よほど、怪しいことだといってもいいだろう。
こんな都市伝説の中で、行方不明になった黒崎だったが、最初は、
「失踪した」
ということすら、誰にも分からなかった。
結局、無断欠勤が続いたことで、
「黒崎が、借金をしていた相手」
というのがいて、その人にとっては、
「失踪されてしまってたまるものか」
ということで、
「捜索願」
というものを出すことにしたのだった。
さすがに、彼の家族に、
「金を返してくれ」
と言ったが、
「さすがに、踏み倒すだけの親」
ということで、
「子供も子供なら、親も親」
ということで、相手にしてはくれなかった。
「息子の借金を親に言われても」
ということであったのだが、それもそうだ。
近親者である親から、捜索願を出してもらったが、やってくれたのは、ただ、それだけである。
もっとも、捜索願などというのは、言ってみればただの紙切れ。
警察が、真面目に捜査などするわけはない。
警察に出された捜索願で、
「事件に巻き込まれた可能性がある」
あるいは、
「自殺の危険性がある」
というような、
「命に係わる」
というようなことがなければ、警察は動いてくれないのだった。
しかも、失踪した理由にまったく心当たりはなく、親がいうには、
「まさかと思うが、例の合わせ鏡の祟りでは?」
ということであるが、そんな話をすればするほど、警察が真面目に話をきくわけもないだろう。
そんなことを考えると、捜索願など、気休めでしかなく。結果、いつの間にか、
「踏み倒されることを覚悟しなければいけないか」
という覚悟をしなければいけなくなるであろうことを、
「債権者」
は考えるのであった。
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