第3話 合わせ鏡
そんなハイパーインフレの時代が、どんどん長くなっていくと、
「貨幣価値が、まったくなくなってしまう」
ということにある。
そのために、
「お金が約に立たない」
ということは、
「何かの物資を持っているということが一番だ」
ということになるだろう。
つまり、流行ってくるのは、
「物々交換」
ということになる。
比較的、都会よりも被害を免れた農村部は、自分たちで、自給自足ができるだけの貯えは十分に持っている。
しかも、都会では、食料などが不足していて、貨幣価値もほとんどなければ、都会から、食料人として、農産物などを仕入れに来ても、
「売る必要などない」
ということになる。
当然、自分たちも売りに行く必要などないだろう。同じ食料を持っている人と同士で、
「物々交換を行えばいい」
ということになるだろう。
野菜を持っている人と、肉を持っている人との間での物々交換であれば、対等な交換ができるというもの、都会から、食料を求めてくる人は、衣類であったり、その他、家宝のようなものを持ってくることも多いだろう。
しかし、都会から持ってくるものというのは、
「そんなもの持ってきても、毎日のように、たくさんの人がいろいろ持ってくるので、sこっちからすれば、ゴミにしかならない」
ということになる。
「飢え死にしてしまいそうなのを、恥を忍んで、農家に頭を下げているのに、この仕打ちは何だ?」
と思うかも知れないが、
「背に腹は代えられない」
ということで、腹が立ってくるのを何とか抑えて、我慢するしかないのだった。
考えてみれば、今までの歴史の中で、
「農民がこれほど強い立場だったことがあっただろうか?」
と言えるだろう。
太古の歴史から考えても、農民というと、どの時代でも、搾取されてきたではないか?
古代の農民も、政府が土地の管理をしたり、古墳時代には、
「古墳を作るために、駆り出される」
さらには、荘園というものができてくると、今度は、寺社や貴族が、農民を搾取する。
さらに中世に入ると、荘園だけではなく、幕府の機関である、
「地頭」
というものが幅を利かせてくる。
「泣くこと地頭には勝てない」
などという言葉が流行ったりしたくらいに、地頭は強いものだった。
しかも、それが戦国時代になると、農民も兵士として駆り出されたものではないか。
秀吉の時代になると、石高制となり、領主に納める年貢の制度が固まってくる。
江戸時代には、
「百姓は、生かさず殺さず」
などという言葉に代表されるようになってくると、打ち首、磔になると分かっていても。「一揆をおこさないと、生きていけない」
ということになってしまうのだった。
昭和初期は、
「娘を売らないと、明日の食事もない」
という時代であった。
そんな時代から、明治になっても、あまり変わらない。そういう意味で、
「百姓は、いつの時代でも、悲惨な運命でしかない」
のであった。
そんな一軒の百姓の家に、一つの鏡があったのだという。その鏡は、別に高価な鏡でも何でもなかったのだが、ただ、その鏡は、とりあえず、
「先祖代々に受け継がれていて、何があっても、売ってはいけない」
という伝説の下、何とか、売らずに済んだ。
という話を聴いたことがあった。
実際に、昭和初期などは、
「売らないとまずい」
という寸前まで行ったようだが、ちょうどそんな時、売らなくても済むようなことがあったのだということであった。
何があったのか、ハッキリとは分からなかったが、少なくとも、鏡を売る寸前まで考えていて、家族会議でも、
「売る売らない」
で、かなりもめていたようだ。
その間に、売らなくてもいいようになるなんて、
「なんて、偶然というのは、すごいものなんだ」
ということであったが、逆にいえば、鏡を売りたくないという思いが通じたと考えれば、そもそも、この鏡に神通力というようなものがあったと考えることもできるだろう。
そんな時、都会から買い出しにやってきた人が、トラックのようなもので、家財道具をいくつか持ってきて、
「食料を分けてほしい」
ということだった。
品物はかなりいいものだという。
その家の人は、
「旧華族様」
ではないか?
ということで、家族でも、
「むげには断れない」
ということで、正当と言えるかどうかわからないが、持ってきた家財道具に見合うくらいの食料を分けてあげた。
といっても、いくら農家でも、果てしなくものがあるわけでもない。
「できる限りのことで勘弁してください、
ということであったが、この家では、
「こちらには、鏡をおかせていただきます」
ということで、すべてを引き取ることのできない負い目もあって、相手が指定したものしか、受け取ることができないというのが、暗黙の了解であった。
その家族が置いていった鏡は、物置に置くことになった。
ちょうど、使っていないものを、物置に押し込んでいるが、霊の鏡も押し込んでしまっていた。
そこで、鏡が一つできたことで、
「娘の部屋に、霊の、売ってはいけないという鏡を持ってこようか?」
ということで、父親は、今回鏡が来たことで、その、
「売ってはいけない鏡」
のことを主出したのだ。
「娘が使っていれば、むやみに、、捨てようなどということは考えないだろう」
ということで、押し入れから取り出して、娘の部屋に設置することにした。
鏡といっても、鏡台のようになっていて、前の台には、化粧品も置けるので、
「娘もそろそろ女学校を卒業する時期なので、化粧も普通にしたいだろう」
ということだったのだ。
「どこかにいい人がいれば、娘を貰ってくれればいいんだけどね」
ということであったが、
「その時には、この鏡を、花嫁道具として出さないようにしないとな」
ということで、ちょうど、今回、物々交換で手に入った鏡が、花嫁道具には、ちょうどいいということになるだろう。
それを思うと、
「実にいいタイミングだったな」
ということで、今のところ、その鏡は、
「娘の花嫁道具として持っていく時に、日の目を見ることになるのだろう」
ということであった。
実際に花嫁道具となる時が、そんなに遠くはなかった。
戦争中であれば、いろいろなしがらみもあっただろうし、何と言っても、大日方ん帝国は昔の流れをくんでいた・-。
特に、自分が好きな人と一緒になるというのは難しいことで、
「家と家のつながり」
ということで、いわゆる、
「許嫁」
なる言葉があり、下手をすれば、物心つく前から、
「結婚相手は決まっていた」
というのは、当たり前にあったことだ。
しかも、戦時中などというと、戦争が激化してくると、
「赤紙」
と呼ばれた召集令状が、容赦なくやってくる。
そうなると、出征の前に結婚させて、
「一度でいいから、男としての喜びを味わわせてやる」
という目的だけで、結婚させられるのだ。
その頃の出征ともなると、
「死にに行くようなものだ」
ということは当たり前にあった。
さすがに国民も、戦争が怪しいところに来ているのは分かったであろう。
戦争に負けていることも分かっているはずで、そうでなければ、まだ結婚前の、しかも、働き盛りの子供が、そんなにたくさん、召集されるわけはない。
となると、
「生きて帰ってくるというのは、望みすぎか?」
ということから、
「男の喜びを最後に」
ということになるのだろう。
「じゃあ、女はどうなる」
というのか?
男に童貞を捨て去れるためだけに、結婚し、
「一日だけの結婚生活」
ということで、後は、出征させるだけで、後は旦那のいない家で、
「銃後を任される」
ということになるのだ。
「銃後というのは、夫が出征した後の家庭を守り、旦那が戻ってくるのを待つことになる。
しかしあの時代の庶民は、女と言えども、
「竹槍訓練」
であったり、
「軍需工場への徴用」
であったりと、いろいろな仕事もあった。
その、
「たった一晩の営み」
で、子供ができたとすれば、その子を育てながらということになる。
もちろん、旦那の親も手伝ってくれるだろうが、親も軍需工場への仕事で赴いたり、義母も婦人会であったりと、忙しいので、なかなかそうもいかない。
しかし、家としては、大切な跡取り、大日本帝国では、
「大切な天皇陛下の子供」
ということになるであろう。
だから、粗末にもできない。
そんな毎日を送っていると、今度は、夜中にも、B―29が飛来して、夜間爆撃が行われたりした。
昭和20年に入ると、日本の大都市では、毎日のように、2,3の都市が爆撃にあった。
大空襲で、ほとんどが焼け野原になる。
何といっても、
「日本家屋を焼き払うことを目的とし、それに特化した戦術で投下される、焼夷弾というものの威力は激しく、空襲が終わってから、防空壕から出てきた時は、街のほとんどが焼け落ちている」
ということになっている。
「これは、どうしようもない」
自分の家が燃えずに残っているというのは、運のいいことだろう。
そもそも、
「防空壕を掘って、そこに逃げ込む」
ということでしか身を守れない。
そこまで頑強な防空壕だったのかというのは、正直残っていないので、よくは分からないが、
「いずれは、空襲に合うかも知れない」
ということで、いろいろな工夫がなされていた。
その一つが、この
「防空壕」
というものであるが、もう一つとしては、
「灯火管制」
というものがある。
「相手は、夜間爆撃なのだから、明かりを消してしまえば、目標がどこなのか、分からない」
というものであった。
これは、日本以前の空襲に遭ったところでは当たり前のことであった。
しかし、そんなものは、日本を爆撃するに際しては関係がない。
何しろ、
「無差別爆撃」
なのだから、相手は、
「まったく目標などを見ずに、爆弾を投下する」
ということなので、灯火管制をしようがあまり効果がないということであった、
さらにもう一つというのは、
「建物疎開」
と,呼ばれるものだ。
これは、出征していない男性で、軍需工場に行っていない連中の仕事でもあった。
建物疎開というのは、
「空襲における爆弾が投下された時、住宅密集地であれば、誘爆を伴い、一発の爆弾で、数軒の家が、燃え上がることになる」
ということを分かったうえで、
「だったら、街を歯抜け状態にしておけば、ひどいことにはならないだろう」
ということだったのだ、
「誘爆を防ぐ」
というのが目的だったが。それも、今回の爆撃では、あまり効果長かったのだ。
なぜなら、相手が投下していくものは、通常の、TNT爆弾だけではなく、
「日本家屋を焼き払う」
という意味で投下される焼夷弾だったのだ。
しかも、その新型た爆弾は、大きな爆弾が投下されると、空中で、束が破裂し、鋭利な爆弾として日本家屋の壁や屋根を突き破って、そこから火災を起こさせるのだ。
だから、
「建物疎開」
なるものは、
「ほとんど役に立たなかった」
といってもいいかも知れない。
そんな爆弾が降り注ぐ中において、国民は、
「防空頭巾をかぶって、防空壕に逃げ出すのだ」
たぶん、爆撃は都市の規模に寄って違っているのだろうが、2~4時間くらいの間、続くことになるだろう。
ほとんどの家は焼け野原、焼け残ったところも、とても人が住めるところではないだろう?
彼らがどのようにしてその日から生活したのかというのは、実際に語られることも、歴史的に誰かに教えられることはなかった。
終戦後のことは、実際に、写真や、ドラマになったりしているので、分からない。
「ひょっとすると、占領軍から、報道管制のようなものがあったのかも知れない」
と思う。
とにかく、戦時中というものは、
「あまりにも理不尽な、大都市への無差別爆撃」
アメリカはそれを何とか正当化させようと考えたはずで、
「爆撃において、我が軍が、対空砲火であったり、出撃のわりにあまり効果が出ないのであれば、戦争が長引き、我が国の兵士を無駄に死に追いやることになる」
ということで、
「戦争を早く終わらせるためには、相手の戦意を削ぐくらいの、羽部志位爆撃が必要なのだ」
ということだ。
空襲の翌日の悲惨な街の惨状、さらに、家を失った人たちがどのような生活をしているのか?
ということが報道されてしまうと、
「アメリカが基本方針とした、無差別爆撃というものが、正当化されるこということになり、それがm相手の言い訳の信憑性をごまかす形になってしまうのだろう」
ということであった。
日本において、
「何とか戦争を終わらせるために」
という努力と、
「負けていても、いかにも強気な軍部、特に陸軍は、自分たちが始めた戦争」
ということで、どうすることもできないでいたのだ。
そのどちらも、
「ソ連の強引な国境突破、さらに、アメリカの原爆投下」
というものによって、どちらの道も不可能ならしめたことで、あの
「天皇の玉音放送」
ということになったのだろう。
それでも、陸軍の一部には、戦争継続を訴え、
「クーデターを起こそうという計画まであった。
「玉音放送を奪い、何とか戦争継続を」
ということであったが、
「これ以上の継続に、何の意味があるというのだろうか?」
ということであった。
日本という国は、
「辛抱する民族性」
であったが、バカな民族ではない。
だから、少しでも、士気を高めるためには、
「ウソの報道でもして、戦意を損なわないようにしないといけない」
ということであった。
圧倒的に負けていて、もう取り返しがつかない状態になったにも関わらず、日本は降伏しようとしない。
「本土決戦」
というものを、真剣に考えていたのだろう。
その時はまだ、主要都市を壊滅させるという目的での第一次攻撃が、この、
「大都市への無差別爆撃」
だったのだ。
この大戦は元々、ドイツによる、欧州各国へ、さらに、日本におけう、中国の、
「上海」
「南京」
「武漢」
「重慶」
などという大都市に対して行われた、
「渡洋爆撃」
であった。
ちなみにこの爆撃は、日本が史上初のことであった。
そう、日本は決して、科学力では負けていたわけではない。
「ゼロ戦」
の威力にしても、他国空軍を震え上がらせるというもので、
「世界一の戦闘機」
と言われた。
しかも、日本でも、
「原子爆弾」
というものの理屈はわかっているようで、実際に研究が水面下で行われていたという。
アメリカとしては、
「隠しておきたい事実だ」
といってもいいだろう。
戦後の社会主義国を相手にする場合に、
「少しでも、自分たちがいい方に進んでいるということが考えられるであろう」
と考えられる。
そんな日本において、
「赤紙」
という名の召集令状が届き、いよいよ
「出征が近づいた」
ということで、バタバタと結婚式を行い、今度は、
「出征式」
である。
テレビでよく見る、胸のたすきをかけた、学生服に鉢巻き姿のお立ち台の青年に対し、
「万歳三唱」
で送り出すというやり方だ。
「見事、天皇陛下様のために、死んで来い」
というのが、親の願いだったのだ。
本人ももちろんその覚悟で、それが、当時の日本では、
「当たり前のことだ」
というのであった。
許嫁が、いよいよ結婚を前にして、家財道具と共に、嫁入りしてくるのに、
「旦那がすぐに出征し、帰ってくるという保証もない状態」
というのは、当時は当たり前のことであっただろうが、
「今では、信じられない」
ということであり、歴史的に見ても、その時代だけのことだったのだ。
さて、その夜、
「二人は男と女の喜びを知ることになるのだが、それを知ったうえで、その後の二人の運命は、実に過酷なものだ」
男は軍隊に入り、鉄壁の規律を守りながら、
「いつ死ぬか分からない」
いや、
「明日をも知れぬこの命」
とは、まさにこの時のようだ。
女も銃後ということで、家庭を守り、毎日を、
「戦争を行っている国の本土住民」
ということで、生活というにはほど遠い、毎日だっただろう。
「米の飯など食べられるわけもなく、慢性的な物資不足において、正直、すべてが配給によるもので、この時代から、貨幣価値などあってないようなものではなかったか」
さらに、
「欲しがりません、勝つまでは」
という標語の中で、
「配給に、米などあるわけもなく、野菜の一切れでもあればいい」
というほどのひどさだったといってもいい。
戦後の
「ハイパーインフレ」
を代表的なものだとして言われるが、実際にはそれだけではなかったのだ。
戦争において、
「いかに情けないか?」
というのは、
「そういう事実を語られず、ひた隠しにされることではないだろうか?」
それは戦術にも言えることで、
「戦争は、勝ち続けている」
という、軍部の発表なので、その戦争に立ち合った人間を、日本に帰すわけにはいかない。
なぜなら。その人たちが口を滑らせてしまうと、
「軍部のウソがばれてしまい、軍部だけでなく、政府も批判され」、
「戦争継続」
ということが不可能になる」
ということになってしまうのではないだろうか?
それを考えると、方法は二つしかない。
一つは、
「皆殺し」
にしてしまうか、
「どこかに隔離するか?」
ということである。
隔離することはできるが、いずれはバレてしまいかねないので、健康になれば、今度はまたどこかの戦線に派遣される。
もちろん、日本に一時的にも帰還されるということもなく、彼らも、
「日本に勝ち目はないのだろうから、どこで死んでもいい」
などと思ったとしても、不思議でないだろう。
そんな状態の怨念、いや、生霊のようなものが、鏡に乗り移ったのかも知れない。
銃後の嫁さんの部屋に鏡があったとして、いつの間にか、そこには、もう一つの鏡があった。
それが、実家から持ってきた。例の花嫁道具といってもいい鏡だったのだ。
「物置にあるはずなのに」
ということであるが、なぜか部屋にあったのだ。
女も、それほど気にすることではなかったが、その鏡には、次第に違和感を感じるようになったのだ。
そこには、誰か男性が写っていて、
「あれ?」
と思うと、今度は、もう一方の鏡を見ると、何も映っていないのだ。
しかも、もっとおかしいのは、
「映っている方の鏡には、合わせ鏡特有の現象、無限に少しずつ小さくなっていくように見えている」
というあの現象である。
その様子を見ていると。
「実に気持ち悪い」
ということではあったが、なぜか片方には映っていないことに、安心があった。
「この様子、どう見ても、この男が漂っている姿が、気持ち悪いということなので、一か所だけで十分だ」
というおかしな気分になるのだった。
そう思うと、
「明らかに妖怪の類であるが、よく見ると見覚えがある」
というのだ、
それが旦那だったのだが、女はその時、急に、男が恋しく感じられた。
あの時は、一瞬の出来事で、セックスが気持ちいいかどうかなど分かるわけもなかった。
そういう意味で、
「私も女の喜びを知ったのかしら?」
ということで。自分の反応も、
「女として、身体が勝手に旦那を欲しがっている」
と感じているようだった。
だから、鏡に写った姿であっても、それが、
「旦那だ」
と思うと、いとおしい。
逆に、一か所にしか映らないのは、それだけ、
「自分に逢いに来てくれたのか?」
という、
「自分勝手ではあるが、どこか楽天的な考え方になっているのは、無理もないことなのであろう」
ということであった。
「遠い空を見ていると、国境など、どこにあるというのか?」
ということで、
「結婚してからというもの、空を見るということが日課になっていたのだった。
彼女は、
「その思いがあるから。旦那が帰ってきてくれたと思うのだった」
理不尽ではあろうが、それでも、自分のために来てくれたというのは、マイナス面を補っても、まだまだプラスだったのだ。
しかし、
「人間というものは、その一つを貫こうとする」
と考えられるのだ。
彼女は、
「少しでも都合よく考えられるようになればいいな」
と考えるのであった。
そんな彼女が、部屋に写る、
「合わせ鏡」
に対して、どれほどの意識を持っていたのか?
ということは分からなかったが、最近、川崎という男が、戦争中から、戦後において、このようなことがあったというような夢を見ることがあったのだ。
しかも、川崎の意識としても、
「同じ夢をそんなに何度も見ることはないはずだ」
という意識があるので、自分でも、まさか、
「こんなに何度も同じ夢を見るなんて」
ということを感じるのだった。
「夢を見るということが、どういうことなのか?」
ということを考えてみた。
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